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Amazon.co.jp ・本 (214ページ) / ISBN・EAN: 9784003110812
みんなの感想まとめ
広島の原爆をテーマにした作品集は、淡々とした筆致で戦争の凄惨さを描き出しています。著者は、被爆の瞬間や戦後の日本の様子を、感情を抑えたまま鮮明に表現し、読者に深い印象を与えます。短い作品でありながら、...
感想・レビュー・書評
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著者、原民喜さん(1905~1951)の作品、ブクログ登録は2冊目になります。
本書の内容は、BOOKデータベースによると、次のとおり。
---引用開始
広島で被爆した原民喜(1905-51)は、見たものすべてを書き尽すことのみを心に決め、激することなく静かに物語った。だからこそ「夏の花」「廃墟から」「壊滅の序曲」等の作品が伝える原爆の凄惨さと作者の悲しみを、いっそう強く深いものにしている。生前の作者自身の編集による能楽書林版(1945)を底本とした。
---引用終了
本書の収録作品は、
夏の花/廃墟から/壊滅の序曲/燃エガラ〈詩〉/小さな村/昔の店/氷花
本書を登録した理由は、2025年8月6日の産経新聞の産経抄に、次のように書かれていたため。
原爆を、「夏の花」では、「突然、私の頭上に一撃が加えられ、眼の前に暗闇がすべり落ちた」と書いている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
手にしたのは、昔、教科書で読んで以来。こんなに短い作品だったのか、と驚く。短いが、伝わるものの大きさに圧倒される。テレビの映像に映る程度の原爆の様子、記念館を訪れて分かる程度の原爆の様子しか分からないが、その描写から医療車の端くれとして、想像できる様子、匂いがある。一瞬でその体験をしなければならなかった広島、長崎の人々を思うと、胸が痛む。戦後80年。語り継ぐ人たちも少なくなり、文学や映像でしか今後は伝えていくことが難しくなるのだろう。読む側の想像力の問題もある。実際の空襲を経験した人とそうでない私達とでは、想像ですら大きな差がある。いくら、映像で見たとしても、コンサート程度の音の大きさと比較できるものではない。音、振動、風圧、空の様子、周囲の様子。私達がどんなに頑張っても、想像しきれない部分がある。そこを埋めることはできないだろうけど、読み継ぐことはできる。もっと第二次世界大戦、太平洋戦争について、当時の日本について、意識して知ろうとしなければならないと強く感じた。
原民喜さんは1951年に自死されている。奥様を亡くされて、長く生きるつもりはなかったようだが、あの広島を生きたのに繋ぎ止められなかったのかと、なんともやるせない気持ちにもなる。過去の震災やオウムの事件に巻き込まれた人達の中にも、たくさん自死された方はいたのだろう。80年経って、豊かな社会になった。メンタルケアも戦後に比べれば格段に良くなっただろう。でもまだまだだ。まだまだ私は、私達は成長しなければいけないと思う。 -
1945年8月6日の広島の様子を、また終戦直後の日本の様子を淡々とした筆致で鮮明に描いた作品集。貧しさと飢えで人々が自分や家族のことで精一杯になる姿が直接的にも間接的にも描かれており、人から他人への思いやりを失わせるのが戦争なのだと感じました。
全体的に感情を表す文章が少なく、どことなく遠くからものを見ているようでした。人は恐ろしく辛い現実を目の当たりにすると感情が湧かなくなるのかなと考えました。感情が読み取れないからこそ、より主人公を取り巻く時代や環境が恐ろしく感じられました。 -
2020年のセンター試験に「翳」が出題された原民喜の、広島の原爆についての小説・詩・エッセイ集(こちらには「翳」は収録されていない)。静かな文章が悲しみや理不尽さを際立たせている。本文に「七十五年間は市の中央には居住できない」との新聞の抜粋があった。75年後の今年、噛み締めて読むことができてよかった。
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原民喜(1905~1951年)は、広島市生まれ、慶大文学部卒の詩人、作家。郷里の広島に疎開していた1945年8月に原爆が投下され、爆心地からわずか1.2kmの生家で被爆したが、狭い便所にいたことから一命をとりとめ、その後、被爆した体験を基に多くの詩や小説を残し、1951年、国鉄(当時)中央線にて鉄道自殺した。
本書の表題作『夏の花』は、原爆投下からの3日間を描いた代表的短編小説で、同年秋に書かれたが、GHQの検閲でなかなか出版が認められず、被爆者の描写などいくつかの箇所を削除した上で、題名も当初の『原子爆弾』から(戦争とは関連性が薄い)『夏の花』に改められて、1947年6月に「三田文学」にようやく発表された。
また、『夏の花』に続いて書かれた、原爆投下後の数ヶ月を描いた『廃墟から』、原爆投下前の数ヶ月を描いた『壊滅の序曲』は、併せて「夏の花三部作」と称され、1949年に、その他の小説3作品と詩1篇、エッセイなどを収録した、本作品集『夏の花』が刊行された。(『夏の花』の削除部分が加えられて完全な形で公表されたのは1953年)
私はこれまで、太平洋戦争に関する多数の小説、ノンフィクションを、殊に原爆に関しては、井伏鱒二の『黒い雨』、大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』、広島テレビ放送編集の『いしぶみ~広島二中一年生全滅の記録』などを読んできたが、本書の特徴的な印象は、小説という形態を取りながらも、(おそらく)内容の大半は自らが経験した事実で、その事実が、余分な描写や感情表現を挟まずに、淡々と描かれているがために、読み手がその事実を追体験しているような気持ちにさせられることである。
