- Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003105177
感想・レビュー・書評
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私が個人的に、しんみりしてしまう(ことに去年からなってしまった)
このくらいの時期に、
合わせて読んだわけではないのに、偶然か、必然か、
ぴったりの内容の本、でありまして…、
なんだかますます湿っぽくなってしまったここ数日、でした。
中勘助と言えば、「銀の匙」であまねくその名を知られている訳だけれど。
私、中勘助好きだと意識していたけれど、「銀の匙」しか読んだことのないお粗末さ。
申し訳ありませんでした。
この本は、
中勘助の魂の片割れのように何十年もすべての感情を分かち合い、
一番の味方でいてくれて、
お互い寄り添ってきた、女性(兄嫁)が身罷ったところからはじまる。
中家の内情をちゃんとは知らなかった。
(お兄さんとの確執めいたものは前述の書にも出てきた気はするが)
その一家の諸々を引き受け、中勘助曰く「犠牲」となって、
蜜蜂のように働きづめに働いて死んでいった兄嫁、
過酷な状況の中でも、いつも優しかった思い出を綴る。
大好きな人が亡くなって、
何を見ても、何を聞いても、もうただ、悲しい、と言うことありますね。
突然棚から、あれ!ッと言うものが出てきたり、庭に生えている植物を見て
思い出したり、あと何かを買ったり、面白いものを見たとき、
あ、これ教えたい…、と思うことも。
「家の犠牲になる」と言うのは、今でも減ってはいるけれど
たぶん、まだまだおられるのであろう。
自分があまりにも大変苦しい状態で(病気になるくらい)
それも相手が全然認めてくれない時、
想像では思い切って逃げ出したら…!と思ってしまうけれど、
実際はもちろんそう簡単ではないのでしょうね。
いわゆる「家」制度や、昔の女の人の立場や、
複雑な事情も考えて、なんだか落ち込んでしまった。
ひたすら悲しく、空しい気持ち、
また一方で、誰かを好きで、その人を思う清らかな感情を味わい、
しばし物静かに考える女となっておりました。
収録されている「余生」は主に「蜜蜂」を読んだ人からの
お手紙に中勘助がコメントしているという、
本当に姉妹編と言った内容。
ちょうど、戦争がはげしくなった頃で、
お手紙をくれたまま、消息不明と言う人もおられ、
呑気にしている自分がいたたまれなくなる一面も…。
さて、余談ですが中勘助は長身の美形で
女性にモテモテだった、そうです。
(なんだか意外でした…)
また全集はほぼ日記らしく、
それも欲しいなあ、と俄かに…。
(日記と書簡好きなもので)
全集、古本で結構お手頃でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『銀の匙』に次いで大好きな作品。亡き嫂への想い。涙なくしては読めない。何度も読み、中勘助全集第8巻でも読んだ。
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目次
・蜜蜂
・余生
”姉”の死。
死に向かって時が止まることがないのはわかっていながら、それを認めることもできずに逡巡する文章。
第二次世界大戦中、男性が女性をここまでかいがいしく看病することが、他にあったのだろうか。
表記は”姉”なのだけど、実際は”兄嫁”なのだ。
なのに、自身より互いを思いいたわり合うふたり。
冷たくぎすぎすした家族の中で、支え合いながら居場所を守ってきたふたり。
日常のささやかな出来事にに幸せのかけらを見つけて、笑みを交わし合ってきたのだろう。
”わたしはブラームスがクララ・シューマンにしたようにいつも発表前の原稿を姉にみせて批評をきいた。数十年来の私の最も幸福な思い出である。”
『余生』は、出版された『蜜蜂』を、親しい人たちに送った著者に届いたお礼状の羅列。
これにはちょっと驚いた。
個人情報とか、著作権とか、いろいろ大丈夫なのか?
ただ、これは奇をてらった作品なのではなく、中勘助から姉への報告というか、連絡というか、騙りかけなんだな。
結婚しても、ずっとずっと姉は彼にとっての特別な存在だったのだ。
特別感情が揺さぶられることはなかったけれど、静かに涙がこぼれていった。 -
まどかな文章から、大切な人を喪った静かな哀しみがにじむよう。日々暮らすそこかしこで、不在の人を思い出す寂しさ。
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「銀の匙」を読んでからが、よいのだろうか。
読み方が足りないのか、ただの随筆、それだけの印象と
なった一冊。
不幸な話なのだろうけど、面白くない、これはいかに?