つゆのあとさき (岩波文庫 緑 41-4)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (157ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003104149

感想・レビュー・書評

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  • 読んだのは、偶然梅雨の始めから梅雨の終わりにかけてだった。カフェの女給君江の遭う酷い仕打ちも夜の驟雨の中だった。そこから最終頁にかけての展開が面白い。また、導入部の女給たちの風俗は、荷風の面目躍如であって、こんな文を書ける人はもう日本にはいない。文章力のある人は、もしかしたら少しはいるかもしれない。しかし、対象がいない。

    爪先で電話室の硝子戸を突きあけ、「清子さん。電話」と呼びながら君江は反身(そりみ)に振返ってあたりを見廻した(20p)

    身の崩しと上品さと、色気が一体になったこんな女性は既に絶滅した。足と書かずに爪先と書いた荷風の目の鋭さ。反身に振り返る江戸の名残り。

    この本を選んだのは、ワンコインで手軽に読める薄い本を探したからである。しかし、結果的に読了するのに一ヶ月以上必要とした。それほど読み応えがあったからである。

    震災の影響がまだ残っている昭和6年の東京「屋根も壁もトタンの海鼠板一枚で囲ってあるばかり」のカッフェー。騙し騙され、愛憎と物欲愛欲蠢く夜の街。荷風も、登場人物たちにほとんど共感していないし、私もしない。それなのに、何がこんなにも魅力的なのか。

    これこそが、ゾラ等の本格フランス自然主義作家に学んだ荷風の真骨頂なのだろう。解説の中村真一郎の文章は、たった9頁の中に荷風の人生と文学を余すことなく伝える。けだし、名解説と言うべきだろう。

    2016年7月19日読了

  • ▼「つゆのあとさき」永井荷風、初出1931。昔読んだような気もするし、初めてな気もするし(笑)。という読書でした。東京を舞台とした、言ってみれば社会風俗が主役と言える「水商売モノ」、さすがは荷風さん、実にオモシロかったです。恐らくは発表当時の現代小説。昭和ヒトケタ戦争の影響の薄い時代。ちなみに満州事変勃発(つまり十五年戦争の開始)が同年、1931年です。岩波文庫ならわずか158頁。
    ▼君江と言う名前のカフェーの女給さんが主人公。二十歳くらいか。「カフェーの女給さん」というのがどういう商売なのか、長年考えていてハッキリ分かりませんが(笑)、恐らくは「お酒などを出す飲食店で、客のそばに座りおしゃべりをしたりして無聊を慰める仕事」と考えて良いようです。つまり「カフェーの女給さん」は別段「性風俗の仕事」では、無い。けれども「ラーメン屋の店員さん」でも無い。「ホステスさん」というのがいちばん近いのでは。小説の主たる題材は、この君江さんのある年の梅雨の前後の季節に起こったよしなしごと、です。
    ▼君江さんは恐らくけっこうな美人さんで、愛嬌が良くて、男性にもてる。そして非常にあっけらかんと仕事と人生を楽しんでいる。地方から出てきて、あっけらかんと水商売の友達から伝手をたどって、その場その場で男性遍歴を経て、君江さんの今がある。だけれどもこれが「とにかく金と地位が欲しい。そのためには体も投げ出す」みたいな、黒革の手帖的なことではありません。とにかく、あっけらかんとその場その場が楽しければ良い、なんですね。まあまずこのキャラクター造形が全てです。何も思索的に、合目的的に人生航路を決めること無く。金も無ければ困るけど、ちょこっとあればそれでいい。なぜならこれと言って収集癖も趣味も無い。
    ▼一方で、操を立てる、みたいな観念にも支配されていませんから。今は妻子ある小説家の愛人なんですけれど、他にもいっとき、あるいはもうちょっと持続的に関係を持ったお客さんや知人は大勢居る。小説家は当然面白くない。いろいろこそこそと君江に嫌がらせをしたりする。君江もおかしいなぁと思いながら別段真相には至らない。カフェーや周囲に来る男性たちの多くは君江と関係したがる.君江も求められてちょっと嬉しい。一応は隠したりしながらも、特段「打算」も「計算」も無く、情事から情事へと。そんなこんなで小説は進んでいきます。さすが荷風、君江さんを真ん中に描きつつ、周囲の脇役も描き、街や酒場を描いて実に細やか。
    ▼君江さんはそうやって歳月を歩んで来たので、恨みを買うこともある。小説終盤でそんな男にちょいと酷い目に遭わされる。この雨の場面が上出来。でも一方で君江さんはそうやって歳月を歩んで来たので、思わぬ感謝を捧げられることもある。小説最終盤はそんな男との交流が唐突に胸に迫ります。全ては遊戯のようで、浮世には遊戯では無いこともあるわけです。考えようによっては誤魔化しとも淡泊とも取れる終わり方ですが、実にナントモ「もののあはれ」の香り馥郁たるものがあり。岩波文庫ならわずか158頁。拍手。
    ▼全般に世界観に既視感があったんですが、よくせき考えたら映画でした。「女は二度生まれる(1961)」の若尾文子さんですね。時代が戦前では無く戦後で、カフェーでは無く芸者さんでしたけれど。あれはあれでまた別の小説の映画化だったはずですが、監督が川島雄三なんで原作からかなり離陸している可能性もありますね。

