キルプの軍団 (岩波文庫)

Kindle版

β運用中です。
もし違うアイテムのリンクの場合はヘルプセンターへお問い合わせください

  • 岩波書店 (2018年5月18日発売)
3.97
  • (9)
  • (15)
  • (10)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 215
感想 : 15
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (416ページ) / ISBN・EAN: 9784003119730

みんなの感想まとめ

少年の成長と家族の絆が描かれるこの作品は、主人公オーちゃんの視点を通じて、ディケンズの『骨董屋』との関連を持ちながら進行します。高校二年生のオーちゃんは、作家の父や柔道家の忠叔父さんと共に、映画撮影に...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • なんて素敵な物語なんだ。オーちゃんの瑞々しい感性よ。

  • この小説はとても読みやすかった。
    鍵カッコが使われていなかったり、独特の周りくどい言い回しがあったり、ディケンズの骨董屋が、英語の原文で引用されていたりするものの、作家のご子息がモデルであろう、高校生の主人公・オーちゃんの言葉は、偽りや虚飾が無く、まっすぐに伝わってくる。
    他の大江健三郎の小説をパラパラと立ち読みした時にこれは読めないと思うぐらい文章に苦戦したことがあり、警戒していたので、むしろ面食らった。
    読みやすい文だからと言って、内容が薄いかというと、そういうことはないと思う。
    作者自身のあとがきや、小野正嗣さんによる解説にもあるように、この小説には、癒しの効能がしっかりとある。

    主人公が最後に自身を振り返って、「この世界はキルプのような悪意の人間の思うままなのだ、そういうところで苦しく生きるために、自分は生まれてきたのだ、と信じこんだのでした。」と書いている。
    そしてこうした考えを起こすようになった出来事をも含むすべての原因は、毎朝「骨董屋」を、読んだことに始まる、とも書いている。
    この世界は悪意の人間の思うまま、と感じることは、私にもある。
    そのことによって、絶望的な気分になり、何もかもどうでも良いような気さえする。
    そして、確かに物語によってその考えが生まれてくる、ないしは強化されるということは、あった。
    そう思うと、物語は、無闇に現実に対して絶望を煽り、人間を自暴自棄にしてしまうようにも思えるが、ドストエフスキーの物語に対して、主人公のオーちゃんと、父が語り合った際に話し合っていたように、悲惨な物語であっても、読む方は心がたかまると感じる、全体を読み通すと励まされる、といったようなこともまたあるわけで、私はこの感覚が小説の中に著されていることに、目を見張った。

    この本の中で語られる党派同士の殺し合いのような終わりの見えない負の連鎖(日本人離れしたしつこさで続く)は、ずっと過去から現在に至るまで、人類が逃れることができずにいる暴力の連鎖の一つの例であると思う。
    今、パレスチナで起こっていることも、ウクライナと、ロシアの間で起こっていることも、すべてこの人間の止めることができない暴力の連鎖の一例となるだろう。
    原さんと、そして主人公が思うように、誰かを殺したときには、自分も殺されなくてはならない、というような、人間が根源的に抱く恐れが、民族浄化のようなジェノサイドを引き起こすと思う。
    また、現実社会で、法による裁きを建前としていたとしても、内面で強く自分や、他人の死による贖いを望む/恐れることによって、むしろ他国への侵攻や、他者への暴力をやむを得ないものとして正当化しようとする心境が生まれていっているようにすら思える。
    つまり、己の恐怖を無いものとするが故に、暴力の連鎖そのものを無いものとする前提に立って、戦争を始める、ということだ。
    しかし、どんなに暴力の連鎖を断ち切るための法律や理論や宗教を拵えたところで、人間の根源にある、「目には目を、歯には歯を」という気持ちを無くすことができるわけではない。
    暴力が発生する限り、報復の連鎖は続いて行く。

