富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003109014

感想・レビュー・書評

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  • 国語の教科書に一部のっとった走れメロスしか、今の今まで読んだことなかった太宰治の作品。
    それ以前に太宰治がまさか戦後まで生きとった人やったってのも知らんかった。
    (無知ですみません。)
    この小説にのっとったすべての作品、読み終わった今でもイメージがすぐ浮かんでくるいうことは、きっと面白く読めたんやと思う。
    でもそれ以上に太宰治の人生にびっくりさせられっぱなしで(最後の東京八景にて)、それどころでなくなってもうた。

  • 申し上げます。申し上げます。だんなさま。あの人は、ひどい。ひどい。

    資料ID:C0030623
    配架場所:2F文庫書架

  • 斜陽? 人間失格? 知らん。

    太宰はやっぱ短篇だよね。

    「女生徒」のすごさ。その現代性。十分に今この時代の小説として読むことができる。
    小気味よい、よく練られた彼の文章は、音楽にたとえればプログレではなくポップスだ。

  • 太宰の私小説にしては、生きることの後ろめたさを感じさせない「富嶽百景」。むしろさわやか。
    富士と戯れる太宰が描かれる。ときに俗な書き割りだと罵り、ときにその存在に感服し、ときに月見草と並置する。
    なんだかんだ言っても、富士に惹かれる己を認められないのでしょうね。

  • 『富嶽百景』
    富士山について書かれたエッセイ。
    富士山の姿が美しいっていう風に書かれているものは多いと思うのですが、
    これはそれだけではない作品でした。
    冒頭から、絵に描かれている富士山は実際とは違う、
    絵よりももっと不格好だ、と述べています。
    それだけで続きを読んでみたくなってパラパラ読みました。
    描写が素敵ですね。
    ひたすら富士山の様子が書かれていました。

    『女生徒』
    ある女生徒の1日を描いた小説です。
    彼女が置かれている状況についての説明は一切ないから、
    読んで推測していくしかないんだけど、
    そういう方が描き方としてはきれいなのかもしれませんね。
    説明がない分、彼女の視点から書かれている世界の様子を想像してしまいました。
    それにしても、異性を主人公にしても違和感がないのはすごいですよね。
    なんか、この感覚わかるなぁって共感する部分が結構ありました。

    『きりぎりす』
    これも女の人の視点から語られる物語です。
    彼女は親類の反対を押し切って貧乏なけれど才能があると直感した画家と結婚し、
    彼はだんだんと成功していって、それにともなって態度が変化していく様子を綴っています。
    お金なんかいらないの、あなたはいい絵を描いていればそれでいいの、
    こういう部分ってきっと太宰らしい感覚なのかなと思いました。
    太宰ってすごくいいお家のお坊ちゃんですよね?
    貧乏なお家で育ってたら、こういうことは考えないだろうなと思います。

    『東京八景』
    太宰治の東京に住んでいたころのことを書いた作品です。
    自分のことを書いているんですが、エッセイではないです。小説だなと思いました。
    作品の中で『晩年』を執筆した時の様子も書かれています。
    これを読んでから『晩年』を読むと、また味わいも違うでしょうね。
    彼はどういう状況にいて、どういう心境で書いたのか。
    読みながら『晩年』の中に収められた作品のことも考えていました。
    最後の場面がすごく印象的でよかったです。

  • [13][130530] ひとに送るついでに再読。『女生徒』『富岳百景』『駆け込み訴え』が相変わらず好き。

  • 太宰作品おもしろい

  • 「女生徒」のむしりとりたい草とそっと残しておきたい草があるのはどうしてかという件が好き。

  • 以下引用。 

     ことし、はじめて、キュウリをたべる。キュウリの青さから、夏が来る。五月のキュウリの青みには、胸がカラッポになるような、うずくような、くすぐったいような悲しさがある。(「女生徒」p.84)

    私がいま、このうちの誰かひとりに、にっこり笑って見せると、たったそれだけで私は、ずるずる引きずられて、その人と結婚しなければならぬ破目におちるかも知れないのだ。女は、自分の運命を決するのに、微笑一つでたくさんなのだ。おそろしい。不思議なくらいだ。気をつけよう。(「女生徒」p.92)

    金魚をいじったあとの、あのたまらない生臭さが、自分のからだいっぱいにしみついているようで、洗っても、洗っても、落ちないようで、こうして一日一日、自分も雌の体臭を発散させるようになって行くのかと思えば、また、思い当ることもあるので、いっそこのまま、少女のままで死にたくなる。ふと、病気になりたく思う。うんと重い病気になって、汗を滝のように流して細く瘦せたら、私も、すっきり清浄になれるかも知れない。(「女生徒」p.99)

