大江健三郎 自選短篇 (岩波文庫)

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  • 岩波書店 (2014年8月19日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (848ページ) / ISBN・EAN: 9784003119716

みんなの感想まとめ

テーマは、作家としての自らの経験や社会への問いかけを短編作品を通じて深く掘り下げることにあります。初期の作品は緊張感に満ちた暗い内容が多く、特にデビュー作や芥川賞受賞作『飼育』ではその特性が顕著です。...

感想・レビュー・書評

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  • 読み終わるのに長い時間がかかりました。この本を手に取ったきっかけは『個人的な体験』や『万延元年のフットボール』という代表作を読んでみたいという思いがあったのですが、初期のものから(そして短編ならば)読めば、それらの作品に入りやすくなるのかもしれない?という風に勝手に感じたからです。

    構成としては初期、中期、後期と分かれていて初期と中期がほとんどを占めていた。初期はデビュー作を始め芥川賞の『飼育』などが収録。どれもなんか緊張感のあるねっとりしたような暗い話が多かった。ところが中期作品になるとそういった緊張感みたいなものはなく、ドキュメント風?自伝小説?みたいになっていた。有名な作品や詩を引用する場面も多く難解な部分もあった。
    イーヨー(息子さんがモデル)との会話にはほっこりさせられたり、中期は初期にない暖かさもあるように感じた。
    私と書かれる人物はおそらく大江氏自身なんだろうけど、怒っている場面ではねちっこい感じで長々と描写しているのが面白くもあった。

  • 大江健三郎さんは常に日本の現代に物語で抗ってきた。日本の社会に違和感を持つ人にオススメ。

  • 『不意の唖――大江健三郎自選短篇』(岩波書店) - 著者:大江 健三郎 - 平野 啓一郎による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
    https://allreviews.jp/review/873

    大江健三郎自選短篇 - 岩波書店
    https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b249032.html

  • 高齢となった大江が、最後の長編小説の後に、作家の仕事の締めくくりとして初期・中期・後期それぞれの代表的な短編作品を選び出し、改稿した一冊。既読の作品が多いのはわかっていたが、年代順に読み進めることで、戦後の価値の転換と混乱、障害を持った子どもの誕生など、自らに起きた事態に愚直に誠実に向き合い考え続けてきたことに、あらためて得心した。
    癖のある文体で語られる大江の短編は、生じた面倒な状況を思いもかけないユーモラスなできごとでひっくり返す構造も楽しいのだが、突然、他人によって持ち込まれた奇妙な案件が何らかの解決に導かれるパターンは、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物のようでもあると、ふと思った。

  • 大江健三郎という小説家がどのような経緯で現在に至っているかがわかる貴重な一冊。初期の名作『空の怪物アグイー』や中期の名作『レインツリー』シリーズ、『静かな生活』上げていくときりがない。

    満足感でいっぱいです。

    11月8日追記
    まさか『王様のブランチ』で紹介されるなんて思いもしなかった。大江さんが言われるように一冊の本が救いになる瞬間がある。そうした本が持てる読者はやはり幸福なことなのだと思う。

  • 初めての大江健三郎でした。
    短篇集にしては分厚いし、初期短篇はかなり暗い。
    自伝的小説。
    暗喩の表現、散文詩的文章が心地よい。
    ご子息との会話が和やかですが、他にも大変なことはいくらでもあっただろう著者は、ご子息を大変大切に想っているのが手に取るように伝わり少し優しい気持ちになりました。
    実は二度挫折した本書、理由は初期短篇が暗すぎるから。
    それは著者が経験のもとに書かれているのだが、あとがきの話のほうが生々しく強烈な印象を受けた。
    苦手意識があったけれど、読後感は最高に良いです。

  • ・「奇妙な仕事」
     狡猾な手を使わずに真正面から犬を叩き殺す犬殺しの誠実さに奇妙な感動をおぼえた。社会的にはいかがわしいとみられる仕事でも、誇りは持てるものなのか。

    ・「死者の奢り」
     「奇妙な仕事」と似た構造。今度はアルコールで満ちた水槽に満ちた解剖用死体を移す「奇妙な仕事」。そしてそれが無益な仕事であるという点でも共通している。

