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Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784003107515
感想・レビュー・書評
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まったくノーマークの作家でしたが、いい作品を書いていますね。作品によって書き方が異なり、多少とっ散らかった印象も受けますが、その実験的な試行錯誤故の作品は、どれも捨てがたい魅力がありました。
収録作は10篇
火
笑われた子
蠅
御身
赤い着物
ナポレオンと田虫
春は馬車に乗って
花園の思想
機械
日輪
※解説は川端康成
以下、印象に残った作品の感想です。
『火』『笑われた子』『赤い着物』は、子どもの視点に立って書かれていますが、その行動や心の機微をよく捉えていると思います。こういうのを読むと、人生における運の良し悪しや生き死には、ほんの些細なことなんだなと思いますね。
『蝿』は、馬車待ちをしている人々と馭者の人間模様を活写しているかと思えばさにあらず。最後まで読んで、この短篇の凄さがわかる作りに感嘆。
『春は馬車に乗って』と『花園の思想』は、どちらも著者が妻の死に面した経験をもとに書かれたとのこと。内容は、相反しており、著者からどちらが好みか世間に問いかけているようです。”新感覚派”などと言われ、著者自身が作品を書きながら試行錯誤していたのかなと思うと、なんだか微笑ましい。『花園の思想』の修辞は見事ですね。ただ、自分は、悪辣な言葉を投げかけながらも、言葉の裏に隠された愛情を感じる『春は馬車に乗って』の方が好みかな。タイトルも美しいですね。
『機械』は改行が極端に少なく、後半の職場仲間との疑心暗鬼から始まる争いに至って、勢いに任せて書き連ねた感じがスピード感がありました。また、それとは逆に、主人公の思考がゆっくりと時間の中を流れるような客観的な視点で書かれているのが不思議な感覚を覚えました。
『日輪』は、約100頁の卑弥呼を主人公に据えた時代小説。同じ言葉の反復を多用し、異なる時代の人々の会話を特異なものとして描くことで、その時代の空気感を上手く表現できているように思いました。欲を言えば、戦闘シーンは『ニーベルンゲンの歌』のような迫力があれば大化けしたかも……?と想像させられましたね。
正誤(38刷)
P213の13行目の人名ルビ誤り
誤: 訶和郎(かわる)
↓
正: 訶和郎(かわろ)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「小説読み解き講座」があって その時の教材が「蝿」
横光利一作品は初めて読んだ。「新感覚派」の中心的存在ということで、どの作品も 古さをそれほど感じない新鮮な読書体験だった。「蝿」に関しては、登場人物の誰に共感するか?で物語は大きく変化する。不条理な死と自由に飛び立つ蝿の対比。「春は馬車に乗って」もタイトルからは想像がつかない話。この時代の作品は 読み込むと読み込んだだけ おもしろさが深まる、ような気がする。 -
Fall winds as falls had been falling from the beginning of October in Canton, while the worldly might still blame two typhoons including dimmed Koinu for that; now vacillating chills have deeply covered the whole day, for the reason that the greyish cumulus filled prospect here is illustrated deucedly as an Autumn miniature, but my skin under one single garment still sweated just as in Summer. Chills mingled with sweat evoked me Yokomitsu-san’s flowing seemingly contradictory consciousness depicted in his story titled ‘Kikai’(1930), emerging from the symbolised ferric chloride; we mortals are even more grotesque full of queries than the protagonist 1st person among that story, beyond the skepticism on the petit autumn feeling mentioned above. Nevertheless this greyish and fainted psyche might better correspond to our modern world.
