出家とその弟子 (岩波文庫 緑 67-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003106716

感想・レビュー・書評

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  • 1978年ごろ青春の真っ只中で読みました。
    私が好きになった女の子には、もうひとり付き合っている彼氏もいました。
    この三角関係に悩んでいるときに読んだ印象深い本です。
    「恋と愛はちがうのだよ」と唯円に諭す親鸞。
    演劇の台本を読んで視覚的に舞台をイメージしているうちに、普遍的な「恋愛」とはどんなものかの答えを導き出してくれる。
    一度は読んでみたい良書。

  • 善悪の問題や、人生において正しく生きるとは、といった命題が、親鸞と弟子のあいだで、哲学的かつ信仰的な問答が行われます。

    師である親鸞自身も悩みながら
    答えを導き出そうとしている姿勢がとても良かったです。

    そしてラストのラストまで
    信仰とはどういう事なのか考えさせられる内容でとても面白かったです。

    とても26歳の時に書いた作品とは思えない!

  • 信心には一切の証は無い。

    面白かった。古い言葉が多いし脚本調だったのもあって、最初は中々進まなかったけど、半分くらいまでいくと一気に読めた。

    親鸞がいいこと言いすぎて困る。
    そして登場人物全員涙もろ過ぎる。

    左衛門が改心するのではなくその息子の若松が親鸞に弟子入りする設定が良かった。

    仏でも恋はするのか。

  • 初めて読んだのは高校生のときだった。圧倒されるような感動を覚えた本。その後も、何度か読み直しているんだけど、今回読んでみて、やはり心に食い込むものがありました。圧倒されるような・・というのとは違う印象になったんだけど、心洗われるような。それぞれの人物の想いがすごくすんなりと読者に伝わってくる。

    ずれちゃうんだけど、ここのレビュー見てたら、カラマーゾフのゾシマ長老とアリョーシャみたいな。。というのがあって、この本を読む前に、またカラマーゾフを読み終えたところだったので、私ってこういう路線?がすごい好みなんだろうか。。とか思ってしまったー。こうなんていうか、ぐいぐいぐいぐいと突き詰めていく感じが好きなのかもー。

  • 心の葛藤の描き方が優れている。
    カラマゾフの兄弟を思い起こさせる。

    親鸞という人間像 そして 唯丹。
    そこはかとなく人を愛することに徹する。
    すべてを許すという立場は、
    複雑な迷いと悩みのうえにあり、
    超越しきっていないところが ステキだ。

    善鸞という人間像
    苦難の道を つねに 意識しているかいないのかわからないが
    選び、進もうとする。

  •  浄土真宗の祖である親鸞とその弟子である唯円の苦悩を軸に、人間が向き合わねばならない様々な業や哀しみやその救いを描いている。自分も読んでいて色々と考えてしまった。
     唯円は純真な心を持った遊女に恋をし、仏法と恋との間で悩み苦しむ。師である親鸞も義絶した息子に対して葛藤を抱えている。この作品の親鸞は決して完全無欠な人物ではなく、非常に多くの悩みを抱えたひとりの人間として描かれている。それがこの作品を奥深いものにしている。
     最近はビジネス書ばかり読んでいたから、たまにはこういう本も読みたい。

  • 親鸞の後半生を、弟子の唯円の視点から綴った戯曲。20世紀初頭にあって、浄土真宗の教えとキリスト教的慈愛と赦しとが通ずることを見抜いていた倉田百三の慧眼に感服します。

    親鸞の教えは、とても純情です。

    印象的だったのは恋愛に関する箇所。親鸞と唯円とのやりとりは、現代人の感覚でいえばウブだと思われるかもしれません。でも「何人も異性と関係を持った方が、経験値が上がる」とか「童貞乙www」なんてうそぶく人間よりも、親鸞や唯円はよほど愛について真剣で本質的なのだと思います。

    ほんの200ページだけど、仕事や恋愛、親子関係や死など、言及されるテーマはとても広いです。まっすぐさ、純情さに胸を打たれました。

  • 非常に有名な戯曲作品だが、これまで読んだことがなかったのは、戯曲自体がさほど好きではないためと、宗教がテーマになっているのでつい敬遠してしまったためかもしれない。
    しかしこれは日本文学が誇るべき傑作だった。誰もが読んでおくべき本である。
    親鸞が登場し、一応浄土真宗の思想をベースにしているが、厳密に史実を追っている訳でもないし、浄土真宗を専門的に解説しているわけでもない。どうやら、この作品での親鸞の思想は、仏教とキリスト教が混ざり合ったような、一種の普遍的な「宗教」イメージである。その点、仏訳版に際しロマン・ロランが書いてある通りだ。
    しかも宗教のドグマを一方的に示してくるわけではない。市井の人間のさまざまな悩みを普遍的なかたちで扱いながら、まさに「生きた」思想を生み出そうとしている。
    感動的である。
    最後の最後に至っても、親鸞の息子は信仰を拒否するが、そうしたすべての現実を認めつつ、親鸞は「それでよい。みな助かっておる」と微笑んで死んでゆく。意外で深みのあるラストだ。
    この本は人生について考え始める若い頃に読んでおくべきだったかもしれないが、大半の人物が口をそろえて「寂しい、寂しい」とつぶやいているその心情は、私はこの年齢(42歳)にしてようやく身につまされたのかもしれない。
    これを書いた作者は当時27歳。日本文学の奇跡のような作品である。

  • 親鸞の優しさが伝わります。
    聖者も葛藤していたのだなと思いました。

  • 3月2日 毎日新聞 書評
    摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB00067778

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著者プロフィール

1891年広島県生まれ。旧制第一高等学校を病気のため中退。大正期の人道主義的文学を代表する。1943年没。著書に『出家とその弟子』『愛と認識との出発』『絶対的生活』など多数。

「2018年 『新版  法然と親鸞の信仰』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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