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Amazon.co.jp ・本 (464ページ) / ISBN・EAN: 9784003121313
みんなの感想まとめ
江戸から明治への激動の時代を背景に、幕末の風俗や文化を生き生きと描いた随想集です。著者は、当時の武士や庶民の生活、独特の江戸語、さらには時代の変化を自身の体験を通じて語ります。特に、江戸の特有の言葉や...
感想・レビュー・書評
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わんざくれ踏んぞるべいか今日ばかり翌日【あす】は烏が掻【か】ッ咬【か】じるべい
山中源左衛門
「かッかじる」や「ひッぱたく」などの「かッ」「ひッ(ひン)」は、江戸の特有の言葉で、「関東べえ」というそうだ。幕末から大正期を生きた歴史小説家・塚原渋柿園【じゅうしえん】の随想に、そんな「江戸語」についての話題があり、興味深く読んだ。
御家人の家に生まれた塚原は、江戸幕府の崩壊後、家族で静岡に移住。その後上京し、横浜毎日新聞の編集長となったが、政権批判を理由に禁獄刑に処せられた。のち、東京日日新聞に移り、同紙で歴史小説の連載を始めた。若き日の菊池寛や大佛次郎は、その愛読者であったという。
20歳ころに江戸幕府の終わりを目の当たりにした塚原は、明治維新前後の実録も多く残している。激動の青年期の記憶は、いやがうえにも強烈に残っていたのだろう。
掲出歌は、旗本奴【はたもとやっこ】(旗本の青年武士)が使った「奴詞【やっこことば】」の例で、関東における新語であったらしい。なぜこのような新語が広まったのだろうか。塚原いわく、徳川の将軍が京都の上品な言葉を好まず、自分たちの話し言葉を、武士から庶民へとむしろ広めていったからだという。
さて、掲出歌を訳すとしたら、「どうにでもなれ、今日一日だけは辛抱してやるよ。明日になったら、カラスが俺の死体をかじるのだから」だろうか。この辞世を残し、旗本奴の山中は切腹したそうだが、べらんめえ調の辞世ゆえに後世にまで残っている。江戸語、さらに調べてみたいものだ。(2018年12月16日掲載)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
五十年前
思ひ出る侭の記
幕末における武士の風俗
幕末の江戸風俗(脇差、刀剣の附属品)
幕末の江戸芸者
兵馬倥偬の人
江戸の暮と正月
昔しの日本橋
五十年前には一銭で蕎麦が六杯
江戸語の変遷
江戸時代の手習師匠
江戸時代の文教
維新前後の文学
江戸沿革私記
桜痴先生と柳北先生
尾崎紅葉
斎藤緑雨子
桜痴居士
著者:塚原渋柿園(1848-1917、東京、小説家)
編者:菊池真一(1949-、日本文学) -
作者は1848年(嘉永元年)生まれ、明治時代の新聞記者で歴史小説家。幕末の時点で二十歳くらい、父親が幕臣で当時江戸にいたため、薩摩藩邸焼き討ちの騒ぎから、京都で戦争が始まったらしいという噂、マジか?とか言ってたらどうやら慶喜もう江戸城に帰ってきてるらしいよ!?そして江戸庶民は逃げ出したり息巻いたりしてるうちに無血開城、幕臣は身の振り方を迫られ、静岡へ、という流れの回想がとてもリアル。
本人は彰義隊に加わったりだのはしなかったようだが、当時の江戸のひとたちが「脱走兵贔屓」だったところなど江戸っ子の心意気を感じて胸アツ。大半の幕臣は徳川家の駿河移封にともなって静岡へ移転したわけですが、何百人何千人の人が船で移送したため、船内の環境は劣悪、とくにトイレ事情がいかに酷かったか詳細に書かれているあたりが非常にレア文献。これは想像するだに辛い・・・。
とはいえ、自伝的な部分は少なく、あとはタイトル通り、幕末の頃の風俗(服装や小物、風習、行事、金銭価値、教育方法など)についての回想録。新聞・雑誌等に書かれたものもあれば、講演会筆記もあり。ちょっとした記憶違いや覚え間違い(近藤、土方は新徴組ではないよ~)等はあるものの、実際に幕末の頃に幕臣だった人の暮らしぶりはさすがに細部まで詳しい。流行りの髷の結い方や刀の長さなど、若者はファッションにもこだわりがあったりして。
その他、東京日日新聞時代の上司(編集長)福地源一郎桜痴についての評伝なども収録。余談ながら解説によると著者は東京日日新聞では岡本綺堂の先輩にあたり(綺堂も幕臣の子で共通点が多い)『半七捕物帳』の半七親分は塚原渋柿園の『由比正雪』などを愛読していたという設定があるらしい。
※目次
五十年前/思ひ出る儘の記/幕末における武士の風俗/幕末の江戸風俗(脇差、刀剣の附属品)/幕末の江戸芸者/兵馬倥偬の人/江戸の暮と正月/昔しの日本橋/五十年前には一銭で蕎麦が六杯/江戸語の変遷/江戸時代の手習師匠/江戸時代の文教/維新前後の文学/江戸沿革私記/桜痴先生と柳北先生/尾崎紅葉/斎藤緑雨子/桜痴居士
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