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辻原登さんの書評本に横光利一のことがあった。いつか読もうと思っていたが、本屋で見かけることがない。この本ぐらいしか入手できる本はないのかな。取り寄せてみた。
「蝿」は、中学時分に国語の本で読んでいる。久しぶりに再読したが、文体、内容とも完成したものと思う。解説を読むと処女作とあり、驚く。
同時に発表した「日輪」は、文体も良いと思えない。特に会話文が嘘くさいし、長いばかりで感心しなかった。
短編が多いが、隙のない文体だと思う。死を第三者目線で観たものが多いよう。
「春は馬車に乗って」タイトルからこんな話と思わなかった。愛妻の肺病記がもとになっている。
「機械」この作品は文体が違う。ひと段落が長い。職場の薬品で頭が少々おかしくなっている雰囲気が出ているが、至極すんなり読める。
これで横光利一が判ったということはないなとは思う。
新感覚と言われたというのは、ちょっと判らない。 -
『蠅』を教科書で読んだ記憶があり、何十年ぶりに再読。大人になってから読むとまた味わい深い。『春は馬車に乗って』妻と夫の壮絶な闘病記だったが感動した。
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収録内容は以下の通り。
火
笑われた子
蠅
御身
赤い着物
ナポレオンと田虫
春は馬車に乗って
花園の思想
機械
日輪
川端康成: 解説
保昌正夫: 作品に即して
私の中に無かった、敢えて触れてこなかったような文化や倫理観を知ろうとするにあたり、非常に参考になった。
カバーカットは矢崎芳則。 -
「花園の思想」
卒業論文のテーマに選んだだいすきな作品
嫌になるくらい読んだのに
何度読んでも美しくて、
横光利一がすきです -
「春は馬車に乗って」肺病を病んで死にゆく妻を看病する男の視線で、死に直面する夫婦を描く。堀辰雄の「風立ちぬ」は幾分叙情的だが、こちらはもっと叙事的である。
死に至らしめんとする妻のわがままと、それを受け入れるしかない男との言葉のやりとりが赤裸々なだけに切ない。鳥の臓物を貪る妻は次第にそれすら拒絶し、死出の道を着々と歩む。そしてそれを止め得ない男の無力さが淡々とした筆致で描かれる。妻の目は死の向こう側、すなわち自分の遺言や骨のことを気にかけ始める。彼女の希望はもはや死の後にしかない。だが男はまだ、僅かに残る妻の生命に縋っていたかった。
死を巡る葛藤の果て、友人から届いた春の花が、二人に最後の安らぎを与えてくれる。妻の死は本作では描かれない。だが、それが穏やかであったことを、最後の場面が物語る。
妻の死は、そのあとの「花園の思想」に描かれている。死の苦しみからの開放を願う妻と、別れを少しでも引き伸ばしたい男の交わす言葉が胸にせまる。
死を眼前にしてなお、怯えることなくそれを受け止める妻の潔さを創り得たのは男と過ごした濃密な日々にあったと思えてならない。 -
※青空文庫で「春は馬車に乗って」のみ読了
愛し合う2人の、触れ合う度にぷつりぷつりと弾け合う本音と行き場のない悲しみ
本当に苦しいことは、言葉にして感情をぶつけ合うことすらできなくなってしまうこと
本当は他になにもいらなかったんだよ
寄り添ってよ、大切にしてよ
謝らないでよ、そばにいてよ
痛く、優しく、穏やかに
春の訪れがさらっていく、心の奥で抱きしめていたい作品 -
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短編10篇。春は馬車に乗ってと花園の思想の2篇は妻の死を取り扱ったもの。前者は不覚にも泣いた。日輪は卑弥呼を取り扱った大作であるが、古代史に興味を持てず普通。その他は全てまずまず楽しめたので4。
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大学入試のために近代文学史を学んでいると、さまざまな「主義」や「派」があり、覚えるのに苦労します。中でも「新感覚派」は、単に「新しい感覚」であり、派というべき主義とも思えません。そして、その派に属するのは、川端康成と横光利一ですが、この2人の作風はかなり異なります。
横光の「新感覚」は、その硬質な文体と、容赦ない自意識にあります。病の妻を私小説的に描いた、「春は馬車に乗って」と、その妻の死を描く「花園の思想」を読めば、「新感覚」というものが、何よりも作者自身にとって、いかに苛烈なものだったかわかるはずです。愛する者の死を凝然と見つめ、その瞬間を見逃さず、その美しさに恍惚となる、という「新感覚」は、耽美的である一方、恐ろしく理性的です。
僚友の川端は、昭和22年、横光への弔辞に「君は終始頭を上げて正面に立ち、鋭角を進んだ」と記したそうです。そして現在でも、横光の作品は私たちに、その鋭さを突きつけてきます。(K)
紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2010年1月号掲載 -
