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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784003103623
感想・レビュー・書評
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有島武郎著『或る女. 後編 改版 (岩波文庫)』(岩波書店)
1950.5発行
1968.8改版発行
2020.10.8読了
有島武郎の代表的長編小説として、まず筆頭にあげられるのがこの「或る女」という小説だ。はじめ「或る女のグリンプス」と題して同人雑誌「白樺」に連載(1911年~1913年)されたそれは、のちに改稿改題され、有島武郎著作集第9輯「或女」前編として1919年3月に刊行された。さらに同年6月に著作集第9輯として書き下ろしの後編が刊行された。翻訳調でありながら重厚な文体で改行が少ない。三人称小説だが主人公早月葉子の視点から書き綴られていて、「生まれるべきでない時代に、生まれるべきでない所に生まれて来た」(前・p153)葉子の心理描写が仮借無く事を分けて描かれている。
私にとって有島武郎の作品は胸を抉られるような読書体験を強いられることが多いのだが、特にこの作品はすごかった。前編における葉子の高飛車な、男をマウンティングするような人物像が、後編に入って見事に破滅の一途に向かう様は直視に堪えない。大正時代は女性解放運動が盛んに叫ばれた時代でもある。男性に虐げられていた女性が立ち上がり、逆に男性を手玉に取っていく葉子の姿は、読んでいて小気味いい。時代の趨勢にも合っている。葉子が立ち上がろうとする際に杖にしたのは、「鋭い才能」と「優れた肉体」と「激しい情緒」であった(前・p154)。ところが、女の強みは同時に女の弱みにもなる。アメリカの許婚者のもとに行く船中で事務長倉地に出会い、今まで女郎蜘蛛のように数々の男性をからめ取っていた葉子が、恋に自分の全我を投げ入れようとしてしまう。倉地には「無尽蔵に強烈で征服的な生のままな男性の力」があり、いかなる女も「その本能に立ち帰らせる魔術」(後・p198)を持っている。結婚よりも恋愛という当時としてはまだ珍しかった感情の虜となって、葉子はアメリカに着くや否や日本にまたとんぼ返りしてしまう。
海から陸へ。このコントラストが葉子の明暗を分けてしまった。道徳と倫理も純潔も通用しない海の上というのは、自分の力だけが全てだ。全てが許されているが、その代わり、全て自己責任だ。しかし、陸の上は違う。何が正しくて何が善いのかは予め定まっている。それは法律とか道徳とか言う美名のもとに一見神のように君臨しているが、何のことはない、それは向こう三軒両隣の、言わば、社会的メカニズムによって「そういう風に」設定されているだけにすぎない。
「海から陸へ」という選択は、葉子にとって致命的な誤りだった。葉子を誤らせたものは結局情愛への執着だった。生き延びたければ執着は捨てねばなるまい。情愛に生きるのであれば、その頂点で死なねばならないだろう。後年、作者は実際にそれを証明してみせたではないか。
葉子はずるずると情愛にしがみついた結果、ソドムのような神の怒りに触れて身を滅ぼしてしまった。今わの際に、葉子は厳格なキリストの教師である内田に救いを求める。内田は内村鑑三がモデルだろうか。私には苦しい時の神頼みにしか思えない。よく出来た皮肉である。それとも極端と極端は互いに相通ずるものがあるという暗示を示唆しているのだろうか。なるほど、確かに内田も葉子も世間から日陰者のように扱われていた。私には、葉子はニーチェの生き写しのように見える。「大いなる正午」を夢見て、「超人」の道を歩もうとしたものの、発狂して死んでいった哲学者――。身を搾るような激痛を前にして葉子はもう女の姿をしていなかった。あれほど男を敵視し、女を振り撒いていた葉子も、命を手放す程の激痛を相手にして女でいられなかった。天門を前にして性差はほとんど無力だった。
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001110473詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
凄まじい。
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8/8
後編は書き下ろし。
そのためか、くどくどしい部分も。
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