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Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784003206812
感想・レビュー・書評
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全然わからない…!
わからないけど、なんかカッコイイので読みたくなってしまう謎の本…。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まえがきの家系図の理解に半日以上かかり挫折しそうになったけれど、時間をかけた甲斐があった。身体がある以上行動しなければならない。その中で結果や欲望や執着を手放すことが大切なんだなぁ。ヨーガを健康のためにやりたいと思っているけれど、心の垢を手放すためにやってみたいと思った。もう少し理解できるようになったら、また読みたい。
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こりゃ凄い。私のバイブル。
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個人的な思い出なのだが、上村先生にこの「ギーター」の講読の指導を受けたことがある。その時、先生がおっしゃっていたのは「『マハーバーラタ』を訳すと死んじゃうからね」ということだ。「バーラタ」の全訳に外国人で成功した人は一人もいないので、複数の人間で取り組んだ方が良いという趣旨のことをおっしゃっていたように思う。あとから考えるに、その頃はお身体をこわして、「マハーバーラタ」の全訳を半ば諦めかけていた時期だったようだ。その後、全訳に着手したことを喜んでいたのだが、あのような結果に終わりとても残念だ。
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めちゃくちゃ丁寧に注釈が付けられている(およそ全体の半分程度)おかげで、栞2枚を片手にページを行ったり来たりしながら読み進めた。
大切な戦いを前に戦意を喪失したアルジュナに発破をかける神の言葉、という『マハーバーラタ』の一部分を切り取った作品ながら、現代の私たちにも大切な思想だと思う。
インド思想に触れたのはこれが初めてなので完璧にわかっているわけではないのだけれど、私はこの一冊をきっかけに、関連の書籍に手を出し始めました。
もう少し勉強してから読んだら、また見方が変わるのかもしれない。 -
ガンジーが獄中でこの書の実践に語っている事を知った。結果に執着しない考え方は仏教に近いと思いました。
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聞き慣れない言葉と格闘しながらなんとか読み進めた。解説、さらに松岡正剛氏のサイトを読んで、ようやく内容がこなれて理解できてきたところ。大切なのは誠実に生きること。古典は良い。
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インドラ神を父に持つ英雄・アルジュナが一大戦闘で戦意を喪失した際、傍らにいたバガヴァッドたるクリシュナと話し、鼓舞される様子を、サンジャヤがドリタラーシトラに尋ねられる形で描かれている。
この『バガヴァッド・ギーター』は『マハーバーラタ』の一部なので、それまでの経緯を詳細に知ることが出来ない点には注意が必要だが、『まえがき』として梗概が掲載されており、あらすじを知ることが出来る。わたしは『バガヴァッド・ギーター』と『マハーバーラタ』を別個のものと勘違いしていたので、あらすじだけでも知ることが出来、大変助かった。
神話の一部だが、バガヴァッドたるクリシュナが神であり、戦意を失ったアルジュナが教えを乞う形になっているので、物語というより経典に近い印象を受けた。ただ、『まえがき』に掲載の『マハーバーラタ』の梗概を知っていると、そのクリシュナからの教えの存在が神話の主人公のひとりであるアルジュナにとって、どんなに重たく、大きなものかが分かり、すごくのめり込んで行けると思う。
また、機会があれば『マハーバーラタ』を本格的に読みたい。 -
『バガヴァッド・ギーター』(श्रीमद्भगवद्गीता)は、700行(シュローカ)の韻文詩からなるヒンドゥー教の聖典のひとつであり,ヒンドゥーの叙事詩『マハーバーラタ』第6巻にその一部として収められている。パーンダヴァ軍の王子アルジュナと,彼の導き手であり御者を務めているクリシュナとの間に織り成される二人の対話という形をとる。
本書は日本語で読めるものとしては定番であろう。本文はともかく,巻末の解説のまとまりが良い。
以下解説よりメモ:
知性のヨーガ,行為への専心,知性,ブラフマンの境地,行為の超越,プラクリティ,祭祀のための行為,知識の重要性,行為の放擲,行為のヨーガ,平等の境地,ブラフマンとの合一,ヨーガに登った人,専心した者,常修と離欲,理論知と実践知,神のヨーガ,真の知識は信愛により実現する,至高の知識 -
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ヨガを始めて1年。ヨガ哲学も学んでみたいと思い手にしましたが、最初に読むには難しすぎました。もう少し易しく解説されているものを読んでから、この本に帰ってきたいと思います。 「自ら自己を克服した人にとって、自己は自己の友である。しかし自己を制していない人にとって、自己はまさに敵のように敵対する。(六)」
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基本的に難しいし、ヒンドゥー教をこの一冊で理解なんて出来ないけど、なんだかアルジュナくんが可哀想な感じでした、、
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バガヴァッド・ギーターそれ自体が面白いのに加え、最初の導入部分、巻末の注釈、解説が非常によく、大変分かりやすい構成になっていると思った。
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ヒンドゥー教の聖典。
