- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003110829
作品紹介・あらすじ
「ヒロシマのデルタに/若葉うづまけ/死と焔の記憶に/よき祈よ/こもれ」-広島での原爆被災を描いた小説「夏の花」で知られる原民喜(1905‐51)はまた、生涯を詩人として生きた。生前に清書され、親友により没後すぐに刊行された『原民喜詩集』に加え、自身で編んだ「かげろふ断章」ほか拾遺詩篇を収録。現実と幻をともに見つめ、喪った者たちのために刻まれる詩は、悲しみと希望の静かな結晶である。
感想・レビュー・書評
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2018年12月25日、読み始め。
原民喜という詩人を知ったのは、最近の聖教新聞のコラムに載っていたため。そのコラムでは、原爆小景のことが書かれていた。そんなことで、今回、この詩集を手にした次第。
2019年1月5日、25頁まで読んだ。
興味深かったのは、著者と遠藤周作との関係。
176頁に書かれているが、著者が43歳の頃、つまり亡くなる2年位前に、著者は遠藤周作と知り合いになったようだ。
遠藤周作が20代の頃で、歳の差があった。それでも、週に1回は、遠藤が著者の家を訪れて、酒を飲んだようだ。「お父さん」、「ムスコ」と呼びあうほどの親交であったとのこと。著者が亡くなる時に、遠藤に宛てた遺書があるようだが、その時に、「悲歌」と題した詩を書いたようである。
●2020年8月6日、追記。
今日は、広島の原爆忌75年。
今、被爆者の平均年齢は83歳を超えるそうだ。
その体験の継承は重要で、活動されている方々には感謝している。
さて、原民喜(1905~1951年)だが、広島での被爆者であるとのこと。
●2021年6月13日、追記。
鉄道自殺で亡くなったとのこと。
その辺りを、ウィキペディアで引用すると、
1951年3月13日、久我山の鈴木重雄の家を訪ね酒をくみかわしたのち、午後11時31分に国鉄中央線の吉祥寺駅 - 西荻窪駅間の線路に身を横たえ鉄道自殺する。原は大量の酒を飲んでいたらしく、視官は原の轢死体からアルコールの匂いがしたと証言している。しかし、事前に遺品などの整理は周到に行われており、衝動自殺ではないことが窺われる。下宿の机には親族や佐々木基一、遠藤周作、丸岡明、鈴木重雄、庄司総一、山本健吉、藤島宇内、佐藤春夫、梶山季之などにあてた17通の遺書があった。葬儀は埴谷雄高の提案で無宗教でおこなわれた。遺稿に「心願の国」「永遠のみどり」。
●2022年9月26日、追記。
ウィキペディアより、以下、引用。
原 民喜(はら たみき、1905年(明治38年)11月15日 - 1951年(昭和26年)3月13日)は、日本の詩人、小説家。広島で被爆した体験を、詩「原爆小景」や小説「夏の花」等の作品に残した。
45歳にて、亡くなっている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
原民喜の詩は、文体や表現の形態において、自分が目指すものにかなり隣接しているように思う。
以下引用
◉昼
わたしは熱があって睡ってゐた。庭にザアザアと雨が降つてゐる真昼。しきりに虚しいものが私の中をくぐり抜け、いくらくぐり抜けても、それはわたしの体を追つて来た。かすかな悶えのなかに何ともしれぬ安らかさがあつた。雨の降ってゐる庭がそのまま私の魂となってゐるやうな、ふしぎな時であった。私はうつうつと祈つてゐるのだつた
★小鳥
朝は楽しそうに囀ってゐた小鳥が昼過ぎになると少し疲れ気味になつてゐる。昼すぎになると、夕方のけはひがする。ものうい心に熱のくるめき。
★梢
散り残つた銀杏の葉が、それがふと見える窓が、昼のかすかなざわめきに悶えている姿が、わたしが見たのかむかふの方からわたしを見てゐるのか、はっきりしないのだが、たしかに透きとほつたものの隙間がひつそりとすぎてゆく昼のやうに
枯野
薄の穂の白い光があとからあとから見えては消え、消えては見え、真昼ではありながら、まよなかの夢のさけびを
星
星が私の額を突き刺した。その光は私の心臓に喰入り、夜毎、怪異な悪夢となった。私が魔ものに追駆けられてゐる時、天井の星も脅えきつてゐた。呪はれの夜があけてゆく時、消えのこる星がしづかに頷いたものだ。
