風立ちぬ・美しい村 (岩波文庫 緑 89-1)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (182ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003108918

感想・レビュー・書評

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  • 風立ちぬ
    後書きでやっと感動ができた感じ。
    確かに音楽のようだった、死というテーマで重低音がずっと続いていて、物語には大きな抑揚はなく、感情を抑えて淡々と続く。
    短調の美しいフーガみたい。
    死がテーマに選ばれているのに大袈裟に悲嘆に暮れるような場面はない。
    時代も違えば立場も違う、わたしは死に直面しているわけでもなく、周りも死に直面していないから登場人物の気持ちがわからないところも多く、理解できない文章もあった。

    美しい村
    文章がとても美しい、そこら辺のゴミさえ絵のように美しくしてしまうその文章に驚く。
    句読点の位置や単語の順序のせいか何度も読み返さないと理解しづらい文章が多い。
    ストーリーというストーリーは特にないまま終わった。

  • 1930年頃から発生した新興芸術派でしたが、2年ほどでその活動が見られなくなります。
    「新興芸術派十二人」に名を連ねた堀辰雄は、「意識の流れ」、「内的独白」の手法をもって人間の深層心理を描く『新心理主義』を取り入れ、新感覚派から連なる作風をさらに深めます。
    本作収録の"美しい村"と"風立ちぬ"はその体現といえる文学で、会話や状況説明、自然主義的な登場人物の行動の露骨な描写とは異なり、主人公の五感で起きたこと・感じたことを書くことで、読者はその世界を知り、心動かされる内容となっています。

    本作収録の2篇は文体が非常に徒然としていて、小説でありながら詩を読んでいるかのような印象さえ受けます。
    堀辰雄は1930年"聖家族"で高い評価を受けたのですが、同時期に喀血し、療養のため長野県のサナトリウムに入りました。
    病臥中にプルーストの"失われた時を求めて"を手にし、その後の療養期間にジェイムズ・ジョイス等ヨーロッパ文学に触れていったことが、氏の作品に影響を受けていきました。
    私自身プルーストを不勉強ながらまだ読んでいないのですが、"美しい村"はプルーストの文体を意識して取り入れられていると言われています。

    各作品の感想は以下の通りです。

    ・美しい村 ...
    まずははっきり言って読みにくいです。
    というのも一文が異様に長く、句点までなかなかたどり着かないんですね。
    例えば、"美しい村"は以下の文章から始まります。

    "或る小高い丘の頂にあるお天狗様のところまで登ってみようと思って、私は、去年の落葉ですっかり地肌の見えないほど埋まっているやや急な山径をガサガサと音させながら登って行ったが、だんだんその落葉の量が増して行って、私の靴がその中に気味悪いくらい深く入るようになり、腐った葉の湿り気がその靴のなかまで滲み込んで来そうに思えたので、私はよっぽどそのまま引っ返そうかと思った時分になって、雑木林の中からその見棄てられた家が不意に私の目の前に立ち現れたのであった。"

    早い話が、「頂上に天狗のモニュメントかなにかある丘を登ったら、知らない家の前に出てしまった」わけなのですが、とにかく文章が冗長でテンポが悪いです。
    読んでいる途中で主文がわからなくなり、日本語を読んでいるのに頭に入ってきづらい感じを受けます。
    情景を頭に思い描きながら読む必要があり、つらつらと読むとあっという間についていけなくなるので注意が必要です。
    川端康成のように表現が難解というわけでもなく、描写は過ぎるほど丁寧なのですが、濃いめの珈琲と共に繙くことをおすすめします。

    なお、ストーリーはほとんど無いです。
    文章を生業にしている「私」は避暑地のK村に訪れます。
    後半そこである少女に出会い、小説のインスピレーションを受けるという内容で、説明してしまえはそれだけです。
    ただ、本作は起承転結を追うものではなく、主人公の心象を通した自然描写、作品内の空気の流れ、時間の流れ、あるいは停止を感じる作品だと思いました。
    ちなみに本作登場の少女は、同書収録の"風立ちぬ"でヒロインとして登場します。

    ・風立ちぬ ...
    こちらも"美しい村"と同じ感じの文調で、読みにくい部分があるのですが、"美しい村"で慣れたのか、結構すいすい読めました。
    堀辰雄の代表作として有名な作品で、氏の私小説と言っていい内容だと思います。

    信州長野の美しい高原に囲まれたサナトリウムがメインの舞台で、重い胸の病を患った婚約者「節子」との共同生活を描いた作品です。
    5章からなり、出会ったばかりの節子との日々から始まり、結核が重くなりサナトリウムに入院して主人公も側室に止まることになり、病が進行し、そして。
    ラストは静かな残心が感じられ、タイトルの元になったヴァレリーの詩「Le vent se lève, il faut tenter de vivre.」に込められた思いが、痛切に感じられました。

    "美しい村"は読むのに苦心しましたが、本作を楽しむために是非、"美しい村"から読んでほしいと思いました。

  • 「 美しい村 」で描かれるのはK村とされる。軽井沢らしい。物語の起伏らしきものはほぼ無く、風景や季節が淡々と描かれるのだが、それだけでも読ませる。高原や林の小径を辿ってゆく道行き。風や雲、霧、夕暮れの空。野薔薇などの草花。そうしたものの素描。されどなんだか味わいがあり、心地よくもあるのだ。

    「 風立ちぬ 」は八ヶ岳山麓のサナトリウムが主な舞台。フィアンセの節子が肺病を病み、高原の施設で長期療養をしている。自分は、彼女に付き添っている。「 美しき村 」と同じく、雲が流れゆく高原の空や、夜半の雨 といったことが丁寧に静かに描かれる。節子の病は回復する希望はない様子が伺える。だけども悲劇的な感じが強く刻まれることはなく、薄い死の気配が漂うのみである。終幕に際しても、彼女の死が明瞭に触れられることはない。

