河童 他二篇 (岩波文庫)

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レビュー : 47
  • Amazon.co.jp ・本 (138ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003107034

感想・レビュー・書評

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  • いつか上高地に行ってみたいと思っています。
    その上高地を舞台にした小説といえば、芥川竜之介の「河童」。
    河童の国での生活が、ある精神病患者によって語られます。

    上高地から穂高山への道を辿る途中に出会った1匹の河童を追いかけ穴に落ち、男が着いたところは河童の国でした。
    男の目から、人間の社会とは真逆の河童の世界を見ながら、はじめは面白がる気持ちで読んでいたのですが、だんだん眉間にしわが寄って、どんよりしたものが自分の中に立ちこめてきました。
    特に、テクノロジーの発達で工場を解雇された河童は、安定した社会のために毒ガスで殺され、その肉は食用となる…のあたりでは、冷や汗が…。
    河童の世界を通して見えてきた人間の世界…うむ、笑えない…。
    本作にこめられた批判と皮肉の中には、よくわからなかったものもあるので、再読したいです。

    他2篇の「蜃気楼」「三つの窓」もどこか不穏な気配が漂い、落ち着かない気持ちにさせられます。
    でもその不穏さを味わいたいと思う自分もいて…。

  • 本編収録の『蜃気楼』について


    話のない話

    『蜃気楼』に対する直接的な評価を記す前に、少し考えてみたいことがあります。そのことが、『蜃気楼』 の魅力の片鱗を知る前提となるはずです。それは、言語の機能についてです。

    当然のことではありますが、言語はあくまで表象であり、そのものではありません。「愛してる」といっても、当の「愛」なるものは言語化不可能な総体のことですから、人間は「愛する」という行為の具体例をひとつひとつ挙げることはできますが、「愛」のすべてを説明しきることができません。つまり、人間が理性とともに感性を持つ生き物であるかぎり、理性の領域に属する事柄は言語化可能であっても、感性の領域に属する事柄は、理性では永遠に解することができません。

    しかしながら小説は、仮にそれが芸術であるならば、そうでありながら、つまり感性の領域を問題としながら、その表現に言語を用いるという、大いなる矛盾を抱えています。もちろんさまざまな種類の文芸作品があり、それらのすべてがすべて、純粋に(書き手の、あるいは読み手の)感性を言語化する営みだけではありません。しかし、少なくとも芥川龍之介という人は、言語表現の限界と格闘した作家です。『蜃気楼』の特殊性は、おそらくここに、つまり芥川の企ての無謀さに起因しているのではないか、それこそがこの作品の魅力になっているのではないかと思うのです。

    『蜃気楼』は、「話のない話」です。すなわち、なにか筋があるわけではなく、ただ淡々とある日の情景が描写されるだけで、オチというオチがありません。しかし、読者はこの作品を読むことで、ひとつの幻視体験をします。

    ここで読者が目にする幻は、「唯ぼんやりとした不安」(芥川の遺書にある言葉)です。少なからぬ人が、時折この不安を覚えるのではないかと想像しますが、これは具体的に何とはいえない、得体の知れない影で、タチが悪く、存在することの必然性の無さ、生の無意味さを執拗に問わせます。この不安は、前述の「愛」と同様に、感性の領域では確かに存在するのに、それを理性の領域で認識しようとした途端に的外れとなって、その手から滑り落ちてしまいます。しかし、『蜃気楼』は、まるで一枚の絵画のように、読む(幻をみる)人の感性に隠された、その荒涼とした地平を想起させる、そしてその人の感性に巣食う、その不安という言語化不可能なものを言語化しようと試み、またそれに成功した稀有な一編ではないでしょうか。

    言語化できないなら、「唯ぼんやりとした不安」とやらは、実在しないのかも知れません。しかし、この理屈では、同じく言語化できないものすべてが実在しないことになってしまいます。では、人間は幻なのか。そうではないと、感性はいいます。優れた作家は、理性でもこれを認識しようと、言語化を試みるわけで、その無謀な企てに成功する人は多くありません。

    人間が人間となって以来、この無謀な企ては絶えず繰り返され、「人間」が打ち立てられてきたのであるとすれば(まるでこれはカミュですね)、『蜃気楼』が今後も読まれつづけることを祈らねばならないように思います。もし彼のような作家が読まれなくなったとき、それは人間が人間ではなくなる、すなわち動物か機械になるときではないかー合理化を最高善とする現代社会の行く先さえ暗示するといえば、深読みでしょうか。しかし、これからも『蜃気楼』は、読む人、読む時代の不安を映しつづけることだけは確かであろうと思います。願わくばこの明瞭な鏡が、あの海岸に打ち捨てられないことを祈るばかりです。

  • 上高地の梓川のあたり。「僕」は、穂高の峰を目指す道行きで、熊笹茂るところで小休止。そこに河童が出現。捕まえようと追いかけるうちに「僕」は深い竪穴に転落。気づくとそこは河童達の世界。河童が独自の社会を営んでいるのだった。…という“河童国往還記”。
    チャック、バック、トック…等の名前の河童達と知己になる。やがて河童の言葉を解するようになった「僕」は、彼らと意見交換し、河童社会の成り立ちを知ってゆく。
     その後読んだ「ガリヴァー旅行記」を思わせる。

    併せて「蜃気楼」、「三つの窓」の短編二編を所収。

  • 「河童」は河童の世界の物語。高度な風刺なんだろうなと思いつつ、何を意味しているのかはいまいち分からなかった。他の作品と比べると巧みな表現というのは少なかったかな。自分の感受性が乏しいだけなんだろうけど、、、

  • まさか芥川自殺前の作品だったとは。
    異世界トリップ? ものだというのに、主人公の順応性の早さが、ものすごーく早かった。

  • 正直、表題作はよく分からなかった。『蜃気楼』はいい。丁寧な生活描写。透き通った空気の匂いがする。作者自身の今後もちらついていてぞっとするではないか。『3つの窓』の方は、その世界にいなけりゃ分からない閉鎖された人間社会独特の空気が読み取れる。誰もその場に居なけりゃ本当のことなんて分からないのだ。

  • 大好きな芥川の晩年の作品。
    命日が河童忌といわれるくらいだから、読んどこうと。
    まあ、発狂した人が書いたと言われれば、そうだよね、という感じ。
    政治家を動かしてるのが誰々の奥さん、みたいな文章は面白かった。

  • 不思議の国アリスを連想します。河童の国に転がり込み、河童の国のルールに混乱しつつも、いつしかなじんでいることに気付かず、人間の国に帰りたいと願い、戻ってきたら、自分は狂人扱いにされている。アリスは夢から目覚めまた退屈だなと思う毎日の暮らしに戻って行き、大人になって冒険談を忘れてしまうのだろうといったその先を予測できるのですが。

  • 河童について。物語としてはとても面白かったが、読む前に聞いていた人間社会の風刺とはそこまで強く結びつかなかった。私が現代に生きているから?感受性が足りないから?だが相変わらずアフォリズムの宝庫だった。彼の中でベスト3に入る作品かもしれない。蜃気楼について。解説を読むまですんなりと理解できなかった。これを楽しめるようになると彼を語れるのか。三つの窓について。これぞ短編というでき。体にしみこむような悲壮感が漂う。全てにおいての解説が読みやすかった。

  • 龍之介が既に薬物依存症になった頃の作品だが、「河童」は社会風刺などを別にファンタジーとして読むのも楽しい。当時のお洒落小説風「蜃気楼」はともかく、「三つの窓」は意味不明で理解できなかった。

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