冥土・旅順入城式 (岩波文庫 緑127-1)

  • 岩波書店 (1990年11月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (400ページ) / ISBN・EAN: 9784003112717

みんなの感想まとめ

異界へと誘う独特の世界観が魅力の短編集で、主人公たちの奇妙な体験が描かれています。特に「冥途」の作品群に親しんでいる読者には、異なる感触を楽しめる内容となっており、身体が牛で頭だけ人間の化け物になる主...

感想・レビュー・書評

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  • 今回も百閒先生に異界へ連れて行っていただきました。
    個人的には「冥途」の作品群のほうが好みです。
    主人公がなぜか身体が牛で頭だけ人間の化け物になってしまった「件」にただようおかしみが印象的。
    件になったのはいいとしても、自分には予言することがないということに悩む主人公を、気の毒に思いつつもにやっとした笑いもこぼれてしまいます。

    「旅順入城式」はねとっとした恐さがちょっと苦手でした…。
    それに、主人公が何かを追いかけていくストーリーがいくつかあるのですが、それも苦手かも。
    これ以上追いかけない方がいい、と内心では思っているのに追いかけてしまう抗えなさと、その先に待ち受けているであろう、何かわからないけれども恐ろしいものの気配に鳥肌が立ってしまいました。

  • これは夢だと分かっているのに
    逃れられない薄気味悪さ
    夢の中の事なのに
    目覚めてからもその感情を
    引きずり続けたり
    現実と曖昧になったり

    そんな短編集

    なんとなく内田百閒は
    不思議の国のアリス症候
    群だったのかなと思った

    ブックオフ一宮妙興寺店にて取り寄せ

  • あなたの「冥途」には、勝てない。なんたる冒頭文。なんたる肌触り。

  • わかるようなわからないような不思議文学世界。
    『冥途』のほうは終始夢の中のお話で、『旅順入場式』のほうはこちらと地続きな話、かな?
    個人的には「山高帽子」がどうしようもなく怖かった。狂っているのは私なのか、周囲なのか、世界そのものなのか。
    百閒先生は、不安の描写がとてつもなくうまい。何も起こってないけれど何かおこるような、自分のせいではないはずなのに、自分のせいで災厄が起こるような。身近なものや親しい人ですら曖昧な存在にゆらぐし、あちら側への入口になる。
    ホラー?ではない。私はむしろこの漠然とした不安を描写してくれた百閒先生に感謝したい。
    夢中になって読めるタイプの作品ではないのに、妙にクセになって手が伸びる感じ。

  • 幻想小説と言えばこの人、的な存在。
    夏目漱石の門弟で、芥川龍之介とも親交が深かったらしい。
    この作品は、漱石の『夢十夜』と似たテイストだそうだけど、まだ未読なのでいずれ読まないと。

    わたしの好きな幻想小説というジャンルで検索かけると、必ずと言っていいほど出てくるこの作品。
    さすが。大好物でした。
    短編小説なので、余計な伏線などはなく、イキナリ始まってイキナリ終わる。
    日常と非日常の境目が曖昧で、不思議が不思議なまま終わる。
    読者が置いてきぼりにされ、否応なしに余韻にひたらされる。
    雨がしとしと降るような静かな真夜中、この本を読むと背中がゾクゾクしそう。
    近代文学最高。

  • 人気のない薄暗い道。
    夢の中で見た、古い町並み。
    どこかで、私を呼ぶ声がする。
    ああ…。

  • 内田百閒は私の知る中で一番夢を書くのがうまいかた。夢十夜とかすきなひとはきっとすき。良質の悪夢。

  • 暫定的ですが私の結論としては、百間は理解不可能、説明不可能ということです。

    神秘という他ありません。

  • 昔話っぽい怖さがありながらもノスタルジックな世界観に引き込まれた、!!

  • 書いた人の精神状態が心配になるような不思議な話が多いな。

  • 百閒のように現実と非現実を感覚的に行き来することって、かつて特殊なことではなかったと思う。
    古典をさかのぼればさかのぼるほど現代の感覚とは大きく異なる世界観があって、たとえば夢が現実世界とリンクして解釈されていたり、自然現象により吉兆が判断されたり。

    もし百閒を読む者がその文章に名状しがたい怖さを感じるのなら、それは作品の本質がアンチモダンであることに耐えられない心情のためなんだと思う。
    近代知が徹底的に排除してきたものを、我々の身体は意識下で拒否反応を示しているに違いない。
    だから逆説的に百閒は現代にとって魅力的なんだと思う。

  • 寝る前に一篇ずつ読むことを楽しみにしてた、内田百閒の冥途を、昨晩読み終わってしもうただがね。

    一部例外あるものの、基本的には漱石の夢十夜みたいなお話がいっぱいはいっとるんや。
    夢、幻想の世界でもその中心の「私」は、やっぱり我らが百鬼園先生なんやなぁ。
    いつもウカウカキョロキョロしとるんね。
    またそのうち読みなおそっと。

  • 妖しげで不気味な雰囲気を携える幻想短編集。
    終始一貫した独特な世界観の作品の数々に、異世界に迷い込んだ気分になります。救いのない話から、どこかユーモラスな雰囲気のある話まで。
    印象的なのは『件』。気付いたら件になっていて村人達から期待の眼差しで預言を待たれるという設定は実際とんでもない話ですが、主人公の開き直りにも近い姿勢が逆に清々しく感じてこの作品群のなかでは一番気楽に読み進められます。

