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Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784003104712
みんなの感想まとめ
冬をテーマにした詩の数々は、力強く澄み渡る美しさがあり、特に冬に関連する作品には神聖さが宿っています。作者の世界観は、諦観と希望が交錯する独特のもので、音を伴って読むとその詩の本質に新たな気づきを得る...
感想・レビュー・書評
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冬の詩は必読。四節に神が宿るところあり。
何かに諦観してるから何か希望を持っているような作者の世界観があるように感じた。
音をつけて読もうとすると「これが詩なのかぁ」と淡々と思ふところあり。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
よかったのは『道程』以前。特に冬に関連した一連の作品が気に入った。きっぱり澄み渡るような力強さ、潔さがあって読んでいて気持ちが良い。これからの季節にぴったりだ。
今回改めて思ったのは、高村光太郎は良くも悪くも「正しすぎる」ということ。私の好きな中原中也や萩原朔太郎などと比べると鬱屈したところが見当たらない。同じ孤独を歌うのでも、光太郎にかかるとなんだか明るい、悪く言えば陰影が感じられない気がした(『孤独がなんで珍しい』など)。そこにあるのは人間性への信頼を捨てていない詩人の姿だろう。
解説ではヒューマニスティック、求道的と評されていたが、それが私にはかえって綺麗事のように響いてしまう面もあった。年を経て再び読みなおしてみたい。 -
**自然、愛、そして人の魂が響きあう、温かく力強い生の賛歌。**
[読後の印象]
私の記憶を辿ると、いわゆる近代詩という形式を意識的に読んだ初めての詩は、おそらく高村光太郎だろう。
高村光太郎の詩集、とりわけ『智恵子抄』や詩「道程」に表されたその詩情は、日本近代詩における不朽の金字塔であり、今日に至るまで読み手の心に深い感銘を与え続けている。
光太郎は明治から昭和にかけて芸術家として活躍し、その詩集の一篇一篇には彼の静かながらも燃え上がる人生観と芸術観が刻まれている。
『智恵子抄』は彼の最愛の妻・智恵子との愛とその喪失の軌跡を描く詩集であるが、その愛は甘美な絆の域を超え、苦悩の深淵と喜悦の天上を往来する。
「あどけない話」や「レモン哀歌」においては、智恵子のひたむきで脆弱な魂が高村の心情と共鳴し、一つの鮮烈な生命となって読む者の前に立ち現れる。
この詩集は単なる愛の賛歌ではなく、むしろ人間の根源的な孤独と生の哀切を掘り下げ、喪失の彼方にある普遍的な真理を探ろうとする高村の試練の記録である。
彼は智恵子の死後もその姿を詠み続け、自己を超えた魂の深奥に触れようとしたのだ。
そして、彼の代表的な詩「道程」では己の人生の歩みを振り返りつつ、自らの道を切り開いていくという決然とした意志が謳われている。
「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」という言葉には、失敗や苦難を経験しながらも前進し続ける者の悲壮な決意が籠もっている。
光太郎はその生涯を通じて「道」という概念に心血を注ぎ、内なる孤高の探求者として自己の限界を超えようとする勇者の姿を詩に描いたのである。
光太郎の詩は、その抑制された感情表現の背後に奥深い思想が息づき、読む者に思索の糸を与える。
彼は自然と日常の情景を捉えつつ、そこに人間存在の本質を浮かび上がらせることに腐心した。
その精緻な言葉の構築の背後には、智恵子への愛に根ざした深い悲哀が透けて見え、それを越えて普遍的な人間の感情へと触れていく光太郎の試みがある。
詩作を通して、彼は己が抱える喜びと悲しみを超越しようとし、詩という器に人間の本質を盛らんとする求道者であったのだ。
こうして高村光太郎の詩集は、自己と他者、愛と喪失、歓喜と苦悩の両義性に満ち、読者に再考を促す存在として在り続ける。
感情に流されず厳粛な洞察によって編み上げられたその表現は、決して古びることなく現代にも生き続ける普遍の輝きを放っている。
彼の詩に触れる時、人はそこに人間としての誇りと儚さ、そして生きるということの厳しさと美しさを見出すのである。
再び光太郎の詩を読む時、私の心に去来する感情はなんだろうか? -
路傍の瓦礫の中から黄金をひろい出すというよりも、むしろ瓦礫そのものが黄金の仮装であった事を見破る者は詩人である。『生きた言葉』
※詩人。彫刻家(作品・手)。 -
未体験ゾーン、突入。
