山頭火俳句集 (岩波文庫)

著者 :
制作 : 夏石 番矢 
  • 岩波書店
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感想 : 3
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  • Amazon.co.jp ・本 (544ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003121115

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  • 2019年5月読了。

    このみちまつすぐな、逢へるよろこびをいそぐ

    山頭火52歳、長男健氏24歳の昭和9年(1934年)の句。

    放浪、酒乱、自堕落、様々な評価があるが、上の一句は「父子対面」の際の一句とあることから察するに、再開の心情を詠んだ句か。再開を喜ぶあたりは尋常の父親像を想起させる。放浪しても、酒乱であっても、自堕落だとしても、人の親であることの感慨があることが推察される。

    昭和15年(1940年)に山頭火は亡くなる。晩年は既に大陸では戦火を交えていたわけだが、日記に書かれた時局への書簡を見るに「前衛的な詩句」を詠むに反してとても保守的というか、当時の国民としての義務を守ろうとすることにとても熱心に思える。反面、現実には義務に忠実な一国民たりえなかったのかもしれないが。

    柿が頻りに日記や俳句に登場する。
    秋と山頭火、風情あり。

  • 俳句
    日記
    随筆

    著者:種田山頭火(1882-1940、防府市、俳人)
    編者:夏石番矢(1955-、相生市、俳人)

  • 本館開架(文庫) [種田, 山頭火]
    http://opac.lib.saga-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB26460561

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著者プロフィール

尾崎放哉と並び称される、自由律俳句の代表的俳人。放浪の人生のなか、句を詠みつづけ、自ら終の住処と定めた愛媛県松山にて没した。

1882(明治15)山口県西佐波令村(現・防府市)に生まれる。本名は種田正一。
1913(大正 2)『層雲』に初入選。「山頭火」の号を用いる。
1916(大正 5)酒造業が破産。妻子を連れて熊本に移住。
1919(大正 8)心機一転、上京。アルバイト生活を送る。
1920(大正 9)妻サキノと戸籍上離婚。
1923(大正12)関東大震災に遭い、熊本に帰郷し仮寓。  
1924(大正13)泥酔して市電を止め、報恩寺で参禅の道へ。
1925(大正14)出家得度。僧名「耕畝」。 
1926(大正15)すべてを捨てて行乞流転の旅に出る。
1932(昭和 7)第一句集「鉢の子」刊行。
山口県小郡町に草庵「其中庵」を結庵。
1933(昭和 8)第二句集「草木塔」、1935(昭和10)第三句集「山行水行」、1936(昭和11)第四句集「雑草風景」、1937(昭和12)第五句集「柿の葉」刊行。
1938(昭和13)山口・湯田温泉に「風来居」を構える。
1939(昭和14)第六句集「孤寒」刊行。
10月1日松山へ。
10月6日四国遍路へ 11月21日松山へ帰る。
12月15日 松山市内の「一草庵」に入庵。
1940(昭和15)句会「柿の会」を結成。
自選一代句集『草木塔』を発刊。
第七句集「孤寒」刊行。
10月11日末明、脳溢血(診断は心臓麻痺)で死去。享年59歳。

「2021年 『山頭火句集 草木塔【復刻版】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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