    ・「他人の足」
     脊椎カリエスにかかった若者たちの療養所。性と政治の主題が前面に出た。両者は決して相容れないものの、あるいは不即不離であるものの象徴。

    ・「飼育」
     谷間の村に米軍飛行機が墜落する。一人の黒人が捕虜になる。その捕虜をめぐる少年のみずみずしい感性が、日本側をも相対化する。森の描写と、黒人の描写とが何より良い。

    ・「人間の羊」
     アメリカ軍の兵士に恥辱を受けた日本人学生。そしてそれを糾弾しようとする日本人教師。「飼育」に続いて、何事かを正義という名のもとにあえて主題化することによる欺瞞と狂気を暴く作品。2.26事件の反復への予兆。

    ・「セヴンティーン」
     熱しやすい少年の肉体にとって、選ぶ思想は単なる偶然に左右される。したがって右派左派の違いにどれほどの根拠があるのか。村上春樹なんて、本作に影響を受けた口ではないか。

    ・「空の怪物アグイー」
     アグイーという怪物が見える作曲家の付き添いのバイトをする大学生が語り手。以前の短編の端正な語り口が崩れ始め、文体が変化しはじめたのがわかる。

    ・「頭のいい「雨の木」」
     ひやりとさせられるほど、文体に凄みが備わっている。うねうねとした言葉の運びがいったいどこへ向かうのやらと思いながら読んでいると、まったく思いもよらぬ場所へ連れていかれた。ここらから、事実に根ざしたフィクションが先鋭化されてゆく。

    ・「「雨の木」を聴く女たち」
     男の持つ厭らしさと脆さが前面に出た作品。「高安カッチャン」の報復がささやかすぎて痛々しい。私小説を偽装したフィクションにドライブがかかる。

    ・「さかさまに立つ「雨の木」」
     物語はどこへ向かうのか、もう五里霧中で息を飲みながら読み進めた。「泳ぐ」というライトモティーフが目をひいた。パトロンで友人である作曲家Tと高安カッチャンのノートをもとにレコードを作った彼の子供が音楽を介してつながる。

    ・「無垢の歌、経験の歌」
     イーヨーもの。ウィリアム・ブレイクが登場。イーヨーの発言がいちいち胸に突き刺さる。「家族」にフォーカス。

    ・「怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって」
     死の主題、導入。後頭部の傷とイーヨーの二つの脳。ブレイクと「独学者」の死。

    ・「落ちる、落ちる、叫びながら……」
     プール小説。不穏な、日本人なのになぜかスペイン語で会話するM(三島由紀夫)信奉者たち。溺れるイーヨー。
     
    ・「新しい人よ眼ざめよ」
     二十歳になったイーヨーがイーヨーと呼ばれることを拒否する場面で、この複雑な短編が一挙に生命を得る。

    ・「静かな生活」
     めずらしく、イーヨーの妹がコミカルな語り手。外国へ出かけた両親のいない家で子供たちが留守番をする。すでに一人前の男になったイーヨーの性的問題を妹はひそかに心配している。

    ・「案内人」
     タルコフスキーの「ストーカー」について長女と次男は議論する。長女の心配の種であるイーヨーがじつは妹のことを守ろうとしている。そのコミカルさが胸にずしんとくる。

    ・「河馬に噛まれる」
     ある日、語り手はアフリカで日本人青年が河馬に噛まれたというニュースを新聞で読む。それは彼がかつて頼まれて文通をしたことのある相手。自身の出した手紙がその事件の遠因となっているのを知る。

