時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇 (岩波文庫)

著者 : 石川啄木
  • 岩波書店 (1978年9月18日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003105450

時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇 (岩波文庫)の感想・レビュー・書評

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  •  札幌は、寔(まこと)に美しき北の都なり。初めて見たる我が喜びは何にか例へむ。アカシヤの並木を騒がせ、ポプラの葉を裏返して吹く風の冷たさ。札幌は秋風の国なり、木立の市(まち)なり。おほらかに静かにして人の香よりは樹の香こそ勝りたれ。大なる田舎町なり、しめやかなる恋の多くありさうなる郷なり、詩人の住むべき都会なり。
    (秋風記)

    詩人にこう歌われるとは、札幌はうらやましい街です。

    生きることに真剣だった人物の文章を読んでみようと思い、石川啄木を読んでみました。
    いくつかは前に読んだ「ちくま日本文学全集」とダブりますが、再読。

    「食(くら)うべき詩」はその一つ。

    詩というものについて、私は随分、長い間迷うて来た。

    で始まる文章は、そもそも詩人とは何ぞ、という自問に対し、こう答えています。

    詩人たる資格は三つある。詩人はまず第一に「人」でなければならぬ。第二に「人」でなければならぬ。第三に「人」でなければならぬ。そうして実に普通人の有(も)っている凡ての物を有っているところの「人」でなければならぬ。
    …一括すれば、今までの詩人のように直接詩と関係のない事物に対しては、興味も熱心も希望も有っていない-飢えたる犬の食を求むる如くに唯々詩を求め探している詩人は極力排斥すべきである。意志薄弱なる空想家、自己および自己の生活を厳粛なる理性の判断から回避している卑怯者、劣敗者の心を筆にし口にして僅かに慰めている臆病者、暇ある時に玩具を弄ぶような心をもって詩を書きかつ読むいわゆる愛詩家、および自己の神経組織の不健全な事を心に誇る偽患者、ないしはそれらの模倣者等、すべて詩のために詩を書く種類の詩人は極力排斥すべきである。無論詩を書くという事は何人にあっても「天職」であるべき理由がない。「我は詩人なり」という不必要な自覚が、いかに従来の詩を堕落せしめたか。
    …即ち真の詩人とは、自己を改善し、自己の哲学を実行せんとするに政治家の如き勇気を有し、自己の生活を統一するに実業家の如き熱心を有し、そうして常に科学者の如き明敏なる判断と野蛮人の如き率直なる態度をもって、自己の心に起り来る時々刻々の変化を、飾らず偽らず、極めて平気に正直に記載し報告するところの人でなければならぬ。

     詩はいわゆる詩であってはいけない。人間の感情生活(もっと適当な言葉もあろうと思うが)の変化の厳密なる報告、正直なる日記でなければならぬ。従って断片的でなければならぬ。-まとまりがあってはならぬ。(まとまりのある詩即ち文芸上の哲学は、演繹的には小説となり、帰納的には戯曲となる。詩とそれらとの関係は、日々の帳尻と月末もしくは年末決算との関係である。)そうして詩人は、決して牧師が説教の材料を集め、淫売婦が或種の男を捜すが如くに、なんらの成心を有っていてはいけない。

    ここで啄木について論じたり、詩や詩人について考えたりしたいわけではありません。
    そもそもそういうものには興味はないし。
    せっかく読んだんだから、印象に残った部分を書き抜いておこうと。
    こうした立派な文章を書き写すのは、なんとなく面白いものです。
    あとでその部分を読み返してみるのも、結構面白い。

     何と言っても、一番なつかしい人は島崎藤村氏である。
     四囲の事物につれて自分の心も騒ぎ立っている時、その騒ぎ立っている心の片隅に空虚を感じる時、私は誰よりも島崎氏に逢いたい。しかし私はまだ一度しか、このなつかしい人の家に入って見た事がない。…が島崎氏に逢いたいと思うだけでも、私にはなんらかの慰謝である場合が多い。
    (巻煙草)

     いつしか私は、十七八の頃にはそれと聞くだけでも懐かしかった、詩人文学者になろうとしている、自分よりも年の若い人達に対して、すっかり同情を失って了った。会って見てその人の為人(ひととなり)を知り、その人の文学的素質について考える前に、まず憐愍と軽侮と、時として嫌悪を注がねばならぬようになった。殊に、地方にいて何の為事も無くぶらぶらしていながら詩を作ったり歌を作ったりして、各自他人からはとても想像もつかぬような自矜を持っている、そして煮え切らぬ謎のような手紙を書く人達の事を考えると、大きな穴を掘って、一緒に埋めて了ったら、どんなにこの世の中が薩張(さっぱり)するだろうとまで思う事があるようになった。
    (硝子窓)

    この文庫、ずっと昔に買ったもので、他の文庫本も読んでみようと思って探したんですが、本屋にはどうやら出てないんですね。
    ジュンク堂と紀伊国屋と丸善になかったから、たぶんないんでしょう。

    いま読めるのは「ちくま日本文学全集」の一冊だけのようです。
    もちろん詩のコーナーには啄木の詩集はありましたけど。
    啄木の散文は最近あまりはやらないのかもしれない。

    ただし、ローマ字日記。かなり過激そうで、これは読んでみたい。

    文庫本の最後は、大逆事件の幸徳秋水が無政府主義について自ら解説した文を含む、A LETTER FROM PRISON。
    バクーニン、クロポトキンも読んでみよう(そのうち)。

