みそっかす (岩波文庫 緑104-1)

  • 岩波書店 (1983年9月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (220ページ) / ISBN・EAN: 9784003110416

感想・レビュー・書評

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  •  幸田文さん、なくなって、ずいぶん経ちます。忘れられるのが惜しい方ですが、お嬢さんの青木玉さんもですが、今やお孫さんの青木奈緒さんも文筆家ということで、露伴の女系文学はとどまるところを知りません(笑)
     とか何とか云いながら、幸田文の「おとうと」を読んで、ついでに「みそっかす」を読みだしたら止まらなくなりました。「おとうと」は、実の弟をモデルにした「小説」で「みそっかす」自分の思い出を書いた随筆というのが通り相場のようですが、そうなのでしょうか。いや、そうなのですが、この作品の肝は「自分」の姿を借りて、「人間」の「ほんとうの」姿を描こうとしている小説性にあるのではないでしょうか。
     どこから読んでも困らない、作家の息遣いの自然さは、単なる思い出話を越えていると思いました。二十数年ぶりの再読なのですが、感嘆ですね。
     ブログにもあれこれ書きました。
      https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202112220000/

  • 文学少女の友人は好みがぜんぜん違っているのだろう。20代に好きな作家を尋ねたら、氏の名前が挙げられ、読書に幅のない私は思い出して手にした文さんの数冊の本。

    どれも文章が独特で、かといって硬いのではない独特の文体と風情で良き昭和の時代を描き出し、じわじわと心の中に浸みてくる。「たおやめ」という言葉が思い浮かぶような趣の文章で自分の語彙の中にない言葉が頻出しながらもよどみなく流れる文章に静かに入り込んでいった。

    ドラマで何度か見た幸田家の複雑さを想えば、人はだれしも一筋縄ではいかない。自分ばかりが心を乱しているわけでなく、着物姿が美しいこの女性も子どもの頃は暴力的なまでにお転婆で、継母にわがままを言い、それを正当化したいがための身体表現だったのかと思わされ、人間だれしもが自分本位なのだろうと思いながら、そして、それに気づくか、気づかないか・・・それぞれの人生なのだろうな。
    この本との縁があってよかったと思いました。

  • こんなに、読み進めるほど辛くなる自伝とは思わなかった。
    いや、自伝というのも少し違う気がする。幸田文さんがどんな子どもだったかということも書かれてはいるけれど、殆どは子どもを通して見た父と継母の姿と、周囲の大人から浴びせられた言葉や受けた仕打ちについての事柄。
    悲しい出来事たちの中であっても、キラリと光る人からの優しさとか、継母の新たな一面とか、そういうものを逃さずに大事に仕舞っておける方だったのだな、と思う。だからこそ余計に、物質の豊かさに反した、家庭の中の冷たさを繊細な文章でまざまざと見せられて、息苦しさすら覚える。一筋の光明がどこかに転がってはいないかと、文章の端っこに目を配らせる。

    なぜ、大人の世界と子供の心のなかには誤差ができるのだろう。

    この一文に尽きると思った。

  • 幸田露伴の家庭の様子が少しわかる。当時の服装や学校、病死が身近にあったことなどが淡々と書かれている。

  • 著者は「父は姉と弟ばかりを愛して、自分のことは愛してくれなかった」と言っていて。これは、彼女とその作品を語る上で、重要であることだけども、そのまま受け取っては駄目だと思った。どこかで読んだけども、父親は父親なりに、彼女を愛していたのだと思う。

  • 短い文章の中にずっしりと情感がつまっていました。ようは家族の思い出話なんですが、派手な所はないのに、こんなに面白くて良いのかと言うくらい、いちいちやたらと面白い。

    子供だった幸田露伴が腹痛を治すために飲まされた謎の玉の話とか、特に他人に話したりはしないまま家族の寿命と共に消えて行くだけの、どこの家にもある意味不明な習慣みたいもの滑稽さと謎にまつわる面白さがあります。あと、怒りの継母が洗い髪をふりみだしホウキで蛇を殴るのも、無性に怖くて面白い。そして、その全体に、面白いながらも哀しみもあって、淡々と書いてあるのにずっしり心に残るのです。

