菜穂子―他五編 (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003108925

感想・レビュー・書評

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  • 初期の作品『ルーベンスの偽画』『聖家族』『快復期』と晩年の作品『楡の家』『菜穂子』『ふるさとびと』の六篇を収録。
    初期の三作は以前、図書館からお借りした全集か何かで読んだので、再読はまたの機会に。今回読んだのは晩年の三作。

    『楡の家』
    『菜穂子』の序章部分に当たり、夫を亡くした夫人が娘・菜穂子へ思いの丈を綴った日記を残す話である。母として、同じ女性として、一個の人間として自身の心持ちが孤独感と共に静かに伝わって来る。文中のいたる所に<母と娘>の難しい関係性を感じ、双方の感情の対峙が感慨深い。

    『菜穂子』
    『楡の家』で結婚に対して母(夫人)と異なった意思を持ち、半ば反対を押し切る様な形で黒川という男と一緒になった菜穂子に焦点を当てた話。
    結婚後の菜穂子の空虚さ、孤独感が全体を通して漂う。『楡の家』での菜穂子の勝気さがここではすっかり失われている。だが、時折自身や菜穂子と関わりがあった人々の回想にその姿が鮮やかに甦る。年月の儚さを感じつつ、病を患ってからの生の輝きと自身の人生の再生に希望を見る菜穂子の静かな心の動きに胸が満たされた。
    今まで読んだ堀辰雄の作品は、叙情的な雰囲気に流されがちになるのだが、この『菜穂子』はちょっと趣きが違う。
    『覚書』を読んでそれに納得した。

    『ふるさとびと』
    前二作にも登場する田舎の女性・おようを描いた作品。
    おようのちゃきちゃきした様子と、不遇な出来事に対する悲しみが表現されている。どこか単調で骨格止まりで終わってしまった感がある。一つの完成された話として読めなかったのは残念。

    堀辰雄の風景描写は本当に繊細で美しい。私は行ったことは無いが、勝手に想像する話の舞台になった追分や軽井沢やその周辺の村々のイメージがそのまんま裏切ることなく脳裏に映し出され、読んでいて風も土地の匂いも陽光の具合さえ感じられる。恰も現地に居る様な錯覚がする。
    避暑地の賑わいも、一転して静かさの中にある村外れの情景も、堀辰雄にとっては幾度の病気療養と執筆活動に欠かせない物となっていたのが想像できる。
    堀辰雄全集が益々欲しくなって来た。

  • 「風立ちぬ」が儚く美しい恋愛ものだとすれば、今作はよりリアルな生の不安と幽かな愛の香りが描かれた作品だと思う。息苦しくなるほどの切実さのこもった生の実感の希求、人との関係に付き纏う孤独。菜穂子に惹かれるのと同じだけ、彼女のまなざしに対して嫌悪も感じられた。

    夫と姑と別れ、高原のサナトリウムで一人過ごしながら、全てから解放された時間をある種しあわせと感じ、半分枯れたままで立ち続ける木に自分の姿を重ねる…。そんな菜穂子と、彼女の幼なじみで病をおして一人あてのない旅に出る明が”不しあわせ”で愛おしくて最後の方はたまらず涙が出そうになった。

    病んでいる人間だけが見ることのできる世界があって、特に病んだ人が不思議なエネルギーを発揮する話が好き。その点今回、梶井基次郎の作品と似た要素を感じたんだけど、梶井作品が「自分一人の世界の本能的な行動」のようであるのに対して、こちらは「人とのつながりから切り離せない衝動」なんだ。

  • 全編を通して孤独感の漂う内省的な短編集。
    人と交わる事にかえって孤独を募らせる人々が、信州のある寂れた村を中心に過去を省みつつ、日々を暮らしている。
    夫婦、親子、近しい人といえども他人には自分の心の奥底で考えていることは決してわかることはないという絶望のような諦観は、甘美な毒のようでもある。
    この村の打ち捨てられたような寂寥感が、孤独をよりいっそう際立たせている。

