恋愛指南 アルス・アマトリア (岩波文庫)

  • 岩波書店 (2008年8月19日発売)
3.83
  • (16)
  • (14)
  • (19)
  • (3)
  • (0)
本棚登録 : 245
感想 : 28
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (410ページ) / ISBN・EAN: 9784003212035

みんなの感想まとめ

恋愛に関する独特な視点を提供する本書は、愛の探求から関係の維持に至るまでの心得を語ります。一方で、男女間の力関係や古代ローマの文化を背景にした記述が多く、時には不快感を覚える内容も含まれています。特に...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 恋愛の心得
    一、愛する対象となる相手を探せ
    二、これぞと思う女性を口説き落とせ
    三、その愛が長く続くよう努めよ

  • 塩野七生さんの本に、この本の中から一節(女の膝に塵がついていたら取ってやるべし、ついてなくても取ったフリをするべし、とかの内容)引用が出てくるので読んでみた。

    女に歳をきくな、とか、ハゲはみっともない、とか、2000年経っても不変の真実(?)が延々書き連ねてある感じでしょうか。神話と史実(当時の日常)を交えた記述が多いので、注釈がやたらと多い。

  • 古典文学に堅苦しさを感じる人も多いだろうが、長年のベストセラーだと考えればよい。本書の作者オウィディウスといえば古代ローマ時代の大詩人だが、この『恋愛指南』はまさに古代ローマの恋愛マニュアル。口調こそ勇壮だが内容は主に女性の口説き方だ。彼は「お目当ての女性の膝に塵が落ちかかるようなことがあったら、指で払い取ってやらねばならぬ。たとえもし塵など全然落ちかかってこなくとも、やはりありもせぬ塵を払い取ってやりたまえ」という。「ありもせぬ」ってウケる。4月からの新生活の参考になさってはいかがでしょうか。
    (教員 推薦)
    (特集:「先生と先輩がすすめる本」)

    ↓利用状況はこちらから↓
    https://mlib3.nit.ac.jp/webopac/BB00505405

  • なにが「恋愛指南」だよ、ボケwww

    とか
    言いたくなるwwwww

    もう

    「www」
    としか言えない世界です。

    第1章:どうやって女の子を口説くか
    第2章:どうやって女の子とエッチできるか&どうやってセフレを作るか
    第3章:どうやってオトコを手玉に取るか

    …まったくf^_^;

    でも
    たしかに
    「恋愛」だけを存分に味わうのであれば、
    結婚前提で落ち着いて付き合うよりも
    いわゆる“駆け引き”が
    一番スリルがあって、楽しい部分かも。

  • 214P

    オウィディウス
    ローマ帝政初期のラテン文学の代表的詩人。『変身』などの作品がある。オヴディウス Ovidius とも表記。アウグストゥス時代のローマの詩人。ローマ社会の恋や風雅を歌い上げ、前16年の『恋愛歌』で有名になる。代表作には『変身』がある。彼自身も自由な恋愛に生き、ローマの社交界でも活躍したが、その作品が官能的であることを非難されるようになり、紀元後8年には皇帝アウグストゥスによってローマから黒海沿岸に追放されてしまった。一説にはアウグストゥスの孫娘ユリアとも関係があったらしい。

    恋の技法
    by オウィディウス、樋口勝彦
    こういう女は薄い空気のなかをすべってきみのところへ向うからくるわけではない。きみの目にかなった女は、きみのほうからさがし求めなければならない。 狩人 はよく知っている、鹿を捕えるにはどこへ網を張ったらいいかを。歯をむき出しているイノシシがいかなる谷にひそんでいるかをよく知っている。鳥刺しは 藪 をよく知っている。釣針を垂れる者は、どういう淵に魚が多く泳いでいるかを知っている。きみもまた、永い愛の相手を求めるきみもまた、まずいかなるところに女が集まるかを知りたまえ。

    秀でた馬(の競う戦車)競走(の機会)も逸してはならない。人々を容れる広い競走場には幾多の便宜がある。(まず)秘密を語るのに指を使う必要がないし、 叩頭 によって合図を受ける必要もない。だれも邪魔する者がないのだから、いい 女 とならんで座をとりたまえ。相手の脇にできるだけ自分の脇を寄りそえることだ。それにはまことに工合がいい。というのは、女がいやがったところで座席の列がそうさせるのだから、また場所柄の習慣ゆえに女にさわらざるをえないのだから。

    かかる場合、きみとしては人をだましがちな 灯 の火にあまり信頼してはならない。夜と酒とは審美眼をそこなうものである。パリスが(三人の)女神たちを見てウェヌスに向かい「ウェヌスよ、二人のいずれの女神よりもおん身のほうが(美貌の点で) 勝れている」といったのは、昼間の天の明るい時のことだったではないか。夜分には欠点がかくれるものだし、またあらゆる きず は見のがされる。夜の時は、いかなる女をも美しくするものだ。宝石の場合にも、紫で染めた羊毛〔織物の意〕についても昼と相談したまえ。(女の)顔と容姿については昼間鑑定するがいい。

    さて今度は気に入った女はいかなる手を用いてとらえるべきか、すぐれた技術を要する仕事だが、これをきみにつとめて語ろう。男よ、いかなる者であろうと、どこにいようと、向学心を向けてくれたまえ。また多数の人々よ、私の約束を語るから、黙ってきいてくれたまえ。まずきみの心に確信をいだかなければならない。女というものはすべて、つかまえうるというものであることを。ただ網を張ってさえいればつかまえられるのだ。

