尹東柱詩集 空と風と星と詩 (岩波文庫)

著者 :
制作 : 金 時鐘  金 時鐘 
  • 岩波書店
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本棚登録 : 82
レビュー : 9
  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003207512

作品紹介・あらすじ

「死ぬ日まで天を仰ぎ、一点の恥じ入ることもないことを」-。戦争末期、留学先の日本で27歳の若さで獄死した詩人、尹東柱(1917‐1945)。解放後、友人たちが遺された詩集を刊行すると、その清冽な言葉がたちまち韓国の若者たちを魅了した。これらの詩を「朝鮮人の遺産」と呼ぶ在日の詩人金時鐘が、詩集『空と風と星と詩』をはじめ全66篇を選び、訳出した。原詩を付す。

感想・レビュー・書評

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  • 平明な言葉でここまで細かい心の襞を描き出すことができるのかと思った。

    透き通った詩たち。

    素朴で若干幼稚とも思える表現が、複雑さを讚美するような風潮に逆に鋭く問いかけてくるようです。

  •  「星を歌う心で/すべての絶え入るものをいとおしまねば/そして私に与えられた道を/歩いていかねば」。このような「序詩」の印象的な一節が象徴するように、尹東柱の詩は、無数の星々を一つひとつ数え上げるかのように、小さきものたち、儚きものたちの一つひとつに細やかな眼差しを注ぐ。そのことが、孤独のなかに吹き溜まった心情を研ぎ澄ますことと一体になっているのだが、そのことが時に、例えば「こおろぎと ぼくと」に見られるように、童謡のように口ずさみたくなるような素朴さにまで純化されているのには、逆に胸を衝かれる。しかも、そのなかで詩の独特の形式感が損なわれることはない。さらに、詩作をつうじて自分自身の心情を突き詰めていくことが、聖書を読み抜き、みずからの信仰の揺れを跡づけることと結びついているのも、尹東柱の特徴と言えるかもしれない。そのことが、パウル・ツェランの「テネブレ」を思わせるほどに、神と厳しく対峙する地点にまで立ち至っていることにも瞠目させられる。おそらくはこうした葛藤のなかから生まれた作品である「夜が明ける時までに」のなかで、「すべての絶え入るもの」への眼差しは、極限まで純化されているのではないだろうか。死にゆく者と生き続けようとする者が分け隔てられることなく休息の場を得るなかで、生の営みが静かに続くことへの研ぎ澄まされた祈り。それを言葉にした詩人は、帝国日本が敗亡する半年前に、福岡で獄死させられた。彼の詩のなかには、その危険に曝されながら、また友人が捕らえられていくなかで詩を書きえている自分への恥じらいと、呼び出されることへの怖れの両方も刻まれている。本書は、そのような「非命の」詩人の遺稿による詩集『空と風と星と詩』に収められた詩と、それ以外の詩、合わせて66篇を集めて、在日の詩人金時鐘が日本語に翻訳して編まれたものである。ある朝鮮語の言葉を「すべての絶え入るもの」と訳した訳者の金時鐘による解説が、一つの詩学とも呼ぶべき次元に達していることも特筆されるべきであろう。その末尾には、今あらためて銘記されるべき思想が刻まれている。

  • 「行こう 行こう/逐われる人のように行こう/白骨に気取られない/美しいまた別の故郷へ行こう」(また別の故郷)

    「明日 明日 と言うので/訊いたのだ。/夜 眠りにつき 夜明けがくるとき/明日であると。//新しい日を求めていた私は/眠りから醒めて見回すと/その時はもう明日ではなく/今日であった。//輩よ!/明日はありゃしない。」(明日はない)

  •  「抵抗詩人」と呼ばれるのは、天国の尹東柱には面はゆいだろう。クリスチャンで、使うことをはばかられた朝鮮語で、国運などとは対極にある私の行く末を誠実に見つめ尽くすという行為自体が、時勢に反逆する抵抗精神そのものであるには違いないが、本人にはそんな確たる意識は薄かったのではないか。
     訳者で解説も書いている金時鐘が言うように、「清怨としか言いようがない詩情」に溢れた詩集で、その清冽な情感、道を探りあぐねる苦悩、自分を取り巻くものへの慈しみが詩言葉の一片一片に包み込まれている。こんな若者がいたことに詠嘆する。
     同時に、本音を言うと、途中から読むのが少ししんどくなる。俗物的な物言いをさせてもらえば、真面目すぎる、隙がなさすぎるのである。気負いが本音を押さえつけている。だが、これも若者の特権だ。
     金時鐘の解説が秀逸。抒情とは何かがストンと腹に落ちる。