★暁
外は霙でも降つてゐるといふのだらうか。みぞれに濡れてとぼとぼと坂をのぼる冷えきつた私の姿があり、私のからだは滅入りきつてゐる。もう一ど暗いくらい睡りのなかへかへつてゆくことよりほかになんののぞみもない。いじけた生涯をかへりみるのであつた。
夜明け
おまへはベッドの上に坐りなほつて、すなほにならう、まことにけへらうと心に夜明けの姿に祈りさけぶのか。窓の外がだんだん明るんで、ものの姿が少しづづはつきりしてくることだけでも、おまへの祈りはかなへられてゐるのではないか。やさしいあまりにも美しい時の呼吸づかひをじつと身うちに感じながら
★遠景
うすい靄につつまれた遠くの家々の屋根がふと一様に白い反射で浮上つてゐる。まるでいまなにかが結晶してゐるやうな、つめたい窓にしづかりかへるながめ
★枯木
ふとわれに立ちかへり、眼は空の枯木の梢にとどく。網の目をなして空にひろがる梢の、かなたにのびてゆくものがある。かすかにそれをみとどけねばならぬ
★枯木
夢のなかで伯い老婆は私を負ったまま真黒な野をつ走つた。青白い棚雲の下に箒を倒立てたやうな枯木が懸つてゐて、それがつぎつぎに闇の底に倒れて行つた
★ある時刻
ある朝ある時刻に中空の梢からひらひらと小さな木の葉は舞ひ落ちてゐた。それをひきちぎるなにものもないやうな、そんな静けさのなかにありながら、やはり木の葉はキラキラと輝いて美しい流れをなしてゐた
庭
暗い前のひきつのる、あれはてた庭であつた。わたしは妻が死んだのを知つておどろき泣いてゐた。泣きさけに声で目がさめると、妻はかたはらにねむつてゐた。
・・その夢から十日あまりして、ほんとに妻は死んでしまつた。庭にふりつのるまつくらの雨がいまはもう夢ではないのだ。
そら
おまへは雨戸を少しあけておいてくれというた。おまへは空が見たかつたのだ。うごけないからだゆえ朝の訪れが待ちどほしかつたのだ。
真冬
草が茫々として、路が見え、空がたれさがる、・・枯れた草が濛々として、白い路に、たれさがる空、、、。あの辺の景色が良いのだとおまへは夜更におののきながら訴へた。あまえの眼のまへにはピンと音たてて割れさうな空気があつた。
★墓
うつくしい、うつくしい墓の夢。それはかつて旅をしたとき何処かでみた景色であったが、こんなに心をなごますのは、この世の眺めではないらしい。たとへば白い霧も嘆きではなく、しづかにひりそそぐ月の光も、疎らな木木を浮彫にして、青い石碑には薔薇の花。おまへの墓はどこにあるのか、立ち去りかねて眺めやれば、ここらあたりすべてが墓なのだ。
ながあめ
ながあめのあけくれに、わたしはまだたしかあの家の中で、おまへのことを考へてくらしてゐるらしい。おまへもわたしもうつうつと仄暗い家のなかにとぢこめられたまま
★秋
窓の下にすきとほつた靄が、葉の散りしだいた並木はうすれ、堅い靴の音がしていくたりも通りすぎてゆく乙女の姿が、しづかにねむり入ったおんみの窓の下に
鏡のやうなものを、なんでも浮び出し、なんでも細かにうつる、底しれないものを、こちらからながめ、むかふにつきぬけてゆき
部屋
小さな部屋から外へ出て行くと坂を下りたところに白い空がひろがつてゐる。あの空のむかふから私の方をささへてゐるものがある。ぐつたりと私を疲れさせたり、不意に心をときめかすものが。
私の部屋にはマッチ箱ほどの机があり、その机にむかつてペンをもつてゐる。ペンをもつてゐる私をささへてゐるものは向に見える空だ
はつ夏
ゆきづりにみる人の身ぶりのうちから そのひとの昔がみえてくる。垣間見た あやめの花が おさない日の幻となる。 胸をふたぐといふのではない、いつのまにかつみかさなつたものが。おのれのうちにくるめいてゐる。藤の花の咲く空、とびかふ燕
★祈り
もつと軽く もつと静かに たとへば倦みつかれた心から新しいのぞみのひらかれてくるらうに 何気なくうえへに坐り、さしてくる月の光を
★夜
荒れ野を叫びながら逃げまどつてゐたときも、追ひつめられて息がと絶えさうになつたときも、緑色の星と凍てついてしまつたときも、お前は眠っゐた眠っていた、おほらかな嘆きのやうに
★冬
いま朝が立ちかへつた。見捨てられた宇宙へ、叫びとなつて突立つてゆく針よ 真青な裸身の
蟻
