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Amazon.co.jp ・本 (280ページ) / ISBN・EAN: 9784003106334
感想・レビュー・書評
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かつて文壇の頂点に立ち、文藝春秋という一大出版社を築き上げた文豪菊池寛。
門井慶喜の小説『文豪社長になる』の作中に本書のエピソードがあったので興味を惹かれ手に取った作品。
当時、無名の新聞記者だった菊池寛が芥川の推薦で中央公論の雑誌に掲載される際にどうしてもチャンスを掴みたいという気持ちで芥川への嫉妬、焦燥感を綴った彼の原点ともいえる作品に強く関心を持った。どんな面白いエピソードがあるのか楽しみだ。
本作品のなかでも面白いのは無名作家の日記の芥川への嫉妬、羨望だろう。
作品中の登場人物の山野は芥川、語り手の富井は菊池寛がモデルでフィクションを交えて描かれている。
印象的なのは自分とは対照的に着々と文壇への道を天才として世に認められていく山野に対する隠しようのない嫉妬と羨望の描写だ。
山野の作品が次々と文壇に高評価され、自分は無名作家の一人として葬られるのではないかという不安と早く自分も文壇の末席にと焦燥感がひしひしと伝わってくる。
この気持ちは良く分かる。
私もテレビや人づてなどで人の成功した話を聞いても素直に喜べない自分がいる。運が良かったとか才能があるんだと思おうとして、そんな自分自身に嫌悪感をいだいてしまう。
本作品では山野は底意地が悪く罠にはめておとしめたりと嫌な奴として描かれ悪意すら感じる。
『文豪社長になる』を読むと分かるが中央公論に推薦したのは芥川で、その芥川を悪く描くというところが面白い。
いや、もしかしたら悪い方にしか受け取れない醜い自分の心情を描いているのかもしれない。
勿論二人の友情と、お互い作家なので理解してのことだと思うけど芥川が本当のところこの作品をどう思ったのか知りたい。
芥川への思いは本書に収録されている『芥川の事ども』や芥川賞を創設したことからも良き友人だったことが良く分かる。
親友に対する嫉妬心や自己嫌悪なんて普通あまり知られたくない人の裏の部分を正直に明け透けなく小説として描いてしまうところがなんとも滑稽で菊池寛らしい魅力ある作品。
そんな苦労をした菊池寛だから若手の育成や支援や援助を惜しまなかったのかもしれない。
そう、彼がいなければ私達は川端康成や江戸川乱歩、直木三十五、林芙美子の作品を目にすることがなかったかもしれない。
菊池寛、芥川龍之介、二人の文豪の貴重な若かりし頃の苦い1ページを垣間見れた一冊。
もし本書を読む機会があれば門井慶喜の『文豪社長になる』をあわせて読むのをお薦めする。
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菊池寛(1888-1948)。
「半自叙伝」は39~40歳の時に「文藝春秋」に連載。高校時代からの親友・芥川龍之介とふたりで長崎旅行をした時(31歳)のことで終わっている。だから「半」自叙伝。「逸話の問屋」の異名をとる菊池寛だが、当然ながら自分のことゆえ、逸話は出てこない。淡々と思い出すことを綴っている。最初はこんな感じ。「少年時代のことは、何も書くことはない」。
学生時代がおもしろい。東京高師に入学するも、翌年除籍。旧制一高で学ぶが、卒業を目前にして、盗難事件の罪をかぶって退学。その後、売れっ子だった上田敏を慕って京大の英文科にもぐりこむ。しかし、その上田教授はつれない(彼のお眼鏡にかなったのはほかの学生)。研究室にはアイルランドの演劇本が揃っていて、シングやダンセイニに夢中になる。
京都ではかなり孤独な生活、そしてとにかく貧乏だった。京大の学資金は、一高の級友・成瀬の父親がその貧窮ぶりをみかねて出してくれた。卒業の頃、上田敏が逝去するが、葬式には出なかった。というのも、香典代がなかった。
「無名作家の日記」は、京都に都落ち(!)してしまった自分の鬱屈と焦燥を多少のフィクションを入れて描いている。 -
無名作家の日記は既読。半自叙伝をもとに他の作品を読むと何となく菊池寛の生涯や考え方が見えてくる。無名作家の日記はあくまで小説というスタンスであるが、本音はどこにあるのやら。そうした人間味の見え隠れするところが面白いとも言える。
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菊池寛って無名作家だっけ?
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旧制高校の雰囲気や、
芥川や菊池寛が持っている価値観というのは
良くわかる本。
若者が文学をする、ということは今では何か古い感じがしてしまうが、
あのころは流行の最先端であった。
今でいう映画監督のような花形的な地位であったのだろう。
若者が自らの知性や感性を武器に、戯曲や小説を書きあげる。
挫折にのたうちまわる無名作家もいれば、
気のきいた文章を書きのし上がっていく作家もいる。
そういうことに昔の若者も夢中になった。
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