宮柊二歌集 (岩波文庫 緑138-1)

  • 岩波書店 (1992年11月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (346ページ) / ISBN・EAN: 9784003113813

みんなの感想まとめ

多様な感情を織り交ぜた短歌が詰まった作品で、特に戦争を題材にした詩は、深い悲しみと共感を呼び起こします。著者の自然描写や家族への思いは、読者に温かさや安らぎを与えつつ、時には厳しい現実をも直視させます...

感想・レビュー・書評

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  • 宮柊二さんの歌集ですね。
    宮柊二さん(1912ー86)歌人、作家。
     解説で『本書は、「群鶏」から「白秋陶像」に至る宮柊二の十二冊の歌集から抄出した作品一七五六首(長歌一首を含む)を収録したアンソロジーである。』とあります。
     歌集を読むのに、一冊・百首程度が読みやすいので、ちょっと疲れましたが、宮柊二さんの短歌は、詩編のように気持ちの善いものなので、愉しく味わいました。戦争を詠んだ短歌は流石に辛い物がありますが、宮柊二さんの誠実で飾らず率直な、自然と生ある者への愛情に満ちあふれた短歌は、共感と感動を今に至るまで、錆び付くことは有りません。

     かなしみをはるかに聞かば過ぎし人
       あわれを知りて妻となりゐむ

     氷雨ふる木下暗(このしたぐれ)にのがれ来て
       生きの命に啼ける鶏(とり)はや

     霞草の一面にしろき丘くだり
       きざしくるおもひせちに切なき (山中湖畔)

     をさな子が遊びのひまに表情を
       変へゆくことのあな優々(やさやさ)し

     七夕の星を映すと水張りした
       らひ一つを草むらの中

     むらさきの木槿(むくげ)の花は照るばかり
       寂しきありて一本(ひとき)立つ見ゆ

     あたたかき饂飩(うどん)食うかと吾が部屋の
       前にたちつつわが妻が言ふ

     一鉢の黄の福寿草一壺の
       しろたへの塩今年始まる

     庭さきに梅が枝(え)黒しあたらしき
       風触(さや)りつつ蕾やや紅(こう)

     雨もよひ夏の日ざしの静まりに
       木ささげの花白く咲きゐる
     
     紫の睡蓮ひらき花小さく
       孫女童(まごめわらは)のひとみおもほゆ

     梅、石楠花(しゃくなげ)つぼみたしかに
       はぐくみて 冬日に光る励まされをり

     七十歳越ゆる人は一生の
       限度にあらむわれも越えしが

     長(おさ)の子に妻めとらせむとおもひたる
       今日庭に咲く石楠花ゆたか

     むらさきに菫(すみれ)の花はひらくなり
       人を思へば春はあけぼの

     雨戸あけ夜空仰げばすさまじく
      月かかりをりただひとつにて

     解説で高野公彦さん(編者)が、「心はかえって澄み、たんたんとした詠み口で慈味を湛えた歌は、読む者の心を包むようなやさしさがある。」と語られています。やわらかい作風は心に安らぎを覚えますね。

       

  • 「宮柊二歌集」 岩波文庫【31-138-1】
    編者 宮英子/高野公彦 

    本書は、宮柊二氏の一二冊の歌集から抄出した作品1756首(長歌一首を含む)を収録したアンソロジーになっています。編者の一人である宮英子さんは、氏の奥様にあたります。

    一二の歌集と、心に止まった多くの歌から一首ずつご紹介させてください。

    第一歌集『群鶏』(昭和10年6月ー昭和14年8月)
      「疾風(はやてかぜ)揉み揉む梢の花白く
       傷めらるるものの美しさにあり」
    第二歌集『山西省』(昭和15年1月ー昭和18年12月)
        太平洋戦争の戦場詠が主となっている。
      「まどろめば胸どに熱く迫り来て
          面影二つ 父母よさらば」
    第三歌集『小紺珠』(昭和21年1月ー昭和23年6月)
        敗戦直後の混乱と窮乏の中詠まれた抒情歌
      「七夕の星を映すと水張りし
         たらひ一つを草むらの中」
    第四歌集『晩夏』(昭和23年4月ー昭和25年10月)
        まだ物資の困窮の中、会社勤めの日々
      「語ることすくなく二人寝ころびて
        蟋蟀(いとど)がくれば笑ひ合ひにけり」
    第五歌集『日本晩夏』横浜から東京へ転居
        (昭和25年11月ー昭和28年3月)
      「雨となる曇り日の午後 秋ふかき
         松葉牡丹の種子(たね)とりにけり」
    第六歌集『多く夜の歌』初めて収録歌千首超え大冊
        (昭和28年3月ー昭和36年1月)
      「ときをりに恐ろしきこと宇宙ゆく
         シベリヤ犬の旅行おもへば」