    暴力を止めるために、最もすべきことは、暴力を行わないことだが、自分自身がやむなくその暴力沙汰に巻き込まれてしまった時、どうすべきか。
    この小説では、事件に巻き込まれてしまったオーちゃんが、自分の振る舞いによって、未然に防げたはずの暴力を作動させてしまったのではないかと思い悩む。
    そのことについて、自分も殺されなくてはならないのでは、というほどに思い悩む。
    これほど深い悩みではないにしろ、私自身も、自分の言動によって、誰かを傷つけてしまったり、苦しめたことについて、悩むことがある。
    いじめに片足を突っ込むようなことをしてたんじゃ無いだろうか、とか、あんなことを言って、あの人は傷ついたんじゃ無いだろうか、とか。
    そういうことを積み重ねていると、自分は全く幸せになるべきではないような気さえしてくる。
    この小説のなかで、本当に心に深く響いたのは、主人公とその父の問題への対処の様子だ。
    オーちゃんが原さんの死の責任に苦しみ、涙する中、父は、困ったなあ、と言う。
    息子の考えを、その考えを自分が否定しても受け入れられない、という気持ちがあることを理解した上で、困ったなあ、というほかにない、という。
    そこで息子も本当に困ったよ、と素直に明かす。
    そして、父は、息子の理論を真っ向から否定し、説き伏せるのではなく、そこからの恢復を願っていると励まして、その場を後にする。
    この部分のオーちゃんの父の言葉には、自分も励まされた。
    私もそうだが、多くの人は、自分自身の過ちについて深く悩み、苦しんでいても、そのことで困っていると、うまく人に明かせない。
    反対に、蓋をするように、自分の外面ばかりを取り繕うので、グズグズの地盤にコンクリートを積み重ねて行くみたいに、むしろ傷を深くしていってしまう。
    傷に必要なことは、それを陽に晒して、乾かし切ってしまうことだ。
    そのあいだ傷に外気が触れたり異物が触れたりして、痛むことがあっても、その傷があることを自分自身が認め、他者に認識してもらうことが、回復にとって必要な過程になると思う。
    このときオーちゃんが、父に自分の思いを打ち明けたこと、そして、父の受け入れる姿勢を前に、苦しみを認めたことは、傷を陽に当て恢復させる、第一歩となった。
    それに加えて、光さんの音楽によっても、彼は癒しを得る。
    芸術の最も素晴らしきところは、その曖昧さ、その未確定で、漠然とした広さによって、多くの人の多様な苦しみを癒すところだと思う。
    オーちゃんの父の周りくどいといわれる言い回しには、普段の生活を送る上では大いに困ることがあるだろうが、こと、人を癒すという場面では、大いに役立つものなのだと、示されている。
    自分の考えに固執しないこと。
    自分こそが正しいと、相手を圧倒しないこと。

    いつのことからか、口喧嘩に強い人間こそが賢いような困った認識が広がってきつつあるように感じられるこの世界で、勝敗如何ではなく、論理の正当性だけではなく、実際の人間を常に慮りながら、作り上げるような切実な道徳観念が、まさに今必要だ、とこの本を読みながら考えていた。
    どちらが正しいよりも前に、今目の前の傷ついた人々を救うために戦闘をやめるべきだ、という感覚を持ち続けていたい。

  • ディケンズの骨董屋を読み進めていく過程が楽しい。また、小説家の父に対するオーちゃん目線の描写にクスリとする。「事件」自体は陰惨な印象があるものの、少年の一人称目線の平易な文体で清々しい一作。

  • 家族からは「オーちゃん」と呼ばれている高校二年生男子。夏休みの間、作家の父の弟である、柔道家で刑事の忠叔父さんとディケンズの『骨董屋』を原文で読んだりしている。ある日、忠叔父さんの知人である、元サーカス団の一輪車乗りである百恵さんという女性を知る。彼女は今は映画監督の原さんという男性と結婚し、タローという子供がいるが、夫が映画のために借金をしたせいで借金取りに追われ、林の中に隠れ住んでいる。連絡係を頼まれたオーちゃんは、林の中で始まった百恵さんを主人公とした映画撮影のための映画基地に通うようになるが、元革命党派のリーダーだった原さんの関係者たちのせいで思いがけない事件が起こり…。