遠くの路を人が時時通る
影は蟻のやうに小さい
私は蟻だと思つて眺める
幼い児が泣いた眼で見るやうに
それをぼんやり考えてゐる
机
何もしない
日は過ぎてゐる
あの山は
いつも遠いい
★眺望
それは眺めるために
山にかかつてゐたが
はるか向こうに家があるなど
考えてゐると
もう消えてしまつたまつ白のうす雲だ
★遅春
まどろんでゐると
屋根に葉が揺れてゐた
その音は微けく
もう考へるすべもなかつた
★小春日
樹はみどりだつた
坂の上は橙色だ
ほかに何があつたか
もう思い出さぬ
ただ いい気持で歩いてゐた
秋空
一すぢの坂は遥けく
その果てに見る空の青さ
坂の上に空が
秋空が遠いい
★月夜
雲や靄が白い
ほの白い
路やそして家も
ところどころにある
★青葉
朝露はいま
滴り落ちてくる
いたづらに樹を眺めたとて
空の青葉は深々としてゐる
★旅の雨
雨にぬれて霞んでいる山の
山には山がつづいてゐる
真昼ではあるし
雨は一日降るだらう
★冬の山なみ
けふ汽車に乗つて
山を見る
中国の山脈のさびしさ
都を離れて山を見る
山が山にかさなり
冬空はやさしきものなり
★藤の花
ひそかに藤の花が咲いて居り
あさ風に揺れて居り
露しとしとと
うすぐらいところに
夏
山の上の空が
まつ青だ
雲が一つ浮んで
まつ青だ
★朝
朝はとつくに来てゐた
雀ばかりが啼いてゐた
桜の花がにほつてゐた
空は青く晴れてゐた
夜の秋
きりきり虫が啼いている
厨の土間で啼いてゐる
あまり間近で啼いてゐる
きりきりきりと響くその声
★波の音
今 新しく打ちかへす
はじめてききし波の音
打ちかへしては波の音
潮の香暗き枕辺に
★車窓
桃の花が満開で
小学生がに三人
朝の路にゐるんだ
けれども汽車はとまらない
★窓
窓を開けてくれたのは誰だ
空か お前であつたのか
崖のすすきはさうさうと
雲の流れに揺れてゐる
★月夜
川の向ふは川か
向ふには何があるのか
空に月は高いし
水も岸も今は遥かだ
★
月の夜の水の面は
呼吸するたにに変る
たとへば霧となり
闇となり光となる
影法師は暗い所に居るから嫌です。
ひよいと飛び出して私を抱えてつれて行かうと思って
樹や垣根の影に隠れて居るのです
外に出てみると月がある
そこで海へ行つてみた
船をやとつて乗出した
やがてしばらくして帰つた
★
夜の海の霧は
海と空をかくし
眼の前に闇がたれさがる
闇が波音をたてて迫る
海はまだ明けやらぬ
潮の退いた海にむかつて
人影は一つ進んで行く
◎師走
寒ざらしの空に
おころりおころりと軽気球が
たつた一つ浮かんでゐる
そこから何が見えるのですか
◎六月
まだ半身は眠っているのに
朝はからきし梅雨晴れだ
いいお天気になりました
ほんとにそれはさうである -
まだ私にはむつかしい、また手に取る日まで
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とても静かな詩集。だけれどもいったん飲み込んだことばがあとから、体の内側からぐいぐいと、何かを訴えて来る、そんなことばの一群。原爆小景というカタカナ書きの連詩が圧巻だ。お正月に読む本ではない?いやお正月に読んでよかった。
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18/08/21。
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俳句的な短詩。
『夏の花』同様、「ただそこにある」がある。
●濠端の柳にはや緑さしぐみ/雨靄につつまれて頬笑む空の下//水ははつきりと たたずまひ/私のなかに悲歌をもとめる//すべての別離がさりげなく とりかはされ/すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ/祝福がまだ ほのぼのと向に見えてゐるやうに//私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ/透明のなかに 永遠のかなたに -
自身の目に写る景色を描写する内容は好きだけれど、少し感傷的な感じがあるところに同調できず、距離ができてしまう。
詩は、相手の言葉を理解するだけでなく、飲み込んで自分の景色を観るものだと思いました。