阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊) (岩波文庫)

著者 :
制作 : 竹内 好 
  • 岩波書店
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  • レビュー :91
  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003202524

作品紹介・あらすじ

魯迅が中国社会の救い難い病根と感じたもの、それは儒教を媒介とする封建社会であった。狂人の異常心理を通してその力を描く「狂人日記」。阿Qはその病根を作りまたその中で殺される人間である。こうしたやりきれない暗さの自覚から中国の新しい歩みは始まった。

感想・レビュー・書評

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  • この歳になるまで魯迅を読まずに来てしまったのですが、勿体ぶらずにさっさと読んでおくべきだった。こういう世界であったか、まさに近代文学。著名な表題作のほか、「故郷」のラスト1行が心を打ちました。

  • 何が良いのか分からない・・・

  • 言わずと知れた魯迅の代表作。狂人日記の狂人振りは恐ろしいほどリアル。

  • 阿Q正伝 自分の中で折り合いをつけていく阿Qの考え方は必要 読んでいてつげ義春を思い出した 井上井月に似てる

  • 多分大多数の人と同じく、教科書で「故郷」を読んだだけで大人になってしまったのだが、名作をきちんと読みたいと思うようになり、読んでみた。やっぱり魯迅は竹内好、と昔買ってほったらかしていた岩波文庫を読む。
    原題は『吶喊』。はじめの「自序」で、魯迅が文学を志し、この短編集を書くに至った理由が綴られている。父が闘病中、名医と言われていた漢方医にかかり、高価な薬(三年霜にあたった砂糖きび、つがいのコーロギなど、)を処方された挙句死んでしまい、「漢方医というものは意識するとしないとにかかわらず一種の騙りに過ぎない」と西洋医学を学ぼうとするが、仙台の医学専門学校に留学した時、ロシアのスパイの容疑で斬首される中国人と、その様子を見る野次馬の中国人のスライドを見せられ、「医学などは肝要ではない、と考えるようになった。愚弱な国民は、たとい体格がよく、どんなに頑強であっても、せいぜいくだらぬ見せしめの材料と、その見物人になるだけだ。病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまではいえぬのだ。むしろわれわれの最初に果すべき任務は、かれらの精神を改造することだ。」と考えるに至る。
     その思いが一番よく表れているのが「阿Q正伝」である。この本の中で一番長い。最底辺に生きながら、自分の中で理屈をつけてプライド高く生きる愚かな男阿Q。その死に方は、魯迅の憤りを伝える。お前たちは阿Qと何の違いもないのだぞ、ここまで書けばわかるだろう、という。
    しかし、本当に名作なのは「孔乙己」ではないかと思う。「故郷」もそうだが、ここには憐れみとやさしさがある。ユーモアは阿Qにもあるが。その他「薬」「小さな出来事」「端午の季節」なども良い。これを読むと、魯迅が作家として優れていることがよくわかる。
    名作はやはり読む価値ありと思える一冊だった。

  • 当然のことだけど、同じアジア圏に住んでても中国と日本の文学はぜんぜん違うし、心の成り立ちも全然違う、おどろく、と思いながら読んだ。貧しさも中国と日本の人のそれはチガウ。日本人が「人」を「人間」と言い、中国が「人民」と言うみたいにチガウ。

    中国には下剋上はなかったのかなぁ。
    そこでは絶対に這い上がれない感があり魯迅がいくら貧しき民衆を描いてもあなた自身はチガウでしょ?とそこには大きな溝がある感じ。

    でも、子どもの頃の話は「銀の匙」のように切なくてよかった。短すぎる短編は「つげ漫画」みたいだなと思った。それからどうした?的な。

    養老先生が講演で中国語っていうのはカタコトだとおっしゃっていた。この訳文を読むとそれがわかる。一文、一文が短くて、唐突。日本語訳で助詞を補い訳されているけど、きっと違う。

    日本語は中国の文字を拝借して、漢文や儒教に影響され、清少納言の時代でも漢文が読めることがたいそう立派だとされてたから、魯迅ってどんな?と期待したけど、ちょっと違うな、と思ったな。
    昔の人が傾倒したほどの感動を共有できなく残念。

