オイディプス王(ソポクレス) (岩波文庫 赤 105-2)

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本棚登録 : 2014
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  • Amazon.co.jp ・本 (134ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003210529

作品紹介・あらすじ

オイディプスが先王殺害犯人の探索を烈しい呪いの言葉とともに命ずる発端から恐るべき真相発見の破局へとすべてを集中させてゆく緊密な劇的構成。発端の自信に満ちた誇り高い王オイディプスと運命の運転に打ちひしがれた弱い人間オイディプスとの鮮やかな対比。数多いギリシア悲劇のなかでも、古来傑作の誉れ高い作品である。

感想・レビュー・書評

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  • 古代ギリシャ三大悲劇詩人の一人、サポクレスの作品(戯曲)
    なんと紀元前427年頃の作品
    完成度が高過ぎて驚く
    これほど時代が移り変わっても、違和感なく受け入れられる不条理作品だ

    ネタバレ…というか内容が世間的にあまりにもオープンになっているのでネタバレにあたるのかよくわからないが…
    ネタバレ有りです

    テバイの王ライオスは、
    自分が、やがて生まれる子供の手にかかって亡き者にされ、
    またその子は母親とまじわる運命にあることを神託に告げられる

    その男の子であるオイディプスは、お前は父親を殺し、母親とまじわるだろうと告げられる

    そしてオイディプスは4人の男女の子供を授かる

    ああ、悲劇以外の何ものでもない
    どうして、こんなひどい運命を授かるために生まれてきたのか

    物語は劇として進行するため、登場人物もそう多くなく、シンプルでわかりやすい
    いちいち「宮殿の扉が開かれ、〇〇が登場」
    といった感じの注釈がある
    また劇の本編の対話部分が一段落するごとに、コロス(合唱隊)が登場し正歌と対歌で構成される
    作品の補足的かつ、重要な役目をし、韻律を踏んだコーラス部門という感じなのだが、これを訳して活字にしてしまうと、難しく、非常にわかりづらい
    想像力が不足し、コロスの重要さが伝わらずとても残念だ
    結構な紙面を使っているだけに、もったいないなぁ…
    というわけでコロスは気になりつつも、本編に集中することに

    不運のオイディプスは、ある時、真実をなんとしても追求しようと、躍起になる
    徐々に真実が明らかになる過程の緊張感は、答えを知っていても、ページをめくるのが恐ろしいほどだ
    オイディプスが躍起になればなるほど、自分自身が追い詰められていく
    読んでいて酸素が薄くなって苦しくなる
    皆が楽観的な結論を望み続ける中、悲劇の真実が明らかになるこの逆行する展開もなんとも胸が痛い
    全てを知ったオイディプスはどうするのか
    オイディプスの母であり、妃は、子供達は…

    現代の小説からすればツッコミどころは満載だが、なんせ紀元前に書かれたものである
    よくできた構成と、真実に近づいていく緊張感、オイディプスや彼の母親兼妃の心情が手にとるようにわかる
    親子、近親者、異性、運命…
    人間の本質を突いた作品だからこそ、何世紀に渡って、受け入れられているのではないか

    前々から一度きちんと読んでみたかったので満足
    コロス部分以外、とても読みやすい(笑)

  • 誰もが知っている有名な物語。奈落の底へ沈んでいく劇的な展開に思わずオイディプスの運命に憐れみを感じないではいられない。
    アリストテレスが「悲劇とはあわれみと恐れをひき起こすことによって、この種の諸感情のカタルシスを達成するものである」(詩学)の例の挙げたほどの古典名作であるが、徐々に沈んでいき明るみにされる衝撃的事実に(筋は知っていても)自分は気持ち悪くなって、次に沈黙してしまった。まさにアリストテレスの言の通りに感じ入ってしまいました!
    スフィンクスの謎かけを解いた知恵者として、荒廃したテバイの民を慈しむ王として登場するオイディプスの末路はまさに悲劇といってよいが、その前後の対比が象徴的で劇場性に優れて大いなる見応えとなっている。特に呪いをかけた「敵」が実は自分であり、運命の中にあったと判明したときの落差はとても迫力がありすばらしい。ただ、王が占い師の発言で激こうし、猜疑心が強くなるくだりは同人物の性格破綻でないかとも思ったが、おそれおののいた裏返しでさらに最後の対比につながると思えば、これも演劇構成の妙といえるだろう。劇間に挿入される合唱隊(コロス)の正歌と対歌は、その時々の経過を印象深く歌い上げており、沈降していく舞台の雰囲気を読者(観客)へ効果的に植えつけている。
    アリストテレスは「物語を構成する出来事の中には、不合理な事柄がすこしもあってはならない。やむをえない場合には、悲劇そのものの外におかれるべきである。」(詩学)と述べているとのことだが、読んでいて、オイディプスが自分の殺した相手をそんなにも記憶していないのかとか、先王のことを本当に今まで何一つ知らずにきたのかとか、コリントスから来た羊飼いの使者もあの時の子供がテバイ王になったとテバイの者にとっくに言ってだろう、とか物語として釈然としない疑問を浮かべていたのに、そんなに昔から織り込み済みのことだったのね。(笑)余談だが、さらにアリストテレスは本物語を、出来事と行為の必然性による「逆転」と「発見」の優れた例として挙げているとのことであるが、昨今のドラマ、とりわけサスペンス劇場風のドラマ・小説はこれを範としてほしいところだ。(笑)
    あれ!?藤沢令夫の解説が良かったせいか、アリストテレスの掌内の「レビュー」になってしまった・・・。(笑)

