- Amazon.co.jp ・本 (181ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003112427
感想・レビュー・書評
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やっと読めた。「雪は天から送られた手紙である」という素敵な言葉は前から知っていたし、少し前に師匠に当たる寺田寅彦の作品を多少読んでおりかねがね読みたいと思っていた。この冬の間に読めて良かった。
冒頭では専門ではないとしながらも人の生活の中での雪、特に雪害について述べ、本文中では単に仕事として研究しているのではなく、雪の美しさ、自然の美しさに感動していることを記し、附記では雪の研究は一人の人間が一生かかっても片付くようなものではないが、自分の研究が後進の土台となっていくという科学の在り方を述べて結んでいる。
「自然に感動すること」、「地道に誠実に研究すること」、「科学と社会の関係」などおそらく自然科学者としてとても大事なことを含んでいると思う。
「研究というものは、このように何度でもぐるぐる廻りをしている中に少しずつ進歩していくもので、丁度ねじの運行のようなものなのである」
とかく最近はすぐに結果を求められる時代になっていきているけど、科学研究のこうした性格を認識して、基礎研究を守っていける社会であってほしい。
さすが寺田寅彦の弟子だけあって、情緒を感じさせてくれる。『科学の方法』も最近買って読みたいけど、『中谷宇吉郎随筆集』も読んでみたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
中谷宇吉郎(1900~1962年)は、東京帝大理学部卒、理化学研究所勤務(寺田寅彦に師事)、英キングス・カレッジ・ロンドン留学等を経て、北大理学部教授を務めた物理学者、随筆家。世界で初めて人工雪を作ることに成功した。位階は正三位。勲等は勲一等。
本書は、1938年に岩波新書が創刊されたときの(20冊のうちの)1冊として出版された後、新字体、新かな遣いに改められて、1994年に岩波文庫から再刊されたものである。
本書の主な内容は、著者の北大における雪・人工雪の研究の過程や成果であるが、成果に関しては、言うまでもなく、刊行から80年を経た今、最新の知識を得る方法はいくらでもあり、本書をわざわざ読む必要もない。
しかし、本書は、「ある自然現象について如何なる疑問を起し、如何にしてその疑問を学問的の言葉に翻訳し、それをどういう方法で探求して行ったか、そして現在どういう点までが明かになり、どういう点が益々不思議となって残っているかということを、筋だけちゃんと説明する」(中谷宇吉郎「科学と文化」より)、即ち、科学者が自然現象を解明するためにどのように取り組んだかが綴られているという点で、大いに価値のあるものであり、そういう意味では、ファーブルの『昆虫記』やファラデーの『ろうそくの科学』などとも並べられる作品だともいう。
私は文系ながら、科学系のノンフィクションを好んで読む方なのだが、本書については、牡丹雪と粉雪のでき方の違い等、雪の生成の仕方については面白く読めたものの、雪の作り方の部分などは専門的な記述も少なくなく、読み難さを感じざるを得なかった。また、80年前の作品で、新字体、新かな遣いに改訂されているとはいえ、文章のスタイルも必ずしも読み易いとは言えないかも知れない。(最近の科学者が、新書で同じようなコンテンツを扱えば、間違いなくもっと読み易いはず)
そういう意味では、一般の人よりは、研究の道を志す人に強く奨められるべき作品であるように思う。
(2022年1月了) -
雪の結晶の形成と、人工雪作成の実験についての著者自身の研究成果をわかりやすく解説している科学エッセイです。
1938年に刊行された岩波新書を文庫化したもので、著者の実験の方法などは現在の読者にとは素朴なやりかたに見えますが、著者の師である寺田寅彦と同様に、エッセイの名手と評される滋味のきいた文章は、時代を越えて読者を惹きつける力をもっているように思います。
鈴木牧之の『北越雪譜』の文章を引用し、豪雪地帯の人びとがどのように雪とかかわっているのかということを紹介することからはじめて、科学のまなざしで身近な対象をあらためて見なおすことで、常識とはちがう世界が開かれてくることを説いており、科学のおもしろさに目を見開かされる思いがしました。 -
雪は天からの手紙である・・・という有名な言葉が載っている本。
昭和初年。雪と言えばまだせいぜい美的興味かはたまた生活の障害物でしかなかった時代に、筆者・中谷宇吉郎氏は雪の結晶を撮影し、分類・体系化し、さらには種々の条件下で人工の結晶を作って空の大気状態を類推するところまで研究を進め、世界的な評価を得た。その経緯…そもそもの関心の所在や、研究のあらましを伝える本である。
もっともこの本は、一般読者への啓蒙が主眼という通り、学問的なものではない。結晶の撮影のために十勝岳の白銀荘を借り、雪が降らない時には仕方がないから山スキーでもしようとか、北大の低温施設で満州の哨兵のような恰好で実験を進めたとかの軽口を交えながら、さらりと軽妙に書かれている。もちろん、厳寒の中で、しかもコンピュータや上等な光学機器もない時代に、地道な試行と考察の繰り返しは生半可な苦労ではなかったろう。
