- Amazon.co.jp ・本 (335ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003115114
作品紹介・あらすじ
一連の麗子像を中心とする作品で知られる岸田劉生(一八九一‐一九二九)は、文才にもめぐまれ、卓抜な画論、随筆を数多くのこしている。明治・大正の銀座をしのぶ回想録「新古細句銀座通」をはじめ、「デカダンスの考察」「草土社今昔談」等19篇を収録した。挿絵多数。
感想・レビュー・書評
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岸田劉生 随筆集。芸術論やプロ論として面白い。一流芸術家の独創性、創作思想など 一流たる理由がよくわかる。読む前と後では 麗子像の見方が、写実的なものから 観念的なものへ 変わった
麗子像から 内なる美〜芸術的稚拙感、卑近美、静的で神秘的、老熟な落ち着き から 生まれる 民族的な美〜を抽出した気がする
芸術論
*芸術は ただ力である
*写実は 美術の一般的な道だが 写実のみが美術ではない
*見えたように正直に描く〜見えた通り描いても非凡となることが 尊い
*芸術は 味をつけて煮たものでなければならない〜生のものを芸術的に殺して 料理して 煮て食わす
*優れた画には 芸術的稚拙感が加わっている〜一見まずそうに見える不思議な美
*美は 結局、無限に帰する
東洋美、古い日本の美
*内からにじみ出た民族的な美
*卑近美(卑しさや下品に見える美〜端正など露骨な美の条件とは正反対)
*露骨な美が避けられている〜そこに 深さ、無限さ、神秘さがある
*深さ、蘊奥(うんおう)、味わいにおいて 西洋美より勝る
*東洋美は 陰的、神秘的〜老熟、落ち着き
現代の日本の美、西洋美
*民族の心、内なる美が変化
*静がない、忙しい美
*西洋美は 陽的、現実的〜西洋美術は 露骨に生きている→若くて生き生き
デカダンスの考察
*芸術的な堕落、道徳的な堕落
*デカダンス芸術は 芸術としての本道ではない
*美と反対のグロテスクは、より深い美を含蓄詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『想像と装飾の美』読了。
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「麗子像」とかで有名な岸田劉生の文章をいろいろ集めたもの。
文明の考察などなかなか鋭いと感じた。西洋と東洋の芸術に対する比較もなかなか興味深い。実作もしつつ、これだけの理論を繰り広げられるのはなかなか面白いと思った。実際に劉生が描いた絵もまた鑑賞し直して、理論と実作がどのような関係にあるのかを確かめてみたい。
とりわけ中国の美術に関する所感が興味深く、宋のものとか鑑賞したくなる。 -
強い。
セザンヌもロートレックもゴッホも非難してしまうなんて笑
自分の目で見て、美を定義し、作品に打ち込む。
誰よりも自身を客観的に見ることを忘れなかったんだろうなぁと思う。
だってこの自己愛者の作品は、訴えてくるんだから。
『人類が合理的生活へ向かって行き出すと、この趣味生活への要求は緩和され、弱められてくる』
『モダンの美には静がない。これは世相の反映である』
『この孤独になるほか、外物との本当の接触や交渉をすることのできないのを信じる。』
『自分は自分の道を知って、自分の現状を知ってほんとに自分でないすべての道や個性を知った』
『自分は時として、自分の孤独に寂しさを感じることがある。ほかの個性と自分の性格との差別を底から意識することによって自分はある寂しさをほんとに味わうことがある』
『自分はこの自分の孤独を感ずることの外に、自分の生存を感じることはできない』
『人間は孤独をつかんでからでなければ真の生活を始め得ないことを感じる』
『同じ部分を上から何度も描いてみる。しかしどうしても描けないものがあるのに出会う。そうして、これを追及することで、自分の芸術は進んでいるのを感じる。』
『時として自分はこのじぶんの行き道の客観的価値を考えることがある。そうしてどれだけの大きさをもって、人類に交渉するかということに不安を感じることがある。しかしこのことは自分の力に対する自信の減少した時に限りて自分の心に起る不安である』
『自分は自分の道の客観的評価を知らない。そうして知ろうとも欲しない。力のみ道を創造する』
『皮相のところでしか自然や人生に交渉していないアートはつまらない』
『自分は内にある神を求めては落ち着けなかった』
『自分は自然を見ることによって現わしたいものに心が充ちることを経験するようになった』
『技術は善き内容に支配されなくては善きものに進むことはできない』
『愛を知れ。表現しなければおけないものと、表現しなければおけない心を味わえ』
『美は外界にはない。人間の心のうちにある。それが外界の形象をかりて現れると自然の美となりその表現が写実になる』
『生の表現はつまり美化の洗礼前の表現であって、美的統一がなく、感情が出ていても散らばっていて、緊密してこない』
『技巧を借りずに直接に出せる内容があるとすれば、それは極めて簡単なものにすぎない。深く、複雑な、内容美が、現れるために用いられる手段と、その変化が、すなわち技巧の生まれるゆえん』『』 -
ずっと昔から「麗子微笑」を描いているひとは
いっちゃっている人だと勝手に思っていたのですが。
実際、いっているところもあるけど、
お金持ちでぼんでわがままなあたらしもの好きなおじさんでした。
まさに明治の金持ち。
大好きなバーナード・リッチと交遊があったところが衝撃。