斜陽 他一篇 (岩波文庫 緑 90-3)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003109038

作品紹介・あらすじ

敗戦直後の没落貴族の家庭にあって、恋と革命に生きようとする娘かず子、「最後の貴婦人」の気品をたもつ母、破滅にむかって突き進む弟直治。滅びゆくものの哀しくも美しい姿を描いた『斜陽』は、昭和22年発表されるや爆発的人気を呼び、「斜陽族」という言葉さえ生み出した。同時期の短篇『おさん』を併収。

感想・レビュー・書評

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  • 敗戦後に没落貴族になってしまった、ある家族の
    お話で、健気に生きていく家族たちの日常を上手に描いている。かつての栄光が、廃れていくその
    環境でどう生きるのか、10年前に父を亡くし、東京から伊豆の山荘に母と慎ましく生活している娘のかず子、彼女は、恋と革命に生きようとしている。南方の方に出兵して、消息不明となっていた弟の直治、何とか生きて帰還することができた彼だったが、彼もまた、阿片に取り憑かれ破滅に進んでいく。母も結核に罹り、かず子一人が家族を支えている状況だ。
    そんなかず子の前に一人の男が現れる。直治が
    東京で知り合った作家の上原だった。
    彼に出会いかず子の中で、恋の革命が始まろうとしていた。戦後爆発的人気を呼び、「斜陽族」という言葉さえ生み出した、著者の代表作。
    かず子のモデルになった人物も有名で、まさしく
    太宰治自身がこの作品の登場人物なのです。
    私小説に触れた最初の一冊でした。

  • 日本が大きく転換することになった太平洋戦争敗戦。その中で貴族の生まれであるかず子を中心とした4人が没落していく物語。

    感想を考えていく中で、4人だけでなく本に出てくる登場人物全員が“道徳の過渡期の犠牲者”では無いだろうか。と思いました。

    貴族として生まれたことに苦しみ生きていくことに絶望した直治と、恋と革命のため世間と争っていくことを決めたかず子。2人の違いはなにか。
    直治はどうしても抜け切ることの出来ない貴族としての自分と、下品な民衆になりきろうとする自分の乖離に苦しむ。しかし、かず子はその相反する性質を母の死と同時に苦しみながらも受け入れ、闘うことを決める。没落していく中での生きるものと死ぬものの違いがすごく印象に残りました。
    個人的に直治の遺書がすごくよかったです。直治の遺書の生きる権利があるなら死ぬ権利もあるは今の安楽死にも通じる部分だなと感じました。そして、“人間は、みな、同じものだ。”の解釈にはハッとさせられました。

    個人的に、かず子の世間知らずな感じや悲劇のヒロインチックな考え方の描写がなんだかすごく好きでした。

  • 昔読んだ時にえらく感動した記憶があったけど何に感動したのか忘れたので再読。
    敗戦後の没落貴族の一家。貴婦人のたたずまいを保ちつづける母、その娘のかず子は離婚した出戻り娘。減っていく財産のために山荘に移り住む母娘。金はないが心穏やかに母とつつましく暮らすかず子だったが、戦地から帰省した弟の直治が麻薬やら酒やらに溺れる退廃ぶりの上に、母は病気がちになり……。

    前半は、母がいかに可愛らしい貴婦人であるかということと、母娘の共依存的な関係が描かれる。貴族だけあってなかなか優雅な暮らしっぷり(縁側で編み物とか……働いてない……お金ないのに……)。そこに弟の直治登場。これが太宰っぽい男で退廃的、浪費家、でもママのことは好きな坊っちゃん。酒場には太宰お得意のダメ男達と、ダメ男に寛容すぎる女達が出てくる。
    で、中盤あたりからはかず子の恋に話が移って、『人間は恋と革命のために生れて来たのだ』と、まるで恋に盲目すぎてイタい女の主張みたいな文章が出てくるのだが、最後まで読むと、このフレーズが泣ける。
    戦争が終わり、世の中の価値観がひっくり返っていく中で、生活は貧しくなるけれども貴族精神は捨てられず、周囲に対応できず、そんな中で『恋』に身をやつす。相手がどうとかじゃなく、恋をして赤ん坊を産み育てる生き方に価値を見出す。……って感じで、まぁそういう生き方もあるわなぁと思いながら読んでいたら、最後の最後で泣かされました。直治……!
    世間に負けた直治。
    自分の赤ん坊を、直治が恋をして産ませた不義の子と言いたいかず子。
    『恋』は世間への抵抗であり、革命だったのですね。

  • めちゃくちゃ好きな作品になった。

    私も父を早くに亡くしている。弟ではないが兄がいる。
    もちろん母親と二人で暮らしていた時期もあったし、裕福な家庭でもなかった。
    心境が似ていたのでボロボロ涙が出た。

    いつか親は死ぬものだが、母親が死ぬとわかっていて読み進めるのは凄く辛かった。
    弟何してんねんとか思ったけど、最後の遺書を見てめちゃくちゃ泣いた。
    一人称が僕は…になっているのが印象的だった。
    最後の弟の遺書が全てだと思う。

