山椒魚・遙拝隊長 他七篇 (岩波文庫 緑77-1)

  • 岩波書店 (1969年12月16日発売)
3.76
  • (34)
  • (44)
  • (58)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 587
感想 : 55
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (158ページ) / ISBN・EAN: 9784003107713

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 山椒魚にひきこもりの本気を見せられた感じ。人間もひきここりになったらこんなんになっちゃうのかな。

  • 人々のつまらないこだわりが生む喜劇に引き込まれる『槌ツァ(以下省略)』。ユーモアと物悲しさがバランスした『屋根の上のサワン』。戦争の悲劇を見事に喜劇で表現した『遥拝隊長』。『山椒魚』を始め、どの作品も明確なオチがない分余韻が残る

  • 特にオチのない短編ばかりだけど、特に「『槌ツァ』と『九郎治ツァン』はけんかして私は用語について煩悶すること」と「へんろう宿」が好きかな。

  • この歳にして初めて井伏鱒二を手に取る情けなさには未だ苛まれつつ、ともかく今読めてよかった。残りの人生、今が一番若いのだ。
    井伏は広い意味での「世間」を味わい尽くし、それを冷ややかな目線で傍観しながらも、人とその奇妙な生き物がこしらえた世界を愛し慈しんでいるのだろうとぼんやり思う。
    ここに幼稚な井伏評を書いておいてなんだが、巻末の河上徹太郎による解説もなかなか見事なので一読の価値大いにあり。

  • 『休憩時間』
    昔の学生の文学的雰囲気が伝わってくる。

    『遙拝隊長』
    戦争時に事故により、精神に異常を来した遙拝隊長こと岡崎悠一(32歳)。
    戦争が終わった事も知らず、戦争時の軍人のように振る舞う。
    その姿はドン・キホーテのようである。
    近所の人達らは、そんな悠一に時に付き合い、温かく見守る。

    戦後直後には、こういう人もいたかのように思わせる。
    『軍国主義の亡霊』という観点から、黒澤明の『夢』を思い出した。

    このアイデアを元に、戦後に軍国主義を訴える人間の哀しさや軍国精神の非情さを訴えるような長編が書けそうだと。
    そして、そんな長編を読んでみたいと思った。

    『槌ツァ』と『九郎治ツァン』
    昔の村では、階層により両親の呼び方、人の呼び方が違っていた。
    『オトウサン』『トトサン』など。
    この小説は、それをめぐる面白い愉快な話。

  • 最初よくわかんなかったけどだんだんすっとぼけたユーモアの味わい方がわかってきた。特に『「槌ツァ」と「九郎治ツァン」はけんかして私は用語について煩悶すること』の田舎もん同士が言葉遣いでマウントを取り合ってるの笑えたし、『夜ふけと梅の花』に出てきた酔っぱらいが「僕は、酔えば酔うほどしっかりする。」と言ってるのかなりよかった。そんなわけあるか。

  • あっと驚くオチが用意されている訳では無い。一言で言えるんなら、文学なんかやってないよ、って感じ。

  • はじめて井伏鱒二を読んだ
    つげ義春と似ていると思った
    つげは影響を受けている?

    山椒魚, 地方, というモチーフ
    生活の機微, みたいなものの情緒を捉える感じ
    ともすれば「ナンセンス」と言われかねないような「軽薄さ」, 苦悩を描く場合でも, 生きられる切実な苦悩として描かれるというよりは, どこか戯画化されて描かれるかんじ

    memo
    ●井伏鱒二(1898-1993, 広島生まれ)
    ・地主の子, 5歳で父が他界, おじいちゃんっこ
    ・早稲田大学, 教授と衝突して中退
    ・1924, 佐藤春夫に師事
    ・1929, 山椒魚 発表 (31歳)

    ・明治維新の子・孫世代
     ・おくれて近代化する地方
      ・井伏が上京したときのショックは, 現代よりすごかったはず, 前近代から近代へのタイムスリップのよう?
     ・民主主義, 俺たちでも国を変えられる, という熱がまだ残っていた?? 熱くなりすぎて焼き切れる直前の時代??