    ーこの後から三冊の大冊歌集が続く。歌人としての評価が高くなったことなどが背景にある。ー

    第七歌集『藤棚の下の小室』
        (昭和36年1月-昭和41年1月)
      「萌えいでし 若葉や棗は緑の金、
       百日紅(ひゃくじつこう)はくれなゐの金」
    第八歌集『獨石馬』(昭和41年1月ー昭和47年12月)
      「白樺の庭の樹間(このま)に土割りて
        花可憐なる スノー・ドロップ」
    第九歌集『忘我亭の歌』
        (昭和48年1月ー昭和53年3月)
      「穉児(をさなご)の
       こゑ電話より優々(やさやさ)し
         羅睺羅(らごら)のごとき声よと思ふ」
    第一〇歌集『緑金の森』
        (昭和53年4月ー昭和55年一部)
      「この庭で手鞠遊ばむ待ちがたく
         孫の童(こ)を待つ春はあけぼの」
    第一一歌集『純黄』(昭和55年ー昭和59年一部)
      「池ぎはに咲くさるすべり花散れば
         右往左往す池の金魚ら」
    第一二歌集『白秋陶像』(昭和59年ー昭和61年)
      「ハレー彗星楕円軌道をゑがきつつ
         地球に近づく昭和六十一年」

    第七歌集以降は、愉しく詠まれている歌が多くて、一つ選ぶことは難しいです。
    (徐々に病に悩む歌も増えていきます。)
    様々な時代の流れを感じながら、情景や家族を思う優しさに触れられる日記のような歌集でした。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

    お恥ずかしながら歌に疎くて、“ひだまりトマトさんの本棚“で宮柊二さんを初めて知りまた。図書館でお借りし、少しずつ読み進めて無事に読み終えましたが、付箋でいっぱいになってしまっています。(返却前に外さなければです。汗) 全歌集から抜粋された入門編のような一冊で、大変充実した読書体験になりました。ひだまりトマトさん、ありがとうございました。(*´ω`*)

    • ひだまりトマトさん
      メメさん、お疲れ様でした(´ー`).。*・゚゚
      すごく丁寧な感想に感動しました♪
      宮さんの歌集は、実は東直子さんの本で知りました。
      柔らかく...
      メメさん、お疲れ様でした(´ー`).。*・゚゚
      すごく丁寧な感想に感動しました♪
      宮さんの歌集は、実は東直子さんの本で知りました。
      柔らかく身近な作風に惹かれたのですが、メメさんにも何か感じるものが得られたようなので良かったです。(笑)
      一度にたくさん読むのは大変でしたね(^_^;)
      これからも短歌に親しんでまいりましょう(’-’*)♪
      明日が好い日でありますように(^.^)/~~~
      2024/06/24
    • メメさん
      刺激を受けながらも、愉しい時間でした。☺️
      よい夢を。良い睡眠をとられてください〜(*´︶`*)
      刺激を受けながらも、愉しい時間でした。☺️
      よい夢を。良い睡眠をとられてください〜(*´︶`*)
      2024/06/24
  • 『山西省』の臨場感は他に類を見ないものだ。最前線の一兵卒の見ている景色がまざまざと眼前に現れる。彼の感情の動きがありありと手に取るようにわかる。晩年に至るまで折に触れては戦争の歌が詠まれる。その体験の強烈さを表している。『忘瓦亭の歌』にある母親の死を詠む歌を心に留める。『純黄』にある近鉄対広島の歌などなごむ。