    高原の景色( 心象風景か )を 淡々と書き綴る洗練されたタッチは 欧州の小説を思わせる。先に 漱石や鴎外の小説で、本郷上野界隈を舞台とした作を続けて読んだこともあり、高原を舞台とした所収2作は新鮮であった。

    巻末の解説に以下の記述あり。「戦争末期の予備学生の九分九厘までが堀辰雄の愛読者だったと聞いた」。作品に通奏低音のように漂う死の気配が彼らの共感を読んだ、とする論である。
    ※ 1930年代後半の作品だという。

  • 美しい村の途中までしか読んでない

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/700894

  •  病に侵された筆者が山での暮らしで見た風景が、そのまま文章になっている。

     「死」という一貫したテーマの上で、静かに流れる男女の日々。はじまりからおわりまで、ずっと隣に居る「死」という存在。それはとても穏やかに二人を切り離す。

     生きねば。

  • 文章には書き手読み手の相性というか、合う合わないというのがあると思うけど、こんなに合わない文章を読んだのは久しぶりというくらい上滑りして頭に入ってこなかった。同じ一文を3,4回読んでも頭に入らないし心にも響かないので自分の感性を疑いたくなった。
    『美しい村』も『風立ちぬ』もどこかに小説のネタがないか、この体験をどういう風に作品に書こうか、という筆者の考えが前面に出ている感じがして、なんだか病気さえも小説の題材でしかないような印象を受けてしまった。残念。

  • 内的現実の世界が溶け込んだ風景と、めんどくさい性格。もしく愛と死。‏

    ”舞台となった軽井沢が彼の内的現実の世界へ溶け込んで”と解説に在りましたが、その通りだと思います。

    一冊を通して
    軽井沢の風景が、まるっと作者の心の中にとけ込んでいて、
    物語の中に、現実の世界の風景描写によって、主人公の心情が書かれてるように思いました。

    それが美しく、すばらしい作品でした。

    この文庫本は美しい村が先に収めらており、
    主人公の男性が書いた手紙から始まるのですが、

    その手紙の、
    人懐っこい、それでいてどこか強がっているような性格、自分勝手な内容と、丁寧な文面に惹かれて読み始めました。

    野薔薇と霧の中で少女の幻想を語ったかと思えば、
    元カノ(もしくはリア充の友人)に会いたくないがために遠回りをしたり

    美しい庭で美しい女性と運命的な出会いをしたかと思えば、
    デート中に「意地悪!」と子供みたいに言い合ったり、

    幻想的で美しい心理描写と、
    若者らしい、ちょっとめんどくさい性格(これが青春の美しさってやつ?)のコントラストが面白い作品でした。

    風立ちぬは
    ”死”というものがひとつのテーマとなっていますが
    死は日常として緩やかに持続しており、その中で、静かに愛情が語られています。
    静かにといっても淡々と悟りきったものではなく、
    幸せな生活の夢を見たり、自問自答したり、
    それを言っちゃだめだろ、、と思うような発言を口にしたり。

    苦悩の中での発見や、相手の存在を見つめ直していく姿と、
    そうした主人公を受け止めている病人の姿は、
    思いやりに溢れています。

    相手がそこにいるという幸せを噛み締める、目と目で見つめ合うだけの静かな愛情。
    そんな風に人を愛せるように、なってみたいものです。

  • サナトリウム文学って言葉を初めて知った。「風立ちぬ」は病気療養のため山の中の療養所(サナトリウム)で暮らす女性とその婚約者を描いた話(婚約者目線で書かれてて堀辰雄の実体験に基づくらしい)。こういうサナトリウムでの生活を描いた文学をサナトリウム文学っていうらしい。
    「風立ちぬ」。せつなーい。いかにも儚い。残された命をだいじにだいじに過ごす系の恋愛小説の原点か。これ自体細ーいガラス細工みたいな話だった。飛行機の話がいつ出てくるのかと思ったら出てこなかった。
    「美しい村」は、避暑地で、中学生みたいな主人公の男の人が小さいことで緊張したりどうしようとか思いながら過ごした日常の話、と受け取った。

  • 2014.1.4

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著者プロフィール

東京生まれ。第一高等学校時代、生涯親交の深かった神西清(ロシア文学者・小説家)と出会う。このころ、ツルゲーネフやハウプトマンの小説や戯曲、ショーペンハウアー、ニーチェなどの哲学書に接する。1923年、19歳のころに荻原朔太郎『青猫』を耽読し、大きな影響を受ける。同時期に室生犀星を知り、犀星の紹介で師・芥川龍之介と出会う。以後、軽井沢にいた芥川を訪ね、芥川の死後も度々軽井沢へ赴く。
1925年、東京帝国大学へ入学。田端にいた萩原朔太郎を訪問。翌年に中野重治、窪川鶴次郎らと雑誌『驢馬』を創刊。同誌に堀はアポリネールやコクトーの詩を訳して掲載し、自作の小品を発表。1927年に芥川が自殺し、翌年には自身も肋膜炎を患い、生死の境をさまよう。1930年、最初の作品集『不器用な天使』を改造社より刊行。同年「聖家族」を「改造」に発表。その後は病を患い入院と静養をくり返しながらも、「美しい村」「風立ちぬ」「菜穂子」と数々の名作をうみだす。その間、詩人・立原道造との出会い、また加藤多恵との結婚があった。1940年、前年に死去した立原が戯れに編んだ『堀辰雄詩集』を山本書店よりそのまま刊行し、墓前に捧げる。1953年、春先より喀血が続き、5月28日逝去。

「2022年 『木の十字架』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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