侏儒の言葉 (岩波文庫 緑 70-4)

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レビュー : 9
  • Amazon.co.jp ・本 (108ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003107041

感想・レビュー・書評

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  • 神保町の古本屋で購入、再読。芥川の箴言集。
    現在出回ってる版だと他作品も一緒に収録されているのが少し不満だったのだが、こちらは「侏儒の言葉」のみで一冊をなしている。店先で見つけ嬉しくて衝動買いした。

    警句の類は、シニカルな視点が好きな私にはしっくりくる。
    まあ、読んでいるうちに、
    「そうそう、私もそう思ってたよ・・・あれ?もしかしてこの本私でも書けるんじゃ?」
    などと思わないでもないけれど。
    しかしむしろそこがいいところでもあるのでは。読者の頭の中にも埋もれている(皮肉な)ものの見方を、著者が明確に言葉にしてくれるわけだから。そこに痛快さを感じるんだと思う。

    たまに開いてみたくなる本。

  • 近頃、芥川について思うことが時々ある。
    昔は芥川が苦手だった。
    理由はあまり明確ではないのだが「鼻」も「羅生門」も読んでもあまりピンとこなかったのだ。
    文章を読んでも特定のイメージが喚起されなかった。おそらく、読んだ作品のどれもが古典を参考にしたものばかりで直接的に芥川の肖像をとらえることが出来なかったからだと思う。
    しかし、前にも書いたがそれががらりと変わったのが「河童」だった。
    こりゃすごいと感心した。そしてそれとともにこの人の「闇」に興味が向いた。果たして「闇」なんて表現していいのかもわからないが、それこそが私が芥川の文章を読んで初めて得ることの出来たまともな印象だったのだ。言い換えればそれは”重さ”だった。そして「歯車」を読んで芥川に対する興味がさらに深まった。
    芥川、それも晩年の作品に関しては読んでいてどういう訳か居心地がいいと私は感じるのだ。居心地、なんとも不思議なモノだ。
    芥川の”重さ”を知ってからは太宰が無性に読みたくなると言うことがあまりなくなった。無性に読みたくなるのは芥川になったのだ。
    文学者からすればおそらく同列にするなどと言うのはまったく変な話になりかねないかもしれない。確かに私もわざわざこの二人を同列にするつもりなどない。しかし確実に断言出来るのは闇に触れるのならば芥川の方が私にはあっているという事だ。それもはっきりと比較できないほどに私は芥川という存在が好きになったのだ。
    ならばもっと人となりをフューチャーすべきなのかもしれない。
    しかし文学者の芥川論なんて私が読んでどうする。
    それで選んだこの一冊。
    箴言集。
    今風に言ってしまえば”つぶやき”か。
    これこそ芥川と言う存在をのぞき見できる書物ではないだろうかと思ったのだ



    読んでみてまったく期待を裏切らない存在だなと実感できた箴言集だった。
    特に想像通りだったのは以下のこの言葉。


    【わたしは神を信じてゐない。しかし神経を信じてゐる。】
    【わたしは良心を持つてゐない。わたしの持つてゐるのは神経ばかりである。】


    「神経」と表現することのおもしろさだ。
    文学的にとか芥川の人生全体を考えての意味としてのことは私にはわからないが、神経と表現されている”感覚”が私には非常におもしろかった。
    「神経」とはいかにも漠然としているが、その確固とした存在感が芥川という人を支配していたし、本人もそれを認識していた。
    おもしろいじゃないか。



    どの言葉も乾燥していて、冷静な皮肉が見える。

    【最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。】

    【人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光、竹のそよぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。
    人生を幸福にする為には?――しかし瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しまなければならぬ。庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破ったであろう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を与えたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に楽しむ為には、やはり又微妙に苦しまなければならぬ。
    人生を幸福にする為には、日常の瑣事に苦しまなければならぬ。雲の光、竹のそよぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。】



    何だろうな、闇は闇でも結局それに対する意識・無意識的な差が私の琴線に触れるか触れないかの差を生んでいるのだろうとも思う。
    引用はしなかったが「批判学」も私としては好きな文章だった。
    全く読んでいてめんどくさい気持ちにはならない潔い箴言集。
    さらに他の作品が読みたくなった。次は「一塊の土」あたりかな。

