艸木虫魚 (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003103135

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  • 郷里の詩人、薄田泣菫の生家を訪ねた。何年も前に整備公開されていたが、やっと見ることが出来た。とは言え、薄田泣菫(1877-1945)を知らない人も多いと思う。明治のロマン派の詩人らしい。文語体なので、今は殆ど詠まれることはない。しかし、私の高校の教科書には出ていた。大学受験のマークシートでは出てくるかもしれない。

    生家の母屋は南向きで、玄関から台所の土間部分は吹き抜けになっていて当時の建物としては珍しいらしい。全体の間取りは「四国・九州間」と呼ばれる様式で、寸法は「中間間」である。ハッキリ言って、うちの郷里ではブゲンシャ(金持ち)の家ですな。

    玄関から式台を上がると四畳半、その奥が五畳の座敷になっている(写真の間)。座敷奥には二畳の和室と一畳の押入れがあり、茶室として使われていた。今は三畳の和室として復元。

    トイレは昔懐かしい雪隠構造、離れ型式になっていた。夜中に行けば怖い。


    しかし、随筆はいかにも随筆らしい随筆を書いた。くどくどとは書かず、簡潔に言いたいことを言ってパッと終わる。「艸木虫魚」(岩波文庫)という随筆集がある。そこに郷里ののことを書いていた。以下の通りである。

    赤土の山と海と

     私の郷里は水島灘に近い小山の裾にある。山には格別秀れたところもないが、少年時代の遊び場所として、私にとっては忘れがたい土地なのだ。
     山は一面に松林で蔽われている。赤松と黒松との程よい交錯。そこでなければ味われない肌理の細かい風の音と、健康を喚び覚させるような辛辣な空気の匂とは、私の好きなものの一つであった。メレジュコオフスキイの『先駆者』を読むと、レオナルド・ダ・ヴィンチが戦争を避けて、友人ジロラモ・メルチの別荘地ヴァプリオに泊っている頃、メルチの子供フランチェスコと連れ立って、近くの森のなかを見て歩く条がある。少年は若芽を吹き出したばかりの木立のかげで、この絶代の知慧者から、自然に対する愛と知識とを教えられているが、こういう指導者を持たなかった私は、いつもたった一人でこの松山を遊び歩いた。そして人知れず行われている樹木の成長と、枯朽とを静かに見入ったり繁みの中から水のように滴り出る小鳥の歌にじっと聴きとれたりした。一葉蘭が花と葉と、どちらもたった一つずつの、極めて乏しい天恵の下に、それでも自分を娯しむ生活を営んでいるのを知り、社交嫌いな鷦鷯が、人一倍巣を作ることの上手な世話女房であるのを見たのも、この山のなかであった。フランチェスコは森の静寂のなかで、レオナルドの鉄のような心臓の鼓動を聞きながら、時々同伴者の頭の縮れっ毛や、長い髯が日に輝いているのを盗み見て、神様ではなかろうかと思ったということだが、私も偶に自分の背後や横側で、黒い大きなものが、自分と同じような身振で物に見とれ聞きとれているのを見て、思わずびっくりしたことがあった。それは山の傾斜に落ちている私の影だった。
     私はそんなことにも倦むと、山のいただきにある大きな岩の背に寝転んだ。そして自分の上に拡がっている大きな藍色の空をじっと見入った。空にはよく鳶の二、三羽が大幅な輪を描いて舞っていた。私のとりとめない空想は、その鳶の焦茶色に光った翼に載せられて空高く飛んだものだが、どうかすると鳥の描く輪は、次第々々に横に逸れて、いつのまにか私の視野から遠ざかってしまうことがないでもない。振り落された私の空想は、あぶなくもんどりうってまた私のふところに帰って来た。
     私はまた海にもよく往った。多くの場合水島灘の浪は女のように静かだった。私は岸の柔かい砂の上に腰をおろして、眼の前を滑って往く船の数をよんだりした。船はいずれも白鳥の翼のような白い帆を張っていた。そして少年のとりとめのない夢を載せて、次から次へと島々のかげに隠れて往った。
     海が遠浅なので、私はよく潮の退いた跡へおり立って、蝦や、しゃこや、がざみや、しおまねぎや、鰈や、いろんな貝などを捕った。私はこれらのものの水のなかの生活に親しむにつれて、山の上の草木や、小鳥などと一緒に、自分の朋輩として彼らに深い愛を感ずるようになった。そしてこの世のなかで、人間ばかりが大切なものでないことを思うようになった。
     あの小高い赤土の松山と遠浅の海と。──思えばこの二つは、私の少年時代を哺育した道場であった。

    赤土の松山と遠浅の海について、だいたいどの辺りかという土地勘は私にはある。泣菫が寝転んだ大岩に寝転んだことが、私にもあったような気がする。

    しかし、今はミソサザイなどは絶えて見ることはなく、大岩は掘り返されて整備されて今は住宅団地に変貌している。水島灘は戦争末期に戦闘機工場から水島大工業地帯に変貌を遂げ始終嫌な匂いのする泥海に変わった。

    泣菫は人生の殆どを都会で過ごしたが、パーキンソン病を得て昭和20年にこの生家に帰って同年68歳で亡くなっている。もはや遠浅の海が埋め立てられてなくなっていたのも見ることはなかっただろう。泣菫の最後の日々はいったいどんな日々だったのだろう。
    2014年4月4日読了

  • 風格のある文章だった。優しい、だけでない、ちょっと皮肉で紗に構えた感じがなかなか新鮮。

  • タイトルは「そうもくちゅうぎょ」。著者名は「すすきだきゅうきん」と読む。
    エッセイにはあまり興味がもてずめったに読まないが、それでも本作が最後まで読めたのは、時々くすりと笑えたり、ほほうと感心したりできる表現があったからだ。特に動植物や虫などをつづったものに心ひかれ、味わい深い時を過ごすことができた。

  • 二年くらい前に読んだ。

    一つ3,4ページくらいの短いエッセイ集で、どれも皮肉、というか警句をはらんでいる。
    中の、「とうがらし」を初めて読んだ時の衝撃。
    日々のささやかな「苛立ち」を、仮託するに十分足る文章だと思う。
    怒りたいときには、これ。

    最近暑いし。

  • 薄田泣菫の文章が好きになった。著者は自然や生命が本当に好きなんだなあ

  • 何事も自然にまかせて、あまりおせっかいをしないのが、一番いいようだ。

  • 身近なもの、たとえば庭の野鳥や植木にむけられる優しいまなざしが感じられて、読んでてほっこりします。
    そしてそれらに絡めて紡がれる古今東西の小話の数々。
    そのバリエーションの豊富さは一体どこから来るんでしょうか。
    至福の時間でした。

  • 身近な物事−人事、自然等−に関する文集。冴えているのだが暖かい。緩急の付け方が絶妙である。こういう文章にはほとんど嫉妬の念すら覚える。

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