  •  今回は132ページ、歌集「多く夜の歌」の1956年の初めの章「夜の雲」よりである。
     「尋常にめぐりきたれるこの朝の空気つめたく寒きをよろこぶ」は、尋常な朝を喜ぶ、新年詠であろう。
     「ふるさとは影置く紫蘇も桑の木も一様(いちやう)に寂し晩夏のひかり」に「寂し」と出て来るけれども、今回読んだ7ページの内、これを含めて「寂し」が2回、「寂しき」、「寂しさ」、「寂しきかなや」、「寂しく」、「寂しかる」が各1回用いられて、つくづく寂しい歌人だったと、身に沁みる。
     134ページの「粗組の家」では、自分たちの家が竣る事を喜ぶ。
     日本の原子力発電、人工衛星の出来事を、さっそく詠み込んでいる。

     メンバー3人で、喫茶店で短歌研究会第30回を持つ。
     第6歌集「多く夜の歌」(1961年、白玉書房・刊)分の、146ページより。
    「黒き山」の章より。
     夜間の飛行機からの眺めである。初めの「昇りつく」の歌の「呎」は「フィート」である。僕が推測して、電子辞書で確認してあった。
     中下句「月白くかがやくを見る物体として」の結句は、感情移入のない、冷静な観かたである。
     初句2句「密雲の間(ひま)に聳(た)ちつつ」の「聳つ」の読ませ方は珍しい。
    「北辺行」の章より。
     北海道旅行詠である。歌人として、先の章と共に、歌会、講演などに招かれて、旅が多かったのだろう。
     章題は「ほくへんこう」と読むのだろうと、3人で推測した。
     下句「白波寂し潮けぶりして」は、結句で決めている。
     2句~4句が「陸に直入せん際(きは)の雁の羽音(はおと)の」は、2句から3句にかけて、句跨りである。
     昭和三十五年に入る。
    「二月まで」の節より。
     「野火止(のびどめ)の寺の厨を流れつつ春の引水(ひきみづ)せせらぐものを」の1首、初句の「の」は、主語を示す「の」だとTさんが指摘し、それならとMさんと僕は納得した。
     149ページまでで、僕の臀部痛もあり、ここで仕舞う事にした。

     今回は149ページ、歌集「多く夜の歌」の昭和35年、「野母半島沖」の章から始まる。
    野母半島沖
     野母半島は、電子辞書版「広辞苑」第7版にないけれども、ネット検索に依ると、長崎県の長崎半島の別名である。
     「海境(うなさか)に」の歌の、結句「白(しろ)恋ひわたる」の「白」が何かとTさんが問うので、2句「秋雲かかり」の雲だろうと、Mさんと僕は考えた。
    私記録詠
     「腕を置く」のうたの下句「沈黙の影吾(われ)にあらずや」は、わざとらしくも取れるが、退職を前に茫然としていたのだろうと、3人の読みが一致した。
     「行為なく逡巡に就き逃走をつねに構へき有体(ありてい)に言はば」の歌に、TさんとMさんは同感するようだった。僕は、組合活動ではないが、権力に反発していた。
     「雨負ひて」の歌の絵の画家、瀧口修造は、夫人・宮英子の従兄にあたる。
     「まつすぐに」の歌の「たまゆら」「揺りて」の語を、詩的だと僕は述べた。
    藤棚の下の小室
    昭和三十六年 年あらたまる
     歌集「藤棚の下の小室」(1972年・刊)に入る。
     「若きらは国に殉(したが)ひつねにつねに痛ましかりき顧(かへりみ)ざりき」の結句の主語の解釈で意見が違った。僕とMさんが、「若きらは」が主語で、家族や過去を顧みなかったのだと思ったが、Tさんは「世間が」顧みなかったのだと述べた。
    梅雨近む
     2首目の結句「雨夜田蛙(あまよたがはづ)」は、「雨夜雁(あまよかりがね)」の例があると、Tさんが博識を示した。
     3首目の「若葉冷(わかばびえ)して」の句は、「雨夜〇〇」と共に「〇〇冷え」と、作歌に生かせるとMさんが述べた。

