堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)

著者 : 坂口安吾
  • 岩波書店 (2008年9月17日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (405ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003118214

作品紹介

1946(昭和21)年4月に発表された「堕落論」によって、坂口安吾(1906‐1955)は一躍時代の寵児となった。作家として生き抜く覚悟を決めた日から、安吾は内なるとの壮絶な戦いに明け暮れた。他者などではない。このこそが一切の基準だ。安吾の視線は、物事の本質にグサリと突き刺さる。

堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 2月の読書会課題本。エッセーというより文芸批評のような文章が多い。表題作はどちらも個人的にはほとんど肌の合わない内容で、終始違和感を覚えた。また表題作とは直接関係ないが、著者自身と考えの合わない作家たちを「ボンクラ」などの下品な言葉で罵倒していることが多く、それらにはかなり不快な印象を残した。

  • 超個人的事情ですが、気管支喘息が悪化して人生詰んだ時期に、坂口先生の「生きることだけが、大事である」とのお言葉を心の支えに復活しました。
    拝読した時には半ば療養生活でしたが、今は、冬は鬼門、スヤァ…というのはあっても、楽しく過ごしております。
    坂口先生は、日本人には深刻な憎悪の感情は殆どない、「昨日の敵は今日の友といった甘さが日本人に共有の感情だ」と首を傾げていらっしゃるくらいに、善良さも見え隠れ。
    読者の方によってはライトに見えるとしたらそこかな、とも。
    「私はただ人間を愛す。私を愛す。私の愛するものを愛す。徹頭撤尾、愛す」。ズバーッと批評家の反面、お優しさも伝わるので好きです。命の恩人。

  • 甘ったるい偽善的な装飾を嫌い、徹底してものごとの奥底に光る「ホンモノ」を見つけ出そうとした文豪:坂口安吾。その格闘の軌跡。

  • 途切れ途切れで読んだから感想書きにくいけど読みやすかったです。目次も読まずに借りたから「不良少年とキリスト」が入っていてラッキーだと思った。
    「不良少年とキリスト」は、太宰治って思ったより「人間失格」そのものの性格してたんだな…って感じ。もっというと人間失格の幼年期がそのまま大きくなったような。


    成増図書館 岩波文庫

  • 読んでいて、正直難しいと思う部分が多かったです。
    しかし全体を通して、筆者の一貫した思いを感じるエッセイでした。強い思いがあって書かれたものだと感じました。だからこそ、書かれた当時から時代は変わっても、変わらず読み継がれ、胸に響く文章なのだと思います。

    とにかく、苦しくても悲しくても、もがいて生きよう、という気持ちにさせてくれました。
    もう少し内容が理解できるようになった頃に、また読みたいです。

  • 高校生の時からずっと繰り返し読んでいます。坂口安吾のことを勝手に先生と呼んでるくらいに好きです。私たぶん坂口安吾教の教徒なんだと思う(笑)時代を感じさせない独自の切り口と、人生或いは生に対するひたむきな考えがすごくかっこいいなって。過激なことを述べながらも丁寧な言い回し・配慮を怠らない書き方が好きだなあ、と惚れ込んでます(笑)文豪と呼ばれる人々の中で一番好き。
    堕落論、日本文化私観などの著名な作品をはじめとした短い作品が収録されています。