  • 「大きくなったらなんになる?」
    「人になるよ。」

  • 日常の身の周りに散りばめられたものを、
    端的な言葉でもって暴き立て、
    それのみで詩的空間を語りきっている事実には
    驚愕の意を示す他ない。
    彼を取り巻くありとあるものが、
    詩に見えてしまうのは、
    彼の生きることへの真摯さ故であり、
    そこには紛れもない、
    生の<悲しみ>が潜んでいる。


    〇以下引用

    【序詞】

    死ぬ日まで天を仰ぎ
    一点の恥じ入ることもないことを、
    葉あいにおきる風にさえ
    私は思い煩った
    星を歌う心で
    すべての絶え入るものをいとおしまねば
    そして私に与えられた道を
    歩いていかねば

    今夜も星が 風にかすれて泣いている


    【自画像】

    麓の隅を廻り ひそまった田のかたわらの 井戸をひとり訪ねては そおっと覗いて見ます。

    井戸の中には 月が明るく 雲が流れ 空が広がり 青い風が吹いて 秋があります。

    そしてひとりの 男がいます。
    どうしてかその男が憎くなり 帰っていきます。

    帰りながら考えると その男が哀れになります。
    引き返して覗くと その男はそのままいます。

    またもやその男が憎くなり 帰っていきます。
    道すがら考えると その男がいとおしくなります。

    井戸の中には 月が明るく 雲が流れ 空が広がり
    青い風が吹いて 秋があって
    追憶のように 男がいます。


    【帰ってきて見る夜】

    世の中から帰ってくるように いま私は狭い部屋に戻ってきて灯りを消しまする。灯りをつけておくことは あまりに疲れることでありまする。それは昼を更にのばすことでもありますので―。

    いま窓をあけ 空気を入れ替えねばなりませんのに 外をそっと見まわして見ても部屋と同じように暗く たしか世間そのもののようで 雨に打たれながらきた道が そのまま雨の中で濡れておりまする。