  • 再読。20世紀の初め、動乱の大国中国で地を這うように生きる阿Q達。かつてよりも自分と阿Qが重なるのを寂寞たる思いで読んだ。別に人生に絶望を感じている分けでなく、諦めた分けでもない。ただ、色んなものを受け入れやすくなっている自分の変化に気づけた。

  • 「それになんとまぬけな死刑囚ではないか。あんなに長いあいだ引き廻されながら、歌ひとつうたえないなんて。これでは歩き損じゃないか、というのだ。」
    ちゃんと読んだことなかったけど面白いね。阿Qとそれを取り巻く人々を通じて旧弊な前近代が浮き彫りになる。その一方で、阿Qの死は近代化の波のなかで起こっていて、だから阿Qを殺したのは前近代と近代との相克だとも言える。

  • 当時の中国庶民の生活が垣間見れて新鮮だった。

  • 魯迅はJ.ジョイスのダブリナーズを読んでいたのだろうか?
    ダブリナーズが世に出たのは1915年。一方で、この本に収められた短編のうち最初となる「狂人日記」発表は1918年。

    ダブリナーズは短編15編から成り、幼年、思春期、成人、老年といったあらゆる階層のダブリン人を題材とし、人間の欲望や宗教観など、目に見えない人それぞれの精神的な内面について、ダブリン人の日常から切り取り抽象化することで普遍性を描き出そうと試みている。
    ジョイスがダブリン人に執着したのは、その底流にダブリン人共通の「パラリシス=知的麻痺」から発散される「腐敗の特殊な臭い」を見出したからだという。
    だがジョイスはダブリン人から湧き上がるような鬱々さだけを描きたかったのではない。彼が「エピファニー」と言うところの「言葉や所作が俗悪であっても、その中から突然姿を見せる精神的顕示」に注目し、「美の最高の特質を見出すのは、まさにこのエピファニーにある」と述べている。

    一方で、魯迅のこの短編集の多くは、辛亥革命前後の中国民衆の日常的風景が題材にされ、纏足、辮髪、科挙といった旧弊の悪習をはじめとして、民衆の迷信、我欲、現状への盲従などの否定的要素がこれでもかと書かれている。
    序文で魯迅は、中国人民の文化的覚醒の必要性を痛切に感じ、この作品集を出したというが、あまりに文化的に停滞した人民の姿(つまり目をそむけたい人間の陰の部分)が次々と出てくるため、「故郷」を読みたくてこの本を手にした人の多くを戸惑わせ、魯迅不信に陥らせるのではと心配さえしてしまう。

    中国の精神上の進歩を目指すという序文での強い意志と、民衆のありのままの、ある意味下卑た面の描写と、どちらが魯迅の“本心”かを図りかねていたが、「屈折に満ちた文学」という文字をある時目にして、腑に落ちた。

    きれい事や説教じみた、文学的に“整った”作品なら、作家自身はそれで満足なんだろうけど、そんな“お高い”作品が、清濁相持つすべての人心の進歩をもたらすなんて簡単にいくと思えない。そう考えると魯迅の一連の作品は、まるで一見泥だらけの中国人の精神の中に手を突っ込み、そこに埋もれて見えない光源を取り出そうとしているように思える。泥を探って光を掘り出すには、自らが泥にまみれる覚悟がないとできない。魯迅の泥臭いとも思える作品群は、見た目からも魯迅の心情面からも、屈折という言葉が言い得ている。

    しかしいくら魯迅が光を抽出しても、読む側が光を光と感じられるだけの“心の鏡”を磨くこと、つまり、真実に対して謙虚で、受け入れるだけの豊かな態度がなければ、見えてこないだろう。出版後90年近くを経たこの作品から、今の私たちは光を感知するだけの心の鏡を持ちえているのだろうか?
    まるで阿Qのように他人の尻馬に乗って騒ぎを起こし、そして隣国を罵り否定して満足し、そんな愚かな方法でしか自分の優位性を見出しえない現代人(もちろん中国人の話だけではない!)は今一度、魯迅を精読すべき。そいつらのやっていることの空虚さは、すでに魯迅によって明らかにされている。(2012/10/22)

    ※以下を参考にしました。
    「ダブリン市民」(安藤一郎訳)新潮文庫解説
    「新・魯迅のすすめ」(NHK人間講座) 藤井省三著

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