- 岩波書店 (2022年2月17日発売)
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感想 : 13件
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Amazon.co.jp ・本 (374ページ) / ISBN・EAN: 9784003122716
作品紹介・あらすじ
北條民雄(1914-37)は19歳でハンセン病の宣告を受け全生病院に入院してから僅か三年半で夭折した。隔離された療養所で様々な差別・偏見に抗しつつ身を刻むようにして記された彼の言葉は絶望の底から復活する生命への切望を証しする文学であった。川端康成によって見出されたこの稀有の作家の文章を、小説、童話、随筆、書簡、日記から精選する。
みんなの感想まとめ
隔離された療養所での生活を通じて、著者が感じた苦悩や希望、そして生への切望が繊細かつ力強い言葉で描かれています。若くしてハンセン病に苦しむ中で、彼が残した小説や童話、日記、書簡は、彼自身の人となりや内...
感想・レビュー・書評
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小説、童話、日記、川端康成へ宛てた書簡を多数収録した作品。
病の中で作者自身が見聞きし考えたこと、療養所での暮らし、作家としての悩み等が鮮明に描かれていた。若くて夢も希望もあっただろうに、世間から隔離され(当時は)治る見込みのない病に蝕まれていく日々を過ごしていくことの辛さ、やるせなさを思う。そのような中で書き続けられた彼の文章には、繊細さと力強さを感じさせられる。
北條民雄という人物について、小説だけでなく日記や書簡からもその人となりを知ることができ、大変良かった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この先死にたくなって3分間本を手に取る余裕があったなら、この本の「断想」か「柊の垣のうちから 表情」の一節を読むと思う。
「美しい、まだ十五六の少女が現はれる。この少女を直ちに殺すことも、また限りない愛情をもつて抱きしめることも、可能となる。しかも凡ては美しく、なつかしい。」
「歪んだ表情。
生硬な表情。
苦しげな表情
浅ましい表情。
餓えた猿が結飯に飛びつくような表情。
これが宗教に頼ろうとする時の自分の表情である。苦しくなった。 書いてはならぬことを書いてしまったような気がする。」
読むと死にたくなるし、生きたくもなる。どこか俯瞰している。真ん中から両極を見ることのできる気がするこの文を読んで、決めたらいいかもしれないなあと思った。 -
どんなに苦しもうとも、死ぬまで生きるのだ。
ハンセン病の診断を受けて全生病院に入院した著者は、その短い生の間にいくつもの作品を残した。彼の作品を"ハンセン病文学"と語ることもできる。しかしそこに書かれている彼の叫びや喜びや不安を、感じたことのないものはいないだろう。ある意味、普遍的で誰でも感じることだから。苦しい生、死にたい気持ちと死ねない自分、絶望と希望。容易に勇気付けられたなんて言えないが、前を向かせてくれる読書体験だった。 -
病棟から文学を志した青年の
端正で熱い文章、
支えた川端康成先生にも一礼を。
上皇后さまも長〜く
ハンセン病の元患者さんたちを
お見舞いされていましたね…
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ハンセン病により隔離病院に入所する「いのちの初夜」から始まり、療養所での生活を淡々と描く短編小説集。
童話や随筆、日記なども収録されていて、北条民雄を初めて読むには最適かと思います。
絶望の中で生きることへの渇望と、人生の儚さや不条理が切実に伝わってくる、ドキュメントの凄みと圧倒的な重さを感じました。
解説も含めて全て良い。 -
若くしてハンセン病の宣告を受け療養所に入院した最初の一夜を描いた「いのちの初夜」他、小説、童話、随筆、日記、川端康成への手紙を収録。当時は不治の病とされ病に蝕まれる中、最期まで生きること、いのちと向き合った姿に胸を打たれた(涙腺崩壊です)
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ハンセン病文学の誕生作。その後の影響は大きい。極限の状況での人間性を表す作品。
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経一さんリリース
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「死のうとしても死にきれない。死にたいのに。違う、俺はむしろ生きたいんだ。自分という(癩病を患った)人間がここに存在していた という証を残したいのだ」
そんな訴えが聞こえてくるようだった。
これは北條民雄の魂の叫びだ。
癩病を発症し、面識のない人間にまで差別、偏見の目に晒された上、隔離病院へ押し込まれる。