昭和13年頃に書かれた薄い文庫本というのはそれ自体なんだか味があるし(蛮族とか裏日本とかいう単語にはどきっとするけど)、その文体の香りとともに、まだ日本に自信があった時代の知的好奇心と学究精神を伝えてくれる好著である。 -
「雪は天から送られた手紙である」という有名な一節の原典はこの本である。
物理学者、中谷宇吉郎による、現在の版で本文170ページほどの本(中谷は「この小さい本」と読んでいる)は、昭和13年の初版時には、岩波新書から出されたという。書き下ろしの一般啓蒙書として世に送り出されたわけである。
以来、一時期は絶版に近い状態にも陥りつつ、平成6年に岩波文庫の1冊として刊行されることになる。時代を超えた「古典」と認められたといってもよいだろう。
中谷がここでしようとしていることは、狭義には、雪の結晶の観察およびその再現である。つまり、結晶を観察してその形状を分類し、温度・湿度などの外的条件と結晶の形状を関連づけ、人工的に結晶を作る装置を使って、自然と同様の雪の結晶を再現することである。
だが、本書は、もっと広く、「科学的に考えるということ」の1つの例を、研究者自らが語り起こしたものだといってもよい。
雪とは「水が氷の結晶となったもの」である。上空、高いところで結晶の核ができ、下界に舞い降りてくる間に徐々に成長する。空気に含まれる水蒸気が、芯となるものの周囲で固化して雪になる。
雪は白く、そしてときにきらめく美しい結晶を作る。
中谷も雪の結晶の美しさに魅せられる1人だった。北海道に職を得たこともあり、雪の結晶の研究に取り組むことになる。さまざまな工夫を重ねつつ、まずは顕微鏡写真の撮影に成功する。十勝岳を拠点とし、丹念な記録が始まる。どのような形のものが、どの程度の頻度で降ったか、そしてそのときの気象条件はどのようであったか。
世間では以前から、「雪は六花の形をしている」といわれていた。国内外でそれまでにも雪の結晶の図や写真はあったが、多くはこの六角形のものだった。だが、中谷らの研究の結果から見えてきたのは、六角形の結晶ももちろんあるが、針状や角柱、角柱や平板が組み合わされたもの、無定形など、形状はさまざまであり、雪はそうした雑多な結晶の集まりであるということだった。また、針状のものが比較的多く見られた。
さらに中谷は、天然の雪を再現する、人工の装置の開発にも取り組む。こうした装置が出来れば、雪の結晶が成長する過程をより詳しく研究できるし、また条件によって結晶の形がどう変化するかもより細かく見て行くことができる。
より自然に近い形で雪を作るには、どんな装置が適しているのか。試行錯誤しながら、装置の調整が続く。
ここに述べられているのは、世紀の大発見というわけではないかもしれない。多くの人にとって、雪の形がどうであろうと、あまり関係がないといわれればそれもそうかもしれない。そもそも雪の結晶の研究や、人工雪については、この本より新しい知見が出ているだろう、というのもその通りだろう。
では、本書が「古典」として価値があるのはどこか。
それは「科学的思考と実践」が述べられている点だろう。中谷はここでは、科学的に詳細に記載するよりも、一般の人に科学の「道筋」を示すことに重きを置いているように見える。
研究は一直線では進まない。実験しようと思ってもうまくいかないことも多い。仮説を立ててもそれがどうも正しくないようだとわかることもある。立ち止まってまた考える。こうしたらどうだろうか。実はこうなんだろうか。そしてまたやってみる。中谷は、本書中で、「研究というものは、このように何度でもぐるぐる廻りをしている中に少しずつ進歩していくもので、丁度ねじの運行のようなもの」だと語っている。
そういった一連の過程が、生き生きと、ときに熱く、示されているところに、本書の今に生きる意義がある。
冒頭の「雪と人生」と題される章では、雪が人々の暮らしに与える影響に触れている。雪は美しいばかりではなく、雪国では雪害を起こして「白い悪魔」と称されることもある。冬中、田野が雪に覆われて使えない上、除雪が必要となるなど経済的な損失も大きい。一方で、雪上で橇を使えば運搬にはむしろプラスになることもあるし、レジャーなどでの魅力もある。
本書の大半は、基礎科学にかかわる内容だが、中谷は、どこか遠い将来に、雪の結晶の解明が、実用・応用に役立つ可能性を心に描いていたようにも思える。
基礎と応用はそれぞれ別々ではない。基礎研究に取り組みつつ、どこかで社会への還元も考えること、それも科学者の「責務」と言えるのだろう。
一流の科学者でありつつ、名随筆家としても知られた中谷ならではの1冊だろう。-
2016/03/04
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yuu1960さん
コメントありがとうございます。
「ドミトリーともきんす」、よかったですね。引用されていた中谷の「イグアノドン...yuu1960さん
コメントありがとうございます。