    ・「「河馬の勇士」と愛らしいラベオ」
     かつて浅間山荘事件に加担して逮捕された「河馬の勇士」が、未来への活路をかすかに見いだす。

    ・「「涙を流す人」の楡」
     谷間の古い記憶が、語り手の現在に暗い影響を及ぼす。

    ・「ベラックワの十年」
     ダンテ「神曲」と想像妊娠。

    ・「マルゴ公妃のかくしつきスカート」
     性と聖の両立。

    ・「火をめぐらす鳥」
     伊東静雄の詩が著者の人生を統括するかに見える。

  • ・大江健三郎「大江健三郎自選短篇」(岩波文庫)を 読んだ。帯に「全収録作品に加筆修訂が施された大江短篇の最終形」とある。本書収録の23編に関しては、以前の「全作品」や「全集」ではなく、これが最終形、もしかしたら定本になるといふことであらう。それを意識して読んだと書いたところで、私にはそれ以前との違ひなど分かりやうはずがない。ただ、かうして初期から最近の作品まで通して読むと、大江の変貌の具合と文体の推移、つまり読みにくくなつていく過程がよく分かる。私が大江を読み始めた時、既にかなりの作品が文庫になつてゐた。それらは初期の作品であつたはずだが、それゆゑにそんなに読みにくいとは思はなかつた。もちろん初期の作品の文体からして大江である。かなり特徴的な言ひ回しがあつたりして、決して読み易い文体ではない。それでもまだましなのだと、本書から改めて思ひ知つた。「大江短篇の最終形」といふコピーに引かれたこともあるが、同時に、そんな文章の変化が、私にも感じられる形での変化が表れてゐるかといふ興味もあつた。結果は、最初から最後までやはり読み易くない、しかも後期、つまり最近の作品ほど読みにくいといふ、これまで私が感じてゐたことを再確認しただけであつた。
    ・しかしである。内容的には大きな改訂もあつたのである。これは自分で気づいたわけではない。『読売新聞』に「『大江健三郎』を作った短編…デビュー作など自選23編、文庫に」(14.09.28)といふ記事があつた。この中にかうある。「作品の根幹に関わる校正はない。ただ東大在学中の22歳の時、発表 した『奇妙な仕事』では、ある変わった仕事に携わる『僕』『私大生』『女子学生』の3人のうちの1人の設定を、『私大生』から『院生』に直した。」さうか、私大生とあるのに違和感を持つた覚えがあると思ひ出したものである。大江が直したのはもちろんこんな理由ではない。「『私大生』では、学生の『僕』 との違いが出てこない気がした。『院生』にすれば、知的な面や人生経験の違いが出てきますね」。あの現場での対応の違ひがこの改訂によりより鮮明になるとい ふことであらう。もしかしたらこれに関連する小さな改訂があるのかもしれない。手許には何種類ものテキストはないので私には知りやうがない。ただ、50年 以上前の作品にも手を入れて完璧を期さうとする執念(?)には感服するばかりである。万が一、他にもかういふ類の改訂があつたとしても私には気づけない。 たぶんそれで良いのである。読者にはそんな細部に気づくことは求められない。大筋が問題である。だから、「『空の怪物アグイー』の冒頭は、<ぼくは自分の 部屋に独りでいるとき、マンガ的だが黒い布で右眼にマスクをかけている>。以前の『海賊のように』の語を、『マンガ的だが』に入れ替えた。」などといふのにも気づかない。確かにこの方がよりふさはしさうではある。それに気づかずとも読める。分かつた気になれる。さうして「雨の木」連作あたりから読みにくさの度合が一気に強まるのを感じ、ここに至つて大江は日常生活の冒険から抜け出して新たな段階に至つたことを知るのである。それは文体だけでなく、内容、物語からも分かる。己が生活を核にして物語を作る、私はかういふのが嫌ひだから、その文体と相俟つてこの頃から大江嫌ひになつていつた。しかし、今もまだた まに大江を読んでゐる。これがノーベル賞作家の魅力か底力かと思ふのだが……。とまれ、個人的には、物議を醸しさうだが、「セヴンティーン」完全版(第1部、第2部)が読みたかつた。そんなことを考へながら時間をかけて本書をやつと読み終えた次第である。

    • suenaganaokiさん
      本当に勉強になりました。ありがとうございました。
      本当に勉強になりました。ありがとうございました。
      2015/10/02
  • 初期、中期、そして近年の短篇から、著者が自選の上、改稿した短篇集。
    自選短篇だけあって、ストレートにイデオロギーや政治的なテーマを表現した初期短篇から、徐々に幻想的私小説へと繋がる作風の変遷を俯瞰するには最適。

  • 2014年春に大江健三郎さんがあとがきに書いた書稿に尽きると思います。

    芸術は人間の全体に根を下ろしている習慣である。長い時をかけて、経験を通して、それを養わなければならない。そうすると自分が知らない大きさの困難に出会った際に、この習慣が助けになる。私は若い年で始めてしまった。
    小説家として生きることに本質的な困難を感じ続けてきました。そしてそれを自分の書いたものを書き直す習慣によって乗り越えることができたと今になって考えます。そしてそれは小説を書くことのみについてではなく、もっと広く深く自分が生きることの習慣となったのでした。