  • 話の構成自体(内容は別として)は、今となっては定番というか、ある話。
    が、セリフの言い回しがすごく含みというか、わかりやすく奥もある感じがとても良い。
    古典傑作は伊達ではなかった。
    この悲劇もそうだけれど、喜劇、笑劇等々の作品は読むことが少なかったけれど、読んで愉しいとわかったので他のも読んでみたいと思った。
    次はマクベスでも。

    ちなみにあらすじはある程度知っていたオイディプス王ですが、事前に知っていても知らなくても面白いです。

  • 海辺のカフカから。

    父を殺し、母と交わる
    朝は4本、昼は2本、夜は3本

    自らの出生を知っていくオイディプス。
    ブワーっと1時間半ほどで読了
    結末を知っていたからこその、先へ先へと急ぐ気持ちがあったのかもしれない。

    経験があるが、AとBという可能性があったとき、つい自分に都合のいい方を選んでしまいがちだ。
    オイディプスも例の如くであり、人間本当にいいように解釈するんだなあと思った。

    はじめクレオンや預言者をバカにしていて信じようともしない
    やがてどんどん真実が現れていく。身が破滅していく。

    自分の目を
    目というのが象徴的だと思った。
    イオカステは首を吊ったが、オイディプスは首吊りではなくみずから、己の目をつぶした。

    でもなんかオイディプスは避けようがなかったよねーって感じ。強いていうなら人殺ししなければよかったねって感じ。運命は逃れられないって感じがする

    ・結末がわかっているのに面白いのはすごい
    ・知らぬが花だなあ
    ・真実のために良かれと思って行動していくうちに真実が明るみに出る。清々しさ。清々しいって感想すごいなあ

  • 戯曲を読むというのは苦手です。この話の大筋もなんとなく知っていました。それでも、読んでみると、圧倒されました。全体に尋常ではない緊迫感が詰まっていました。真相の追求と真相の現れ、そしてそれによる運命の変転。構成の仕方が見事でした。この本がものすごい昔に書かれたということを考えると、なんだか気が遠くなります。(2015年6月16日読了)

  • ずっとドキドキしながら、目を見開いて読み切ってしまいました。
    王が問い詰める場面では、ああああ、その辺でやめとこうよ…なんてつぶやきながらハラハラハラハラ。
    あぁ舞台で見てみたい!

  •  解説の部分で、オイディプス王をできるだけ再現して上演したとき、終演ののち静寂と拍手と騒めきがあって、いまだに新しいというようなことが書かれてあった。
     たぶん。
     その新しいと感じられるのは、観る人が最初からだいたい知ってる、神の視点や立場にあるということ、かもしれない。観客=神。神託の理不尽さ、テバイの国の災難続き。これはすべて観客によるものである、観客が王達に与えた試練である、ゆえに、悲劇の「悲」は、じゃっかん上から目線の、味わい深い哀しさに似ていて、この作品は「観客=神」つまり、観客が誰一人いない無人劇でありまして、誉れ高い傑作となっているのではないかと思う。

  • 現在を生きる自分はそりゃあもう沢山の物語に囲まれています。それなのに遥か昔のギリシアで書かれた物語が今でも人々の心を掴むことは良いものに時代は関係ないということを示してくれているのでしょう。自分はなにも懐古主義者というわけではありませんが時の洗礼を受けてもなお人々に読み継がれてきた作品はやっぱり充分な魅力をたたえていると思っています。