  •  1931(昭和6)年刊。
     再読。前に読んだのは相当昔なのでほとんど覚えていない。
     1931年といえば『墨東奇譚』を書いた5年前で、荷風52歳、今の私と同じ歳である。
     これを読んだ前日に『墨東奇譚』を読み返し、なんとなくこれを味わい尽くせなかったような未練を感じて、別の作品を1冊読んでからまた『墨東』を読もうと決めたのだった。
     本作は、『墨東奇譚』とは打って変わって、西洋の古典的な近代小説のスタイルで話が進む。随筆的な文章はごくわずか、後ろの方に垣間見られる程度。出だしから主人公の若い女性君江が生き生きと動き始め、躍動的である。
     それにしても、この時代の「カフェーの女給」とは何だったのだろう。しばしば店の前に立って客を引くし、店内では何と客と向き合って座りいっしょに酒を飲んだりもしている。今の喫茶店とはまるで違う怪しげな世界で、一種の風俗的な店だったようなのだ。
     更にこの主人公君江は売春婦さながらに、やたらと性が乱れており様々な男たちと交流する。パトロンのような者までいる。
     この時代の、私にはよくわからない世相を写し出して大変興味深い小説だ。
     登場する作家の清岡など、だらしなくしょうもないごろつき男で、そのような市井の人びとを作者は冷徹に静かに見つめ続ける。確かに本作はゾラやモーパッサンを思わせるところがある。谷崎潤一郎は本作を「記念すべき世相史、風俗史」「モーパッサンの自然主義にもっとも近い作品」と評したらしい。
     もっともエミール・ゾラなら主人公を容赦なく運命の奈落に突き落とすところだろうが、本作はそこまで劇的なところはなく、スケッチふうである。その点が何となく日本的な感じもする。
    「カッフェーの女給」の当時の実態も知りたいから本作が映画化されていないかと探した。すると1956年に映画化されたようなのだが、メディア化されていないようで、見ることは出来なそうだ。

  • 昭和初期に書かれた、銀座の女給君江と、そこにとりまく男たちの物語。登場人物のキャラクターや生き様が淡々と描かれており、また東京の町の風景描写がとても綺麗で、内容はドロドロとしたものだけど不思議と嫌悪感を持つことなく読み終えた。
    主人公の淫蕩さと男たちの浅薄さを、否定するでもなく蔑むでもなく、当時の銀座界隈ではありふれた男女関係をニュートラルに美しく文学作品に仕上げたあたりは、さすが永井荷風。
    下手な現代小説のドロドロした恋愛モノを読むより美しい。
    主人公の淫蕩さを描く一方で、鶴子の決断・生き様をしっかり描いたところが好感を持てました。

    アブノーマルで変わり者のイメージだった荷風を見直した作品で、他の作品も読みたくなりました。おそるべし観察眼。

  •  没後数十周年記念として本屋でフェア棚に並んでいたので購入。そうでもしないと岩波緑なんて怖くて読めないので。
     カフェーで働く女性「君子」、君子のパトロンである作家「清岡」、その内縁の妻「鶴子」が主な登場人物。この3人の、それぞれの大きく異なる立場・男女観・人生観に起因するすれ違いが、妖艶に、時に軽妙に描かれる。当時の風俗が今では想像しにくかったり、描写も戦前の本だけあって映像として浮かばなかったりと、古いが故の読み辛さはあるけれど、それを差し引いてなお非常に面白く読めた。

     ちなみに、カフェーというのは昭和初期に流行った風俗店を指すそう。若い女性が給仕として働いており、客は彼女らと待合(実質連れ込み宿)へ…ということもあったらしい。
     谷崎潤一郎『痴人の愛』の奈緒美が働いていたのもこのカフェだということを、今回初めて知った。てっきりルノアールや珈琲館みたいな純喫茶で働く、穢れを知らない女の子だと勝手に想像していた私のショックは、計り知れない。

     谷崎潤一郎程の噎せ返るような爛熟さはないが、君子の持つ男女観は、愛だなんだという文言に踊らされないサッパリとしたもので、こんな人を好きになったら大変だろうなという危険な魅力を放っている。「生まれながらにして女子の羞耻と貞操の観念とを欠いている女」(p.102)とまで称される。
     一方の清岡は、明らかに彼女を下の者として見ている反面、金も名誉もある自分に頓着せず他の男とも平気で寝る彼女に腹を立てている。挙句彼女がひどい目に遭う妄想をしてほくそ笑む始末である。ヤバイ。
     そして、清岡の内縁の妻である鶴子は、そんな清岡に愛想が尽きつつも、彼の優しい父親に恩義も感じているし、世間体のようなものもあるのだろう、二人は妻と夫としての役割を演じ続ける。