親族との戦いをためらう王子アルジェナに最高神クシュリナが教えを説く。教えの内容はとても興味深く面白いけど、悪用されやすい面があるかも。 -
訳者による解説書(「バガヴァッド・ギーターの世界」ちくま学芸文庫)を併せ読むことで,より理解できるようになったと思います。
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2017/3/21再読了。ニーベルンゲン、アーサー王、ケルト、ギリシャ神話とかそれぞれの国に残る伝説面白いな〜と思っていた頃に読んだのを再読。
アルジュナ(生徒)とクリシュナ(先生)のQ&Aみたいな話で、「親戚と戦争することになっちゃったんだけど戦いたくない」「いや、早よ戦えや」って問答。
結構危ない内容だと思うけど、問答はユニークだった。
アルジュナ
「めっちゃ良いこと言うやんアンタ。神様なんでしょ?本当の姿見せてよ」
クリシュナ
「しゃあないな、ホレ」
アルジュナ
「いやぁぁぁ!偉大過ぎて怖いっす。元に戻ってください」
クリシュナ
「しゃあないな、ホレ」
みたいなやりとり、笑ったわ。 -
ヨガからたどり着き、読んでみたかったヒンズー教の聖典、ヴァガバッドギータを読了。
「何者にも執着しない知性を持ち、自己を克服し、願望を離れた人は、放擲により行為の超越の、最高の成就に達する。」
その国を深く理解する意味でも、古典は良い教養になる。また、ヨガをやる者としても自己を見つめるきっかけにしたい。 -
この世に生まれたからには、定められた行為に専念する事。
あらゆる者の身体にあるこの主体(個我)は、常に殺されることがない。それ故、あなたは万物について嘆くべきではない。
もしあなたが義務に基づく戦いを行わなければ、自己の義務と名誉を捨て、罪悪を得るであろう。
相対を離れ、常に純質に立脚し、獲得と保全を離れ、自己を制御せよ。
あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してもならない。
執着を捨て、成功と不成功を平等のものと見て、ヨーガ(実践)に立脚して諸々の行為をせよ。ヨーガは平等の境地。
愚者が行為に執着して行為するように、賢者は執着する事なく
、世界の維持のみを求めて行為すべき。
賢者は専心して行為しつつ、愚者達をして一切の行為にいそしませるべき。
諸行為は全てプラクリティ(根本原質)の要素によりなされる。我執(自我意識)に惑わされた者は、「私が行為者である」と考える。しかし、要素と行為が自己と無関係であるという真理を知る者は、諸要素が諸要素に対して働くと考えて執着しない。
思考器官(マナス)は諸感官より高く、思惟機能(ブッデイ)は思考器官より高い。そして、彼(個我)は思惟機能よりも高い。自らの自己(アートマン)を確固たるものにして、欲望という難敵を殺せ。
自ら自己を克服した人にとって、自己は自己の友である。しかし、自己を制していない人にとって、自己は敵のように敵対する。
梵天(ブラフマー)の世界に至るまで、諸世界は回帰する。だが、
神に達すれば、再生は存在しない。
非顕現なものに専念した人々の労苦はより多大である。全ての行為を神のうちに放擲し、神に専念してひたむきなヨーガによって神を瞑想し、念想する人々は、生死流転の海から救済される。
神に知性を集中せよ、それができないなら常修のヨーガによって神に達する事を望め。もし、それもできないなら、神の為の行為に専念せよ。神の為に行為をしても、あなたは成就に達するであろう。もし、それもできないなら、神へのヨーガに依存して、自己を制御し、全ての行為の結果を捨てよ。
知識は常修より優れ、瞑想は知識より優れ、行為の結果の捨離は瞑想より優れている。捨離により、直ちに静寂がある。
全ての者に敵意を抱かず、友愛あり、哀れみ深く、「私のもの」という思いなく、我執なく、苦楽を平等に見て、忍耐あり、
常に満足し、自己を制御し、決意も堅く、神に意(こころ)と知性(ブッデイ)を捧げ、神を信愛する事。
苦楽を平等に見て、自己に充足し、土塊や石や黄金を等しいものと見て、好ましいものと好ましくないものを同一視し、冷静であり、非難と賞賛を同一視する。尊敬と軽蔑を同一視し、味方と敵を同一視し、一切の企図を捨てる。このような人が要素を超越した者と言われる。
世界には二種のプルシャ(人間)がある。一つは可滅のもの。可滅のものは一切の被造物。不滅のものは揺るぎなき者と言われる。しかし、実は三つ目のプルシャがあり、それは最高のアートマンと呼ばれる至高のプルシャ。
なすべきであると考えて、定められた行為を、執着と結果とを捨てて行う場合、それは純質的な捨離である。
最初は毒のようで結末は甘露のような幸福、自己(アートマン)の清澄さから生ずる幸福は純質的な幸福である。感官とその対象の結合から生じ、最初は甘露のようで結末は毒のような幸福。それは激質的な幸福である。最初においても帰結においても、自己を迷わせる幸福、睡眠と怠惰と怠慢から生ずる幸福、それは暗質的な幸福である。
何ものにも執着しない知性を持ち、自己を克服し、願望を離れた人は、放擲により、行為の超越の最高の成就に達する。
神に最高の信愛を捧げ、神の信者達の間にこの最高の秘密を説く人は、疑いなく神に至るであろう。 -
読むほどに陶酔が襲う。この文体(スタイル)が秘める力はアルコールや薬物に近い。快楽中枢(側坐核)を直接刺激する美質に溢れている。
http://sessendo.blogspot.jp/2014/02/blog-post_14.html -
空洞化のうそ、ザ・フィフティーズおよびタオ自然学など、リファレンス多数。「神の歌」と訳されるタイトルのついた本書は、十八巻よりなる大叙事詩 マハーバーラタの第六巻に編入される、ヒンドゥ教でもっとも有名なインド古典とされている。
まえがき部分からどんどん神様が出てきて、がんがん子孫を産んでいく展開には、一瞬固唾を飲んだが、本編ではあらゆる迷いを断ち、本性から生ずる自己の行為にのみ専念することの重要性を説く。
オッペンハイマーも救いを求めた本書は、どこかアントニオ猪木の「行けば分かるさ」でも有名な清沢哲夫(暁烏哲夫)の「道」、あるいは般若心経と強い繋がりがあるように感じられた。
上村勝彦の作品
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