    ・1920s-1930s プロレタリア文学(小林多喜二『蟹工船』, 徳永直『太陽のない街』など)の興隆が終わって, 台頭してきた「芸術派」
     ・1912-1926: 大正時代
     ・左翼文学の衰退の原因は, 日本の右傾化に伴う弾圧の結果というひともいれば, 単に読者の需要が変わっただけというひともいる
     ・フォーク音楽も同じ流れ?? 1960s労働者の歌から, 1970s四畳半フォークへ

  • 井伏鱒二の初期作を収録した短編集。
    掲題の山椒魚が読みたくて購入しましたが、私的に井伏鱒二といえば、"山椒魚"、"黒い雨"、"ジョン万次郎漂流記"くらいしか知らず、作風はと言われてもピンとくるものがなかったので、非常に興味深かったです。
    初期の短編を読んだ感じでは、これまでの文学作家に比較すると、ユーモラスでどこか狂言めいた、クスリとするような作品が多く感じました。
    代表作の"山椒魚"がまさにそんな感じなのですが、肩肘張らずに読める作家だと思います。

    井伏鱒二は新興芸術派の作家と言われます。
    プロレタリア文学と対立していた新感覚派は、モダニズム文化の思潮として文学運動の復興を旗振っていたのですが、作家陣が左傾してきたため、文学者陣がそこから飛び出して、別の潮流を作り出しました。
    新興芸術派はその中で生まれた一派で、川端康成も名を連ねました。
    要するに(間違っているかもしれませんが)、左傾してきた新感覚派を捨てて、別の名前でその活動を続けるための名前であり、再び日本文学の主流となるべく起こった文学活動です。
    その後の新興芸術派は、独自性を出すことができずにジャーナリズムのおもしろおかしい文章に駆逐され消えゆくのですが、井伏鱒二の文学は、そういう中で独自の作品を生み出していたと感じました。

    各作品の個別感想は下記の通りとなります。

    ・山椒魚 ...
    井伏鱒二の代表作。
    岩屋で過ごしているうちに身体が大きくなり、そこから出られなくなった山椒魚が、自分の状況に悲観にくれる。
    やがて悪党となった山椒魚は、岩屋に飛び込んできた蛙を閉じ込めて出られなくしてしまうという話。
    あらすじを読むと陰鬱とした印象を与えますが、文体は軽快で、人間のような感情をもっていて、イジワルをしてしまう山椒魚と蛙の掛け合いは非常にユーモラスです。
    その一方で、ラストあたりの蛙のセリフは読者に響くものを与えます。
    命の瀬戸際で、なぜ蛙は、そもそもの原因である山椒魚を怒っていなかったのか、その答えは読者に委ねられているようです。
    紹介するまでもない有名作ですが、改めて読むと深いものを感じます。

    ・鯉 ...
    学生時代に友人からいただいた一匹の白い鯉と、それに悩まされる"私"の物語です。
    鯉は下宿の中庭の池に放たれますが、様々な理由により、転々と居を移すことになります。
    一度は殺してしまおうかとも考えるのですが、そうすることはできず、鯉を救い続けます。
    最後は、そんな鯉が誇らしくなる終わり方で、短編ですが非常にスッキリした気分になれる。良作だと思います。

    ・屋根の上のサワン ...
    一作目では山椒魚、二作目では鯉が主人公ですが、本作は鳥の雁がメインの作品です。
    鉄砲に打たれて、沼地で苦しそうにしている雁を救った主人公は、雁の羽を切って、庭で飼うことにします。
    やがて、雁は、屋根に登って、悲しそうな声を張り上げます。
    ラストの主人公の感情について、明示的に書かれていないのですが、寂しさ、諦め、そして、ひょっとして喜びも入り混じった複雑な気持ちでいるのだろうなということが伝わってきます。
    本作も読んで清々しい気持ちになる作品です。

    ・休憩時間 ...
    とある大学の、汚いが挿話がある教室での一コマ。
    騒動がきっかけで学生たちの自己表明が噴出したような内容です。
    例えば休憩時間というのは、束の間の青春の象徴とでもあるかのようなことが書かれています。
    当時の学生たちのある意味、活き活きした様子が描かれていて、非常にコミカルな作品だと思いました。