    一日の鬱憤 洗い流しようとてなく しずかに瞼を閉じれば 心の内へと沁みてくる声、いま思想がリンゴのように ひとりでに熟れていっておりまする。


    【新たな道】

    川を渡って 森へ
    峠を越えて 村へ

    昨日も行き 今日も行く
    私の道 新たな道

    たんぽぽが咲き かささぎが翔び
    娘が通り 風が起き

    私の道はいつでも新たな道
    今日も… 明日も…

    【太初の朝】

    春の朝でもなく
    夏、秋、冬、
    そのような日の朝でもない朝に

    真っ赤な花が咲きだしたんだ、
    日射しは青く透けているのに、

    そのまえの晩に
    そのまえの晩に
    すべてはととのえられてあったのだ、

    愛は蛇とともに
    毒は幼い花とともに。


    【夜が明ける時まで】

    残らず死んでゆく人たちに
    黒い衣を着せなさい。

    精一杯生きている人たちに
    白い衣を着せなさい。

    そして同じ寝台に
    へだてなく寝すませてあげなさい

    みんなが泣いたなら
    お乳を飲ませなさい

    いまに夜が白んでくれば
    ラッパの音 ひびいていきましょう。


    【眼を閉じてゆく】

    太陽を慕う子どもたちよ
    星を愛する子どもたちよ
    夜が深まったので
    眼を閉じてお行き。

    持っている種子を
    撒きながらお行き。
    つま先に石があたったら
    つぶっていた眼をカッとあけなさい。


    【また別の故郷】

    故郷に帰ってきた日の夜
    私の白骨がついていきて同じ部屋に寝そべった。

    暗い部屋は 宇宙に通じており
    天のどの果てからか 声のように風が吹き込んでくる。

    くらがりのなかできれいに風化していく
    白骨をのぞき見ながら
    涙ぐむのが私なのか
    白骨なのか
    美しい魂がむせんでいるのか

    志操高い犬は
    夜を徹して闇を吠える。

    くら闇で吠えている犬は
    私を逐っているのであろう

    行こう 行こう
    逐われる人のように行こう
    白骨に気取られない
    美しいまた別の故郷へ行こう。


    【道】

    失くしてしまったのです。
    何をどこで失くしたのかも知らないまま
    両手がポケットをまさぐり
    道へと出向いていったのです。

    石と石と石とが果てしなくつらなり
    道は石垣をたばさんで延びていきます。

    垣根は鉄の扉を固く閉ざし
    道の上に長い影を垂らして

    道は朝から夕暮れへと
    夕暮れから明けがたへと通じています。

    石垣を手さぐっては涙ぐみ
    見あげれば空は気恥ずかしいぐらい青いのです。

    ひと株の草もないこの道を歩いていくのは
    垣根の向こうに私が居残っているためであり、

    私が生きているのは、ただ、
    失くしたものを 探さねばならないからです。

    【白い影】

    たそがれが濃くなる街角で
    ひもすがら萎えた耳をそばだてていれば
    夕闇うごめぐ足音、

    足音を聞き分けられるほど
    私は聡明であったのだろうか

    いま愚かにもすべてを悟ったあと
    長らく心の奥底で
    悩んできた多くの私を
    ひとつ、ふたつと己の在所に送り帰せば
    街角の暗がりの中へ
    音もなく消えてゆく 白い影、

    白い影たち
    いつまでも思い切れない白い影たち、

    私のすべてを送り返した あと
    とりとめもなく裏通りをめぐり
    たそがれが染み入ったような自分の部屋に帰りついたら

    信念深く 従容とした羊のように
    ひがな一日 わずらうことなく草でも食もう。

    【いとしい追憶】

    春がそっときていた朝、ソウルのある小さな停車場で
    希望と愛のように汽車を待ち、

    私はプラットホームにつらい影を落として、
    たばこをふかした。

    私の影はたばこの煙の影を伸ばし
    鳩のひと群れがはじらうことなく知らぬげに
    翼の内のすみずみまで陽にさらして、翔んだ。

    汽車はめぼしい報せをひとつ伝えるでもなく、
    私を遠くへ載せていってくれて、
    春はとっくに去ってゆきー東京郊外のとある閑静な
    下宿部屋で、古い街中に居残った私を
    希望と愛のようになつかしんでいる。

    今日も汽車はいくどとなく無意味に通りすぎ、

    今日も私は誰かを待って 停車場近くの坂道をうろつくだろう。

    ーああ 若さはいつまでも その場所に残っていてくれ。


    【たやすく書かれた詩】

    窓の外で夜の雨がささやき
    六畳の部屋は よその国、

    詩人とは悲しい天命だと知りつつも
    一行の詩でも記してみるか、

    汗の匂いと 愛の香りが ほのぬくく漂う
    送ってくださった学費封筒を受け取り

    大学ノートを小脇にかかえ
    老いた教授の講義を聴きにゆく

    思い返せば 幼い日の友ら
    ひとり、ふたり、みな失くしてしまい

    私はなにを望んで
    私がただ、ひとち澱のように沈んでいるのだろうか?

    人生は生きがたいものだというのに
    詩がこれほどもたやすく書けるのは
    恥ずかしいことだ。

    六畳の部屋は よその国
    窓の外で 夜の雨がささやいているが、

    灯りをつよめて 暗がりを少し押しやり、
    時代のようにくるであろう朝を待つ 最後の私、

    私は私に小さな手を差しだし
    涙と慰めをこめて握る 最初の握手。


    【春】

    春が血管のなかを小川のように流れ
    さらさら 小川のほとちの丘に
    レンギョウ、ツツジ、黄色い白菜の花

    長い冬を耐えてきた私は
    ひとむらの草のように萌えはじめる。

    愉しげなひばりよ
    どの敏からも喜喜と舞い上がれ。

    青い空は
    ゆらゆら 高くもあるが…。

    【ねぎらい】

    蜘蛛というやつが 陰険な企みで病院の裏庭、手すりと花壇のすき間の めったと人の立ち入らないところに網を張った。
    屋外療養中の若い男が 仰向いて寝ている顔の真上あたり―