  •  『菜穂子』を読んだが、これは晩年の堀辰雄の最高傑作であると思う。まず、主人公が2人いる。

     1人目は菜穂子。菜穂子は母に言われるがままに結婚をし、満足していた。ところが、やがて母亡き後、自分自身を見つめ直し、望んでいた生活ではなかったと悟る。そのためか体調を崩し、幼い頃過ごした信州・八ヶ岳近くにある療養所に入院する。その入院生活の中で、新しい活路を見出そうとする菜穂子。その菜穂子の元に、ある日幼少を共に過ごした都筑明が蒼白な顔でやってきて・・・。
     結局、何かを変えるために行動しなければ、と思った菜穂子は単身、ついに療養所を飛び出すのだが・・・。

     2人目は都筑明。明は建築事務所に勤めていた。ある日、銀座の雑踏を歩いていると、幼い頃、一緒に信州のO村(追分村)で余暇を過ごした菜穂子と、その夫である黒川圭介と偶然、擦れ違う。それからというもの、菜穂子のことばかりが胸をよぎり、何も仕事が手につかなくなった明は、ついに仕事を休職する。そして明は単身、幼い頃を過ごした信州へ旅立つのだが・・・。

     堀辰雄を「リルケやプルーストの猿真似だ」「実経験を伴っていないし、病弱者が好みそうな弱々しい文学」という文学者がいるが、そんなことはどうでもいいように思う。その物語に何かを感じることができるかが問題なわけであるように思うが・・・。

  • 堀辰雄の初期と、晩年の作品が収録された短編集。
    初期の作品として、氏の処女作"ルウベンスの偽画"と、文壇に評価されるきっかけとなった"聖家族"とその後に執筆された"恢復期"、そして、晩年の長編小説"菜穂子"が収録されています。

    "ルウベンスの偽画"から"恢復期"は1927年から1931年の作品、一方で"菜穂子"は1941年の作品なので、発表時期が全く異なり、2つの間に、"美しい村"と"風立ちぬ"という、堀辰雄の代表作が挟まります。
    堀辰雄は"聖家族"執筆後に喀血し、サナトリウムに入ってヨーロッパ文学に触れ、その後の作品に大きく影響しました。
    氏はそれ以前にも、元々ヨーロッパ文学に傾倒していたのですが、やはり、サナトリウムに入る前と後では文体等の違いを感じます。
    "美しい村"と"風立ちぬ"の2作品を先に読んでいたのですが、この2作は、明らかに何かしらに影響を受けたのであろう文章となっていて、私的には本書収録の3作のほうが読みやすいと感じました。
    ジブリ映画の影響で知名度的には圧倒的に"風立ちぬ"の方が高いのですが、"風立ちぬ"は難しい堀辰雄作品の中でも特に読みにくい一作と思うので、堀辰雄を読むのであれば本作からの方がおすすめです。

    なお、晩年に描かれた"菜穂子"は、また文体がガラリと変わっていて驚きました。
    堀辰雄氏は"菜穂子"完結から程無くして病臥生活に入り、そのまま若くして永眠しました。
    自分の文章を保ちながら進化し続けていた作家という印象です。
    もっと生きていればどういった作品を書いていたのかと思うと、残念に思います。

    収録されている各作品の感想は以下です。

    ・ルウベンスの偽画 ...
    堀辰雄作品は、その舞台として軽井沢が頻繁に登場しますが、本作はその走りになった作品。
    室生犀星に伴われて初めて訪れた軽井沢は、当時、日本でありながら、異国情緒な雰囲気を伴った不思議な場所として、堀辰雄の脳裏に深く刻みつけられたのだろうと思います。
    氏の軽井沢での日々を元に記された短編で、本作に登場する「お嬢さん」は、堀辰雄が恋心を抱いていた『片山総子』がモデルと言われています。
    密かに"ルウベンスの偽画"と呼んでいた、片思いの「彼女」とのある一幕を描いた作品で、読みやすい作品ではないですが、爽やかな風が吹き抜けるような、淡く美しい物語でした。