    上記のごとく、とにかくエピソードのひとつひとつがやたらと印象的で、まるで映画かドラマを見たような気がするほど鮮明です。時々、見たことも聞いたこともないような言葉遣いが出てくるのも時代の雰囲気がそのまま伝わるようで良かったです。

    幸田文氏の作品は、ずいぶん前から度々すすめられていたのに、どこか地味で硬い印象があって、なかなか手が出なかったのですが、地味どころか歯に絹着せない物言いが心地よくて、文章もうまくて、最後の最後まで退屈しませんでした。

    ひとのおススメは聞いておくべきだと改めて思います。でも、時間はかかったにしても、おすすめしてくれた誰かのご縁でこうして読めた訳だから同じことでしょうか。『みそっかす』私も誰かにおすすめしよう。

  • 親しい先輩から、私が好きそうと勧めてもらった本。

    普段読んでいる本と文体が違うので、読み始めは字面を追うだけで精一杯だったり。だけど「あね」辺りからはきびきびとした歯切れの良い文章がとても気持ち良くなっていた。声に出して読みたくなる感じ。あと、文章を読んでいて情景が目に浮かぶということは私は普段あまりないんだけれど、今回はそれが多々あった。白地に紫のパンジーの浴衣はあまりに鮮やかだし、父とははが争う様子もその場で一緒に見ているような気もちになれる。

    日常をこれだけ鮮やかに切り取っておきながら、文章は苦手意識があっておてんばな方だったというのに驚く。「みそっかす」って言葉が好きになった。

  • 幸田文が、子ども時代の思い出を描いた随筆。
    漢文調の堅いことばから、ざっかけない口語まで豊かな語彙で、リズムがたまらなく良い。
    ただし描かれる思い出は、懐かしいというより、ひりひりと侘しいものが多い。生母を亡くし、後妻として迎えられた継母とのぎくしゃくした家庭に身を置く子どもの目から見る日常。大人になってから書かれた文章なので、著者自身だけでなく周りの人、特に父や継母自身の感じていたであろう気持ちまで描かれており、夫婦喧嘩の修羅場にさえ哀れさが滲み出てくる。
    「わずか九ツや十の子が四十過ぎの人の心中に触れ得たわけでもないが、かわいそうと感じたのは一種の理解である。それほどははの無言の姿は哀愁ふかきものであった。(p110「たてまし」)」
    「どういう気で私を密偵にしたのか、訊いてみないから確かなことはいえない。気概と教養と誇りを十分身につけた一種のスタイリストといえるははが、四十を出てから父のような男と結婚し、結婚は失敗で、深刻ないさかい・いさかいに明け暮れているさなかである。これを嫉妬の情であると考えるなら、ははののぼせあがりかたに、かえって私は嬉しいもの温かいものをさえ感じる(p170「ぬすみぎき」)」生母を「母」、継母を「はは」と使い分ける表記にも、著者の感情が現れているよう。
    実際に今現在不和の家庭に育つ子どもが読んだら、辛いだろうか、あるいは慰めになるだろうか。

  • おとうと。そういうことだったのかって思ったりもした。若いときに幸田文をちゃんと読んでる女の人はいいなあってずっと思ってたけど、なんか10年経って、今その人は服部みれいに憧れ、ツイッタで石井ゆかりの星読みをチェックする毎日で、なんでやねんです。幸田文も服部みれいも他の女の人も、そんなふうに思えるの、そんなふうに暮らせるの、いいなって思うこともあるけど、基本的にあんまり他人に憧れたりしないから、どっぷり他人まかせな人を見ると。

  • 16/04/22、ブックオフで購入。

  • 1951初版。露伴の死後編集者にすすめられ教えられながら、子供のころのこと、父の想い出を書く。7歳での母の死、おばあさん、死んだ姉、継母、弟、女中との会話や暮し。

    人との関わりの中で、人間が人間として出来ていく過程を、読めるということが、素晴らしいと思いました。

  • 経験した人にしかわかりえないだろう幼少期の苦しみと悲しみが綴られていた。父に怯え新しい母に戸惑い胸の内にすべてを押し込め続ける。自分でどうにかするしかない。共感し過ぎて読むのがつらかった。