    タイトルになっている「キルプ」は、ディケンズ『骨董屋』に登場する悪役のこと。悪徳高利貸で、少女ネルの祖父が営む骨董屋を借金のカタに奪いとり、ネルを不幸に陥れる、悪の象徴のような存在。

    大江健三郎の長編は私小説的というか実際の家族をモデルにしていることが多いが、本作は高校生男子が主人公で珍しいなと思っていたら、どうやらご自身の次男がモデルのようだ。家族構成はそのまま、作家の父、映画監督の娘である母、姉、障害のある作曲家の兄・光。そして父の弟の叔父さん。

    単行本は1988年の出版。学生運動の名残りのような闘争が描かれるのは、現代だとさすがにピンと来なかったのだけど、80年代なら納得。序盤はディケンズの解釈なども交えて穏やかな雰囲気で進むが、終盤で党派の対立云々になって急展開。ファナティックなサッチャンと森くんの考え方が気持ち悪すぎてとても不快だった。

    それにしてもこういう家族をモチーフにした小説というのは、大きなお世話だけれど、題材にされた当人はどんな気持ちでこれを読むのだろう、さぞや照れくさいのではなかろうかとつい想像してしまう。照れくさい程度ならよいけど、こんなこと考えてない、勝手に創作されて迷惑とか反抗期なら思いそう、なんて。それとも大江健三郎の作品はどうしても長男の物語が多いから、このキルプ~で初めてスポットが当たった次男さんは喜ばれたのかなあ。

  • 大江のエッセイからよく感じる温かさがある。
    作中にもあったドストエフスキーの小説は内容としては暗い話でも全体としては励まされるようなもの、のような話の通り、党派同士の死人が出る争いはありつつも「罪のゆるし」をテーマに描かれるオーちゃんの快復とその快復を自ら語る形式に非常に励まされるものだった。

  • ■主人公は高校二年生の男子生徒、オーちゃん。彼をとりまく日常が、彼のその時の心もちが、一人称文体によってつぶさに、そしていきいきと描かれる。読んでいるとぼく自身すっかり忘れてしまっていた、あの頃の生身の感覚が胸の中にもくもく湧いてきて、主人公の気持ちとひとつになる。

    ■部長としてオリエンテーリング部の活動に精を出し、叔父に誘われてディケンズの原文にチャレンジ。そしてそのことがきっかけで映画製作の現場に出入りするようになったオーちゃん。こうして日々見聞を広げるオーちゃんの、若者らしい充実した毎日は読んでいて実に清々しい、のだが……。物語は突如、予想を裏切る大事件へと発展。その真っただ中に放り込まれることになったオーちゃんの命運やいかに?

    ■若いころ犯してしまった過ちが原因で、毎夜悪夢に苦しめられ、自分の命を供してまでも贖罪を果たしたいと思い悩んでいる元活動家。そしてその元活動家の昔の仲間で、今になってもまだ、他人のことなどお構いなしに”革命無罪・造反有理”で暴れまわっている「キルプの軍団」。………いやいや。こんなやつらと深いかかわりを持ってしまって、そもそも無学で薄幸、しがない一輪車乗り”汚い百恵ちゃん”が、幸せになんかなれるハズがないッ!