     今回は、163ページ、第7歌集「藤棚の下の小室」(1972年・刊)より、「隠岐(一)」の章より入る。
    「隠岐(一)」の章。抄出で4ページに渉る大連作である。
     初めの「対馬海流」の歌の中句、「振放(ふりさ)けて」は、振放ける、の語が辞書にない、と僕は思っていたいたが、古語の「振放く」で広辞苑に載っている、と2人に指摘された。現代文法の歌を約3年作って、古語を忘れかけたのだ。結句「潮青光る」は、安易に「青潮光る」と結んでしまいそうだが、厳密性を求めたのだろう。
     各首にはそれぞれ工夫があり、Tさんは男盛りの充実した時期だったのだろうと、感想を述べた。
    「浄瑠璃寺」の章。
     「忿怒相(ふんぬさう)」と始まる歌の、持国天王像は、四天王の一つで、甲冑を着けた忿怒武将形に表されるという。
     「塔と堂」との歌の下句、「彼岸(ひがん)此岸(しがん)の石灯籠見ゆ」は、優れた対比の歌だと、話し合った。
    「胸奥」の章。「きょうのう」ではなく、「きょうおう」と訓じるらしい。
     「種の別は」の歌は、外国の部族戦争を詠むらしい。
     「道の辺(べ)に」の歌の下句、「渦巻けるごとき林檎の皮」の字余り、字足らずは、「渦巻けるがの林檎の皮を」と或いは定型に収められる所を、敢えて強調したのだろう。
    「朱鷺幻想」の章。1963年の作品に入る。
     長歌1首、反歌2首、すべてを収める。
     長歌1連より、外れるかも知れないが、「離々たりし穂も実も今は」の歌の「離々」は間違いやすいけれども、「穂や実が稔って垂れるさま。」(広辞苑第7版より)である。

     2019年7月22日の喫茶店で、メンバー2人が「短歌研究会B第35回を持ち、岩波文庫「宮柊二歌集」の読み込みをしました。

    「簗に泊る」の章より。
     2首めの下句「夜の硝子戸や霧入れしめず」の「入れしめず」をTさんが訝るので、戸を固く閉めて、霧を入れさせない、の意だろうと僕は単純に解釈した。
     3首めの結句「その背を並ぶ」の「並ぶ」は他動詞「並べる」の古型の終止形だろう。
     4首めに「寂し」の語があり、後に「寂しむ」、「寂しき」2回の語も出て来て、これまでと同じく「寂しい」心(戦争に生き残り、戦後を生き抜いて来た)を保ち続けたのだろう。
    「隠岐(二)」の章より。
     1首めの「黒き牛たつ」は、船着き場になぜ居るのか、放牧の牛が船着き場にまで至ったのだろう、とTさんが推測した。
     7首めの上句「東国賀島後水道」は、どこで切れるか、訓みも、3人でわからなかった。
    「伯耆大山」の節より。
     1首めの上句「明けてくるみなみの空に」は、なぜ東空でないか、Tさんが提議したが、3人では解けなかった。

     短歌研究会Bに入る。同・Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
     今回は180ページ、歌集「藤棚の下の小室」(1972年・刊)より、1964年の「雑詠」の節より入る。「藤棚の下の小室」に至る。

     短歌研究会B第39回を持ちました。以下のアドレスのブログ記事をご参照ください。
    http://sasuke0369.blogstation.jp/archives/34345385.html

  • 「ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづれおれて伏す」いつぞの新聞で取り上げられていたこの歌に驚いて宮柊二の名を知る。それを収める山西省が欲しかったけれど高い中古しかなかったので本書を購入。
    詩歌をうまく解す心が私には十分ないが、通底する悲哀の上に戦争の過酷さ、怜悧な自然描写、家族を想う気持ちがないまぜになった歌歌にはっとさせられた。
    晩年の体の不調とともに厳しさを失った歌にはさほど心を動かされなかったものの、一冊を通して追いかけた戦前戦後を生きたひとりの最期を看取るような気持になった。

  • 流れつつ藁も芥も永遠に向かふがごとく水の面にあり

  • 「現代短歌 そのこころみ」でいちばん印象に残った歌人。

    「山西省」の後記は図書館で借りた全集のをコピーして持っています。各歌集の後記は岩波文庫には収録されていないのが残念。

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