  • 幸田文さんの子供の頃の回想録?子供の感情とは愛しいものだと、改めて感じました。

  • 幸田文さんが自らの子ども時代を綴ったもの。
    知らなかった、です。このような生い立ちだったとは。このような子どもだったとは(ガキ大将で、体を使って遊ぶのが好きだった、とか)。

    これ、最初期の作品なのだよね?
    のちのエッセイから知ったわたしには、文章がどうにも…。
    文章を書くという作業は非常に大変で難しい、といったことが本人によってしたためられてもいる。

    独特の感性は、しかし、のちの作品に通じるものを感じた。

    最初は露伴のお母さん(おばあさん)のキャラやら何やら興味深く面白かったのだけど、段々と、母の死や、弟のおねしょだとか霜焼けを痛がる様子だとか、文さんの戻し癖だとか、読むのが辛かった。子どもが悲しんだり苦しんだりする様子がね。
    継母との不和や、露伴と後妻の不仲、なども気が滅入ってきて。
    幸田文さんの子ども時代を知るにはとても良いけれど、楽しい本ではないです。でもこれが現実。

  • 「みそっかす」は父のこと、母のこと、継母のこと、姉のこと、弟のこと、幸田文が思い出しながら書いたエッセイです。
    みそっかすの後、作者は何を書こうかと感動を求めて、木をみたり、崩れをみたりする旅に出たそうです。想い出は語ればそれで終わり、無尽蔵に量産できるものではない、との話に、幸田文という人は求められるままに想い出を筆にした結果、想い出がふわっと消えてしまったのかもしれないなと思いました。
    さとかった母のエピソードはこちら http://d.hatena.ne.jp/ha3kaijohon/20120315/1331793433

  • 幸田文さんが自身の子供の頃のことを書いている。

    「そうだったのか、そういうことがあったのか」と思いながら読む。

    子供の頃、感じたことを言葉でうまく言い表せないもどかしさ。
    言えば言うほど思ったこととは違う方向にころがっていく悲しさが伝わってくる。

    学校生活からは、まだ貧しかった日本の様子もかいまみえる。

    それにしても露伴のお母さんという人は余程の人であったと思われるし、その人がそのお母さんという人の前ではかたなしであったらしいから昔の女性はすごいのだ。(というか幸田家の女性は、ということか)

  • 幼年期を再現することにかけて、中勘助にひけをとらない。生みの母の死、早逝した姉弟、継母との確執、露伴の酒乱、幸田家の面々はキャラが濃い。そのなかで著者はごく「普通の」人だったに違いない。だからこそ『みそっかす』が書けたのだし、「みそっかす」とはここでは第三者の目、すなわち、小説家の視線の謂いである。

  • 読みながら気分がころころと変わり、感想を書くことが僕には難しい。
    中には傲慢過ぎて嫌悪感を抱く所もあった。

    著者の凛とした着物姿の写真から、生きる姿勢の良さを感じていたのだが、題材のせいか姿勢の良さよりも「ちびまる子ちゃん」的印象が強い。
    でもそこに愛があるのだということも分かる。
    「ちびまる子ちゃん」のような飾られない家族への愛。
    そこが嫌でもあり好きでもある。

    多分幸田文をものすごく自分の中で美化していたのだろう。
    当たり前だけど人間なんだね。親近感がわく。
    使われる言葉、情景などからは凛とした美しさを感じた。

  • 幸田露伴の娘・幸田文が自分の子供時代や家族を振り返って書いた本。

  • 本作を「エッセイ」とカテゴライズしてよいのか分らないが、幸田露伴の娘、幸田文が幼少期を綴った作品。
    ただ、幸田露伴一家の実情が分かるという点から、単なるエッセイではく「露伴研究」の一教材にもなりうると思う。

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著者プロフィール

1904年東京向島生まれ。文豪幸田露伴の次女。女子学院卒。’28年結婚。10年間の結婚生活の後、娘玉を連れて離婚、幸田家に戻る。’47年父との思い出の記「雑記」「終焉」「葬送の記」を執筆。’56年『黒い裾』で読売文学賞、’57年『流れる』で日本藝術院賞、新潮社文学賞を受賞。他の作品に『おとうと』『闘』(女流文学賞)、没後刊行された『崩れ』『木』『台所のおと』(本書)『きもの』『季節のかたみ』等多数。1990年、86歳で逝去。


「2021年 『台所のおと 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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