  • 2016.1.31
    これまたすごい本に出会った。坂口安吾恐るべし。本著は著者のエッセイ集だが、文学論や芸術論もとより、人生論、人間如何に生きるべきかがここには書かれている。人間、私、これはもうどうやっても他者と交換不可能なものであり、人間みな各々、己を生きている。ではあとか如何に、より己を生きるかである。基準は一切、自己にある。人の人生なんて生きない、人の価値観なんて生きない、ただ己であること、その唯一絶対基準により生きる道を探る。そしてまた己とは人間である。人間とは何か。人間とは欲望存在であり、下手な社会通念や道徳によって覆って誤魔化すのではなく、虚偽にまみれることなく、欲望を直視して生きよという。虚偽にまみれた人生の成れの果て、死という絶対を前にしたその薄っぺらさと後悔は、トルストイのイワン・イリッチの死に描かれている。人間として、虚偽なく、道徳なんて嘘で隠すことなく、人間らしく生きるには堕落が必要だ、人間よ堕落しろ、これが堕落論である。ただひたすら自己に還元し、自分を見つめ、自我に嘘をつかず、正直に、己らしく、人間らしく生きようとした。このような価値観は、私も常日頃考えていることで、非常に参考になったというか、感動した。私なんてまだ嘘まみれな人間だけど、過去にこんな、この茨の道を生きた人がいたのかと思うと、感動する。芸術とは生きることだと岡本太郎さんも言ってたっけ?まさに、芸術家とは何よりも、自己と向き合い、そこから人間を洞察しなければならない。しかし、改めて考える。自己に忠実に生きることが本当に、よく生きると言えるのか。生きることは欲望だ、ならばよく欲望を満たせば、よく生きてると言える、のかもしれない。そして欲望とはまさに私に宿るもの、私の欲望というオリジナルなものである。私の死とあなたと死が全然別のものであるように、私の欲望存在としてのあり方と、あなたのそれもまた違う。己を、人間を生きるとはつまり、他の誰とも変えようのないオリジナルとしての私固有の、欲望存在というあり方を、直視し、誤魔化さず、生きろ、ということだろうか。でも欲望に従えるほど、やろうと思って堕落できるようなものでもない。だって怖い。堕落することも怖い。欲望に忠実にというが、自己を顧みればみるほど欲望はまるで闇鍋みたいにいろんなものがごった返して存在しているものであって、その中には1つに従えば他を捨てる結果になるものもある。欲望に忠実?どの欲望に忠実になれというのだ。従うべき主人が100人いて誰に忠実になればいいのかわからないのと同じだ。自己を自覚し自己を内省すればするほど、何もできない。右に行けば嘘になり、左に行けば嘘になる。結果身動きはとれない。ずっと引き裂かれ、ずっと葛藤。苦しい。もうこんなの嫌だと思う。嘘でもいいからぬるい幸福にすがる。厚顔無恥な道徳を得ようと自己啓発本を読む。でも結局、それもできない。嘘を退け続ける強さもなければ、嘘をつき続ける強さもない。これは私の話だが、これも1つ、人のあり方ではないだろうか。堕落すらできない。人は永遠に満足できず、引き裂かれ続け、苦しみ続ける。これが私なりの、正直な生き方という問いの答えである。救いはない、かな?いや、そんなことはない。この苦しみに嘘はなく、故に己を生きているという実感、その上でたまに手に入る幸福、それを本当にありがたいと思える。また宮本武蔵や勝海舟の親父さんの話も面白かった。人事を尽くして天命を待つ、というか。世界は時に私がいかに生きようと全く関係なく私に幸も不幸も与える。それは天命、変えようのないことだ。しかしならば人事をしてどこまで尽くせるか、これこそ人間の分限であり、ここに生きることの課題がある。この本に書かれていた人生論は、大きく私の今後の指針となるだろう。また読み返したいと思う一冊。下手な自己啓発より、哲学書より、芸術家の書いた人間論や人生論が、私を強く耕してくれるなと思った。生きねば、生きねばならない。その現実、その苦しみと向き合い昇華したものこそが美しい。必要は発明の母という。真善美も、笑も、すべてそうではないか。それ自体として目指すものではない。生きることと向き合うことで、必要を見出さねばならない。必要を見出した人間こそが、真善美も得られるのではないか。

  • 短編小説の名手といえば、外国なら、
    モーパッサン、チェーホフ、S・モーム、O・ヘンリー、ダール、ポー、
    あたりがまず頭に浮かんできますね。
    特に、ロアルド・ダールが大好きです。
    ヒッチコック映画を観ているようでぞくぞくします。

    日本で言えば、
    森鴎外、永井荷風、芥川龍之介、志賀直哉、稲見一良、山本周五郎、藤沢周平、
    江戸川乱歩、星新一、松本清張
    あたりでしょうか?
    特に、稲見一良「ダック・コール」は絶品ですね。

    で、随筆の名手、特に日本人でいうと、まず筆頭にくるのが丸谷才一でしょう。
    その他、内田百間、寺田寅彦、柳宗悦、日高敏隆ぐらいがぱっとうかんできます。
    特に、丸谷才一の博覧強記ぶりには舌を巻きます。勿論文章はピカイチ!!!

