江戸芸術論 (岩波文庫 緑42-7)

  • 岩波書店 (2000年1月14日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (190ページ) / ISBN・EAN: 9784003104279

みんなの感想まとめ

江戸時代の芸術を多角的に探求する内容が魅力的で、特に浮世絵や狂歌、江戸演劇についての瑞々しい叙述が印象的です。著者は江戸っ子の視点を通じて、当時の文化や芸術の豊かさを生き生きと描写しており、読者はその...

感想・レビュー・書評

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  • 江戸芸術全般ではなく、主には江戸時代の浮世絵について、大正年間、未邦訳の外国語文献も駆使して、一切図版を使わずに全般的に述べた本。好事家の域を超えて専門家の文章になっているが、絵を文章で説明する処は、荷風の面目躍如たる表現の筆が踊る。今年の「明治150年に読みたい岩波文庫」シリーズのマイ2冊目。

    荷風の言いたいことは、冒頭論文「浮世絵の鑑賞」に尽きているだろう。特に以下の文章。

    ああ余は浮世絵を愛す。苦界十年親のために身を売りたる遊女が絵姿はわれを泣かしむ。竹格子の窓によりて唯だ茫然と流るる水を眺むる芸者の姿はわれを喜ばしむ。夜蕎麦売の行燈淋し気に残る川端の夜景はわれを酔はしむ。雨夜の月に啼く時鳥、時雨に散る秋の木の葉、落花の風にかすれ行く鐘の音、行き暮るる山路の雪、およそはかなく頼りなく望みなく、この世は唯だ夢とのみ訳もなく嗟嘆せしむるもの悉くわれには親し、われには懐かし。(略)
    日本都市の概観と社会の風俗人情は遠からずして全く変ずべし。痛ましくも米国化すべし。浅ましくも獨逸化すべし。然れども日本の気候と天象と草木とは黒潮の流れにひたされたる火山質の島嶼の存するかぎり、永遠に初夏晩秋の夕陽は猩々緋の如く赤かるべし。永遠に仲秋月夜の山水は藍の如く青かるべし。椿と紅梅の花に降る春の雪はまた永遠に友禅模様の染め色の如く絢爛たるべし。婦女の頭髪は焼鏝をもて殊更に縮さざる限り、永遠に水櫛の鬢の美しさを誇るに値すべし。然らば浮世絵は永遠に日本なる太平洋上の島嶼に生るるものの感情に対して必ず親密なる私語(ささやき)を伝ふる処あるべきなり。浮世絵の生命は実に日本の風土とともに永劫なるべし。しかしてその傑出せる制作品は今や挙げて尽く海外に輸出せられたり。悲しからずや。(19、23p)

    解説の高橋克彦も述べているが、荷風は文章だけで浮世絵の魅力を伝えるのに成功している。「日本都市の概観と社会の風俗人情」は、今や、その儘「荷風の文章」と言って良い。それほどに「喪われた」。例えばカバー表紙の広重「浅草金龍山」を荷風はこう写している。

    浅草観音堂年の市を描くに雪を以ってし、六花紛々たる空に白皚々たる堂宇の屋根を屹立せしめ、無数の傘の隊をなして堂の階段を昇り行く有様を描きしは常に寂寞閑雅を喜ぶ広重の作品としてはむしろ意外の感あり。(57p)
    浅草観音堂の境内を描くにあたっても彼の特徴は水茶屋土弓場また見世物場等の群衆に非ずして、例へば雷門の大提灯を以て勢好く画面の全部を蔽はしめ、その下に無数の雨傘を描きたるが如きものとはなれり。(59p)

  • 4/13/10
    読みたい
    宮本浩次がオススメしていたので。「江戸っ子が見た江戸芸術の視点」が味わえるらしい。

  • 流麗な文章で江戸芸術、特に浮世絵、狂歌、江戸演劇について瑞々しい叙述に魅了される。一方で明治維新による「東西両文明の接触」は日本にとって「益なき事 宛ら硝子玉を以て砂金に換へたる野蛮島の交易」と痛烈な批判もさらりと述べている。

  • う。現代仮名遣いだけど文語体。と思ったけど読み進むとさして気にならなくなる。
    浮世絵を図版なしに文字だけで語れるってのはスゴイが、「その絵知らない」「その人誰」を連呼する、困った読者にはチト辛い。
    北斎広重をツートップとして、うじゃらこと出てくる人名。羅列するときはせめて読点か中グロを使って〜(汗)
    鈴木春信の評価が世間様よりずっと高いのは、女好き・荷風の贔屓目か。
    英米独仏の浮世絵研究者がこんなに紹介されてるの、初めて見ました。

  • 14/04/19、ブックオフで購入。

  • 緑42-7

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著者プロフィール

(ながい・かふう)1879-1959
東京市の現・文京区小石川生まれ。官僚のち実業家の父・久一郎の長男で、早くから江戸・東京の落語、歌舞伎、戯作などに親しむ。文学を志し、広津柳浪に師事して作家活動を始めるが、父の意向で実業を学ぶため1903年からアメリカ、フランスに渡る。帰国後その体験をもとに『あめりか物語』『ふらんす物語』を上梓、注目を集める。実業家となることなく、1910年慶應義塾大学の教授に就任、「三田文学」を創刊。1916年に大学を辞してからは、『濹東綺譚』をはじめとする作品のみならず、実生活も江戸戯作者のごときであった。そのさまは1917年以降の日記『断腸亭日乗』に詳しい。

「2024年 『小説集 蔦屋重三郎の時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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