六白金星・可能性の文学 他十一篇 (岩波文庫 緑185-1)

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  • 岩波書店 (2009年8月18日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (384ページ) / ISBN・EAN: 9784003118511

みんなの感想まとめ

人間の絶望を超え、可能性を描く文学が魅力的な作品集です。特に「六白金星」と「アド・バルーン」は多くの読者に支持され、活き活きとした昔の大阪の描写が印象的です。著者の独自の視点が光る作品群は、自然主義文...

感想・レビュー・書評

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  • 六百金星とアド・バルーンが面白かった!
    オダサク読んだことなかったけど文豪でこんなおもしろいのは最高!!
    人間の絶望より可能性を描く文学、活き活きとした昔の大阪の描写、大好きな作家になった!

  • 久し振りのオダサク。論文は少し難しいところもあったものの、かなりツボ。オダサクと坂口安吾と太宰治が一緒に飲んでる場面など想像するだけで面白い。自分は自然主義文学が好きなのだが、オダサクはあまり良く評価はしてないようで。

    小説は全て面白かった。

  • ⭐︎
    六白金星
    競馬

  •  1945(昭和20)年から翌1946(昭和21)年にかけての作品が収められている。1947(昭和22)年にまだ33歳にして早逝した作家なので、若いが「晩年」に当たる。
    『夫婦善哉』を中古の新潮文庫で遥か昔に読んだことがあるきりで、さして印象のない作家だったが、今回読んでみてとても良かった。読みやすい文章でしばしばユーモアをも交え、微妙で深みのある人間像を呈示する。特に「表彰」「六白金星」が非常に良かった。
     この世代の作家の文章は、先行する世代の文章とは何か根本的に異なって、実に読みやすい。太平洋戦争中から作品を発表した作家なのだが、私の目には「戦時以前」と「戦後」とのあいだに、日本文学の「文体」に大きな断絶があるように見える。そして後者の文章の「平易さ」(あるいは工夫の無さ)は後々に更に度合いを増して、こんにちのスカスカな文体へと一直線に変容してゆくように見える。
    「無頼派」と呼ばれる
     織田作之助(1913《大正2》-1947《昭和22》)、
     太宰治(1909《明治42》-1948《昭和23》)、
     坂口安吾(1906《明治39》-1955《昭和30》)
    の3人はどうやら実際に仲が良かったらしく、本書所収のエッセイ「可能性の文学」の中で3人が共に酒を飲みながら語り合う場面が描かれている。この3人は何故かみんな若死にしている(織田33歳、太宰38歳、安吾48歳)。
     本書の短編小説の深みのある味わいに心動かされたのだが、作家が文学観を明示したこのエッセイ「可能性の文学」も非常に興味深い。当時文壇で絶賛された志賀直哉を中心に、ほとんど宗教のように瀰漫した価値観に、織田作之助は全霊を込めて抵抗する。そうした「美術工芸品」のような小説価値は、世界近代文学から見るとほんの一部に限定されたものでしかない。「美術工芸品」としての完成は、もはやそこには「可能性」は残されていない。文学としての「可能性」、そして人間の「可能性」である。

    <「可能性の文学」は果して可能であろうか。しかし、われわれは「可能性の文学」を日本の文学の可能としなければ、もはや近代の仲間入りは出来ないのである。
     小説を作るということは結局第二の自然という可能の世界を作るということであり、人間はそこでは経験の堆積としては描かれず、経験から飛躍して行く可能性として追究されなければならぬ。>(P362)

     そういえば日本社会・文化、日本人というものが、西欧と比べると確かに「ほんとうの近代化」を経ないまま未熟さに留まり続けたという現在の現実が、ここにも表現されているように思える。
     そして「第二の自然という可能の世界を作る」ということ、思うに音楽を作るということもやはりこれなのではないか、と感じ入った。
    「無頼派」の3人は3人ともに独自の魅力を持った作家たちだが、織田作之助に関しては、死ぬのが早すぎたという惜しまずにはいられない。

  • 作之助の作品全部大好き脳内お花畑ハッピー野郎です
    『アド・バルーン』がどちゃくそ好きで何回読んでも良〜〜〜!!!ってなります
    『髪』は「撲られたということをここで語ることでユーモアを生んでいる」って解説では言ってるけど、私はいつもユーモア以前に作之助のこと撲ったやつ地獄で待ってろよって思いながら読んでますユーモア無くてごめんなさいははは

  • ○目次
    道なき道/髪/表彰/女の橋/船場の娘/大阪の女/六白金星/アド・バルーン/世相/競馬/郷愁/二流文楽論/可能性の文学

    人のリアルと可能性を描く織田作之助文学。変に飾ってない素の人間が見えるので、夫婦善哉に続けて一気に読みました。

  • 彼の文学論が読めるとは思わなかった。興味深い。

  • 道なき道

    表彰
    女の橋
    船場の娘
    大阪の女
    六白金星
    アド・バルーン
    世相
    競馬
    郷愁
    二流文楽論
    可能性の文学

    著者:織田作之助(1913-1947、大阪市天王寺区、小説家)
    解説:佐藤秀明(1955-、神奈川県、日本文学)

