恩讐の彼方に・忠直卿行状記 他八篇 (岩波文庫 緑 63-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003106310

作品紹介・あらすじ

有名な九州耶馬渓、青の洞門の伝説を小説化した『恩讐の彼方に』、封建制下のいわゆる殿様の人間的悲劇を描いた『忠直卿行状記』は、テーマ小説の創始者たる菊池寛の多くの作品中の傑作として知られる。他に『三浦右衛門の最後』『藤十郎の恋』『形』『名君』『蘭学事始』『入れ札』『俊寛』『頚縊り上人』を収める。

感想・レビュー・書評

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  • 千年読書会、今月の課題本となります。

    大分県で語り継がれる“青の洞門”伝説をベースとした、ノベライズ。
    実際に名称は使われておらず、登場人物の名前も違います。

    成り行きで“主殺し”の罪状を負った、了海(市九郎)。
    そのまま逐電し、追いはぎにまで身をやつします。

    罪を重ねていた最中、ふとしたことで自身と向き合った彼は、
    仏門に帰依し、自身の罪と向き合いながら全国行脚に。

    そんな彼が、ふと立ち寄った町の難所(岩壁)を見て、
    湧き上がるように“大誓願”を建てたのが、洞門を掘ること。

    といっても、掘削機器も何もない江戸時代の半ば、
    文字通りに槌一本で事業を始めます、、周囲には狂人扱いされながら。

    1年2年で終わるような事業でもなく、
    結果から言うと、20年以上の月日が流れます。

    その20年の終盤、大願成就も間近かと思われたその時に、
    かつて殺害し逐電した主人の息子、“実之助”があらわれます。

    親の敵として了海を追い求めていた実之助、
    彼もまた大願を果たすために旅を続けていたのですが、、

    了海の大願に取り組む様子を見た実之助は、さて。

    話としてはそんなに長くなく、さらっと読めます。

    実際の逸話をベースに“人の心”を織り込みながら、
    そのうつろいも映し出しながら、、

    罪を消すことはできないが、赦すことはできる。
    “恩讐の彼方に”とは、上手い題名だとあらためて。

    戦前の教科書には“青の洞門”が掲載されていたようですが、
    こういった話は教材に使ってみたいなぁ、なんて一冊でした。

  • 無茶苦茶ハードボイルド。 グダグタの弱さとさりげない強さ。しびれました。

  • 中学校教科書の副読本として進められていました
    青の洞門を作った僧侶の話

  •  先に読んだ池内紀氏の「文学フシギ帖」をきっかけに読んでみようかなと思った菊池寛氏の作品です。
     池内氏が紹介していたのは「入れ札」。本書の8番目に登場します。
     菊池寛氏の作品としては、豊前国耶馬溪にあった青の洞門を舞台にした「恩讐の彼方に」などストーリーを知っているものもありますが、恥ずかしながら菊池寛氏の原作を読むのは初めてです。
     本書に採録されているのは、「恩讐の彼方に」はもちろん、「忠直卿行状記」といった代表作に加え「三浦右衛門の最後」「藤十郎の恋」「形」「名君」「蘭学事始」「入れ札」「俊寛」「頚縊り上人」の10編。私にとっては、どの作品もとても面白かったですね。手垢のついたミステリーを読むぐらいなら、こちらの方が格段にワクワク感があります。

  • 大正8年(1919年)1月に発表された菊池寛の短編小説。
    主人公の市九郎は、主人である中川の愛人と密通していたことがバレて手打ちになりそうとなる。しかし逆に主人を殺してしまい逃げ出す事になる。
    その後、市九郎と一緒に逃げたお弓とともに峠の茶屋を始めるが、実は茶屋に寄った客の懐具合をみて、金持ちならば殺し、その金品を盗む生活を送っていた。ある時そんな生活とお弓に嫌気がさし市九郎は逃げ出す。
    その後、後悔の念から出家し旅にでる。難所の岩場を通過する時、事故で亡くなった人を見、懺悔のために、その岩を掘削してトンネルを掘る決心をする。
    その後、掘削を始めて19年、敵討ちのために旅に出た中川の息子が、とうとう市九郎を見つけ殺そうとする。素直に殺されようとする市九郎であったが、石工たちはこれを止め、トンネルが開通するまで待つこととなる。
    さらに1年6ヶ月が過ぎ去り、とうとうトンネルは開通した。そして殺されようとする市九郎であったが、この時既に、トンネル堀工の仲間となっていた中川の息子は、殺す意思は無くなっており、トンネルが完成した事に一緒に感動し涙を流すのみであった。
    前半は、市九郎の残忍さが強調され、ヒドい人間として描かれる。
    しかし、無心にトンネル掘削を行う彼の姿から応援する気持ちが芽生えてくる。そんな気持ちを代弁するかのように村人達の気持ちを描いている。そしてトンネル完成を共に喜び涙する気持ちに同調できるようになった

  • 「俊寛」を青空文庫で読みました。うーん、なんか練れていない村上春樹の短編という感じ、、、、、俗世の醜さを孤島で悟って幸せになるという、、、大河ドラマもこの話に向かいます。

  • 青空文庫にて『俊寛』のみ読了。

    『俊寛』は鬼界ヶ島に流罪となった俊寛を題材とした小説である。
    俊寛とともに流された康頼、成経が恩赦を得て京へ戻され、ただひとり島に残された彼の人生に焦点を合わせた作品である。