    人生は恋と革命という長女のたくましさは凄いと思った。
    やはり絶望的な場面において、そこから這い上がる考えに切り替えることは大事だ。
    例え良くない恋愛の形だったとしても希望を持つのは大事だよなあと思う。
    奥さんからしたらたまったもんじゃないと思うけど…。

    作品を読んで好きな文がたくさんあるので書き残しておきます。



    夏の花が好きな人は夏に死ぬ。

    姉さん、僕たちは貧乏になってしまいました。

    人間は生きる権利があると同様に、死ぬ権利もある筈です。

    いつもくらくらとめまいをしていなければならなかったのです。

    結局、僕の死は自然死です。人は、思想だけでは、死ねるもんではないんですから。

  • 没落貴族の緩慢かつ甘美な破滅を母、かず子、直治、上原の四人の人生を通して描いた作品。かず子の激情(「私の胸の虹は、炎の橋です。」こんなにも激しい恋心があるだろうか)にも上原の刹那的な生き方にも心惹かれる部分はあるが一番共感できたのは直治。
    悩みがないのが唯一の悩みなんていう歌詞がどっかにあった気がするけど突き詰めていけば直治のように素面では生きていけなくなって、アヘンとかに手を出してしまうんだろう。いつもクラクラとめまいをして、凶暴になって民衆と共に輪に入れて欲しいけど直治が纏う貴族の雰囲気を民衆は好まない。かといって上流社会に今更戻るのも願い下げ。快楽のインポテンツに成り果てた自分が最後に選んだのは自死の自由。クスリや酒で身をやつして死んでいくことすら自分に叶わぬと知った直治が自死を選んだことこそ貴族のプライドだろう。
    粗暴な直治がただ一人母だけは悲しませぬと誓って、自殺を思いとどまっていたのがあまりにも哀しい。

  • 2016.2.16
    敗戦直後の没落貴族の家庭にあって、恋と革命に生きようとする娘かず子、「最後の貴婦人」の気品をたもつ母、破滅にむかって突き進む思うと直治。滅びゆくものの哀しくも美しい姿を描いた『斜陽』は、昭和22年発表されるや爆発的人気を呼び、「斜陽族」という言葉さえ生み出した。同時期の短編『おさん』を併収。(表紙より)

    斜陽、読了。太宰の作品は、走れメロスと人間失格が好きで、他はあまり読んだことがなかったが、改めて、太宰好きだなーと思えた作品。最初、かず子がボヤを起こした時の近所さんからの苦情?で、あんたらは2人してままごとしてるみたいな危なっかしい生活してるから、なんて愚痴愚痴言われてたけど、まさにそんな感じで、ヒヤヒヤさせられるような印象を受けた。本当に子供2人、分別だけ大人になって感受性や神経は子供のままの2人というか。そして直治が帰り、母は死に、かず子は戦闘開始である。直治の夕顔日誌は、中々ガツンとくるものがあった。「学問とは、虚栄の別名である。人間が人間でなくなろうとする努力である」(p.68)なんてのはもう、そうだよなぁ、そうなのかなぁ。確かにファウストも、散々英知を手に入れた末に、メフィストに、悪魔に魂を売って、盲目のまま墓穴を掘られてることも知らず、勘違いのまま死んだのだ。賢者の不幸の代わりに、愚者の幸福を手に入れた。我々は人間でなくなろうとする、人間であることは辛いからだ、しかし人間でないものにもなりきれず、また人間にもなりきれない。欲望によっては道徳に怯え、道徳によっては欲望に怯えるからである。そう考えたらデカダンも、直治も、人間か超人かの両極において、しっかり人間を生きたのではないだろうかとも思う。かず子は、もうこの物語の前半から、自分の生が腐っていく、穏やかな平和と幸福という虚偽と虚無に蝕まれていくことを感じていた。そして、本当の生を望み、「人間は恋と革命のために生れて来たのだ」(p.118)と結論づける。ロマンティックであり、破滅的である。恋のために、旧道徳を、良心を叩き折り、新たな価値観を、道徳を創る、それが革命だろう。結局、生きたかったのだ、2人とも。真に生きることとは、という問いから目を離せなかったのだと思う。だからこそ彼らの生は一見退廃的で破滅的で、それでいて迫るものを感じるし、美しいと感じるのだろう。私には無理である。私はほどよく苦しんでは欲望に怯えて道徳に逃げ、また虚しさを感じては道徳に怯えて欲望に逃げる人間である。どっちつかずであり、超人にも、デカダンにもなれない。強きものは、極を目指せるのだろう。弱きものは、半端にしか生きれない。真に生きるとは、と、ずっと考えてきたが、やはり放蕩というのはひとつの正解なのか。苦悩の放蕩が、人間の真の生なのか。でもそれって、あまりにも救いがなくないだろうか。また貴族を主人公としていて、現代日本において貴族なんてのはいないわけだけれども、生まれからかくあるべしを求められ、しかしその理想にたどり着けず、べき論が本質論に代わり、私はかくあるべきが、私はかくあるはずだ、に変わってしまった自己愛人間はこのご時世にもごまんと居る。自己愛人間。太宰の作品の歪みはここに始まっている気がするのは、彼自身がそうだったからだろうか。改めて、生きることを考えさせられる。ゆるい幸せは虚無であり、放蕩の快楽は地獄であり、道徳と欲望に引き裂かれ、壊しては作り壊しては作り、あるものは恋を、あるものは承認を求める。単なる満足では満たせない人間の欲望の深さに問題があるのだろうか。最近、酒に溺れるにも才能がいると思った。最近、哲学や道徳や思想があまり私を救ってくれないことを知った。堕落する強さも私にはなく、天上のイデアを目指すことにも満足できないのならば、私はどこを目指して生きればいいのだろうか。正しく生きるものには幸も不幸も薄味で、放蕩に生きるものには幸も不幸も濃厚なのか。濃厚な幸と、薄味の不幸を得るなんていう都合のいい人生は与えられないのか。そのくせして薄味の幸と濃厚な不幸が与えられる人生は存在する不条理は何か。いやそもそも生きることは不条理で、因果応報は人間の理想で、それでも生きるしかないのが人生か。または欲望と道徳に一生引き裂かれ続けろ、これが人間の宿命なのだろうか。人生観を揺すぶられた、私の中の革命の一冊。