    所が、最近、坂口安吾の随筆にはまっています。
    恥ずかしながら、彼の小説といえば
    「不連続殺人事件」ぐらいしか読んだことありません。
    更に恥ずかしい事に、あまりにも登場人物が多くて
    犯人が全くわかりませんでした(⌒-⌒;)

    その坂口安吾の随筆は小説より面白いと解説文ありますように、
    読み始めたら止まらなくなります。明快で読みやすいです。

    例えばこうですー
    『空にある星を一つ欲しいと思いませんか?思わない?
    そんなら、君と話をしない。』(「ピエロの伝道者」)

    どうです?おもしろそうでしょ?そう思わない?
    そんならあなたと話しない(o^。^o)

    ざーと目を通し、今読み返しているところですが、
    私にすれば多分にこじつけというか、独断的な部分はありますが、
    でも、面白いです、是非おすすめします。
    そう読みたくない?そんならあなたとお茶でもしましょう\(^-^)/

  • 坂口安吾、この人は駄目だな。個人的には全く合わない気がする。
    文章が思いつき、というか飛躍が多く、繰り返しも多い。明らかに原稿用紙の升目を埋めるために書いているようなものもあって、そんなものを有難く拝読しなくてはいけないのだろうか?なんだかんだいっても結局最期は「生きることだ」みたいな結論で、説得力がない。

  • 集英社版の堕落論を読んで、非常に感銘を受けたので他のエッセイも読みたく思いこちらも読んだ。非常に面白く、新たな思想に触れて感銘を受けると同時に、数を重ねる事で彼の思想が立体的に浮き彫りになってきた気がする。非常に首尾一貫した、人間愛者だと感じた。ネガティブなイメージが先行してしまうのかもしれないが、彼の人生に対する態度は、彼が戯作について述べていたような『徹底的な肯定』と通じるものがあり、人生の、人間の汚い面や悪い面なども、全てをぐいと飲み下して肯定してしまう、そう言う奮闘の姿なのだという事がひしひしと伝わってくる。

    彼が繰り返し強調する概念の中に見えたのは、肉体性というものをきちんと見据える姿勢だった。教祖の文学の中で、小林秀雄の批判を通して彼が述べていた事は、小林自身が『自分は小説の才能がなく、批評家にしかなれなかった。』と言う言葉と重なる。小林のような徹底的な客観性に基づき、論理と抽象化により、無機質で普遍的な真理を究明していく徹底的な態度と言うものは、事実から肉体性を排除してしまうものであった。坂口安吾は繰り返し、小説とは個別性であり、個人性であると述べ、つまりそれは肉体的な営為であるのだから、この点において、文学者としての坂口安吾と批評家としての小林秀雄が、このような対照をなすと言うのは当然のことなのだろう。私は小林秀雄が非常に好きだが、文学と言うものを考えた時に、坂口安吾の言うような地に足のついた、肉体性に根ざした感覚と言うものを大事にしたいと感じる。

    青春論で述べられていた淪落的な生き方もそうなのだが、やはり坂口安吾と言うのはどこまでもまっすぐで、人生に誠実であったのだというのを感じた。死んだら終わり。それまで。そう言う風な考え方を徹底している。勿論、現代の人間においては特にだが、社会的動物としての人間が個人の死によって完全に消滅するかと言う観点から見るとそれは肯定できるものではないが、この言葉をそう言う風に字面どおりに受け取るのは違うと感じた。つまりその言葉は、彼の『生きている時間は少しでも大切にしなければならない』と言う、人生に対する真摯な態度を何より象徴しているのだと思った。彼が作中で述べたように、彼は女性が老いて美を失う事を恐れるような感覚は持っていなかった。老いというものが彼にとってはそう大した問題でなかった。だが、女性のそう言う態度を肯定し、そのような、時間を惜しむ人生と言うものに価値を見出している。だから彼は自分の生命を、女性にとっての美と同値に考え、女性が老いを恐れるように死を恐れようとした。若さに縋るのではなく生命に縋り、生きている時間と言うものをどれだけでも濃密なものにしようとした。そう言う必死でがむしゃらな態度こそ、彼が繰り返し肯定していた、肉体的な生き方であった。芸術は長く、生命は短い。だが、長さは決して価値と同義ではない。どこまでも『自己』を出発点として、ブレずに世界と向き合おうという姿勢には、我々の学ばなければならないものが多分に潜んでいると思う。

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