  •  読みでありまっせえ!
    「飼育」からポツポツ読み継いで、二つ目に読んだのが「雨の木を聴く女たち」の連作、三つ目が「新しい人よ眼ざめよ」、大江健三郎の中期の二つがこころに残りました。それぞれあれこれ書きました。
     覗いていただければ嬉しい(笑)
    「飼育」の感想
     https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202211280000/
    「雨の木を聴く女たち」の感想
     https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202212030000/
    「新しい人よ眼ざめよ」の感想
     https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202301020000/
    「静かな生活」の感想
     https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202301100000/

  • 考えたことを丁寧に描写させているように感じ、人の心の中に踏み込んでいくような怖さがありました。後期の作品には、親の子を思う気持ちが溢れています。
    全体的に面白かったです。

  • 大江健三郎が亡くなったニュースをみて、この作家の本を全く読んでいないことに気づいた。あれから数年が経ち、読む機会を得ることが出来た。
    それぞれの作品ごとの感想を書くと長すぎるので、全体の感想のみまとめる。
    初期短編は有名な死者の驕りをはじめ、大江作品としては読みやすい。ただ暗鬱な世界観ではある。そして覇気がない主人公(セブンティーンは覇気だらけだが、あれは異質だろう)でありながら、作品そのものには強い推進力があるのが特色だろう。どの作品も面白い。傑作といってよいのではないか。
    問題は中期以降だ。ここから主人公が大江自身をモデルにした小説家となることが多く、思考がいろんなところに飛んでいく。読者はそれに付き合う羽目になるのだが、それが読書のテンポを大きく崩す。大江作品は文章が独特で読みづらいというが、この構成のことではないか。
    そして中期以降(初期でもアグイーのような作品はあるが)では、障害を持った長男が軸になっているのが特徴である。また娘の視点から書いた作品もある。大江自身をモデルにすると、小難しい思考になるが、娘の視点は分かりやすく、また家族の愛情を感じる。
    後期作品は、長男を軸にした話は少なく、最後の火をめぐらす鳥だけだった。これはあえて、そのような構成にしたのかもしれない。鶯を火の鳥と象徴させ、一遍の詩で終わらせる構成。そういえば最後の長編も詞で終わらせていた。大江の感性だろう。そして、これにより一人の小説家としてのクロージングをさせようとしたのではないか。これは非常に興味深い。

  • 最初に描かれるのは、犬の殺処分や大学病院での死体管理といった題材。そこで主人公は「死」と真正面から対峙するのではなく、ただそこにあるものとして淡々と受け止めているように感じた。生と死の境界が明確でありながら、強く拒絶もせず、平静さをもって描かれている点に独特な世界観を感じた。

    続く作品では、日本人の共同体に現れる外国人兵士がいくつか取り上げられる。閉じられた共同体に異物が入り込み、風景が歪む。その異物に人々が慣れ、同化したかに見える瞬間があっても、再び異質さが露呈する構成となっており、その不気味さが際立っていた。

    「空の怪物アグイー」がとても印象に残った。作曲家には、これまでの人生で失ったものの霊のような存在が、空に白いモヤとなって見える。その作曲家につきそう大学生の視点から物語は語られるが、作曲家の語りに妙なリアリティがあり、自然と引き込まれてしまった。何が心に響いたのかうまく言葉にできないが、それでももう一度読み返したいと思わせる不思議な作品だった。

  • 短編集といえど、800ページ以上あり、全て読み終わるのに4ヶ月半ほどかかった。

    本書は初期、中期、後期で分かれて読むことができたが、初期は面白く読める作品が多かったが、中期から後期にかけては私小説風に描かれる小説が増え、個人的にはそのあたりから面白さが減退した。

    初期短編は全部面白かった。といっても暗めの話が多かった。特に「死者の奢り」は大学でそれにまつわる論文をまとめ、発表する機会があり、思い出深い。
    中期短編は私小説が強めで、あまり面白くなかったが、「静かな生活」と「河馬に噛まれる」はよかった。
    後期短編も印象深いものはあまりなかったが、「マルゴ公妃のかくしつきスカート」はかなりよかった。

