或る女 (前編) (岩波文庫)

  • 岩波書店 (1998年11月19日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784003103616

感想・レビュー・書評

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  • 主人公が性悪女で一種のメロドラマなので読みやすく面白かった。谷崎潤一郎が好きな人には楽しめると思う。ただ作者の真面目さが所々顕れて谷崎のようなエンターテインメント性には乏しい。

    この小説は実在の人物をモデルにしているが、問題にならなかったのだろうか?今ならもう皆さん他界しているだろうけど、出版当時は存命だったはず。今なら間違いなく名誉毀損になっていたででょう。そういう暴露本的な面白さもあるのかもしれない。

  • 有島武郎著『或る女 前編(岩波文庫 ; 31-036-1)』(岩波書店)
    1950.5発行
    1968.6改版発行

    2020.10.8読了
     有島武郎の代表的長編小説として、まず筆頭にあげられるのがこの「或る女」という小説だ。はじめ「或る女のグリンプス」と題して同人雑誌「白樺」に連載(1911年~1913年)されたそれは、のちに改稿改題され、有島武郎著作集第9輯「或女」前編として1919年3月に刊行された。さらに同年6月に著作集第9輯として書き下ろしの後編が刊行された。翻訳調でありながら重厚な文体で改行が少ない。三人称小説だが主人公早月葉子の視点から書き綴られていて、「生まれるべきでない時代に、生まれるべきでない所に生まれて来た」(前・p153)葉子の心理描写が仮借無く事を分けて描かれている。
     私にとって有島武郎の作品は胸を抉られるような読書体験を強いられることが多いのだが、特にこの作品はすごかった。前編における葉子の高飛車な、男をマウンティングするような人物像が、後編に入って見事に破滅の一途に向かう様は直視に堪えない。大正時代は女性解放運動が盛んに叫ばれた時代でもある。男性に虐げられていた女性が立ち上がり、逆に男性を手玉に取っていく葉子の姿は、読んでいて小気味いい。時代の趨勢にも合っている。葉子が立ち上がろうとする際に杖にしたのは、「鋭い才能」と「優れた肉体」と「激しい情緒」であった(前・p154)。ところが、女の強みは同時に女の弱みにもなる。アメリカの許婚者のもとに行く船中で事務長倉地に出会い、今まで女郎蜘蛛のように数々の男性をからめ取っていた葉子が、恋に自分の全我を投げ入れようとしてしまう。倉地には「無尽蔵に強烈で征服的な生のままな男性の力」があり、いかなる女も「その本能に立ち帰らせる魔術」(後・p198)を持っている。結婚よりも恋愛という当時としてはまだ珍しかった感情の虜となって、葉子はアメリカに着くや否や日本にまたとんぼ返りしてしまう。
     海から陸へ。このコントラストが葉子の明暗を分けてしまった。道徳と倫理も純潔も通用しない海の上というのは、自分の力だけが全てだ。全てが許されているが、その代わり、全て自己責任だ。しかし、陸の上は違う。何が正しくて何が善いのかは予め定まっている。それは法律とか道徳とか言う美名のもとに一見神のように君臨しているが、何のことはない、それは向こう三軒両隣の、言わば、社会的メカニズムによって「そういう風に」設定されているだけにすぎない。
     「海から陸へ」という選択は、葉子にとって致命的な誤りだった。葉子を誤らせたものは結局情愛への執着だった。生き延びたければ執着は捨てねばなるまい。情愛に生きるのであれば、その頂点で死なねばならないだろう。後年、作者は実際にそれを証明してみせたではないか。
     葉子はずるずると情愛にしがみついた結果、ソドムのような神の怒りに触れて身を滅ぼしてしまった。今わの際に、葉子は厳格なキリストの教師である内田に救いを求める。内田は内村鑑三がモデルだろうか。私には苦しい時の神頼みにしか思えない。よく出来た皮肉である。それとも極端と極端は互いに相通ずるものがあるという暗示を示唆しているのだろうか。なるほど、確かに内田も葉子も世間から日陰者のように扱われていた。私には、葉子はニーチェの生き写しのように見える。「大いなる正午」を夢見て、「超人」の道を歩もうとしたものの、発狂して死んでいった哲学者――。身を搾るような激痛を前にして葉子はもう女の姿をしていなかった。あれほど男を敵視し、女を振り撒いていた葉子も、命を手放す程の激痛を相手にして女でいられなかった。天門を前にして性差はほとんど無力だった。

    https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001118300

  • ニセコなどを舞台とした作品です。

  • 20代は葉子になりたかった。女として強く生きていく姿にひかれた。後半は読むのが辛かった。

  • 8/4

  • 「その涙の一しずくが気まぐれにも、うつむいた男の鼻の先に宿って、落ちそうで落ちないのを見やっていた。」−読み手の呼吸を操るような、緊張と艶やかさが連続する文章。『白樺』の文豪達が「名人芸」と評す有島節が、美しく残酷で、そして賢しい主人公「葉子」と、彼女を取り巻く情景に血を通わせ、読み手をぞくぞくさせる。

     更にまるで作者が女性であるかのような、女の繊細な心情と肉体の感覚の描写。当の女である私ですら見落としてしまいそうな、女性特有の殊に異性に対する心と体の微かな疼きを、まざまざと印象づける。「葉子」は同性からはそのしたたかさから忌み嫌われ、そして妬まれる最たる女性像であろう。しかし、その実は、賢さ故に社会のスタンダードから弾かれ、強い自立心を持ちながらも、自分への必要に振り回される弱い孤独な女性でもある。私には彼女のように男を手玉に取ることなどとても出来ないが(いや、それほどの男を魅了する美しさと頭を持ち合わせていないと言った方が正しい)、自分の居場所を求めて奮闘し時に空回りするその姿は、自分を重ねるところがあり、実際の生活テリトリーに居れば絶対好意は持ち得ないだろうこの女主人公に、一種の同情と悲しみを感じた。

     また、信仰していたキリスト教の教えに疑問を持ち嫌悪する「葉子」は、作者自身を反映している。この前篇は、いわば「葉子」の不倫愛の序幕であるが、後に不倫の愛から心中した作者の未来をも予告するようだ。作者の現実の「己」が、異性の「他」に投影され、その二つが複雑に溶けあうところに、単なる物語以上の求心力を私は感じるのだ。

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著者プロフィール

1878年、東京生まれ。札幌農学校卒業。アメリカ留学を経て、東北帝国大学農科大学(札幌)で教鞭をとるほか、勤労青少年への教育など社会活動にも取り組む。この時期、雑誌『白樺』同人となり、小説や美術評論などを発表。
大学退職後、東京を拠点に執筆活動に専念。1917年、北海道ニセコを舞台とした小説『カインの末裔』が出世作となる。以降、『生れ出づる悩み』『或る女』などで大正期の文壇において人気作家となる。
1922年、現在のニセコに所有した農場を「相互扶助」の精神に基づき無償解放。1923年、軽井沢で自ら命を絶つ。

「2024年 『一房の葡萄』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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