  • 「時代閉塞の現状」のみ読んだ。国家と国民に関する考察がすごい。

  • 「いっさいの空想を峻拒して、そこに残るただ一つの真実――「必要」! これじつに我々が未来に向って求むべきいっさいである」
    石川啄木による社会批判。当時の状況について知識がないため主張の当否はわからないが、全体を通してとにかく熱い。こういう熱さってのは、現代にはなかなかない。

  • p88,96,106 食うべき詩

    謙遜することを知らないのみならず、事実を事実として承認することをむしろ恥辱とする風がある。
    そういう自信と、そういう矜持!
    弱者!自らの弱者たることを容認することを怖れて、一切の事実と道理とを拒否する自堕落な弱者!
    私は、希くはそういう弱者になりたくない。

  • 幸徳秋水に関連する著書として選んだ石川啄木の本書。

    幸徳秋水にかかわるものは、
    「時代閉塞の現状」
    「所謂今度の事」
    「A letter from prison」

    まさに時代閉塞の折に、難解な言い回しではあるが、
    当時の政府に立ち向かった文体で書かれているこれらの書を読んでいて、
    学校で習った啄木とはまた違う一面を見いだすことができた。

    むしろ学校では、こういった一面を学びたかったし、
    私がもし啄木について教えるなら、この一面も必ず紹介したいなと。

    「自己発展の意志」は「自他融合の意志」によって裏打ちされねばならない。
    このフレーズが大変印象に残った。

  • 『石川くん』をぷぷぷと笑いながら読んで、ずいぶん印象の変わった石川啄木。啄木を断罪(?)した本が他にもあるらしいので、読んでみるかと思いながら、昨日、図書館の前のチラシ置き場からもって帰ったある広報誌に、啄木の名を発見。そういえば、これもユウメイなやつだった。

    地図の上
    朝鮮国にくろぐろと
    墨をぬりつつ秋風を聴く

    100年前の9月に、25歳の啄木がよんだ歌である。

    そしてこの歌を見て、そういえば『時代閉塞の現状』っていうのが岩波文庫の緑であったよな~昔買って読んだよな~と思い出して、階下の本屋(一応岩波文庫もある)へ寄ってみたが、さすがに見当たらず。在庫検索をしてもらうと、啄木本は新潮文庫の『一握の砂・悲しき玩具』のみがあって、それをちょっと立ち読みする。巻末の「年譜」など見ていると、やはり『石川くん』とはだいぶ印象が違うなあと思う。

    帰ってきて、もしかして手放さずにとってたかもと本棚をのぞいてみたが、岩波文庫の緑は、魯庵の『社会百面相』ぐらいしか見つからなかった。暑いのであまりパソコンをつける気にならないが、そう長いものではないので、青空文庫で「時代閉塞の現状」を久しぶりに読む。これもやはり100年前に書かれたものである。この年は、大逆罪に問われた幸徳事件があり(翌年12名が処刑された)、韓国併合があった。

    「時代閉塞の現状」として書かれていることは、どことなく「今」と似てるような気もするし、『石川くん』を読んだあとでこんなんを読むと、石川くん、口うまいなア、まあ言うのはタダやしな、という気もする。

    青空文庫では(というか底本がそうなのだろう)現代かなづかいになっている。

    ▼今日我々のうち誰でもまず心を鎮めて、かの強権と我々自身との関係を考えてみるならば、かならずそこに予想外に大きい疎隔(不和ではない)の横たわっていることを発見して驚くに違いない。じつにかの日本のすべての女子が、明治新社会の形成をまったく男子の手に委ねた結果として、過去四十年の間一に男子の奴隷として規定、訓練され(法規の上にも、教育の上にも、はたまた実際の家庭の上にも)、しかもそれに満足――すくなくともそれに抗弁する理由を知らずにいるごとく、我々青年もまた同じ理由によって、すべて国家についての問題においては(それが今日の問題であろうと、我々自身の時代たる明日の問題であろうと)、まったく父兄の手に一任しているのである。これ我々自身の希望、もしくは便宜によるか、父兄の希望、便宜によるか、あるいはまた両者のともに意識せざる他の原因によるかはべつとして、ともかくも以上の状態は事実である。国家ちょう問題が我々の脳裡に入ってくるのは、ただそれが我々の個人的利害に関係する時だけである。そうしてそれが過ぎてしまえば、ふたたび他人同志になるのである。(一)

    ▼かくのごとき時代閉塞の現状において、我々のうち最も急進的な人たちが、いかなる方面にその「自己」を主張しているかはすでに読者の知るごとくである。じつに彼らは、抑えても抑えても抑えきれぬ自己その者の圧迫に堪えかねて、彼らの入れられている箱の最も板の薄い処、もしくは空隙(現代社会組織の欠陥)に向ってまったく盲目的に突進している。今日の小説や詩や歌のほとんどすべてが女郎買、淫売買、ないし野合、姦通の記録であるのはけっして偶然ではない。しかも我々の父兄にはこれを攻撃する権利はないのである。なぜなれば、すべてこれらは国法によって公認、もしくはなかば公認されているところではないか。(四)

    25歳の頃に、自分がどんなこと言うて、どんなことしてたっけな~と思ったりしながら読む。私が25になる年の春、祖母が急死した。松本サリン事件があったのもこの年だった。そして、今年のように暑い暑い夏だった。

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