    全体として、大江健三郎はエロ(性)とグロ(死)がテーマとしてあり、いずれか片方に寄ったテーマが作品に出るというより、その二つのどちらもが溶け込んだ作品が多く、いろいろ読んで大江健三郎のそうした作風が分かった気がする。

    本書は大学での(授業での)読書会で使用し、そこで初めて積極的に院生の方々と関わって、仲間内に入れてもらい、いろいろと勉強になって思い出深い一冊になった。
    自分一人で読んだだけでは学べなかったこと、考えなかったこと、そして本を読むということを、院生の方々との読書会を通じて教わった。カッコいい先輩方が実践しているような読書を目指してこれからも本を読もうと思う。

  • 大江健三郎という作家は、自らの作品を改稿する癖で知られているが、2014年に出版された本書は、1957年のデビュー当時から60年代までの初期作品、80年代の中期作品、90年代前半の後期作品という3つの時代の短編を、自らの改稿に基づき編集し直された自作短編アンソロジーである。

    長きに渡って活躍している作家であるが故に、決して執筆ペースが早い作家ではないものの、トータルでの作品数もそれなりに多くなる。それなりに彼の作品を読んでいる自身であっても未読(特に短編は)のものが多いため、改めて大江健三郎という作家の面白さを実感することができた。比較的初期作品は昔に読んでいたが、生々しいグロテスクさを詩的な言語というオブラートで微妙に包み込んだかのような世界観はやはり読んでいて感嘆させられる。端的にいって、とても面白い。

    また、自身の息子、大江光との家族との関係性をテーマにした中期の連作短編『新しい人よ眼ざめよ』は未読の作品であり、静かな感動があった。

    大江健三郎の作品は、集中して読み進める必要があるので、また時間ができたタイミングでゆっくり読み進めたい。

  • 厚さに尻込みせずに読んだ方がいい。
    初期から中期の暗く鬱々とした作品群、中期から後期にかけての抽象画のような美しい、同時に深い思索がある作品群。
    時代を色濃く写した作品群を読み進める面白さもある。

  • もうお腹いっぱい。
    大江健三郎さんの短編が23編収録されています。
    文庫で840ページだから、まるでレンガみたいな厚さ。
    デビュー作「奇妙な仕事」から「空の怪物アグイー」まで初期短篇8編は愉しむことができました。
    緊密な文体で独特の緊張感が漂っていて、読む方も気が抜けません。
    芥川賞受賞作の「飼育」も好きですが、私は「セブンティーン」に結構な衝撃を受けました。
    正視に耐えないグロテスクな心情と鬱屈を抱え、学校に居場所のない17歳の「おれ」が、右翼の大物に認められたことで急速に右傾化していく様子を描いた作品です。
    これは今、「ネトウヨ」と呼ばれる人たちにも重なるのではないかと思いました。
    右翼的な勇ましい言動をすることで不甲斐ない自分を慰撫する傾向が「ネトウヨ」と呼ばれる人たちに強いのは、各方面の識者から指摘されているところです。
    「セブンティーン」は1961年の作品。
    先見の明があると云えるのではないでしょうか。
    中期以降の「『雨の木』を聴く女たち」などの短編は、すみません、頭の悪い私にはちょっとついていけませんでした。
    アカデミック臭もかなりして、「これはどういう意味なのか」「もしかしたら、こんなふうに解釈すべきなのでは」などとあれこれ考えて、遅々として読書が進まないということも何度かありました。
    でも、池澤夏樹さんも云っていましたが、読んでいてこれだけ大変なのですから、書く方はもっと大変に違いありません。
    池澤さんといえば、大江さんの「家族ゲーム」に強い影響を受けたそう。
    この機会に本作も読んでみたいとぞ思ふ。
    なんかレビューになってないですね。

  • 150124 中央図書館
    初期のものは読みやすいが即物的であり、中期、後期のものはふわふわしてつかみどころがない断章めいたコラージュが多い。
    文学を称する以上は、日常的な照明のあたるところだけを写真に撮るように文字に落とすようなことだけではない。言葉の力で、どこまで世界の地平線を広げ、屋根を高く立てて、空間を拡張できるのか、そういうフロンティア感が必要だという考えを想起させるような大江の作品群である。