    ・夜ふけと梅の花 ...
    本作もコミカルで、クスリとなる作品です。
    ある夜に、どこかにおでん屋でもないかと街を歩いていた男の前に、いきなり顔面血まみれの男が現れる。
    酔っ払っていうようで言動が支離滅裂のその男に、押し付けられるようにお金を渡されるのだが、お金を受け取る道理もないので、次の日に返すということで一時預かる。
    が、所要で返せなるなって、さあ大変。という展開です。
    男は血まみれの男「村山十吉」の幻影に取り憑かれ、自分が村山十吉ではないかと勘違いまでする有様です。
    文学的意味、という点ではあるのかよくわからなかったですが、ユーモラスでおもしろい作品でした。

    ・丹下氏邸 ...
    タイトルの通り、丹下氏の邸宅で起きたあれこれなのですが、正直なところ内容が理解できませんでした。
    当時の時代背景についてもっと知っていれば、発見があるのかも知れないと思います。

    ・「槌ツァ」と「九郎治ツァン」はけんかして私は用語について煩悶すること ...
    長くてちょっと変わったタイトルですが、内容もそこそこ変わっています。
    郷里の方言で「槌ツァ」と呼ばれたことに腹を立てたとか、そこではないとか、「槌ツァ」ではなく「槌さん」と呼んで欲しかったのではないかとか、「九郎治ツァン」と呼ばれると気を悪くするが、「九郎治ツァン」の言葉も東京方言ではないとか、タイトルの通り、煩悶する内容となっています。
    方言のおかしさを伝えたかったのかな、本作もよくわからない内容でした。

    ・へんろう宿 ...
    おとぎ話めいた内容です。
    井伏鱒二の土佐旅行での体験を元に書かれた作品で、ある部落の宿のばあさんと子どもたちが、そこで宿をする奇妙な経緯について書かれたものとなっています。
    短い話なのですが、井伏鱒二といえばまず本作が思い浮かびそうになるほど、インパクトがある作品だと思います。
    奇妙な空間への入り口に対峙したような感覚がするというか、どこか不気味な感じを受けました。

    ・遙拝隊長 ...
    突然現れては、見ず知らずの相手を自分の部下とみなして、傲慢な口調で命令をし、従わなければ叱責をする。
    非常に迷惑な人物「遥拝隊長」。
    昔の彼を知る人物に偶然であった私は、それに至った話を伺う、という展開です。
    ユーモラスな作品、と思いきや、しっかりと考えさせられる内容となっています。
    軍人教育の悲劇と、その被害者だと理解しているからこそ、強く阻害することができない事情が描かれている、名作だと思います。

  • さらっと読んじゃったので童話的な何でもない話にしか見えないけども、行間を読むのが面白いんじゃないかと。そういう意味で教科書に載せるのに適した作品なのかも。
    ゴーゴリ感。

  • 初、井伏鱒二。山椒魚を読みたくて、読み始めたのだが、個人的に良かったのは、「休憩時間」と「『槌ツァ』と『九郎治ツァン』(以下略」。
    前者は青春のキラキラ少し尖った感じを切り取っている。
    後者は言語学の視点から見るとすごいおもしろい。人をどう呼ぶか。ママパパがいつの間にかお母さんお父さんや、ババアジジイになったりするのはよくあることだけど、暮らし向きの良さで呼び方が変わっていくのは最早見栄。まあ、ママパパって呼んでたのがお母さんお父さんになるっていうのも思春期の見栄かも知れないが。