    ロココという言葉を、こないだ辞典でしらべてみたら、華麗のみにて内容空疎の装飾様式、と定義されていたので笑っちゃった。名答である。美しさに内容なんてあってたまるものか。純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。(「女生徒」p.108)

     おふろがわいた。おふろ場に電燈をつけて、着物を脱ぎ、窓をいっぱいに開け放してから、ひっそりお風呂にひたる。珊瑚樹の青い葉が窓からのぞいていて、一枚一枚の葉が、電燈の光を受けて、強く輝いている。空には星がキラキラ。なんど見直しても、キラキラ。仰向いたまま、うっとりしていると、自分のからだのほの白さが、わざと見ないのだが、それでも、ぼんやり感じられ、視野のどこかに、ちゃんとはいっている。なお、黙っていると、小さい時の白さと違うように思われて来る。いたたまらない。肉体が、自分の気持と関係なく、ひとりでに成長して行くのが、たまらなく、困惑する。めきめきと、おとなになってしまう自分を、どうすることもできなく、悲しい。なりゆきにまかせて、じっとして、自分の大人になって行くのを見ているよりしかたがないのだろうか。いつまでも、お人形みたいなからだでいたい。お湯をじゃぶじゃぶかきまわして、子供のふりをしてみても、なんとなく気が重い。(「女生徒」p.115)

    私たちみんなの苦しみを、ほんとにだれも知らないのだもの。いまに大人になってしまえば、私たちの苦しさわびしさは、おかしなものだった、となんでもなく追憶できるようになるかもしれないのだけれど、けれども、その大人になりきるまでの、この長いいやな期間を、どうして暮らしていったらいいのだろう。だれも教えてはくれないのだ。ほっておくよりしようのない、ハシカみたいな病気なのかしら。でも、ハシカで死ぬる人もあるし、ハシカで目のつぶれる人だってあるのだ。ほうっておくのは、いけないことだ。私たち、こんなに毎日、鬱々したり、かっとなったり、そのうちには、踏みはずし、うんと堕落して取りかえしのつかないからだになってしまって一生をめちゃめちゃに送る人だってあるのだ。また、ひと思いに自殺してしまう人だってあるのだ。そうなってしまってから、世の中のひとたちが、ああ、もう少し生きていたらわかることなのに、もう少し大人になったら、自然とわかって来ることなのにと、どんなにくやしがったって、その当人にしてみれば、苦しくて苦しくて、それでも、やっとそこまで堪えて、何か世の中から聞こう聞こうと懸命に耳をすましていても、やっぱり、何かあたりさわりのない教訓を繰り返して、まあ、まあと、なだめるばかりで、私たち、いつまでも、恥ずかしいスッポカシをくっているのだ。私たちは、決して刹那主義ではないけれども、あんまり遠くの山を指さして、あそこまで行けば見はらしがいい、と、それは、きっとそのとおりで、みじんもうそのないことは、わかっているのだけれど、現在こんな激しい腹痛を起しているのに、その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして、ただ、さあさあ、もう少しのがまんだ、あの山の頂上まで行けば、しめたものだ、とただ、そのことばかり教えている。きっと、だれかが間違っている。わるいのは、あなただ。(「女生徒」p.122~123)

     あすもまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。(中略)幸福は一夜おくれて来る。ぼんやり、そんな言葉を思い出す。幸福を待って待って、とうとう堪え切れずに家を飛び出してしまって、そのあくる日に、すばらしい幸福の知らせが、捨てた家を訪れたが、もうおそかった。幸福は一夜おくれて来る。幸福は、――(「女生徒」p.124)


    人間のプライドの窮極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。(「東京八景」p.243)

  • 富嶽百景!すき!

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著者プロフィール

1909年〈明治42年〉6月19日-1948年〈昭和23年〉6月13日)は、日本の小説家。本名は津島 修治。1930年東京大学仏文科に入学、中退。
自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、戦前から戦後にかけて作品を次々に発表した。主な作品に「走れメロス」「お伽草子」「人間失格」がある。没落した華族の女性を主人公にした「斜陽」はベストセラーとなる。典型的な自己破滅型の私小説作家であった。1948年6月13日に愛人であった山崎富栄と玉川上水で入水自殺。

「2022年 『太宰治大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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