「ドミトリーともきんす」、よかったですね。引用されていた中谷の「イグアノドンの唄」http://booklog.jp/users/ponkichi22/archives/1/B00G3UAAT2もよかったです。
一般の人向けの啓蒙書ということでは、やはり「ドミトリー・・・」で紹介されていた朝永振一郎の「鏡の中の物理学」http://booklog.jp/users/ponkichi22/archives/1/4061580310も思い出します。
どちらも、科学とは何たるかを語る「熱」を感じる好著と思います。2016/03/04
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適切な場所に積木をかさねるような文章の、なんと心地好いことだろう。
宇吉郎先生なら、いまの科学をどんな言葉で綴るだろう。
誰にでも言えそうなことを、一つずつ積み上げて、ささやかだけど大切なことを書かれる気がする。
よんでみたいなあ。 -
「雪の結晶は、天から送られた手紙である」という趣深い一文で有名な本作だが、同時にこれほどまでに科学的誠実さに溢れた本が他にあるだろうか。降り積もる雪のひと欠片を丁寧に観測し、吹きすさぶ冬景色の中、時には氷点下の実験室で根気強く分析を続けていく。やがてその研究は雪の結晶の多様性を明らかにし、世界初の人工雪の作成という偉業に結び付いた。エッセイ風に書かれた文章は理性的でありながらも簡潔な説明の中から気品の良さが滲み出ており、本人曰く「茶漬けのような味」の内容は滑らかに入ってくる。自然科学入門として最良の一冊。
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「雪の結晶は、天から送られた手紙である」
という言葉から伺えるとおり、科学的であり詩的である。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/700966
中⾕宇吉郎は、⼈⼯雪を作ることに世界で初めて成功した人物。
科学研究のほか、随筆、絵画、科学映画などにも優れた作品を残している。 -
'このように見れば雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る。そしてその中の文句は結晶の形及び模様という暗号で書かれているのである。その暗号を読みとく仕事が即ち人工雪の研究であるということも出来るのである'
'この結晶の研究などは如何にもう迂遠な路を歩むように見えるかも知れない。しかし或る種の仕事は、何年やってもその効果が蓄積しないものであるが、科学的の研究は、本当の事柄を一度知って置けば、その後の研究はそれから発達することが出来るのであるから、そういう意味で決して迂遠な道ではなく、むしろ最も正確な近路を歩いていることになると少なくも科学者はそういう風に思っているのである'
霧の彫刻から、人工雪の結晶へ。
中谷芙二子の父、中谷宇吉郎の本に出会う。
知らないことが、繋がっていく。これがぼくのいま、「楽しい」ということに当てはまるもの。
福岡伸一のエッセイの中の1節が、わけもなく自分の中に留まっている。
「霧と大気の関係は実は私たちが思っているものと正反対なのだ。霧が実体で、大気が背景ではない。つまり霧が絵で、大気がカンバスではない。その逆だ。大気が絵であって、その中に穿たれた中空(ヴォイド)が霧なのだ。霧は大気のネガティブイメージなのである。包まれつつ、包む。ここにあるのはそういうことだ。」
操り、手に取るものが手段として、こちらを表す役割を果たしている。
そうではないんだ。道具だと思っていたものに、規定されているのが僕ら。定められたいのが僕らなんだ。
楽しいとか、悲しいとか、その意味がどう形を表すのかを、見つめて手にとって取り出すんじゃなく、示されて、与えられて、いや、押し付けられて、手に取ったものが、楽しいと、悲しいと、言っているぼくら。
ちがうんじゃないか。そのことを毎日見つめている。
雪という結晶の研究。人工雪を作るということ。霧を描くということ。ありのままに取り出して、その姿がまるで彫刻のように存在を示すということ。手にとって、見ているものが、表を放り出して、まるで地というものの方を映し出してくること。
自分というものが見たいものを見ることによって、そうではなかったものまで浮かび上がってきてしまう。きっとそれは「楽しい」ということなんだろう。
僕は見ていたい。真っ先に見ていて、そして、いつの間にか、思いもしないものを見ることになっている。
「楽しい」ということがあるのならば、僕は、それが何なのかを自分というもので定めたい。
研究という生き方、芸術という向き合い方。
そこにある素直さを、同じように手にしていたいと、思うことができる本。
'北海道の奥地遠く人煙を離れた十勝だけの中腹では、風のない夜は全くの沈黙と暗黒の世界である。その闇の中を頭上だけ一部分懐中電灯の光で区切って、その中を何時までも舞い落ちて来る雪を仰いでいると、いつの間にか自分の身体が静かに空へ浮き上がって行くような錯覚が起きて来る。外に基準となる物が何も見えないのであるからそんな錯覚の起きるのは不思議ではないが、しかしその感覚自身は実に珍らしい今まで知らなかった経験であった'
著者プロフィール
中谷宇吉郎の作品