    今は昔と違い手軽に本を読めるようになり読者の層も広がっていますね。そのせいか教養、あるいは文化としての読書から娯楽のためだけの読書になっている気がしてなりません。もちろんそれが一方的に悪いことだとは思いません。けれどもこのような風潮の中でギリシアの偉大な作品たちのように時代を超えて人々を虜にする物語が生まれるかどうかには疑問が残ります。そしてもしそういったものが生まれないとしたらそれはすごく寂しいことだと思います。

    これから、いったいどのように本と向き合ったら良いのでしょうか。売れる作品だけが世に蔓延りまだ見ぬ名作が陽の光も浴びぬうちに埋れているようで、すごく寂しく感じます。って何様。

  • この作品は明治時代の一人の文豪を想起させる。博覧強記であるが故に《知》に蝕まれ死んだ男を。

    オイディプスは《未知》への冒険心が故に自分の身の上を知り、自ら眼を潰し、国を去る。

    ここには《知》というものにはパルマコン(これは薬とも毒とも訳せる言葉である)があるということを端的に示している。
    オイディプスは疫病から国を救おうとして探しだした《知》により自らを苦しめることになる。

    人を救うための《知》であったはずなのに、自らはそれが呪詛となる。薬も人によっては、量によっては毒となる。オイディプスは《毒》が自らに入り込まないように眼を潰して、扉を閉ざす。

    現代の日常でもこの構図は変わらない。
    日常に於いて、勉強や他人とのコミュニケーションで得た《知》というものは《情報》と換言しても差し支えないであろう。
    私達はいつでも《毒》を盛られて半ば神経衰弱状態で生きている。与えている側としては相手の為と思いやってのことだから面倒この上ない問題だ。(もちろん虚偽やメディアコントロールといった故意によるものもある)

    過ぎた日を省みてみれば、興味本位で得た《知》によって必要のない憂いに翻弄され、何事にも勘ぐりをしていた日々ばかりで「知らなければ良かった」と思う人が大半であろう。

    古典経済学の大家J.Sミルの有名な言葉で「満足した豚より、不満足な人間の方がよく、満足した愚か者より、不満足なソクラテスの方がよい」という功利的な言葉がある。
    その言葉に倣えば不幸な《満足した豚》を喜ばしき《不満足な人間》になることが《知を得る》ことなのかもしれない。
    実際、今でも思想界の一大勢力として鎮座している《実存主義》という考えの基本は「悩み苦しむことこそ自分らしく生きている証拠」といったような意識が根底にある。

    果たしてその通りなのだろうか。《知》を与える行為を一般に《啓蒙》や《啓発》、また日常的に用いる言葉なら《教育》というだろう。
    《啓蒙》は「蒙きを啓らむ」といった漢字の語義やenlightenment,illuminationと言った原語からも分かる通り「暗いもの、世界を明るくして理解する」ことである。
    確かに暗い空間は何があるか分からず不安であろう、しかし暗い空間を想像する楽しみを奪っていることも確かだ

    《教育》でも基本形は変わらない。加えて言えば、教えられたことが真実であるかは極めて不確かである。
    また真実か否かは別として、教えたことによってその人を悩ませ、苦しませること、いわば《毒を盛って悩める人間にすること》が本当に幸せなのであろうか。

    私は最初に《ある文豪》を想起すると書いた。
    彼は博識にして、世界を見聞きし、教育者であった時期もあった。
    《毒》を盛られ、そして自らも盛った彼も「知らなければ良かった」という後悔の念に苦しめられたことを著作で語っている。

    (閑話休題:今でも私は教師というのは嘘つきか詐欺師とならぶような犯罪者だと思っている)

    出来れば《知》に遠ざかって生きて行きたいが、世界的に依存症を起こしている情報社会では、そうもいかない。《薬》の過ぎた服用によって《毒》になる、そんな中毒症状に陥らないように生半可な気持で服用しないことだ。

  • 出てくる人みんな、そんな大げさな……という感じだが、戯曲ということを考えるとまあそんなものか。
    実の母を妻にするっていう呪われた設定を思いついたソポクレス怖いな。どういう人だったんだろうか。
    ってか2000年以上読みつがれるって普通にヤバくない?(頭悪い感想)

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