    夏目漱石の『夢十夜』と類似していると聞きますが、本作の方が断然禍々しさを感じます。そこが堪らないのですが。

  • 大好きな幻想小説。久しぶりに再読した。ふとした日常の中に入り込む悪夢。そしてなに一つ解決しない。けれど、所々百閒先生らしいユーモアが混じる。それが物語の中から悲惨さを無くし、恐ろしい悪夢ながらも、なぜかスッキリとした読みごこちになる。そして、日本語の描写が美しい。

  • 悪夢。数多くの悪夢がとめどなく。

    私は冥途の方が好み。
    冥途は、というか序盤の作品は
    主人公の目線だけ。
    主人公の足元だけを
    言葉にしている感じ。
    旅順入城式はより怖い。残酷。

    件、蜥蜴、疱瘡神、残照がおすすめ。

  •  内田 百閒(1889年~1971年)は夏目漱石の門弟です。
     『冥途』は1922年(大正11年)に刊行されています。
     『旅順入城式』(岩波書店)は1934年に出版されています。
     私は今回はじめてこの作家の作品を読みましたけれど、独特の雰囲気のある作家です。
     岩波文庫の解説にあるように、『冥途』は夏目漱石の『夢十夜』と類似性が指摘されているそうです。『夢十夜』は漱石が見た夢を小説に書いたものです。確かに、『冥途』でも悪夢のような短編作品が並んでいます。
     特に私のお気に入りの作品は次の2つです。
    『件(くだん)』
     気かつけば、自分が頭が人間で胴体が牛という件の浅ましい怪物に生まれ変わっています。怪物である私の予言を聴くために、四方八方から人々が群れ集まって来ますが・・・。
     これは面白いです。
    『短夜』
     狐が化けたところを取り押さえてやろうとする男ですが・・・どんでん返しが鮮やかな作品です。
     『旅順入城式』にも、良い作品があります。「昇天」は素晴らしいと思いました。
     もし知らなくて、読んでみておもしろかったらコメントくださいね。


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    にゃんくの本『果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語』より
    (あらすじ)

     七歳になるリーベリの元に、或る日、継母のケイとその娘ミミがやって来ます。継母に虐められ、リーベリは学校にも通えず、幼い頃から働かされ、友達すらいなくなります。
     リーベリの心の拠り所は、亡くなったママ・ジュリアが遺してくれた魔法の教科書だけ。リーベリは毎日魔法の勉強をし、早く大人になり自由な生活を送れる日が来ることを夢見る毎日です。
     成長したリーベリの唯一の仲間はぬいぐるみやカラスだけです。
     或る日、そんなリーベリは、海岸にひとり男が倒れているのを見つけますが……。


    ↓ここから本を試し読みできます

    http://p.booklog.jp/users/nyanku

  • やっかいなしゃれたじいさん

  • 短編集だが,ひたすら悪夢が続く.悪夢というと語弊があるけど,要は,夢でうなされているような話ばかり.夢なので何のオチもない.ひたすら脂汗が出たり,歯ぎしりしたり,そんな気色の悪い(と一言で括ってしまうのも,また問題があるような)話ばかり.でも,止まりません.

  • 特にオチの無い悪夢のような短編ばかりなので、最初は読みづらい。
    だが、読み慣れてくると引き込まれる、その世界に浸ることができる。
    音の無い夜に火鉢を抱く、ミルクホールで先生と麦酒を飲む、可愛くて仕方ない水鳥を追って川を追う。

    そこでは不安や焦りが自分を取り巻いているのに、どこか居心地が良いのは、自分の心象風景と重なっているからだろう。

  • 百閒の幻想・怪奇文学といえばこれと『サラサーテの盤』(「東京日記」収録)が挙げられるでしょう。百閒は、日常生活にちょっと亀裂ができて、そこから、卵の黄身が潰れるようにどろっと“よくわからない怖さ”が入ってくるという怖さがあります。

    オススメ:ほぼ全編に渡ってですが、同じような話も多いので、飽きた際にはやや話の体がある『昇天』(←一押し)『山高帽子』が如何でしょうか。

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著者プロフィール

内田百閒(うちだ・ひゃっけん)1889―1970
岡山県生まれ。本名・栄造。15歳のときに親友・堀野寛と出会い、堀野を通じて読書の趣味に目覚める。翌年、夏目漱石の『吾輩は猫である』上篇を読み、漱石に傾倒。19歳のころには俳句熱が高まって、俳諧一夜会や苦渋会という句会を結成。岡山近郊の百間川から俳号を「百間」とした。1910年、東京帝国大学文科大学へ入学。翌年2月に、静養中だった漱石を訪ねる。漱石の面会日「漱石山房」に出席するようになり、小宮豊隆、津田青楓、森田草平、芥川龍之介、久米正雄などと知り合う。以後、陸軍士官学校や法政大学で教鞭をとる。1920年には、作曲家・筝曲家の宮城道雄に知遇を得て親交が続く。同年、幼少期より寵愛を受けてきた祖母の竹が死去。1922年、はじめての著作集『冥途』を稲門堂書店より刊行。翌年、関東大震災に遭い、『冥途』の印刷紙型を焼失してしまう。1933年に三笠書房から『百鬼園随筆』を刊行してから、『冥途』の再劂版や第二創作集『旅順入城式』(岩波書店)、『百鬼園俳句帖』(三笠書房)などを刊行。その他、『贋作吾輩は猫である』(新潮社)、『ノラや』(文藝春秋社)など多数の書籍、作品を発表する。1965年には、これまでの功績を評価され芸術会員に推薦されながらも「いやだから、いやだ」とそれを辞退。それからも『麗らかや』『残夢三昧』(いずれも三笠書房)などを著す。多くの名筆を世に刻み、1971年4月20日に逝去。

「2023年 『シュークリーム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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