    前半は康頼、成経ともに流された流人としての生活を描く。

    罪人は三人ある。
    三という数字は聖なる数字として捉えられることがある。
    「三種の神器」しかり、「三位一体」しかり。
    しかし、俗人の世界では、三人のうちのふたりが対となり、残るひとりを排除する傾向がある。
    この作品では康頼、成経が対をなし俊寛を排除する。
    流罪仲間からも排除され、孤立を余儀なくされた俊寛のやるせない孤独が描かれる。

    聖なる世界では三は完成され、安定する数である。
    しかし俗の世界では、三は不安定で、他を排除する数である。

    つまり、「三」が安定する世界こそが「聖」であり、それが不安定に揺れる世界が「俗」であると言えようか。


    ともあれ恩赦があって、よく知られたように俊寛のみが取り残されてしまう。

    菊池は鬼界ヶ島の住人を「土人」と表現し、都会人であった俊寛と対比させている。
    もう都会人として生きていく道の断たれた俊寛は、土人として生きていく覚悟を決める。
    そこで糸を垂れて漁り、畝を作って麦を植えて生きていくのである。
    俊寛は麦の種を得るために、最後まで手元に残していた妻の形見の小袖を手放す。
    それは彼が京の暮らしと永訣するために必要な儀式であっただろう。

    こうして土人として生きる彼に、新たな喜びがやってくる。
    島の娘との婚姻である。
    「牝鹿のようにしなやかな身体」をもつ、16,7歳の娘である。

    さて、ここからは都会生活に倦む男のロマンのお話である。
    この娘の登場から、私のこの作品に対する興味は一気に失せたと正直に書いておこう。

    俊寛は娘との間に5人の子供をもうけ、土人としての幸せな生活を全うする。
    かつて侍童であった有王が尋ねてきても、自分は死んだと言ってくれと頼むばかりである。
    それはそうだろう。
    彼のもとには若い妻と、可愛い盛りの子供達がいるのだから。

    翻って京には、老いた妻と娘が残されている。
    罪人の妻に後添いの話はないだろう。
    罪人の娘に結婚の話はないだろう。
    妻も娘も、尼になって俊寛の後生を祈るしか生きる道はないはずだ。

    妻と娘は命ある限り俊寛の為に祈りを捧げ続ける。
    俊寛は昼は幼子に頬ずりをし、夜ごとに若い妻を抱く。

    菊池の視線はいったいどこに注がれていたか。
    都会人の儚いロマンである。


    さて、実際の俊寛がどのように後半生を生きたか、その記録はない。
    ただ、喜界島に俊寛の墓と伝承される遺構が残されている。

    人類学者鈴木尚によって、その遺構の発掘が行われた。
    そこに埋葬されている人物は、明らかに島の住人とは違う、都会的な特徴を有しており、その骨には人為的な傷が多数残されていた。(『骨が語る日本史』)
    その傷について鈴木氏はこう推論する。


     【これらの創が皮膚や筋などの軟部を切りとるときのものとみなすとき、その動機はいわゆる儀礼的食人ではなかったかと思われる。(略)食人の風習は、ともすれば考えられやすい残虐の発露とか、あるいは食料を得るために行われることは稀であって、多くは儀礼的、呪術的な目的からである。前者としては死者の親族などが尊敬や親しみの気持から、死者の一部を自らの体内にとり入れ、ときには火葬した灰を酒に混じて飲むのも、この風習と関係があると見なされている。
     また後者は、人間のすべての能力は肉体に宿るという考えから、ある優秀な得難い肉体的、精神的能力に対し、それにあやかる目的から食人が行なわれることがあるが、時には加害者が被害者の霊魂に悩まされることがないように死体の一部を食うこともある。】
    (『骨が語る日本史』)


    つまり、島の「土人」たちは、島にて横死した貴人の死体から肉を削いで食べたと思われるのだ。

    その食人の理由について鈴木氏はさらにこう語る。


      【島において彼を貴人あるいは、有力者とし高い尊敬の念をいだいていたのではないだろうか。そこで島民が貴人の肉体を自分の体内にとり入れることによって少しでもこの人物にあやかろうとしたものではないか。】(『骨が語る日本史』)


    この骨が俊寛のものと考えるなら(この島にいた貴人といえば俊寛しかありえないのだが)、彼は命ある限り貴人として生き、死後もなお貴人としてあったといえよう。


    菊池の描くロマンとは対照的に、実際の俊寛は最後まで貴人として、都会人としてその島に生きたと考えるのが妥当ではないか。

    命の灯火つきるその瞬間まで、都の風物に、残された妻子に思いを馳せ続ける俊寛。
    ともに手を取り、都大路を彷徨いながら、夫の、父の菩提を祈り続ける母子。

    そこに菊池の意図するものとは別の、史実に基づく詩情が息づいている。
    どちらに強く心を動かされるか、それはいうまでもない。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/686923

  • 『三浦右衛門の最後』が一番印象に残りましたね。あんなにグロい作品がよく許されたものだと思います。だからこそ気に入ったのですが。

  • 急に菊池寛に興味が出てきて読んだ。小説らしい小説。平家物語の俊寛をこんな風に描く作家は他にいないだろうと思う。潔い真っ直ぐさが心地よい。

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著者プロフィール

1888年生まれ、1948年没。小説家、劇作家、ジャーナリスト。実業家としても文藝春秋社を興し、芥川賞、直木賞、菊池寛賞の創設に携わる。戯曲『父帰る』が舞台化をきっかけに絶賛され、本作は菊池を代表する作品となった。その後、面白さと平易さを重視した新聞小説『真珠夫人』などが成功をおさめる一方、鋭いジャーナリスト感覚から「文藝春秋」を創刊。文芸家協会会長等を務め、文壇の大御所と呼ばれた。

「2023年 『芥川龍之介・菊池寛共訳 完全版 アリス物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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