    蜘蛛が一匹 花壇に舞い込んで網にひっかかった。
    黄色い翅をばたつかせてもばたつかせても
    蝶はますますからまるばかりだ
    蜘蛛が矢のように駆けてきて 限りのない糸を操りだして
    蝶をくるくる巻きにしてしまった。
    男は長い溜息をついた。

    齢以上に多くの苦労を重ねたあげく 時期を失い
    病を得たこの男をねぎらう言葉は―蜘蛛の巣をずたずたに打ち払うことしか私にはなかった。


    【月のように】

    年輪がはぐくまれていくように
    月が満ちてゆく 静かな夜
    月のように孤独な愛が
    胸にひとつ くっきりと
    年輪さながらに印されていく。

    【異蹟】

    足にしみついた腐臭を拭い去り
    たそがれが湖を歩いてくるように
    私もかるがると歩いてみましょうか?

    私がこの湖のほとりへと
    呼ぶ人もないのに
    呼ばれてきたのは
    まさしく異蹟でございまする

    今日とても
    恋しさ、自惚れ、妬み、これらのものが
    金メダルでも撫でるようにまさぐられるのです

    ですが、私はすべての雑念を払い
    波に濯いで流してしまうつもりですので
    あなたは湖の上へと 私をお召しくださりませ。

    【山あいの水】

    苦しんでいる人よ 苦しんでいる人よ
    風に裳裾ははためいても

    胸深くこんこんと湧き水が流れ
    この夜とともにいうべき言葉をもはやもたない。
    街の騒音とはともに唄えやしないのだ。
    煤けたように川辺に坐っているので
    愛と仕事は街なかにあずけ
    そおっと そおっと
    海へ行こう、
    海へと行こう、


    【窓】

    ひと息入れるたび
    私は窓辺へと行きます。

    ー窓は生きた教訓。

    あかあかと火を熾してください、
    この部屋には冷たいものが立ち込めています。

    紅葉ひと葉
    舞い飛ぶのを見ると
    どうやら小さなつむじ風が起きているようです。

    それでも冷たいガラス窓に
    日射しが目いっぱいに照りつけるころ、
    始業の鐘が響いてくればと思っています。

    【市】

    早い朝 女たちは萎びた暮らしを
    籠いっぱいつめて頭に載せ…
    背負い 担い… 抱きかかえ…
    集まってくるよ ぞくぞく市に集まってくるよ。

    貧しい暮らしをこまごまとひろげて
    押されてゆき 押されては戻り…
    めいめいが生活を叫んでいる…闘っている…。

    日がないち日 いじらしほどのつつましい暮らしを
    升で量り秤で計り定木で測り
    日が傾いていって 女たちは
    苦い生活と取り換えた一日を
    またも頭に載せて帰っていくよ。

    【黄昏が海となり】

    今日もまた 青黒い波のうねりに
    ゆらめいては沈み… 沈み…

    あの向こう いかなる魚の黒い群れが
    海を染めて横切っているのか。

    枯れ葉となった海草
    海草までがうら悲しい。

    西窓に掛かった青白い風景画。
    上衣の付け紐を噛んでいる孤児の悲しみ。

    いま 初航海の心づもりで
    部屋にうつ伏せ… 転がりまわり…

    黄昏が海となり
    今日も少なからぬ船が
    私とともに この波間に沈んでいったに違いない。


    【山の上】

    街が碁盤のように見え
    江が蛇の仔のように這っている。
    山の上までやってきた。
    今頃はひとびとが
    指される碁石のように広がっていよう。

    昼下がりの太陽が
    トタン屋根にだけ射していて、
    地虫の歩みさながらの汽車が
    停車場に止まっては黒い煙を吐き
    また歩みはじめる。

    天幕のような空がくずれ
    この街を覆いはしないかと気になりながら
    もう少し高い所へ上りたいと思う。

    【蒼空】

    あの夏の日
    情熱のポプラは
    訪れる蒼空の青い胸乳を
    撫でさすろうと
    腕をひろげて揺さぶった。
    沸樹太陽がかげる小さい地点から