解説で、『夏の花』の発表のために奔走した評論家・佐々木基一氏も、原の三十三回忌(1983年)に広島を訪れ、原が原爆投下から3日間辿った道筋(即ち、『夏の花』に描かれた場所)を車で巡った際に、原子爆弾にやられて火傷した女学生たちが、川縁に群がって、泣きながら「お父さん、お母さん」と訴えている光景を目裏に見た、すなわち、原と同じ道を歩き、同じものを見、同じことを感じているようだった、と書いている。
私は、毎年この時期になると、こうした本に自然に手が伸びるのだが、コロナ禍であろうと、世の中が変わろうと、忘れてはいけないことがあるということを再認識し、受け継いでいかなくてはならないと強く思うのである。
(2021年8月了) -
原子爆弾投下の瞬間からその凄惨な被害を綴った「夏の花」はドキュメントととしての資料的価値は高い。
感情的な表現は少なく、硬質で客観的な文体ですが、絶望的でニヒルなイメージの虚飾を感じ、車屋長吉のようであまり好きな文章ではなかったです。
「夏の花」以外の短編は原爆前後の時期の、断片的な私小説的な内容。
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ギラギラと炎天の下に横わっている銀色の虚無のひろがりの中に、路があり、川があり、橋があった、そして、赤むけの膨れ上った屍体がところどころに配置されていた。これは精密巧緻な方法で実現された新地獄に違いなく、ここではすべて人間的なものは抹殺され、たとえば屍体の表情にしたところで、何か模型的な機械的なものに置換えられているのであった。
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ひたひたと忍び寄る8月6日までのこと、悲惨な状況下での生活を誇張するでもなく、悲壮的でもない透明な文体で書いた小説。作者どうしてんねやろと思ったら戦後間もなく自殺していて言葉を失った。
夏にまた読もう。
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『オッペンハイマー』を買ったときに、課題図書として一緒に買っておいたもの。8/6に読む。
表題作は広島で被爆した実体験をもとにした小説で、もっと読むのが大変かと思っていた。もちろん、描かれる光景は悲惨なんだけど、記載が淡々として明晰で、こんな風な感じ方だったのだろうなと、不思議に腑に落ちる。もしかしたら著者が妻を亡くしたばかりの時期だったからこそ書けた距離感なのかもしれないと思った。
最初の「夏の花」は何の説明もなく兄や妹が出てきて兄弟多いなと思うだけだったけれど、「廃墟から」「破滅の序曲」で兄弟間の葛藤が描かれたり、その他の作品で家業や関係性が掴めてくると、より意味合いがわかってくる。が、原爆の前ではそれらは全て無意味になるということか。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/700941 -
どの話も読んでいて心に響き、訴えてくるものがありましたが、中でも「夏の花」と「廃墟から」は別格でした。
生々しさと悲惨さを正確に淡々と描いていて、原爆の恐ろしさを改めて実感させられました。
読んでいてどこか寂しく、虚しくなる作品でした。 -
広島で被爆した経験を綴った「夏の花」を中心とした短編集。「夏の花」は被爆の経験をまさにそのまま綴ったという感じがありつつ、どこか膜一枚隔てた客観性を失わないところが、作家の眼なのかと思うし、逆に生々しいような気さえする。その他の短編が避難後の生活だったり、被爆前の生活だったりなのも、ああ、その前に被爆があったものな、ああ、この後に被爆があるのだな、と不在が存在を際立てるような構成の妙を感じる、小説ならではの伝え方であると感じた。
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原爆被災地において、淡々と当時の様子、避難先の肩身の狭さと飢えを書いている。人物が「甥」「兄嫁」などの親族呼称で呼ばれていることが、噂で鉄道を行き来し知人を探し、家族のただなかにいる実在の存在であったのを感じる。
「誰も彼もが知り合いを探そうとしているのであった」 -
大学新入生に薦める101冊の本 新版 (岩波書店/2009) で気になった本。
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小説としての価値ではなく、書くべき、書かれるべき作品だったのかも。
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読み終わりました。戦後70年にふさわしい素晴らしい読書体験でした。
筆者が広島市幟町で被爆し縮景園方面へ避難する3日間の話が「夏の花」です。筆者の実体験に基づいたものですが、そこには誇張などは何もなく、淡々と無機質な描写が続きます。
そのことが被爆の悲惨さをいや増すものにしています。恐ろしい描写であるにも関わらず、その文章は極めて美しく、不思議な印象を与えます。
「廃墟から」はその続編で今の佐伯区での避難生活。「壊滅の序曲」は被爆直前数か月の物語で、この3作が「夏の花三部作」と呼ばれるものです。
他の小説も、避難生活や、作者の生い立ち、戦後移り住んだ東京での困窮生活を描いたものです。
これらの作品は「何がお前に生きのびよと命じていたのかー答えよ、答えよ、その意味を語れ!」という筆者の意識のもと、「ふと己が生きていることと、その意味に」弾かれ、「このことを書きのこさねばならない」という、筆者の魂に突き動かされた作品なのです。
若い世代にぜひ読んで欲しい。そしてこのような惨事がに二度と起こさないように心に誓って欲しい。
夏の花
廃墟から
壊滅の序曲
燃エガラ
小さな村
昔の店
氷花
エッセイ
著者:原民喜(1905-1951、広島市、作家)
解説:佐々木基一(1914-1993、三原市、文芸評論家)
カット:藤川栄子(1900-1983、香川県、画家)
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