    ■くだんの大事件は、忠(ただし)おじさんの英雄的な活躍で快刀乱麻、一気に解決。しかし精神的に深いダメージを負ってしまったオーちゃんは三日三晩高熱にうなされる。そしてその回復にともない、養護施設に通う兄・光(ひかり)作曲の「卒業」に歌詞をつけるという、実にほほえましく、かつ希望に満ちたエピローグでもって幕が下りる。

  • ☆4.5 ヒューモアにあふれてゐる
     大江作品のなかではめづらしく、『静かな生活』と同様に、こどもの視点からえがいた小説。

     冒頭からのディケンズ『骨董屋』の読解がつづき、カッタルイかもしれない。けれど、ゆっくり読めばいい。しだいに主人公のオーちゃんがかたる高校生の生活――おもにオリエンテーリングと忠叔父さんに惹かれてくる。百恵さんや鳩山さんが魅力的なキャラクタとして登場する。結末は活劇めいてちょっとのめりこんだ。

     印象としては、「河馬に嚙まれる」や「僕が本当に若かった頃」の要素に、「静かな生活」のアクションを足した長篇。

     講談社文庫版のあとがきには、『キルプの軍団』がいちばん好きだといふ三十代のファンと、ドイツで会った旨が書かれてをり、同時代の若い人にむけためづらしい小説だといってゐる。

     岩波文庫版の小野正嗣の解説はすこし的外れだらう。モデル小説として家族をいけにへにする、その罪のゆるしといふ解釈がなされてゐる。しかし、そのやうな局所的な思ひが大江にあったか? 尾崎真理子も、全小説の解説で指摘してゐる。
     NHKの100分de名著の『燃えあがる緑の木』の特集でも、大江がむつかしいといふNHKキャスターにたいして、どこがむつかしいんですか?と小野は言ったさうで、なんだか鼻持ちならないなと私はかんじてゐた。
     大江をむづかしいとかんじるひとがゐるのは当然のことで、だから村上春樹は大江から離れたのだらうし、大江も後期は文章の改善に努めた。私も文章さへどうにかなればとおもひ、大江と村上の融和こそが、つぎの小説だとさへかんがへた。

     ちなみに、さがしたら「キルプの軍団」といふボカロ曲があった。

  • おーちゃんは忠叔父さんを第二の父親のように慕い、ディケンズなど小説の事を共有しながら関わりたかったのだろう。

    百恵さんや原さんたちは、そんな忠叔父さんに付随する忠叔父さんの気にかける大切な人。
    だから余計に、おーちゃんは映画基地にのめり込んだと思う。

    そして忠叔父さんがいなくても、一人前になった気分で映画基地に通っていたからこそ、タローちゃんの事件が起きても
    警察権力としての叔父さんを行かせるのを渋ったのだろう。

    寝込んでから、おーちゃんは家族のもとに戻ってきたのだと思う。忠叔父さんは「一般的な叔父さん」に戻り
    おーちゃんの家族は父親、母親、姉、そして兄で
    そんな家族に救われ復活出来た。

  • 最後に実名で大江光の作曲が出てくる。大江の日常生活の冒険と内容が一部重なっている。ディケンズの小説を原書で読んでいるオーさんが主人公であるが、その警察官であるおじと作家である父がいる。そして映画製作する原が党派の争いで間違って殺され、サーカスで一輪車に乗っていた女性が遺される、という複雑な話である。
     朝日新聞での大江の追悼で紹介された本であるが、代表的な小説としては宣伝されていないので、いままで読むことがなかった。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/713290

  • 著者:大江健三郎(1935-、愛媛県内子町、小説家)
    解説:小野正嗣(1970-、佐伯市、小説家)

  • 一度何処かで文庫化されていたような記憶があったが、巻末の初出を確認すると岩波から出た後、講談社文庫で出て、再び岩波に戻ってきたようだ。
    大江健三郎の長編の中では余り知られていない作品ではあるが、この柔らかい雰囲気が好きだ。

  • 単行本で既読。

全14件中 1 - 14件を表示

著者プロフィール

大江健三郎(おおえけんざぶろう)
1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。さらに在学中の58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、64年『個人的な体験』で新潮文学賞、67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、73年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、83年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、84年「河馬に噛まれる」で川端賞、90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。94年には、「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。そこでは人生と神話が渾然一体となり、現代の人間の窮状を描いて読者の心をかき乱すような情景が形作られている」という理由でノーベル文学賞を受賞した。

「2019年 『大江健三郎全小説 第13巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

大江健三郎の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×