日輪・春は馬車に乗って 他八篇 (岩波文庫 緑75-1)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (300ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003107515

感想・レビュー・書評

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  •  「火」を読み始めた時はあまりピンと来なかったけれど、「笑われた子」はテーマが分かりやすく、「蝿」は評判通り衝撃的で、「御身」で横光先生の描く素朴な風景に魅力を感じ、「赤い着物」の展開に驚いて、「ナポレオンと田虫」のおかしみにクスッと笑い、「春は馬車に乗って」まで読んだところでこの世にこんなにも美しい文字の並びがあるものかと溜息をついて一晩悶えた。「花園の思想」は「春は〜」同様、横光先生の最初の妻の死をテーマにした話だけれど、より地に足がついて現実的に感じられる「春は〜」に対して、花園と肺病院にどこか天国のような雰囲気が感じられ、不思議な浮遊感がある。「機械」は改行も句読点も極端に少なくて読みづらいかと思えば意外にすらすらと読めるし、殴られているのに他人事のように語るのがぬるま湯に浸っているようで気持ち悪いが、その気持ち悪さが最高。「日輪」は卑弥呼の時代の話なのでとにかく見慣れない語彙が多くて、そういう意味で一番読みづらかったが、慣れてくると続きが気になって読み止められなかった。寝る前に少しと思って読み始め、読みと終わると明け方だった。卑弥呼の最後の台詞が実に見事だと思う。
     この一冊を読む間に、横光先生に関するエピソードを検索したり、論文をいくつか読んだりしたが、軽く背景を知るだけでも面白さが倍増する。横光先生の生い立ちや家族構成然り、横光先生の最初の妻であったキミさんのこと然り。「機械」に出てくる製造所の主人は菊池寛先生、屋敷という従業員は川端康成先生がモデルだと言われていることも、知っているとなるほどと思える箇所があり大変面白い。
     平成と令和を生きる私からしてみれば、舞台はほとんど全く知らない風景の連続であるはずなのに、まるで映像を見ているかのように情景が目に浮かんできた。字面が多少古くとも、内容はあまり古臭さを感じさせず、今でも瑞々しく生きているように思う。流石に「文学の神様」と呼ばれただけのことはある。巻末の保昌先生による「作品に即して」に書いてある菊池先生の「映画劇としての面白さは日本では、ちょっと類例のないもの」という評価は全く的を射ていると思う。
     また、川端先生がことあるごとに横光先生に関して言及した仏心や素朴さといったものも各所に滲み出ている。ただし、優しいだけでない、綺麗事ばかりではない部分も表現されているのが実に人間らしく、一たびそれを作品から感じ取ってしまったら、果たして横光先生のファンにならずにいられるものかと思う。当時横光先生を支持した若者たちもこういう気持ちだったのかもしれない。脳裏に映像を喚起させる美しく巧みな表現、類例のない新しいジャンルの先頭を走り続ける姿、尊敬に値する人格、その奥に見え隠れする激しさ……といったものへの信仰に近い気持ちだ。

  • Fall winds as falls had been falling from the beginning of October in Canton, while the worldly might still blame two typhoons including dimmed Koinu for that; now vacillating chills have deeply covered the whole day, for the reason that the greyish cumulus filled prospect here is illustrated deucedly as an Autumn miniature, but my skin under one single garment still sweated just as in Summer. Chills mingled with sweat evoked me Yokomitsu-san’s flowing seemingly contradictory consciousness depicted in his story titled ‘Kikai’(1930), emerging from the symbolised ferric chloride; we mortals are even more grotesque full of queries than the protagonist 1st person among that story, beyond the skepticism on the petit autumn feeling mentioned above. Nevertheless this greyish and fainted psyche might better correspond to our modern world.

  • 辻原登さんの書評本に横光利一のことがあった。いつか読もうと思っていたが、本屋で見かけることがない。この本ぐらいしか入手できる本はないのかな。取り寄せてみた。
    「蝿」は、中学時分に国語の本で読んでいる。久しぶりに再読したが、文体、内容とも完成したものと思う。解説を読むと処女作とあり、驚く。
    同時に発表した「日輪」は、文体も良いと思えない。特に会話文が嘘くさいし、長いばかりで感心しなかった。

    短編が多いが、隙のない文体だと思う。死を第三者目線で観たものが多いよう。

    「春は馬車に乗って」タイトルからこんな話と思わなかった。愛妻の肺病記がもとになっている。
    「機械」この作品は文体が違う。ひと段落が長い。職場の薬品で頭が少々おかしくなっている雰囲気が出ているが、至極すんなり読める。