『日輪』が一番印象に残りました。古代の日本の歴史を題材にした小説はあまりないので、読んでいて新鮮でした。登場人物の話し方が独特なのも好きです。
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2018/02/21 読了。
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1923(大正12)年から1930(昭和5)年にかけての、主に初期の短編小説を集めたもの。
遥か昔に読んだ新潮文庫の『機械・春は馬車に乗って』はもっと後期のものが多かったようで、今回の岩波版と重複はそんなに多くなかった。
これまで店頭で、岩波文庫の『旅愁』などを見かけたのに何となくやり過ごして買いそびれてしまった。岩波文庫や講談社文芸文庫などでも横光利一の本はどんどん廃版になって、現在入手可能なのはこれらの短編集だけのようだ。今回読んでみたらやはり、かなり面白かったので、もっと読みたいのだが手に入らない。古書で全集があるならそれを買うしかないのかもしれない。が、全集を読むほど好きなのかと問われると、いや、そこまででもないような。
今回読んだ作品はそれぞれが趣向が凝らされていて、当時実験的と映ったのかもしれないが、これらは現在でも新鮮な印象を持ち、価値があると思う。ちょっとワクワクするような読書体験だった。
巻末の長めの『日輪』は横光のデビュー作らしいが、卑弥呼など登場する古代人たちの台詞がなんだか異次元な感じがして、これでコミュニケーションが成り立っているのか?と不思議に思うとともに、にんまりしてしまった。物語としては、何故か「影絵」や昭和に登場した「劇画」の世界を彷彿とさせた。 -
重病の妻とそれを看取る夫という物語が二篇納められていたが、作者の実体験だろうか。
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短編集「日輪・春は馬車に乗って」を読み終わった。横光利一(1898~1948)には二つの思いがある。
教科書的な知識「新感覚派の文学」という表現上の新しい試みの雄(ゆう)なのに読んでいなかったこと、もう一つは中学3年の時「旅愁」を読み始め挫折したこと。(その古い文庫本は上巻だけ残っていたが、下巻とのつながりが違ってきてしまい捨てた。最近、講談社文芸文庫の上巻1,680円、下巻1,785円の文庫としては高額で購入。読みたいという意気込みがある)
中短編を読んで正直びっくりした。どれをとっても印象深く面白いではないか。川端康成と保昌正夫の立派な解説を読めば、当時(1920年代)の文学界新潮流(文学の革命をめざす)の何たるかは語りつくされ、なるほどと納得大変勉強になったし、それが現代でも通じる新しさであるのに私はすっかり感心してしまった。
火
笑われた子
蠅
御身
赤い着物
ナポレオンと田虫
春は馬車に乗って
花園の思想
機械
日輪
みんな印象を書きたいほど気に入ってしまったけど、きりがないので「日輪」についていうと、これぞエンターテインメント、スペクタクル映画、私にはコミック、元祖ファンタジーに思えた。違和感なく夢物語に堪能できたし、卑弥呼という魔性の女性が悲運をたどる不条理は魅力的であった。
解説にあったが菊池寛は「映画劇としての面白さ」と強調したという。ネットで検索したら「蠅」は高校の教科書にあるらしく高校生の感想があった。これもカメラの目を通して見たような短編。引き締まった短い絵巻きもの。教材としておもしろいのだろう、納得。 -
「文藝時代」の創刊を文学史上の特異点として発展した、当時、モダンだったダダイズムやドイツ式の表現手法を取り入れモダニズム文学の思潮となった後に「新感覚派」と呼ばれる文学作家グループ、その第一人者・横光利一の短編集です。
新感覚派の若者たちは、同時代に隆盛していた「プロレタリア文学」と対立し、また同時に影響しあうことで日本文学の発展に貢献してきました。
文学運動の復興、新しい小説形式への挑戦が感じられる、芸術文学の色が強い「新感覚派」と、叫び、喚き、過激で直接的な比喩で政治への訴えとも言える「プロレタリア文学」では明らかな相違があり、対立のしようがないように思えるのですが、同時期に存在した2つの異なる文学的運動は嫌が上でも比較されることになったのだろうと思います。
菊池寛に師事し、川端康成と共に新感覚派として活躍していた横光利一の文体は、遠回しのようで洗練されていると感じました。
"近代的な新しい感覚的表現"と言われてもどういうことなのが実感としてわかなかったですが、読んでみると「ああ、なるほどな」と思いました。
どの作品も、これまでの文学作品にはない、一つのターニングポイントを感じさせてくれます。
収録作は、いかにも"文学的表現"という言葉が似つかわしい技法で書かれているため、普段本を読まない層には少し難しく感じる可能性があります。
ただ、読みすすめることで情景が広がってゆき、それこそ感覚的に知覚できる、とても良い作品だらけと思います。
収録作は以下の10作品です。
・火 ...