教科書にあったからということだけで知ったつもりになってしまっているジャンル、詩文。敢えてきちんと読んでみようと思ったのは今年に入ってからある詩集が物語の鍵となっている大林宣彦監督作品、「野のなななのか」(2014) を鑑賞したことが一端を担っているかもしれない。
とにもかくにも未体験ゾーン。余白が多いからすぐ読みきれるのだろうと想像したらそんなことはなかった。むしろ文字数が少ないからこそきれいなアタマの状態で読まないときちんと頭に入ってこない。結果読み切るのに随分とかかった。
また本作を通して彼の作品にまとめて触れられたのは幸運。彼の詩人としての期間を大きくみっつに分類して時系列に並べてくれているため、その本人の心の移り変わりというものも併せて体験できる仕組みになっている。
ふと虚を突いた時にその一文が頭をかすめる。
そんなふうになれるまでもう少し読み返してゆきたい。 -
冬が好きなんだなあー。こういうこと言いたい、っていう気持ちがすごく伝わってくる。静かに満ちる冬の光。
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有名だし目を通しておこうかくらいの気持ちだった。詩を語るセンスは全くないが、智恵子抄は妻帯者として心を動かされるところはあった。
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立体感のある物体の捉え方、脳内のイメージを想起する詩が特に好きだ。自分の中にはなかった言葉だから
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関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB00123369 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/701412 -
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高村光太郎という人は、詩よりも、散文のほうに才があったのではないだろうか。
そういう感じの詩の方が印象に残ったからそう思えるのかもしれないが。 -
詩の言葉に感動して、そのあまりの
感動に行動を起した。・・・本を投げつけた。
そういう「心の揺さぶり」をかけてくれる。
いっぱいあるから、誰が読んでもきっとどれか一つの詩が
大好きになると思う。 -
戦争詩から『智恵子抄』へ。文体の変化には驚くばかり。
冬の詩が多いような気がする。戦争詩のあたりは、そりゃあもう圧のある感じだけど、本来の先生のお人柄はとても優しく、穏やかだったんじゃないかなあと思う。 -
道しるべのような詩人。
【いちぶん】
もう止さう。
ちひさな利欲とちひさな不平と、
ちひさなぐちとちひさな怒りと、
さういううるさいけちなものは、
ああ、きれいにもう止さう。
わたくし事のいざこざに
みにくい皺を縦によせて
この世を地獄に住むのは止さう。
この世の抜駆けはもう止さう。
さういふ事はともかく忘れて
みんなと一緒に大きく生きよう。
見えもかけ値もない裸のこころで
らくらくと、のびのびと、
あの空を仰いでわれらは生きよう。
泣くも笑ふもみんなと一緒に
最低にして最高の道をゆかう。 -
・「道程」より
・「道程」以降
・「智恵子抄」より -
求道者の詩集。
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「道程」冬に読んだらきっと体感温度が下がると思います・・・。けれど、新しい道を歩みだす春へ向けて、第一歩をおしてくれそうです。
【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
https://opc.kinjo-u.ac.jp/ -
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── 下中 弥三郎《世界美術全集・第一巻 1953‥‥ 平凡社》
~ 先史時代・西方亜細亜 ~ 誤=1928
http://booklo...── 下中 弥三郎《世界美術全集・第一巻 1953‥‥ 平凡社》
~ 先史時代・西方亜細亜 ~ 誤=1928
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JB8A4I2022/12/25
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やっぱり「牛」とかいい。
かくありたいという思いが詩の描写に投影されているのか、ともかくそう読んで共感するところ多し。
「智恵子抄」も、切なくてすごい好きだ。
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