  • 表題作の「 山椒魚 」は有名な作品だが、あまりにも素朴な内容でその良さはどうもよくわからなかった。
    全9篇を収めるこの短編集。以下の諸編はちょいと面白かった。
    「鯉」は「 私は鯉を早稲田大学のプールに放った。 」という一節が示すように、ユーモラス、且つ、爽快な情景と痛快さが楽しめる。
    「 屋根の上のサワン 」は手負いの雁との出会いを描いた小品。雁のサワンとの別離がちょっと切ない。
    「 夜ふけと梅の花 」は、ある春の夜、路地でばったり出くわした青年との顛末を伝える。出会い頭に青年曰く「 もしもし、きみ!僕の顔は、血だらけになってやしませんか! 」一体何が始まるのだ?というワクワク感が楽しい。
    「 へんろう宿 」も味わい深い。土佐の遍路岬近くの小さな集落で、筆者は遍路宿に泊まることになる。ところがその宿の小さな娘や女中のおばあさんたちはみな、ある共通の身の上の女なのだった。まるでつげ義春の漫画( 紀行文)のような不思議な情趣を味わえる。
    「 遥拝隊長 」は、田舎の村に引き揚げて来た元陸軍中尉の話。男は頭がおかしくなっていて、村に居ても、戦争がまだ続いてると思い込んでいて、村人に「 何をぐずぐずする。敵前だぞお 」と檄を飛ばす。一方で村人達も、男のそんな奇行に適当に調子を合わせている。もの哀しさ、そしておおらかさのようなものを感じた。

  • 懐かしい『山椒魚』
    教科書に出てた
    先生は誰だっけ?
    近所の転校生が山椒魚に似ているとかいう話になったっけ
    数十年ふりに見かけたとき「あ!山椒魚だ!」(もちろん心の中で)
    今読めば現実の生活のようでどよよん
    なんたる失策…

  • 人生や自然という本質的なものに対して、氏の深い洞察がうかがえる作品群。
    芸術、童話、ユーモア、笑い、哀しみ、ゆるし、別れ、・・・井伏文学のエッセンス満載です。何度読み返したかわかりません。

  • スルメみたいな味わい深さがある気がした。華やかさはないけど、じわじわ沁みてくる何かがある、そんな感じ。

  • 新潮の山椒魚を昨年読んだので所々再読。山椒魚は初見よりも考える余地を見いだせたので少しは楽しみ方が分かった気がする。苦手意識こそなくなったけどもまだ井伏作品の面白さに惹き込まれるところまできていない。時々読み返したい。

  • 山椒魚以外の井伏鱒二の作品を初めて読んだ。

    ・山椒魚、鯉、屋根の上のサワン
    束縛の渦中で他人も道連れにしたい、自分より辛い目に遭わせてやりたいという魔の自分と、自分とは逆に自由に羽ばたいて欲しいと願う清い自分との葛藤が鮮やかに描かれていて、どちらの心情も理解できて、見事な文章だと思った。

    ・丹下氏邸
    冒頭の叱責が、後に機転を利かせてくれたものだと分かり、ニヤニヤ。

    ・夜更けと梅の花
    酔っぱらいのコミカルな短編。丹下氏邸と併せてハハッと笑ってしまう話。

    ・休憩時間
    この短編は現代のTwitterを黒板を舞台に繰り広げたようなもので、井伏鱒二に現代のTwitterを是非見てもらいたい。目の前を桜の花びらが舞っていくかのような春の教室の休憩時間。

    ・槌ツァと九郎治ツァンはけんかして
    これもコミカルな話で、小さな村の、間の抜けたマウント大会のお話。

    ・へんろう宿

    ・遥拝隊長

    どれも短編なので読みやすく、何度でも読み返したい文章のリズムとテンポ。
    日本文学が苦手な人も、ぜひ読んでみてほしい作品。

  • 自分もそうなのに気付かずに言っているところが面白かったですね。

  • 「遙拝隊長」が一番気に入りました。辺鄙な田舎と隊長(のつもりで今もいる人)といった組み合わせの違和感が好きです。

  •  いろんな人が傑作だと、もう、文句のつけようがないさ品群。そりゃあそうなんですが、数年ぶりに読み返して、何処が傑作なのかわからない自分を発見してしまった。これはどういうことなんだろう。

全48件中 1 - 20件を表示

著者プロフィール

井伏 鱒二(いぶせ・ますじ):1898-1993年。広島県福山市生まれ。本名満寿二。はじめは画家をも志すも、やがて文学に専心し、『鯉』『山椒魚』で文壇に登場。独自のユーモアと哀感ただよう多くの作品を書いた。主な作品に『へんろう宿』『漂民宇三郎』『珍品堂主人』『黒い雨』など。『井伏鱒二全集』全28巻別巻2がある。


「2025年 『井伏鱒二ベスト・エッセイ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

井伏鱒二の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×