    天幕のような空の下で
    わめいていた俄か雨
    そして稲妻、
    小躍りしていた雲をひきつれて
    南の方へ逃げ去り、
    高々に蒼空は
    一幅の枝の上にひろがり
    円い月と雁を呼んできた。

    ふくよかな幼心が理想に燃え、
    そのあこがれの日の秋に
    凋落の涙をあざわらう。

  • 日韓関係の本は、幕末まで遡って随分読んできたつもりだが、戦争末期の日本に留学し、何の政治色もないにも関わらず、ただ母国の言葉で詩を書いたというだけで捕らえられ獄死した詩人がいたとは知らなかった。
    しかもクリスチャン。

    私は日本のクリスチャン詩人八木重吉の詩が大好きで、時々読んでいるのだが、どこか彼に通ずるものを感じた。
    ただ八木重吉の詩が、常に自分独自のフィルターを通してから表現されているのに比べると、この人の詩は、もっと素直でストレートな表現をしているように思われる。日本人と韓国人の違いなのかもしれないけれど。

    私が特に印象に残ったのは「ツルゲーネフの丘」という詩である。3人のホームレスの子供たちに出会い、何かあげるものがないかと考えるが適当なものがなく、この人は何なんだという目で見られ、子供たちは行ってしまった。という内容の詩である。
    穿った見方をすれば支配する者とされる者との関係を、浮き彫りにした詩のようにも見える。実際、支配者と被支配者とは、このような関係なのだろうが、勿論彼は個人の感慨として書いただけなのだろう。

    原語がわからなくて、こう言っては何だが、詩は凄く上手いとは言えない。でも、どこかでドアをノックする音が聞こえてくるように、心に響いてくるものがあった。
    こういう歴史的事実があり、1人の詩人がいたということがわかっただけでも、大きな収穫だった。

  • 「空と風と星と詩」尹東柱 金時鐘 編訳 岩波文庫

    「弟の肖像画」
    ほのあかい額に冷たい月が沈み
    弟の顔はかなしい絵だ。

    歩みをとめて
    そっと 小さい手を握りながら
    「大きくなったらなんになる?」
    「人になるよ」
    弟の説はまこと 未熟な答えだ。

    何食わぬ顔で手を放し
    弟の顔をまた覗いて見る。

    冷たい月が ほのあかい額に濡れ
    弟の顔はかなしい絵だ。
    (1938.9.15)

    「아우의 印象画」

    붉은 이마에 싸늘한 달이 서리아
    아우의 얼굴은 슬픈 그림이나.

    발걸음을 멈추어
    살그머니 애딘 손을 잡으며
    「늬는 자라 무엇이 되려니」
    「사람이 되지」
    아우의 설은 진정코 설은 対答이다.

    슬며시 잡았든 손을 놓고
    아우의 얼굴을 다시 들여다 본다.

    싸늘한 달이 붉은 이마에 젖어
    아우의 얼굴은 슬픈 그림이다.

    尹東柱(ユントンジュ)の詩集岩波文庫版が21世紀のこの時に至って、やっと出版された。韓国における詩の位置付けは、本屋に行けば圧倒的に高いということがわかる。一番いい場所をいつも陣とっているのである。その一番人気が未だに出ていなかったことが不思議でならない。

    「死ぬ日まで天を仰ぎ、一点の恥じ入ることもないことを」という有名な詩句を聞いたことはあっても、その詩業の全容を知っている人はほとんどいない。私も知らなかった。

    リリカルな優しい心と、キリスト教に支えられた強い精神、中国に国境を接する場所を故郷とする心像風景、時代が常に死と接することを強要した覚悟、若くして才能を花開かせ散らしていった運命、平易な言葉で豊かな内容を表した表現力、それらは、ここに収められている66編を読むことで納得するだろう。

    原詩を巻末に載せているのも嬉しい。尹東柱の人生を紹介した訳者の解説も力がこもっていた。
    2012年12月14日読了

  • 岩波文庫 080/I
    資料ID 2012200359

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