    ・聖家族 ...
    "ルウベンスの偽画"発表後、『芥川龍之介の自死』に大きく衝撃を受けた堀辰雄が、その死をモチーフに書いた作品。
    主人公の「河野扁理」は堀辰雄、物語開始時点で死亡している「九鬼」という男は芥川龍之介、そして、九鬼の恋人「細木夫人」は片山広子で、その娘「絹子」のモデルは片山総子と言われています。
    片山広子・総子の母子は、前作"ルウベンスの偽画"でも登場人物のモデルとして登場していて、"ルウベンスの偽画"は本作の序章的位置づけとされています。
    九鬼の死を中心とした三人の心理描写は、堀辰雄のラディゲやコクトーの分析手法を取り入れて描かれており、文学的に重要な位置づけにある作品です。
    本作も読みにくい作品ですが、新心理主義らしく3名の心の機微が鮮やかに描かれる名作です。

    ・恢復期 ...
    "聖家族"執筆後、喀血しサナトリウムに入り、安静状態となった堀辰雄が、療養先の軽井沢にて執筆した短編。
    病気中の孤独や幻覚、病の苦しみに悩まされる様を描いた作品で、途中、タイトルの通り恢復してくるのですが、闘病中の堀辰雄がなんとか執筆して生み出した、痛々しい内容と感じました。
    ちょうど"聖家族"と"新しい村"の間に書かれた作品で、堀辰雄氏の文学活動、及び彼の考えを追うには必要な必読な作品だと思います。

    ・楡の家 ...
    長編作品"菜穂子"のプロローグにあたる作品。
    日記形式の作品で、「私」こと三村夫人が、娘の菜穂子に宛てたという設定です。
    なお、三村夫人のモデルは片山広子、その恋人「森於菟彦」のモデルは芥川龍之介のようです。
    三村夫人と森の出会いや経緯が語られると共に、娘の菜穂子に対する感情が書かれていて、過去作同様、起伏があまりない一方で、感情の機微にスポットをあてた内容となっています。

    ・菜穂子 ...
    "菜穂子"は、"楡の家"でも出てきた「菜穂子」を主人公にした小説で、本作と"楡の家"を合わせて"菜穂子"という長編小説となっています。
    なお、"菜穂子"は堀辰雄の唯一の長編小説で、また、長編小説は、病に苦しむ堀辰雄の目指していた形態でした。
    氏は本作を書き終えた後、様態が悪化し命を失ったので、本作はまさに氏の集大成というべき作品だと思います。
    新心理主義的なポジションから、登場人物の心象風景、意識の流れを書いてきた堀辰雄ですが、本作は他と比較するとかなり小説らしい作品と思います。
    かなり読みやすいですが、一方で、堀辰雄らしい記述が薄いので、本作だけを読んで堀辰雄は語れないと思います。
    また、小説として読みやすい形になっているため、本作は特に徒然とした印象あり、テーマが薄れてしまっていると感じました。
    他の作品よりはスラスラ読めるのですが、登場人物の動きが写実的で、その行動の意図がわかりづらくなってしまっているのが残念なところですね。

    ただ、本作で描かれる菜穂子の行動、心理は、なんとも筆舌に尽くし難いところがあります。
    地獄の縁で絶望しながら、なんとなく生きる方向で動いてみているような。
    "ルウベンスの偽画"から始まり、氏の生き方を辿るように読んできましたが、その晩年の作品として出したものが"菜穂子"であるということは興味深いです。
    とはいえ、飛ばしているものもあるので、堀辰雄の他の作品を読んだ上で本作を読むと、また違う感覚を覚えそうにも思います。

    ・ふるさとびと ...
    "菜穂子"に登場した、菜穂子の幼馴染「都築明」が懇意にしている牡丹屋の「およう」を中心とした挿話。
    "楡の家"、"菜穂子"の舞台となった、長野県追分村が舞台になっていて、実際の追分には牡丹屋のモデルとなった旅館が存在します。
    おようの生い立ちや苦労が書かれた内容で、その村の田舎娘が鮮明に描かれています。
    本作も文体は読みやすい上、短編ということもあって楽しく読めました。

  • 堀自身が述べるように「粗描」に終わった菜穂子編であるが、その一群の短・長編には作家の強い強い「浪漫」への意気が読み取れる。

    しかし、これほどの作家が成し遂げえなかった「複層的な物語を紡ぐ」という試みを、現代において何遍も成功させている幾人かの著者たちは、いったいどういう天恵を帯びているのだろうか。