私的には初めて読む横光利一ですが、まるほどこれが新感覚派かと思いました。
"横光利一"とペンネームを変える以前、初期に書かれた作品で、母から愛を感じられず寂しさを覚える少年を主役にした、親子愛を描いた作品です。
17ページほどの短編で、事情は感じられるもののありふれた大正の母子の一コマを写実的に描いていながらも、少年の心理描写が痛いほど伝わってくるようでした。
子供の頃の自分を想起させる。ノスタルジーに訴えかける作品ですが、一方で、それまで語れなかった母の気持ちがラストの一場面でいっぺんに伝わってくる書き方はカタストロフすら感じました。
名作だと思います。
・笑われた子 ...
"火"よりもさらに短い7ページほどの短編作品。
"火"以上に因数分解の進んだ内容で、短い作品ですが展開を読み解くのが難しく、表現が挑戦的な作品だと思いました。
大きな顔に笑われた夢が気になり授業も上の空となってしまった少年は、それ以来、毎日屋根裏で、剃刀を使って彫り物を始めた。
ある日、刃こぼれをした剃刀が発見されたことで、少年の仕事が公になってしまう。
この少年の掘った"面"があまりに見事で、父はそれを褒めるのだが、本作もラストが衝撃的です。
ただ、結局の所この笑った顔の正体は何なのか?人によって解釈の違いが出そうな作品と思います。
・蝿 ...
10ページほどの短編作品。
ある夏の宿場で、馬車に乗るためいろいろな人々が集まってくる。
また一方で、その馬車の馬には、一匹の蝿が止まっていた。
人々と蝿を乗せて馬車は動き出す、と、馭者はふとう眠りをしてしまい、馬車は崖下に落下してしまう。
人馬は塊となって身じろぎすらもする様子がない、一方で蝿は、悠々と羽を広げて、青空へ飛んでゆというストーリーです。
同じ頃に発表された"日輪"と共に横光利一の名を文壇に轟かせた出世作であり、内容は不条理で理不尽極まりないにも関わらず、情景鮮やかで、不思議な感覚に落ちるような感じを受けました。
・御身 ...
評価の難しい作品です。
姉の娘、主人公から見ると姪の関係にあたる2歳の女の子に主人公が特別な感情を抱くという、とっても危ない内容です。
小さく弱々しい姪の「幸子」を溺愛する主人公「末雄」だが、幸子は末雄を嫌っている。
そんな折、幸子が病気になったことを姉の手紙で知り、また、病気にはなったが、片腕一本で助かったと書いていたことで、末雄はショックを受ける。
それをきっかけとして末雄は幸子に抱く大きな感情に気づくという展開で、文体は横光利一らしい情景豊かな描写で素敵な作品なのですが、結局のところとんでもないロリが生まれてしまったというお話な気がします。
・赤い着物 ...
