自選 大岡信詩集 (岩波文庫)

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レビュー : 3
  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003120217

作品紹介・あらすじ

同時代と伝統、日本の古典とシュルレアリスムを架橋して、日本語の新しいイメージを織りなす詩人大岡信(一九三一‐)。のびやかな感受性と厖大な知を自由自在に多方面に活動させ現代詩に新たな展望を切り拓く詩人のエッセンス。

感想・レビュー・書評

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  •     わたしは唄をもつだろう

       後れ馳せながら、大岡信さんを追悼して

     詩人は詩作によって食べてはゆけず、現代日本文学が詩を失ってからしばらくのあいだ、詩は歌謡曲に住処を求めはじめ、また人びともそれを享受してきたが、今となってはその歌謡曲の存在が心配されている。と、ペシミスティックな冗談はひとまず脇に置き、このレヴューでは日本の詩歌の伝統を賞揚し、その悠久の流れのなかで多大な足跡を残した大岡信さんの死を悼みたい。
     日本の詩歌の歴史は古く、オクタビオ・パスが驚いていたように、様々な階層の人びとが歌を詠んできたゆえ、その伝統は長さと厚みを帯びている。これは『万葉集』の防人を思い出してもいいし、今様を興じた遊女や傀儡子、美意識の高かった婆娑羅大名、忍者だったかもしれない俳諧師、いやいや現在まさに放送されているテレビ番組の、芸能人が詠む妙ちきの一句を華麗に添削かつ修正してくれる俳句の先生を思い出してもいい。そしてこの伝統が日本語の豊かさを保証している。上田敏や堀口大学による珠玉の訳詩集は、谷川俊太郎や田村隆一の現代詩は、夏目漱石から村上春樹にいたる現代文学は、この伝統から生まれ、大岡信はこの伝統を大いに生きた。
     批評家として世に出た大岡さんの仕事は多岐に亘ったが、とりわけ朝日新聞の朝刊で長年連載された『折々のうた』が著名だと思う。誤解を恐れずにいえば、『折々のうた』が有名過ぎて、大岡さん自身の詩があまり印象の前面に来ない節すらある。しかも丸谷才一が指摘したことだが、大岡さんの詩にはアンソロジーピースが少ないのだ。この事情は英国のブラウニングと似ている。ブラウニングといえば「春の朝(あした)」。「春の朝」といえばブラウニング、というように、大岡信といえば「地名論」もしかしたら、英国の本場のアンソロジーはブラウニングだらけかもしれないけれども。


        地名論

    水道管はうたえよ
    御茶の水は流れて
    鵠沼(くげぬま)に溜まり
    荻窪に落ち
    奥入瀬(おいらせ)で輝け
    サッポロ
    バルパライソ
    トンブクトゥーは
    耳の中で
    雨垂れのように延びつづけよ
    奇体にも懐かしい名前をもった
    すべての土地の精霊よ 
    時間の列柱になって
    おれを包んでくれ
    おお 見知らぬ土地を限りなく
    数えあげることは
    どうして人をこのように
    音楽の房でいっぱいにするのか
    燃えあがるカーテンの上で
    煙が風に
    形をあたえるように
    名前は土地に
    波動をあたえる
    土地の名前はたぶん
    光でできている
    外国なまりがベニスといえば
    しらみの混ったベッドの下で
    暗い水が囁くだけだが
    おお ヴェネーツィア
    故郷を離れた赤毛の娘が
    叫べば みよ
    広場の石に光が溢れ
    風は鳩を受胎する
    おお
    それみよ
    瀬田の唐橋
    雪駄のからかさ
    東京は
    いつも
    曇り


     こんなに愉しい幸福な詩は珍しかったし、言葉の組合せに成功しているのに加え、イメージと音楽的効果がすこぶる高いところで響きあっている。シュールレアリスムの運動により、世界の詩の流れは音楽よりもイメージに向かっていったけれど、大岡さんはどちらかに傾くわけではなかった。もちろん大岡信の文学的出自は窪田空穂とシュールレアリスム、あえていえばフランスのポール・エリュアールである。しかし、もっとも根源的なエネルギーは、八代集をはじめとする和歌のレトリックから来ていると私は思う。この「地名論」にしても、掛詞や縁語、歌枕のオンパレードではないか。もっとも、さすがにこの詩からプルーストの小説に辿り着く人は僅少だろうが。
     一つのレヴューにしては長くなったが、もう少しだけ大岡さんの詩について言及したい。先ほど、アンソロジーピースが少ないと指摘したけれども、これは記憶に残りにくいこととは繋がらない。たとえば、「わたしは月にはいかないだろう」という力強い詩がある。


       わたしは月にはいかないだろう

    わたしは月にはいかないだろう
    わたしは領土をもたないだろう
    わたしは唄をもつだろう

    飛び魚になり
    あの人を追いかけるだろう
     
    わたしは炎と洪水になり
    わたしの四季を作るだろう

    わたしはわたしを脱ぎ捨てるだろう
    血と汗のめぐる地球の岸に——
    わたしは月にはいかないだろう


     この詩は私のお気に入りの一つで、大岡さんの詩人として生きる意志や膂力が、フレーズに力強くあらわれているだけでなく、詩と読み手みずからの交流をしっかりと感じることができるのだ。じぶん自身の変化にも気づかされる。優れた詩とは、人びとの記憶に残る詩とは、ボルヘスが愛した言葉でいうところの、「ヘラクレイトスの川」に読み手を変身させてしまう。人間がまったくおなじ一日を送らないように、川は流れ、水は変わる。そういえば、「水の生理」など大岡さんは水をくみ込む詩が上手かった。もちろん詩人は水を映す鏡なのだが、これほど水を巧緻に映しだす詩人をあげるにはコウルリッジまで遡らなければならない。

  • 102頁まで読んだ。難しい詩が多い。『寧日』は印象深かった。人生を後押ししてくれるように感じる詩だ。残りの詩は、後日改めて読むつもり。

  • 岩波文庫新刊、大岡誠詩集を横浜ルミネの有隣堂でやっと見つけた。私の青春の詩人。

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プロフィール

1931(昭和6)年、三島市生まれ。詩人。歌人大岡博の長男。父と窪田空穂の影響で、沼津中学時代に作歌・詩作を行う。一高文科から東大国文科卒業。在学中に「現代文学」、卒業後「櫂」に参加し、「シュルレアリスム研究会」「鰐」を結成。読売新聞外報部勤務を経て、明治大学・東京芸術大学の教授をつとめた。詩と批評を中心とした多様な精神活動を行い、また連歌から発展させた連詩を外国人とも試みている。日本芸術院会員。
詩集―「記憶と現在」「春 少女に」「ぬばたまの夜、天の掃除器せまつてくる」「旅みやげ にしひがし」「丘のうなじ」など。
著書―「折々のうた」「新折々のうた」など多数。

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