    これで横光利一が判ったということはないなとは思う。
    新感覚と言われたというのは、ちょっと判らない。

  • 『蠅』を教科書で読んだ記憶があり、何十年ぶりに再読。大人になってから読むとまた味わい深い。『春は馬車に乗って』妻と夫の壮絶な闘病記だったが感動した。

  • 「春は馬車に乗って」肺病を病んで死にゆく妻を看病する男の視線で、死に直面する夫婦を描く。堀辰雄の「風立ちぬ」は幾分叙情的だが、こちらはもっと叙事的である。
     死に至らしめんとする妻のわがままと、それを受け入れるしかない男との言葉のやりとりが赤裸々なだけに切ない。鳥の臓物を貪る妻は次第にそれすら拒絶し、死出の道を着々と歩む。そしてそれを止め得ない男の無力さが淡々とした筆致で描かれる。妻の目は死の向こう側、すなわち自分の遺言や骨のことを気にかけ始める。彼女の希望はもはや死の後にしかない。だが男はまだ、僅かに残る妻の生命に縋っていたかった。

     死を巡る葛藤の果て、友人から届いた春の花が、二人に最後の安らぎを与えてくれる。妻の死は本作では描かれない。だが、それが穏やかであったことを、最後の場面が物語る。
     妻の死は、そのあとの「花園の思想」に描かれている。死の苦しみからの開放を願う妻と、別れを少しでも引き伸ばしたい男の交わす言葉が胸にせまる。
     死を眼前にしてなお、怯えることなくそれを受け止める妻の潔さを創り得たのは男と過ごした濃密な日々にあったと思えてならない。

  • 大学入試のために近代文学史を学んでいると、さまざまな「主義」や「派」があり、覚えるのに苦労します。中でも「新感覚派」は、単に「新しい感覚」であり、派というべき主義とも思えません。そして、その派に属するのは、川端康成と横光利一ですが、この2人の作風はかなり異なります。
    横光の「新感覚」は、その硬質な文体と、容赦ない自意識にあります。病の妻を私小説的に描いた、「春は馬車に乗って」と、その妻の死を描く「花園の思想」を読めば、「新感覚」というものが、何よりも作者自身にとって、いかに苛烈なものだったかわかるはずです。愛する者の死を凝然と見つめ、その瞬間を見逃さず、その美しさに恍惚となる、という「新感覚」は、耽美的である一方、恐ろしく理性的です。
    僚友の川端は、昭和22年、横光への弔辞に「君は終始頭を上げて正面に立ち、鋭角を進んだ」と記したそうです。そして現在でも、横光の作品は私たちに、その鋭さを突きつけてきます。(K)
    紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2010年1月号掲載

  • 『日輪』が一番印象に残りました。古代の日本の歴史を題材にした小説はあまりないので、読んでいて新鮮でした。登場人物の話し方が独特なのも好きです。

  • 2018/02/21 読了。

  •  1923(大正12)年から1930(昭和5)年にかけての、主に初期の短編小説を集めたもの。
     遥か昔に読んだ新潮文庫の『機械・春は馬車に乗って』はもっと後期のものが多かったようで、今回の岩波版と重複はそんなに多くなかった。
     これまで店頭で、岩波文庫の『旅愁』などを見かけたのに何となくやり過ごして買いそびれてしまった。岩波文庫や講談社文芸文庫などでも横光利一の本はどんどん廃版になって、現在入手可能なのはこれらの短編集だけのようだ。今回読んでみたらやはり、かなり面白かったので、もっと読みたいのだが手に入らない。古書で全集があるならそれを買うしかないのかもしれない。が、全集を読むほど好きなのかと問われると、いや、そこまででもないような。
     今回読んだ作品はそれぞれが趣向が凝らされていて、当時実験的と映ったのかもしれないが、これらは現在でも新鮮な印象を持ち、価値があると思う。ちょっとワクワクするような読書体験だった。
     巻末の長めの『日輪』は横光のデビュー作らしいが、卑弥呼など登場する古代人たちの台詞がなんだか異次元な感じがして、これでコミュニケーションが成り立っているのか?と不思議に思うとともに、にんまりしてしまった。物語としては、何故か「影絵」や昭和に登場した「劇画」の世界を彷彿とさせた。

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著者プロフィール

よこみつ・りいち
1898〜1947年、小説家。
福島県生まれ。早稲田大学中退。
菊池寛を知り、『文芸春秋』創刊に際し同人となり、
『日輪』『蠅』を発表、新進作家として知られ、
のちに川端康成らと『文芸時代』を創刊。
伝統的私小説とプロレタリア文学に対抗し、
新しい感覚的表現を主張、
〈新感覚派〉の代表的作家として活躍。
昭和22年(1947)歿、49才。
代表作に「日輪」「上海」「機械」「旅愁」など。



「2018年 『セレナード 横光利一 モダニズム幻想集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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