風立ちぬ・美しい村 (岩波文庫 緑 89-1)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (182ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003108918

感想・レビュー・書評

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  • 風立ちぬ
    後書きでやっと感動ができた感じ。
    確かに音楽のようだった、死というテーマで重低音がずっと続いていて、物語には大きな抑揚はなく、感情を抑えて淡々と続く。
    短調の美しいフーガみたい。
    死がテーマに選ばれているのに大袈裟に悲嘆に暮れるような場面はない。
    時代も違えば立場も違う、わたしは死に直面しているわけでもなく、周りも死に直面していないから登場人物の気持ちがわからないところも多く、理解できない文章もあった。

    美しい村
    文章がとても美しい、そこら辺のゴミさえ絵のように美しくしてしまうその文章に驚く。
    句読点の位置や単語の順序のせいか何度も読み返さないと理解しづらい文章が多い。
    ストーリーというストーリーは特にないまま終わった。

  • 「 美しい村 」で描かれるのはK村とされる。軽井沢らしい。物語の起伏らしきものはほぼ無く、風景や季節が淡々と描かれるのだが、それだけでも読ませる。高原や林の小径を辿ってゆく道行き。風や雲、霧、夕暮れの空。野薔薇などの草花。そうしたものの素描。されどなんだか味わいがあり、心地よくもあるのだ。

    「 風立ちぬ 」は八ヶ岳山麓のサナトリウムが主な舞台。フィアンセの節子が肺病を病み、高原の施設で長期療養をしている。自分は、彼女に付き添っている。「 美しき村 」と同じく、雲が流れゆく高原の空や、夜半の雨 といったことが丁寧に静かに描かれる。節子の病は回復する希望はない様子が伺える。だけども悲劇的な感じが強く刻まれることはなく、薄い死の気配が漂うのみである。終幕に際しても、彼女の死が明瞭に触れられることはない。

    高原の景色( 心象風景か )を 淡々と書き綴る洗練されたタッチは 欧州の小説を思わせる。先に 漱石や鴎外の小説で、本郷上野界隈を舞台とした作を続けて読んだこともあり、高原を舞台とした所収2作は新鮮であった。

    巻末の解説に以下の記述あり。「戦争末期の予備学生の九分九厘までが堀辰雄の愛読者だったと聞いた」。作品に通奏低音のように漂う死の気配が彼らの共感を読んだ、とする論である。
    ※ 1930年代後半の作品だという。

  • ザ・サナトリウム文学。
    堀辰雄は一文一文が長いね。

  • 2013.11.8読了。
    読んだのは改変版ではないやつだけど、登録は改変版しかできなかった…。
    美しい村も風立ちぬも描写はいいなあと思うけど、どちらも唐突に終わる気がする。文学作品は突然終わるのが主流なのかな?
    風立ちぬは切ないなぁ。結末がある意味確定してるから余計切ない。
    しかも心情とかは主人公側からの描写しかないから、節子が本当は何を思っていたのかがわからないのがまた切なさを助長させてるというか…

    にしても文学作品というより当時は言葉遣いが美しくていいなぁ。

  • ずっと前に買ってたけど、挫折してほってた本。妻・節子さんと私の物語。儚くてきれいだったった。

  • 映画の影響でとりあえず読んでみました。
    残念ながら、全部は読みませんでしたが、風立ちぬの話はなんとも切ない話でした。映画の原作かと思っていたので、多少残念ではありましたが、これはこれで結構な内容でした。

  • 「風立ちぬ・美しい村」堀辰雄
    サナトリウム文学。純白。
    @電子書籍 35 冊目。
    ※ブクログに登録がないため岩波文庫版にて登録。グーテンベルク21社配信。

    昨今のサナトリウム文学といわれるものは特にサナトリウムに限ったものではなくましてや大衆文学色が強いものも多いですが、
    堀辰雄はまさにサナトリウムにおける思慕愛を描いた文学の代表的作家で、本人も肺結核で亡くなっています。
    流々と穏やかな情景描写を下地に、「私」の想念のリアリズムが、
    よく言えば 綺麗な物語への没入感を印象させたし、
    悪く言えば くどくどしくて飽きた。
    …身も蓋もないですな。

    ただ、近頃の流行りのお涙小説とか、私小説・エッセイですらそうだけど、ああ書き手の思索のレベルが低いなーって感じること多々あると思うので、
    やはりいわゆる名作と呼ばれるような、文学的エリートが書いた文章に触れる経験は必要だな、と思います。(3)

  • 「……あなたはいつか自然なんぞが本当に美しいと思えるのは死んで行こうとする者の眼にだけだと仰しゃったことがあるでしょう。……私、あのときね、それを思い出したの。何だかあのときの美しさがそんな風に思われて……」「そうだ、おれはどうしてそいつに気がつかなかったのだろう?あのとき自然なんぞをあんなに美しいと思ったのはおれじゃないのだ。それはおれたちだったのだ。まぁ言って見れば、節子の魂がおれの眼を通して、そしてただおれの流儀で、夢みていただけなのだ。……それだのに、節子が自分の最後の瞬間のことを夢見ているとも知らないで、おれはおれで、勝手におれたちの長生きした時のことなんぞ考えていたなんて……」

著者プロフィール

東京生まれ。第一高等学校時代、生涯親交の深かった神西清(ロシア文学者・小説家)と出会う。このころ、ツルゲーネフやハウプトマンの小説や戯曲、ショーペンハウアー、ニーチェなどの哲学書に接する。1923年、19歳のころに荻原朔太郎『青猫』を耽読し、大きな影響を受ける。同時期に室生犀星を知り、犀星の紹介で師・芥川龍之介と出会う。以後、軽井沢にいた芥川を訪ね、芥川の死後も度々軽井沢へ赴く。
1925年、東京帝国大学へ入学。田端にいた萩原朔太郎を訪問。翌年に中野重治、窪川鶴次郎らと雑誌『驢馬』を創刊。同誌に堀はアポリネールやコクトーの詩を訳して掲載し、自作の小品を発表。1927年に芥川が自殺し、翌年には自身も肋膜炎を患い、生死の境をさまよう。1930年、最初の作品集『不器用な天使』を改造社より刊行。同年「聖家族」を「改造」に発表。その後は病を患い入院と静養をくり返しながらも、「美しい村」「風立ちぬ」「菜穂子」と数々の名作をうみだす。その間、詩人・立原道造との出会い、また加藤多恵との結婚があった。1940年、前年に死去した立原が戯れに編んだ『堀辰雄詩集』を山本書店よりそのまま刊行し、墓前に捧げる。1953年、春先より喀血が続き、5月28日逝去。

「2022年 『木の十字架』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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