  • 大戦前後の短編と文学論。短編は感触がとても良く好感度高め文学論に関しても共感度高め。志賀直哉はいい書き手だと思うけど指摘していることは正しいように思う。当初文学に抱いていた違和感がうまく書かれていたように思う。ここからいろんな本を読むことができる。いい感じで小説読む気分にさせてくれるそんなテキスト群

  • 上手いなぁ。世相、郷愁の戦後間もない時代の匂いの出し方とか、女の橋、船場の娘、大阪の女と続く明治大正昭和の三世代の悲哀とか。上手いなぁとしか言いようがない。
    混沌として何を信じたらよいのやらとんとわからないという風の世相、郷愁は面白い。郷愁のなかにも赤子の泣き声の話がでてくる。オダサクのなかで、通低音として、聴こえていたのだと思う。
    きょとんとした目という表現もまた印象深い。「それはもう世相とか、暗いとか、絶望とかいうようなものではなかった。虚脱とか放心とかいうようなものでもなかった。」とその目を評する。

    競馬のもつギャンブルの魔的な魅力、ラストのカタルシスは、構成力の妙だと思う。馬と一緒に走り去るように、一気に読ませる。

    夫婦善哉とともに、手元に置いておきたい一冊。

  • オダサクさん喰えない人だなぁというのが感想。
    ある作品では「阿部定の裁判記録を探している」と書いたかと思えば、「探しているのは嘘」と書いてみたり、実際には阿部定事件について【妖婦】を書いたわけで。私小説をやり玉にあげる姿勢も眉唾で見たくなるけど、要するに「面白ければそれでOK!」ってことなのかなぁ、と誤読してみた。

  • <閲覧スタッフより>
    大阪の下町文化を描かせたら天下一品の織田作之助。そのなかに、船場の嬢(とう)さんと奉公人の恋を描いた小品がある。作之助の手にかかると、船場の恋はこんな風に描かれるのか、、という結末です。(P.83-107 「船場の娘」)
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    所在番号:文庫||913.6||オサ
    資料番号:10193971
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  • [26][121015]<m市

  • 大阪を愛した作家・織田作之助の、戦後の短編十一篇と評論二編を収録。

    皆さんは、自分の好みじゃないなー、と思った本を買って(あるいは借りて)しまったとき、どうしていますか?
    ①さっさと読むのをやめる
    ②構わず全部読む
    ③半分ぐらいまで読んでみる
    だいたいこの3つになると思うのだが、私は完全に②なのだ。よっぽど難解だとか、読んでもよくわからない、頭に入ってこない、というのなら別だが、大抵の本はどれほどつまらなくとも、自分の好みに合わずとも、最後まで読む主義。
    これは自分でもかなり辛い性(さが)で、どうして辛いのかというと、とにかく読んでいる間が辛いのである。ほかに読みたい本があるのに、面白くないから全然ページが進まないのに、最後まで読む。いっそ読むのをやめたい。けれども、読み始めてしまったら、途中でやめられない。だんだん読んでいるうちに、修行をしているような、何かの義理を果たすような気持ちになってしまうこともある。
    と言うと、なぜそこまでして読むのか、さっさとやめて好きな本を読めばいいではないか、と思われるかもしれない。その通りなのだが、一度「つまらない」「嫌い」と思ったからには、その本を全部読み終えなければ「つまらない」「嫌い」と言う資格が、自分にはないような気になってしまうのである。

    つまりこの本は私にとって、この上もなく「自分に合っていない本」だったのだが、それを我慢して我慢してなんとか読んだ。読んでいて「面白い」「凄い」と思ったことも時にはあったが、基本的には耐えながら読んだ本だった。
    あー、辛かった。何でこの本を手に取ったんだろ(笑)。

    追記:ちなみに今までで一番辛かった読書は、トーマス・マンの『魔の山』。読んでも読んでも終わらなかったのに、2ヶ月ぐらいずうっと読んでました。まさに『魔の山』でした・・・大作に挑むには勇気が要ります。

  •  半分は新潮文庫の夫婦善哉にも収録されていた内容なので、新たに読んだのものはそれほどなかったのですが『女の橋』『船場の娘』『大阪の娘』などの連作は、構成もなにもあったもんじゃないようなセオリー無視の小説ですが、とても面白かったです。織田作らしい奔放な人情物でした。

     『二流文学論』『可能性の文学』といった評論はほとんど何を言ってるのだかわかりませんでした。
     
     巻末の解説にいたっては更に何を言わんとしているのかわかりません。小説をいちいち文学という次元に押し上げる必要はなく、文学史を研究している人にはいい解説なのかもしれませんが、一般読者には完全な蛇足でした。

  • 頭が悪く、近眼で、何をさせても鈍くさいが、ハエを獲るのが巧い子供の話であるが、まるで吉本のコントのように間抜けである。

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著者プロフィール

織田 作之助(おだ・さくのすけ):1913年大阪市生まれ。同人雑誌「海風」を青山光二らとともに発行。39年「俗臭」が芥川賞候補、翌年「夫婦善哉」が改造社の第一回文藝推薦作となる。戦後は当時の世俗を活写した短編「世相」で無頼派作家として売れっ子に。「土曜夫人」執筆中喀血、47年逝去。

「2026年 『織田作之助コレクション』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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