10ページないくらいの短い話なのですが、個人的には"蝿"と同じくらい好きな作品です。
田舎宿の子供「灸」は、子供と遊ぶのが得意で、客としてやってきた赤い着物の女の子と遊びたくて仕方がない。
その翌日に早速チャンスがあり、灸は犬のマネをして赤い着物の女の子を笑わせるのですが、調子に乗って階段から転がり落ちてしまう。
"蝿"同様、不条理感と理不尽さがある内容なのですが、どこか後を引き、心に強く残ります。
少年が階段から落ちた後については書かれていないのですが、その後の家族の悲しみ、後悔があることが想像できる、悲しい物語だと思います。
・ナポレオンと田虫 ...
田虫に悩まされるナポレオンの話です。
田虫に侵され夜も眠れないナポレオンは、魅力的で若々しい妻のルイーズに強いコンプレックスを持っていた。
ナポレオンが皮膚病に悩まされていたという話は一説として存在していて、本作はそれを題材としたストーリーとなります。
といっても歴史小説というほどかっちりしたものではなく、ひたむきにコンプレックスを隠していたナポレオンが精神の限界に達して、何も知らないルイーズがその犠牲になるという、ルイーズ可愛そうな話でした。
・春は馬車に乗って ...
横光利一の恋人・小島キミとの生活と下敷きにした作品。
胸の病で臥せっている妻と、看病に追われる夫の間に揺れる感情の機微が淡々と書かれています。
本作と「花園の思想」、「蛾はどこにでもいる」が三部作と言われています。
物悲しいい雰囲気の作品ですが、一応救いを感じる終わり方になっています。
・花園の思想 ...
横光利一の"亡妻もの三部作"の2作目。
「春は馬車に乗って」の続編とも取れる内容で、死を間近に臨む妻とそれに寄り添う夫の短話です。
「春は馬車に乗って」では、今際の妻の看病に疲れ、妻も自暴自棄からわがままを言ってしまい、すり減った二人が書かれましたが、本作ではいよいよだめになっており、最後の二人を静かに描いたものとなっています。
サナトリウム文学の傑作で、とても揺さぶられる作品です。
とても感想として表現できないほど表現が鮮やかで、悲しいのによかったと思わせる内容でした。
本書中では一番オススメの作品です。
ちなみに、"亡妻もの三部作"の3作目、「蛾はどこにでもいる」だけ本書に収録されていないです。
機会があれば、「蛾はどこにでもいる」も読んでみたいです。
・機械 ...
あるネームプレート製作所で働く「私」を通して、そこでおきたある諍いを淡々と描く短編。
「私」を通してストーリーが描かれていのに、書かれている出来事はどこか「私」とは他人事で、読者は「私」でありながら、「私」という人物がよくわからない、第三者的視点で見ているかのような、不思議な作品でした。
住み込みでその製作所で働き始めた「私」は、主人から信用され始めたことで先に働いていた「軽部」に疎んじられ始める。
主人以外は立ち入ることができなかった暗室の入室を許可されたことで軽部の怒りを買い、「私」は軽部からひどい暴力を受けるも、「私」の仕事内容を見せることで一旦の納得を得る。
そんな折、大口の受注が舞い込み、俄に忙しくなる、主人の友人の製作所から助っ人として「屋敷」がやってきたが、「私」は彼が製作所の技術を盗みに来た間者なのではと疑い始める。
句読点の少ない、独特の文体で書かれているにも関わらず、とても読みやすく、また先が気になる内容です。
表現方法が実験的で、いかにも新感覚派らしい作品だとも思いました。
・日輪 ...
邪馬台国の女王・卑弥呼を主人公にした中編小説。
本書中、本作だけページ数が特別多いです。
本作と「蝿」により横光利一は文壇上の地位を得ていて、「機械」と共に、横光利一の代表作として上げられることが多い作品です。
色んな人が高い評価をつけている作品ですが、私的には正直なところそれほど良い作品と思えなかったです。
表現技法は独特で、会話やストーリー展開は太古の人々らしく端的に進むのですが、展開はわかりにくく、眠気との戦いでした。
なお、史実に忠実な内容ではなく、本作で卑弥呼は、実は不弥国の王女で、やがて耶馬台にたどり着いたとしています。
弟の存在もなく、卑弥呼という美しい女性をめぐる、国の権力者たちの争いが書かれるものとなっています。
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