近代日本人の発想の諸形式 他四篇 (岩波文庫 緑 96-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003109618

感想・レビュー・書評

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  • 『チャタレイ夫人』の翻訳で有名な伊藤整の評論集。1950年代の5編が収められている。この時期の伊藤は、かなり有名だったようだ。

    様々な指摘が内包されているが、全体として、日本では登場人物が相互にエゴをぶつけ合うことでストーリーが展開するような小説が少ないということの論証に、主眼が置かれている。具体的には、オースティン『高慢と偏見』のような小説がないというのが、伊藤の問題意識だろう。類似の作品として、夏目漱石の『明暗』が高く評価されるが、漱石は『明暗』的世界の恐ろしさから逃れたいがため、則天去私を願ったと手厳しい(則天去私の意味をこう評価するのは、近年では少ないと思うが)。「音楽で言うと、日本には諸音の調和的構造なるハーモニイ形式がほとんどなく、メロディーの継起のみが主である」という結論は、伊藤の指摘が単に小説だけではなく、まさに日本社会における「発想」のあり方自体にも及ぶことを示唆していて、興味深い。

    一方で、西欧的な発想を全面的に肯定してはないのがまた、本書の特色。末尾の「近代日本における『愛』の虚偽」では、「他者との組み合わせのみに、善を見出し、孤独をゆるさぬ社会では、原子爆弾が作られ、人間の区別の撤廃という善の強制の共産主義社会を産み出した」と西欧的発想にも手厳しい。これは、西欧の愛が悪への執着と表裏一体であることへの指摘であり、また意味を理解することなく愛という言葉を乱用するようになった現代日本へのいら立ちである。

    伊藤によると、西欧的発想と、隠遁や調和を好む日本的発想との「いずれが人間をより平安に置く力が強いかは、まだ分かっていない」。今でも未解決の指摘ではないだろうか。

  • 『近代日本人の発想の諸形式』
    作家の人生から、その作品を見る。
    作家の生き方、作品と日本近代社会の関係を論じる。

    日本において、なぜに私小説が形成され、受け入れられたのかが、理解できた。

    『近代日本の作家の生活』
    明治初期から、どのような社会状況の中で作家が生活していたのかがわかる。

    『近代日本の作家の創作方法』
    従来の芸術至上主義と私小説を対立したものと見るのではなく、芸術至上主義の作家においては、作品の中で芸術至上主義を貫徹しようとしたのに対し、私小説では、作家の生活上で芸術至上主義を体現しようとしたと見る。

    『近代日本における『愛』の虚偽』
    司馬遼太郎の言うが如く、日本人には『愛』という観念はなく、恋や惚れたが存在する。
    その日本には存在しない愛という観念を作品内に織り込もうとした日本近代作家の不可能性を論じる。

    概して有意義な読書であった。

  • 近代日本人の発想の諸形式読んでると、近代作家の本を読みたくなる。全体を通して所々現代の普遍的な考え方と異なる点があるように感じるけど、それを含めて伊藤整自身が、執筆当時の日本社会をどのようにとらえていたのか知れて面白かった。

  • 西洋が封建主義社会を脱して個人主義に向う中で生れた浪漫主義文学は日本の明治の智識人の間に弘ったものの、日本では外側のみを摂り内側は省みなかった為に形式のみが先行して肝心の中身が伴わない虚な文学がずっと続いた。ではその中身とは何なのかという本質的問題をキレッキレの論評で暴き出しているのが本書に収録された論文。西洋はどこまで行っても基督教系の一神教を戴く民族であり思考にもその影響が色濃く影響を与えているが、西洋人の道徳観念は結局のところその神なくしては成り立たず、翻っていえばその神という絶対的な存在の力で現実的に無理難題としか思えない博愛主義を強制しているにすぎず、他人との接触を懼れまたそれ故に仁義や慈悲といった西洋の積極的愛に対する消極的な東洋思想を受容れた日本人は益々人間関係に対する消極主義を深めていたため、西洋の浪漫主義文学や自然主義文学を真に受容れ消化し血肉とすることができていない。しかし西洋の文文学はあくまでも西洋の文学であり東洋の一国としての日本における文学が西洋式をガムシャラに追い求める必要性ははなからなかった。産業革命の影響で発展した帝国主義によるアジア各国の植民地化や戦争、マルクスの共産革命から始まる世界中のドタバタ、これらはどれをとっても一神教を戴かないものはなく、世界の潮流に在ってその本質がみえないままに翻弄された日本人は日本古来の伝統文化や風習、思惟思考までも忘却して潮流に乗ろうとしたもののそれが結局拒否反応を起すことは当然の成り行きだった。人間関係への積極的関与は本来の日本人的思考とは相容れないものであるため古来からの消極的関与の中での人の在り方を深く掘り下げて考えるべきだ。内容としては大体こんな感じだと思う。

  • 新書文庫

  • 他のレビューである通り、最後の「愛について」が分かりやすく面白い。どこかで日本人の異性関係には「惚れる」はあるが「愛する」は無いという言葉を聞いた気がしたが、出典は伊藤整だったのですね。人と人との関係を信仰の無いままに愛と捉えることで、私たちは相手との距離感を大分見誤っている。
    論語の教えは如何に現実的なことだろうか。自分が嫌なことは他人にしてはいけないよと。それは自他との間に広がる距離についての……諦めであり、謙虚さであり、誠実さである。消極性の中に出来うる限りの温かさを感じる。一方でキリスト教は一見慈悲にあふれた隣人愛を信徒に求めている。しかし冷静に考えると、これは不自然で、ドグマティックで、狂信的で、積極性を感じるどころかもはや若干の暴力的な印象すら受ける。
    隣人愛の信仰と理解を飛び越えて、恋慕を愛に読み替えてしまった日本人はきっと今でも様々なことに盲目なのだ。

  • 表題は文学者の思考の形跡について書いた論文。
    最後に納められている「近代日本における「愛」の虚偽」が気に入った。キリスト教的価値観である愛を、形だけ日本に輸入したときから愛は虚偽になったという。鬼気迫る感じの文章で思わず頷かされた。

  • 積年の溜飲を下げる事が出来ました。完璧に代弁してくれています。       

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