  • P330まで
    再度借りたい。

    「奇妙な仕事」
    面白い。
    ちょっと日常からずれた不思議な世界が、なんだか村上春樹の小説と共通する佇まいをしているように感じた。
    犬殺しという残酷な仕事の中にも、それぞれが仕事に対するそれぞれの意志や美学のようなものを持っていて、残酷さのとらえ方も人によって違う。
    登場人物たちからはその滑稽さも垣間見れる。
    この小説は、人によってとらえ方が変わりそうだな、と感じた。
    面白い小説だった。

    「死者の奢り」
    無口で説明下手でなんとなく流されてしまう若者。
    今やこういう若者だらけになっているので、違和感なく読めるけれど、この作品が書かれた当時はどうだったのだろう。
    書き出しの描写は、まるで地獄か異世界を描いたかのような不気味さを感じさせるが、読み進めると、死体たちの無機質さがかえってうらやましいような、どこか親しみを感じさせるかのような感覚になるのが不思議だ。
    生きた人間のエゴや欲や都合や、そういったドロドロしたものに比べたら、死者たちは随分静かに語る。
    タイトルの「奢り」という部分を、私はまだ理解できていない気がする。
    またいつか読み返してみたい作品だ。

    「他人の足」
    グループとか団体は、異質なものを拒みがちだ。
    同じ条件・同じ考え・同じ空気に染まれる者たちが、閉鎖的な関係を築く。
    その中にいると、安心したり楽しかったりするのだけれど、それはちょっとしたことでバランスを欠く。
    私が団体を苦手とする理由は、この異質さを拒む没個性的な傾向による。
    それを、実にうまく描いているな、と感じた。
    病的な団結。
    元々のサンルームの空気も、学生がまとめ上げたグループも、ベクトルは違うけれど結局同じなのだ。

    「飼育」
    初めて見るものや、自分とは違ったものへの好奇心と恐怖。
    そして、立場の違い。
    黒人を家畜としてしか見ることができない村人たちの、素朴ではあるが粗野で学のない人間性が濃厚に伝わってきた。
    最後の書記の死は、いまいち解せない。
    このシーンはいるのかな?
    主人公の無感覚になった諦めに近い境地、心に負った傷を表現したかったのか。
    それにしても、少し浮いてしまっている印象を受けた。

    「人間の羊」
    理不尽な暴力やいじめ等の被害者と、それを傍観する者たち。
    加害者も残忍だが、傍観者たちの偽善のいやらしさが際立っている。
    正義って、何だ。
    自分の正しさを疑わず、そこにエゴがこめられていることに気づかず、人を追い詰める恐ろしさと気持ち悪さが、見事に描かれている。

    「不意の唖」
    ここまで徹底した拒絶ができる集落は、すごい。
    おそろしい。
    通訳への復讐方法は、なるほどそんな手があるのか、と、なんだか感心してしまった。
    無言の怒りをたたえた村の静けさが肌に感じられるかのような読後感だった。

    「セヴンティーン」
    中身のない弱い自分の不安をかき消してくれる右翼に流される様は、まさに宗教。
    弱ければ弱いほど、しっかりと染まるのだな、と納得。
    若いころは誰しも試行錯誤・紆余曲折の不安の中で、恥をかきながら考え学んでいくものなのに、この主人公はその苦労の部分を置き去りにして、楽をしているように見える。
    だから、本当の意味での「自分の考え」というものには到達できないのだ。

    「空の怪物アグイー」
    ≪時間≫
    何かの拍子で、自分の≪時間≫が、あるいはその一部が停滞してしまう。
    アグイーは、そういう≪時間≫の象徴で、主人公にとってはDの死が彼の≪時間≫を止めてしまったのだろう。
    心の傷、痛みというものに影響された精神的≪時間≫のことを描いている、と私には読めた。

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著者プロフィール

大江健三郎(おおえけんざぶろう)
1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。さらに在学中の58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、64年『個人的な体験』で新潮文学賞、67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、73年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、83年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、84年「河馬に噛まれる」で川端賞、90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。94年には、「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。そこでは人生と神話が渾然一体となり、現代の人間の窮状を描いて読者の心をかき乱すような情景が形作られている」という理由でノーベル文学賞を受賞した。

「2019年 『大江健三郎全小説 第13巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

大江健三郎の作品

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