或る少女の死まで 他二篇 (岩波文庫)

著者 : 室生犀星
  • 岩波書店 (2003年11月14日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003106617

或る少女の死まで 他二篇 (岩波文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 詩人だった室生犀星(1889-1962)がものした自伝的小説三部作、いずれも1919年の作。

    「幼年時代」

    他家に遣られた子どもの、生母や姉への愛しさや寂しさや哀しさが、その子どもの透明ささながらに、淡々と静謐な文体で描かれている。主人公に子どもの無邪気さで仲良しになったお孝さんという女の子と知り合っても、

    "私はお孝さんと姉とは別々に考えていた。お孝さんには姉さんと異なったものがあった。つまり「可愛さ」があって姉さんにはかえって「可愛がられたさ」があった。"

    胎違いであるということとは全く無関係のところにある、姉への思慕の深さ。その憧憬が、孤独なこの子の全てを支えているかのようだ。姉と一緒で、一つの全体でいられる。姉の純朴な優しさも静かに美しい。

    "私はときどき隣の母の家へ行くと、きっと姉の室へ這入って見なければ気が済まなかった。いつも黙って、静かにお針をしている傍に寝そべっていた私自身の姿をも、そこでは姉の姿と一しょに思い浮かべることが出来るのであった。その室には、いつも姉のそばへよると一種の匂いがしたように、何かしら懐かしい温かな姉のからだから沁みでるような匂いが、姉のいなくなったこの頃でも、室の中にふわりと花の香のように漂うていた。"

    "姉なしには私の少年としての生活は続けられなかったかもしれない。"

    なお、思慮深く感受性のある子どもが「男の子」になってしまうときに覚える苦味も、そっと挿し込まれている。それを包んでくれるのも、姉だった。姉が嫁き、主人公の少年時代は終わる。

    三篇中の白眉と云える詩人の処女小説。小説というのはこうでなくては、と思わせる。

    「性に目覚める頃」

    賽銭泥棒を犯す若い女に性欲の昂揚を覚える主人公。男のセクシュアリティのエゴイズムにとって障壁となる女の主体性を物化すると同時に、近くて遠い性の小宇宙を換喩(メトニミー)で剥製品にして陳列棚へと手繰り寄せるのがフェティシズムと云う暴力の魔術か。

    "何ということなしに、その雪駄の上にそっと自分の足を・・・のせれば、まるで彼女の全身の温味を感じられるように思われた・・・。私は子どものときから姉の雪駄をはいてよく叱られたものであるが、それよりも、もっと強い烈しい秘密な擽ぐったいような快さが、きっと私が雪駄に足をふれさせた瞬間から、私の全身を伝ってくるにちがいない。ちょうど、踵からだんだん膝や胸をのぼってきて、これまで覚えたこともない美しいうっとりした心になるにちがいないと、私は雪駄を恨めしく眺めたのであった。"

    肺病で死んだ友人の女がもたらす嫉妬。エロティシズムは、日常でありながら非日常、凡庸でありながら秘境的、見えていながら隠されている、すぐそこに在りふれていながら隔絶されている、空間を同じくしながら全く異なる世界に並行している、一方の側の全員がそれを平等にもっていながら同時に全員がそれを可視的に不可視化する作法をも併せもっており、実際は可視的でありながらさも不可視であるかの如く相互に振舞うことを暗黙裡に強いられる、そんな微妙な薄い被膜のあちらへ向かわんとするこちらの狂態。

    "そして私はすぐに表[主人公の友人]と彼女との関係が目まぐるしいほどの迅さで、二つの脣の結ぼれているさまを目にうかべた。あの美しい詩のような心で眺めた二人を、これまでいちども感じなかった或る汚さを交えて考えるようになって、妬みまでが烈しくずきずきと加わって行った。今ここで真面目な顔をして話をしていながら、いろいろな形を亡き友に開いて見せたかと思うと、あの執拗な病気がすっかり彼女の胸に食い入っていることも当然のように思えるし、また何かしら可憐な気持ちをも起させてくれるのであった。"

    「或る少女の死まで」

    都会の・大人の・生活の醜悪かつ卑小で散文的な現実の泥濘に塗れた詩人の魂を浄化したのは、屈託も邪気も無い瑞々しい九歳の少女だった。そしてこの"小さな救い主"は題名の通り死んでしまう。もはや「救い主」に、決して永遠が約束され得ない、いつだって予め仮初の「救い主」でしか在り得ない、という現代的な暗示が感じられた。主人公たる犀星は、この作品を発表後、四十年以上も生きることになる。

  •  「幼年時代」「性に眼覚める頃」「或る少女の死まで」という、犀星の自伝的中編3作品が時系列で並んだ文庫でした。
     「幼年時代」では、実の家族と引き離されて義姉に寄り添って成長していく健気な少年の視点で故郷の生活や自然が描かれていて、端正で美しい佳品。
     「性に眼覚める頃」は、自意識とか疚しさとかにおっかなびっくり向き合っていく感じが良い。詩仲間の友人やその恋人への感情の描写は瑞々しかった。
     「或る少女の死まで」では、最初の上京の終盤から帰郷を思い立つまでの生活が書かれている。この時に20歳ちょっと。都会での人間関係や貧窮などで少し汚れていく詩人の生活、そんな自分が許せないという若い潔癖さゆえの葛藤。文筆家になりたいというストイックな気持ちはいいのだが、作品の中の「私」は潔癖すぎてポキリと折れるんじゃないかとやや心配になる。
     しかし犀星は、食べていくために詩から小説へ仕事を広げたり、帰郷した後も何度も再上京して文筆を続け、後世に名を残す作家になったわけで、実際なかなか逞しい。生まれつき繊細な性質の少年が、酒乱の養母に苛められたり小卒で働かされたりする運命に負けなかったから、結果として心身を強く鍛えられたのかも、と思った。

