- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003112724
作品紹介・あらすじ
日常の中に突如ひらける怪異な世界を描いて余人の追随を許さない百〓@6BE1文学、後期の傑作七篇を収録。東京幻想紀行とでもいうべき「東京日記」をはじめ、「白猫」「長春香」「柳検校の小閑」「青炎抄」「南山寿」「サラサーテの盤」を収録。
感想・レビュー・書評
-
百閒先生の描き出す、得体の知れなさが好きです。
表題作「東京日記」の、現実にある場所を舞台にしているのに、ひゅっと異界に引き込まれている感じ。
そして、少しは驚くものの、割とおとなしくその状況を享受している語り手にも、なんだか惹かれてしまうのです。
独特のおかしみに、ついついにやりとした笑いが浮かんでしまいます。
でも、人間の情念が描かれる物語の中には、背筋がぞっとするものも。
特に「南山寿」に登場する金縁眼鏡の男の、ねっとりとした粘着質な感じがなまなましくて「うげっ」と声を漏らしてしまいました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
おもしろかった!
標題の「東京日記」と「青炎抄」が特に好きかも
日常の中に突然現れる不可解な事象を淡々と描く雰囲気が、不思議で惹かれる -
薦められて読んだけど、私には理解出来ず。
とてつもなく素敵な日本語が散りばめられていて、
そこは好きだった。
でも何が何やら分からない、取り留めのない話ばかり。
きっとそこが良い点なんだろうけれど、
私には合いませんでした。
残念。
-
表題作が一部「1Q84」に引用されたようなのでご存じかもしれません。『東京日記』はもちろんですが、『長春香』と『柳検校の小閑』が特にお薦めです。二作とも関東大震災で亡くなった琴の女弟子についての惜別の情が…などというのは抜きにしてとにかく文章の巧さに震えます。
オススメ:『白猫』『長春香』『柳検校の小閑』
特に特に『柳検校の小閑』は、半端な恋愛小説を吹っ飛ばしてしまいます。 -
東京が帝都だった頃の
まだその名残のある頃の
江戸とも現代とも違う
気配
空気感
情緒
意外に身近な死
途中で終わった夢のような
キツネに騙されたような
知らない東京が
存在している本
徒然舎にて購入 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/700968 -
東京日記は好きな話。
都会の日常の中で、あきらかに異常なことが起こっているのに、まわりは騒ぎ立てるわけでもなく、平然と淡々としていて、ブツッと話が終わる感じが不思議な味を醸し出している。
この本を読んで、市ヶ谷とか神楽坂とか皇居前とかを散歩して、また読み返したくなる一冊 -
内田百閒の「けん」の字は門構えに月、これがPCでは標準的に扱われない文字なので、あるフォントで表示できても別のフォントでは表示できないことがある。化ける可能性もある。Webでは取扱注意の文字なので、Amazonでは「百けん」で扱っているようだ。こういう人名はネット時代にあってはちょっと難しい、著しく不利なものになってしまった。
ずっと前に読んだ岩波文庫の『冥途・旅順入城式』には内田百閒の比較的前期(1922《大正11》年、1934《昭和9》年)の短編小説が収録されているのに対し、本書は後期の作品群という設定になっている。本書収録作は1934(昭和9)年から1948(昭和23)年に発表されたもの。
巻頭にある「白猫」と「青炎抄」は文脈が明解でない、なかなか高踏派的な難解さを呈している。印象主義、象徴主義ふうな小説だ。この理解しにくさは、カール・ドライヤーの映画「ヴァンパイア」やゴダールの諸作を彷彿とさせる。だが、味わい深く、一定のイメージや不安感などが明滅する感じが、美しい。音楽的とも言える。
これらに対し、「東京日記」は各章ごとにまとまりが明確で、それぞれにシュールなイメージがあって分かりやすく、楽しい。
名文と評される百閒の文体は、確かに簡潔な表現で豊かな意味作用を醸成し、本当に見事なものだ。「うーむ、そう表現するのか」といちいち感嘆してしまった。現在はあまり見かけなくなった、高度に純粋芸術的な小説である。
読んだのがずっと前すぎてよく覚えていない『冥途・旅順入城式』の方も再読したくなった。 -
未感想
-
収録されている「南山寿」を読んでいて
ああ、おんなじだぁと思ったわ
「ときめくことはある?」
まず「南山の寿(南山のじゅ)」という四字熟語の意味をネットで調べた
「詩経 小雅,天保」にある語で、終南山がいつまでも崩れないように、事業が永遠である意から、 人の長寿を祝う言葉。(大辞林 第三版より)
だそう
「終南山」というのは実際に中国にあって漢詩に多くうたわれるとある
韓国にも南山という山があるらしいし、日本の名古屋にも南山という地名がある
(蛇足)
この「南山寿」という百けんの短編は
「最早世間に用のない身体である」という退官したばかりの元先生が
雨のひどい吹き降りの家の中で
「じっと座っていて何を考えると云う取りとめもない」生活をしているのだが
妻には先立たれるわ、後任の先生にはおちょくられるし
職探しをしてもうまくいかずでもやもやとしている様子が
百けん独特のぞわっとするような調子でたらたらと続くのである
戦前の作だから主人公は50歳代だ、今の65歳くらいにあたるのか
70歳代かもしれない
昔も今もおんなじだ(ということを発見した)
この主人公は恩給があってさしあたりの生活に困らないけれども
何か張り合いのあることがないか、どうかと、もがきにもがくのである
ま、結末はあっと驚く(笑っちゃう)のではあるが
やっぱり特異なうまい作家
しかし、長寿って寿(ことぶき)かねえ
先日104歳の姑を見舞って、つくづく思ったわ