  • こういう、ロマンティックな生き方も良いかもしれない。でも、生きることそのものがロマンなのかもしれない。

  • デビューから一貫しているのは、この人の読者を信頼しているスタンス。キザにも見えるかもしれないが、この人の追い求めている美しさにそれ以上の言葉は蛇足になるから。複雑な感情を表現できているのがすごい。しかし正直カゼタチヌほどの衝撃はない。でもたくさん刺激を受ける、言葉が作っていく世界が胸をかきむしる…

  • 『風立ちぬ』の解説を読み興味を覚え読んでみた。本書の『ルーベンスの偽画』、『聖家族』、『楡の家』はいずれも堀辰夫が実在の母娘との交流をもとに書かれた作品。そして『楡の家』の続編として『菜穂子』と『ふるさとびと』が書かれた。

    『楡の家』は母と娘の不和をテーマとしている。母の相手には若すぎ、娘の相手には年上すぎる若者が表れたことで母娘間に何かしら不協和音が生じる。子どもが子どもである頃は本能で親を見るため関係はスムーズに行く。しかし子どもが大人になり1個の人格を持つようになるとそれまでのようにはいかなくなる。

    三村夫人は傍から見たら仲がよさそうな親子が実は違い、そのことで始終悩んでいるなんて誰も思わないだろう。村の人達みたいに単純でいられたらと思う。しかしそれは彼女の思い上がりで、貧しい人達だって悩みはそれぞれにある。ただ日々の生活に追われると、そういった事柄にいちいち構ってはいられなくなる。有閑マダムであるために感じているに過ぎない。

    自分よりもだいぶ年下の男から慕われ、とまどいながらも心の片隅に大切にしまっておくような可愛らしさのある母。一方娘の菜穂子は可愛げのないつまらない女だ。三村夫人にとって結婚は、娘を外交官にしたいと願う親から逃げるいい口実だった。夫人は菜穂子には何も押し付けはしなかったけれど、菜穂子は母の作りだした空間から逃れるために結婚する。この時代の女性は自由を得るために結婚したのかもしれない。

    『菜穂子』は結婚後の菜穂子の様子と、対比するように彼女の幼馴染・明と長野のおよう母娘との交流などが書かれている。うつうつとした話ではあるが、最後にぼんやりと光が見える。

    『ふるさとびと』は長野の別荘付近に暮らすおようの物語。おようは落ちぶれてはいるものの由緒ある本陣の血筋の娘。新進のホテルの息子の嫁にと迎えられたが、お産で里帰りしたきり婚家へは帰らなかった。彼女も三村親子のように積極的に幸せになろうとはしない。しかし不幸は頑なに遠ざける。少しだけ現代の女性に近いかもしれない。

    現代の人はそれそれ自分が幸せになることを願って生きているような気がする。そんな中、もしかしたら菜穂子のように幸とか不幸とか考えずに暮らしている人もいるかもしれない。昔の話、といってもたかだか戦前、100年も違わない。

    数年ぶりに本格的な文学に触れた。こういうものも読まなくてはいけないなと痛感した。

  • 「風邪立ちぬ」のもとになってると知って読んだ。

    お母さんが結核で亡くなり、菜穂子も同じ病気になる。菜穂子は親からあまりよく思われていない相手と結婚し、あんまり幸せな生活を送れていない。姑とも上手くいってない。旦那が身長が自分より低くて気軽に付き合えた相手だったけど、お互い思い合う事ができなくなった。ある日旦那と一緒に歩いているところを菜穂子に思いを寄せる明に見られる。

    明さんとのことが無かったら最後まで読めなかっただろうと思う。陰々滅々とした気分になった。しばらく暗い話は読まなくていい。

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著者プロフィール

ほり・たつお
1904(明治37年)~1953(昭和28年)、日本の小説家。
代表作に
『風立ちぬ』『美しい村』『菜穂子』『大和路』など多数。

「2017年 『羽ばたき 堀辰雄 初期ファンタジー傑作集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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