     とりわけ、君子を見て彼女の店の客である老人松崎が歳月について思う場面、鶴子が電車に乗る場面、そして最後の場面は、もう本当に良かった。
     解説の中で谷崎潤一郎の論として「登場する人物に、作者は何の内的な心の繫がりを感ぜず、不気味なくらい冷酷で虚無的である、そしてそれが「小説の凄味」になっている」とあるが、私には登場人物ならではの情感がたっぷりと伝わってきたし、だからこそ著者はあのように小説を結んだのではないかなと思った。

     同著者の小説を他にも読んでみたいし、彼が影響を受けたモーパッサンの小説も、読んでみたくなった。今年の暫定ベストです。

  • 泉鏡花もそうだが、この時代の作家は、どうしてこんなにも人間を生々しく描く事が出来るんだろうか。永井荷風の巧みな文章が、つゆの湿度を伴って、明治の銀座にタイムスリップさせてくれる。こういった作家は現代にはもういない。

  • 銀座や神楽坂の描写がとても美しい。きっとあの辺りから見ている風景かな…とわかる箇所もあるのに、あたしが思い浮かべる景色はビルばかり。同じ場所なのに荷風と見ているのとは違うのだと思うととても淋しかった。解説にもあるが、荷風は娼婦を愛してそして見下していたらしい。あたしが恋や性に奔放な女性に惹かれるのは憧れて、でもそうなりたくてもなれなくて。だからと云って身近に居たら彼女らを嫌悪しそうな気がする。人間て、女って面白い。

  •  昭和初期の東京、銀座界隈を舞台に、カフェの女給・君江とその周辺の男たちの駆け引きと日常を描く。 活動写真、円タク、巻煙草、電車停留所、路地、夜具、羽織、懐中物、メリンス、喇叭、私娼窟、軒灯、旧華族、辻自動車。使われる言葉は昭和の向こう側だが、荷風に活写されると見事に眼前に描き出される。この頃の「待合」というものの存在も、初めて知った。 上流家庭で西洋思想を身につけた荷風は、明治以降の日本の発展を「寄席の見物人が手品師の技術を見るのと同じような軽い賞賛の意を寓するに過ぎない」という。昭和6年に本作品を脱稿したあと、日本は戦争に向って傾斜していくが、時局に迎合も反抗もせずに終戦を迎える。この作品が到達した自然主義は、彼が図らずも手にした諦念が生み出したものと言える。

  • 銀座のカフェーの女給君江は,容貌は十人並だが物言う時,「瓢の種のような歯の間から,舌の先を動かすのが一際愛くるしい」女性である.この,淫蕩だが逞しい生活力のある主人公に,パトロンの通俗作家清岡をはじめ彼女を取巻く男性の浅薄な生き方を対比させて,荷風独得の文明批評をのぞかせている

  • 永井荷風の代表作のひとつ。<BR>
    <BR>
    高校受驗レベルの近代文學史でも、選擇肢のなかから選擇させる形式で出題される可能性がある。<BR>
    塾の講師をしてゐた時に、生徒に教へたことがある。<BR>
    でも、讀むのは今囘が初めて。<BR>
    <BR>
    昭和初年の風俗史が描きだされてゐる。<BR>
    主人公は、カフェエーの女給をしてゐる。<BR>
    いままで、カフェエーの女給と云はれてもぴんと來なかつたが、いまでいへばキャバレーのホステスか。<BR>
    公倡制度があつた時代なので、もぐりの賣春婦といつたところ。<BR>
    文士の妾になつていながら、カフェエーの客と寢ることに何の抵抗もない20歳の女である。<BR>
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    性風俗は、名稱や形態こそ異なれ、今も昔も大差ないのである。<BR>
    <BR>
    2003年6月21日讀了

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著者プロフィール

東京生れ。高商付属外国語学校清語科中退。広津柳浪・福地源一郎に弟子入りし、ゾラに心酔して『地獄の花』などを著す。1903年より08年まで外遊。帰国して『あめりか物語』『ふらんす物語』(発禁)を発表し、文名を高める。1910年、慶應義塾文学科教授となり「三田文学」を創刊。その一方、花柳界に通いつめ、『腕くらべ』『つゆのあとさき』『濹東綺譚』などを著す。1952年、文化勲章受章。1917年から没年までの日記『断腸亭日乗』がある。

「2020年 『美しい日本語 荷風 Ⅲ 心の自由をまもる言葉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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