そんな過酷な状況の中、声を上げることを止めなかった彼はカッコイイ。
人間らしさが詰まった声は文字になり、 それらはやがて文学となった。
癩病がなんだ。俺は患者である前に一人の人間だ。俺を見てくれ。みんなと同じ人間なんだよ。
彼は自身の作品を癩病患者としての色眼鏡で評価されることを最も嫌っていたという。
癩病になる前は普通の人間だった。
その事実を、作品を前にした私たちは忘れてしまう。今ではハンセン病として世に流布しているが、彼が生きていた時代背景を鑑み、彼の受難や葛藤を誤解なく伝えるには、癩病 という言葉を使用する方が適切だ。ということを解説でも書かれている。その通りだと思う。
樹木希林が出ていた映画「あん」で、ハンセン病患者として差別的な生活をしていた姿が印象に残っていた。
しかし本書を読んでみて、癩病患者の内面の葛藤の激しさに圧倒された。
「死にたいと思う心も、実は生きたい念願に他ならなかった」P283
自殺について
「自殺を覚悟するとき、狂人か放心状態になる。そんな状態で自殺することは、殺されることを意味する。病気に、運命に殺される。」
「どんなどん底の人間だって希望は残っている。それを失うことができない。それが生命の、いのちある証拠だ。
俺は希望を憎悪する。俺は希望あるが故に、苦しみ悶えているのだ。ああ俺が、全き絶望に陥り込むことができたら。」P254-255
「みんな同情してくれるから、私の世界には敵はいない。真の敵は自分自信の体内にいる。外の敵ならば戦うことが救いになるが、自己の体内にいる敵とどう闘えばいいのだろう。」P233
「実際私にとって最も腹立たしいことは、我々の苦痛が病気から始まっていること。それは何等社会性を持たず、それ自体個人的に好きであり、社会的にはわれわれの苦しみがまったく無意味だということだ。だから私はもう少し癩を書きたい。社会にとって無意味でも、人間にとっては必要であるのかもしれぬ。」P247
「いのちの初夜」
P54
ハンセン病に罹患したとき、その人の「人間」は滅びる。
ただ、「いのち」だけがピクピクと生きている。
新しい思想、(ハンセン病患者としての)生活を得るとき、再び「人間」として生き返る。
ハンセン病患者になりきる ことが大切だ。
→それはすなわち、ハンセン病に罹患した自分自身を受け入れたくないと拒んでいた尾田に覚悟を与える言葉だけ。
尾田の苦悩は、死んだ過去の(ハンセン病になっていなかった頃の)自分の姿を探し求めているからだ。だからこそ現在の姿とのギャップの大きさに苦しむ。
ハンセン病になった自分、を受け入れられないために、佐柄木に対して「彼と親しくなっていく自分を、言うべからざる嫌悪を覚えた」のであるし(P28).
何度も自殺未遂を繰り返すが死にきれず、ココロと肉体が分裂する感覚を覚える。死にたい自分と、死ねない自分。どうすれば良いか
途方に暮れ嘆く尾田(P30.31)
そんな尾田に、佐柄木は寄り添う。
生死に翻弄され、心と肉体のちぐはぐさに悲哀する尾田へ語りかける。
「きっと生きられる。人性には抜け道がある。水からの人生に謙虚になれ」と。P38.39
「間木老人」 P63
ハンセン病患者としての自分を肯定しつつも、自らを患者として取り扱うことを拒む心の矛盾に、苦しんでいる宇津。
これは吃音にも共通する。
自己実現の期待値が高いほど、実情との落差に愕然とする。
「吹雪の産声」
ハンセン病の施設において、患者同士の触れ合いが描かれる。
刻一刻と死に近づいていく矢内。死への恐怖感に恐れおののき、藁をも掴む思いでしがみつこうとする主人公。P105
矢内が急変し運ばれた際には、取り付く島もなく、外に降る雪でさえ敵意を持っているように見えてしまう。そこで主人公は、人間の孤独、頼りなさを痛感する。
いずれ死にゆくことが分かっていながら、励まし合い、今確かに存在している生を繋ごうとする患者たちの切実さが伝わってきた。
生命とは、自然と戦う1つの意思なのだ。P118.119
そして、患者のうちの女性が施設内で出産する場面で、シナリオに逆行するかのような展開に場が賑わいを見せる。
1つの命が無くなろうとしていること、
新しくいのちが生まれてくること
の対比が美しい。
「望郷歌」
ハンセン病がゆえに親から捨てられ、祖父からも殺害未遂にあった男の子と、自らも患者であり行事の鶏三の話。
ハンセン病、ただ病気に罹患してしまっただけなのに、周りから差別され根拠の無い偏見に晒される当事者たち。
その被害は大人だけでなく子供にも及び、人生において消せないほど深い傷を与えてしまう。
生きるとは何だ、人生の意味は。
2人の心の葛藤と触れ合いが切ない。P152
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/771227 -
ハンセン病患者がどんな生活をしていたのか。いまでは考えられない生活があってびっくりする。
気分が沈んでるときに読むと、共感する。自分にぴったりの文がある。
著者プロフィール
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