  • 「ここの寺は室生犀星が育った寺だよ」という父の一言。
    その寺は、高校時代いつも遊びに行っていた片町へ行くときに通る「犀川」にかかる橋のすそにひっそりと佇んでいた。

    何度も何度も通った道なのにこの小さな橋のへりにある寺に、金沢の有名人がかつて住んでいたなんて!
    とちょっと嬉しい気持ちがしたのと、ちょっと室生犀星さんと近くなった気持ちがしたので、読んでみた。


    時代は違うけど、同じ場所を行き来していたのか。ほほ、今でもどこかそこらへんを歩いてるのではないかしらん。

    小説自体は最初の方がおもしろかった。この人、大切な人を失いすぎだろっとつっこみたくなるくらいぽんぽん人が死んでいった。数奇で孤独な人生だったのかな。


    「××××年×月×日、わたしは第一の都落ちをした。」
    って言葉が1番おもしろくてこころに残ったな。。。w

    実際は
    「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」の有名な詩句があるようにに、ほとんど金沢に帰らずにいたらしい。

  • うつくしくてせつない。しんとした空気。思い出しては読みたくなるけど、読み終わった後のかなしさがどうにも思い出されて、なかなか再読できない。

  • 金沢旅行の記念に読書。自伝的な内容とは分かっていたのに大どんでん返し的なものを期待しながら読んでしまったので読み終えた直後は物足りなさを感じたが、後から考えれば一人の人生のほんの数年間の切り出しとしては非常に山あり谷ありです。次に室生犀星を思い出した時は詩を読みたい。

  • 「或る少女の死まで」
    おじさん(と言っているけどたぶんお兄さんかな)と少女が、素直な友情を育んでいる様子が、自分には新鮮ですてきだと思った。少女たちがピュアでたまらない。
    大人になって苦労を重ねると目が濁っていくだなんて、なんだか虚しいなあ。自分の目も濁っていることだろうと思う。

  • 室生犀星の自伝的小説です。「幼年時代」「性に眼醒める頃」「或る少女の死まで」の三篇が収録されています。詩人犀星の美しい感性が織りなす瑞々しい文章と全体に漂うどこか宗教的な雰囲気に魅了されました。

    最も印象的な一篇として「性に眼醒める頃」を挙げたいと思います。小説としての完成度がとても高いと感じました。作品の中に効果的に山が設けられ、読者の感情の昂揚を誘います。自伝的小説とのことでしたが、この作品に関しては完成度の高い創作物を読んでいる気分になりました。

    恋心に眼醒める17歳の少年。芽生えたその思いが、「罪悪感」や「秘密の共有」といった刺激と絡みついて昂ぶりを見せていきます。彼女の雪駄にそっと足を差し入れてみるシーンなどはもうたまりません。作中で全身を火照らせる少年と同じく、読んでいる私の身体まで火照ってしまいました。性的衝動を瑞々しく、見事に綴ってみせた佳篇です。

  • 詩人だけあって綺麗な文体でした。

  • 犀星先生って、きっとロリコンだよね?
    しかもロリコンの鑑だよね?
    正しいロリコンは、YES、ロリータ、No、タッチ。
    ハンバート・ハンバートとは違うのです。
    少女との距離感が絶妙、そんな『或る少女の死まで』。
    (『蜜のあはれ』も大好きなのですが!)

    この小説で描かれる、静謐と喧騒、清浄と汚濁、無垢な美しさと卑俗な醜さ……
    後者がより前者を際だたせ、同時に前者は後者を浮き彫りにします。
    主人公の「私」と酒場にいる少女間の二律対比は、物語が進むにつれ、やや複雑さを帯びます。
    白痴的でか弱い少女と、利発で溌剌とした少女、「私」と画家のS、
    (誰かモデルはいるのかな。作家のHは萩原朔太郎な気がする)
    それぞれが彩で儚い模様を、都会の中で織り上げていくのです。
    その筆の感じが、寂しげで淡くて、室生犀星好きだなあってなんとなく私は感じてしまいます。

    『或る少女の死まで』というタイトルの意味を理解する読後には、人生の侘びしさと悲しさが胸にしみてきました。


    歳をとると荒み、生活に疲れ、しがらみが増えていく。
    美しく無垢なロリータたちがそのままでいるには死ぬしかない!
    死ぬロリータだけが良いロリータ。
    ロリータも歳を取れば、「私」が警察署で会った娼婦のように、野卑にうらぶれてしまうのです。

  • 自伝的な色合いの強い三編。優しい女性を慕うやわらかい心持ちの描写に胸を衝かれる。

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