    2016.2.16
    おさん読了。短かったしあっけなかったなー。語られていることは斜陽にも共通のものが多いというか。没落と、革命と、欲深き人と、正しい人と。夫の、なぜ正しい人はまっとうに生きていけるのか、というのは確かに思うところである。鈍感は幸福である。また革命に対しての解釈もより深まった。思えば私の人生も革命だった。今持っているものに満足できず、もっと何か、もっと私を幸福にしてくれる何かがあるはずだと、既存のものを破壊し、新しいものを手に入れようとし、しかし結局何も手に入らず、残ったのは戻れない過去と、何もない今と、それが革命ではないだろうか。得ようとして失うばかり、幸せを求めて不幸ばかり、そんな人が、そんな欲深い人が、破滅への道を歩むのだろう。鈍感は、欲浅きことは、幸福である。先日、沢木耕太郎の「無名」を読んだが、あの父のような生き方こそやはり幸福なのか。大人の生き方はやはり幸福で、子どもの青春は不幸か。それにも、それにもかかわらず、青春に美しさを、懐かしさを、甘苦しさを感じるのは何故か。心の平静を捨て忘我の快楽を夢見るのは何故か。私がまだ子供だからだろうか。斜陽と合わせて、生きることにつまづいた時に、これでいいのかと思ったときに、また読みたい。

  • 掲題作「斜陽」読みました。戦後の頽廃的なストーリー、ザ・太宰って感じ。一見まともに見えてどんどん堕ちていく(その自覚がナナメ45度)貴族の娘の姿が、ちょっとぞくっとする。弟の独白から結末に向かうラストスパートは、現代の文学的にもかっこいい!やはり太宰は時代の先を行ってたんだなあ。

  • 純文学が面白いと感じるのは、戦後の激動の社会という思想の分岐点に立った、自意識を際限なく言語化できる作家たちが、自らの苦悩と向き合ってるのが伝わるからだと思った。滅びる側か、徹底的な革命かに揺れ動く心情が、貴族の哀しい姿と百姓出身の上原との対比に描かれていることに(解説を読んで)気づいて納得した。病気で衰弱していく様子が心痛かった。

    かず子は恋に恋していて子供にこだわるのは自分たちの状況への当て付けだと思ってたけど、
    「『女がよい子を生む』ということは、どんな時代・社会にかかわらず、戦争や政治や貿易などといったあらゆる人為的なもの、幻想的なものの底にある“自然”である。彼女はむしろそこから「意味」に憑かれた世界を見返している」という解説を読んで、やっとかず子のどこか諦めかけた自嘲的な雰囲気の意味を理解した。

    まだ解説読んでやっと理解できること多いな。。

  • 斜陽:1947年(昭和22年)。
    xx年ぶりに再読して吃驚。こんなに面白い話だった? 文章キレイ…。”もうこのひとから離れまい”なんて陳腐な科白も、この文脈で使われると何故かゾクッとする。

  • 「しくじった、惚れちゃった」が太宰の本の中で一番好きな一言で、それを見るためだけに何周もしてしまう。話の流れもスムーズで読みやすく、太宰らしい内容で当時流行ったのがとても理解出来る。

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著者プロフィール

1909年〈明治42年〉6月19日-1948年〈昭和23年〉6月13日)は、日本の小説家。本名は津島 修治。1930年東京大学仏文科に入学、中退。
自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、戦前から戦後にかけて作品を次々に発表した。主な作品に「走れメロス」「お伽草子」「人間失格」がある。没落した華族の女性を主人公にした「斜陽」はベストセラーとなる。典型的な自己破滅型の私小説作家であった。1948年6月13日に愛人であった山崎富栄と玉川上水で入水自殺。

「2022年 『太宰治大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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