  • まさに箴言、アフォリズムにふさわしい。が、畢竟それだけだ。
    いや、ちょっと真似したかっただけで、決して芥川を貶したのではありません。
    芥川がスッと入ってこない自分をあざけったものであります。

    読むタイミングが悪かったのか何なのか、どうにも頭にすんなりと入ってこないものが多くて、思いの外読むのに時間がかかった。
    一つ一つが短いからサラッと読み流せるものと侮ったのが悪かったのか…
    それぞれを吟味する時間のある時に読むことをおすすめします。

  • 箴言(しんげん)。アフォリズム。人間や社会の機微などを簡潔に上手く表した言葉、短い文章。
    芥川の思考の一部を簡潔に窺うことができる。ただし、序文にもあるように、思想そのものではなく、あくまで思想の移り変わりを垣間見ているのだろう。ちょっと皮肉で軽妙洒脱な文章。ふと、めくりたい。

    「作家所生の言葉」では夏目先生、友人の久米正雄、中野浩二らが生み出した言葉が紹介されていて、「振るっている」「月並み」「微苦笑」など、現在も普通に使われている言葉たちが作家たちにより作られた言葉だというのに驚いた。

  • 芥川龍之介は言う
    『人生の悲劇の第一幕は親子となったことにはじまっている。』

    ふむ。
    喜劇ではないんですね。
    龍之介さん
    では 第2幕は 恋をして結婚したことでせうか?

    芥川龍之介は言う
    『我々はしたいことの出来るものではない。
    只出来ることをするものである。
    これは我我個人ばかりではない。
    我我の社会も同じことである。
    恐らくは神も希望通りにこの世界を造ることは出来なかったであろう。』

    龍之介さん

    神は できそこないの世界を つくったのでせうか?
    神の 希望通りの世界には 希望があったのでせうか?

    芥川龍之介は言う
    『女は常に好人物を夫に持ちたがるものではない。
    しかし男は好人物を常に友だちに持ちたがるものである。
    好人物は何よりも先に天上の神に似たものである。
    第一に歓喜を語るのに好い。
    第二に不平を訴えるのに好い。
    第三に――いてもいないでも好い。』

    龍之介さん

    オトコは いてもいなくてもよい人物を 友達にたいして
    歓喜や不平を いいたいんですね。
    気がつきませんでした。

    芥川龍之介は言う
    『「その罪を憎んでその人を憎まず」
    とは必しも行うに難いことではない。
    大抵の子は大抵の親にちゃんとこの格言を実行している。』

    龍之介さん

    コドモは 親から最初に学ぶのですが
    親になってしまうと なぜ忘れてしまうのでせうか?

    芥川龍之介は言う
    『我我を恋愛から救うものは理性よりもむしろ多忙である。
    恋愛も亦完全に行われる為には何よりも時間を持たなければならぬ。
    ウエルテル、ロミオ、トリスタン――
    古来の恋人を考えて見ても、
    彼等は皆 閑人《ひまじん》ばかりである。』

    龍之介さん

    なるほど。なるほど。
    古来の恋は 時間があったからよかったんですね。
    現代の恋は なぜ忙しすぎるのでせうか?

  • 今出ている版より読み馴染んだこちらの方が好み

  • どこから読んでもおもしろい。

  • シニシズムにふっと笑いたくなる夜に。

  • 「もし游泳を学ばないものに泳げと命ずるものがあれば、何人も無理だと思うであろう。もし又ランニングを学ばないものに駈けろと命ずるものがあれば、やはり理不尽だと思わざるを得まい。しかし我我は生まれた時から、こう云う莫迦げた命令を負わされているのも同じことである。(中略)人生は狂人の主催に成ったオリムピック大会に似たものである。我我は人生と闘いながら、人生と闘うことを学ばねばならぬ。こう云うゲエムの莫迦莫迦しさに憤慨を禁じ得ないものはさっさと埒外に歩み去るが好い。自殺も亦確かに一便法である。しかし人生の競技場に踏み止まりたいと思うものは創痍を恐れずに闘わなければならぬ。」
    こう書いた当の本人が「一便法」をとったのは皮肉の限りだけども。

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プロフィール

小説家(1892-1927)。東京帝国大学文科大学英文学科卒業。創作に励むかたわら、大阪毎日新聞社入社。「鼻」「蜘蛛の糸」など数多くの短編小説の傑作を残した。1927年、服毒自殺。

芥川龍之介の作品

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