    女が若者に甘い言葉で言い寄られて拒むとしたら、それこそ春、小鳥が沈黙し、夏、蝉が黙り、マエナリウス犬〔猟犬〕が兎を見て逃げ出すくらいなものだ。嫌がっているときみが万一思うかもしれない女でも、(いやがるどころか)じつは望んでいるのだ。人目をぬすんでする恋は、男に魅力があるように、女にとってもまたそうなのだ。男のあいだで、絶対にわれわれのほうから先に言い寄らないことに協定したとすれば、女のほうでは、負けて、今度は女のほうで求めてくる役に廻るにきまっている。(たとえば)柔かい牧場では牝牛が牡牛にむかって鳴きかけているし、牝馬もかならず蹄の固い牡馬を求めていななくではないか。

    われわれにあっては、欲求は我慢しうるものであり、(女ほど)狂気じみたものではない。男性の情熱にはしかるべき限度がある。ビュブリスについていえばどうだ? 兄に対して禁断の恋心をいだいて熱中し、綱を用いてけなげにも罪をあがなったではないか。ミュルラは父を――娘が父を愛するのは当然だが、それとは違った意味で愛した。そのため今では木の皮に包まれて押し込められてしまった。香の高い木から浸み出す彼女の涙は、われわれが香油としてからだに塗っているものであるが、その樹脂はこの女の名を今に伝えているではないか。

    王の 妃 でありながら、結婚の 臥床 を捨てて、パシパエは森のなか、林の小路を分け入ってアオニアの神(バッコス)の神がかりにかかった女のように進んでいった。ああ、彼女は憎い思いをおもてに出して、牝牛を睨みつけたこともいくたびあったことだろう! そしていった、「なぜあの牝牛は私のいい人に 媚びるのでしょう? ご覧、なんとまああの牝牛はあの人の前で柔かい草を蹴ってはねることでしょう! きっとあの馬鹿 牝牛 は自分がきれいだとうぬぼれているに違いない」と。彼女はそういって、多数の牛の群からさっそくあの牝牛を引き出せと命じ、さらに、適しないのにもかかわらず、曲がった 軛 をかけて(畑に)引いて行けと命じたり、あるいは祭事を考え出しておこなわせ、祭壇の前で(牝牛)をむりに殺させ、あまつさえ喜びの手に恋仇の内臓をつかんだものだ。

    時機がくれば、御しにくい牛も 犁 に掛けられるであろう。時機がくれば、馬も 撓めやすい手綱にかかるよう馴らされるものだ。鉄の指輪〔下層階級の身におびるものであった〕も、絶えず使っていれば減ってくるし、彎曲している犂も、絶えず土を耕していれば消耗してゆく。石より固いものはあるまい。水より柔かいものはあるまい。しかし、固い石とても柔かい水に穴をうがたれるではないか。ただ根気よくがんばりたまえ。時機がくれば、ペネロペ〔オデュッセウスの妻〕でさえかち得るであろう。ペルガムム〔トロイア城砦〕の陥落は手間がとれたことはきみの知っているところだが、結局陥落したではないか。もし彼女が読んだとして、それでも返事をくれないとしたら? きみは強制しないがいい。きみのほうとしてはただ、彼女にきみの 追従 を絶えず読ませるように仕向けさえすればいい。

    見よ、 酒神〔バッコス〕がかれの愛する詩人を呼んでいる。この神もまた愛する者に神助をたれたもう。そしてかれ自身が熱くなっているその焔を愛したもう。グノシアの女(アリアドネ)は小さなディア島が海の水に打たれているところ、未知の砂浜を狂人のように歩き廻っていた。眠りからさめたところだったので、帯はなく 下着 をまとい、足ははだしで金髪は乱れたままであった。

    耳の聞こえない波にむかってテセウスの薄情を叫んでいた――耐えがたい涙の雨が彼女のやさしいほおを濡らしたままに。彼女は叫ぶと同時に泣いていた。しかしいずれも彼女を美しく見せた。彼女は涙を流してもつねより醜くはならなかった。いくたびか、てのひらで、いと柔かい胸を打ちつづけながら「あの 情ない人は行ってしまった。私はどうなることだろう」といった。「私はどうなることだろう」と彼女はいった。すると浜いっぱいに 鐘 の音が響きわたり狂乱した手で 太鼓 が打ち叩かれた。彼女は恐怖にとらわれ、呆然として今の言葉をふとやめた。命の抜けたからだには血の気がなかった。

    抵当は撤回したまえ。敬虔な者にはおのれの誓いを守らせるがいい。欺瞞はなくせ。手は血なまぐさいことにふれてはならぬ。きみ賢明であるならば、のちに面倒の起こらないように女だけをもてあそぶがいい。この(女相手の)欺瞞だけに限って、信義を守るのはむしろ恥とすべきだ。だましにかかってくる者にはだましてやれ。大部分の者は不正のたぐいの者だ。陥穽を仕掛けた者には、自分の陥穽におちいらしめてやるがいい。伝えられるところによれば、エジプトにはかつて、畑をうるおす雨が降らず、九年ものあいだにわたって旱魃がつづいていたという。あのときトラシオス〔ピュグマリオンの兄弟〕がブシリス〔エジプトの王〕のもとに来て、ユピテルをなだめるには外国人の血を流して( 犠牲 に)捧げれば可能であると教えた。

    また涙も役に立つ。涙をもってすればきみは 鋼 も熔かすであろう。できれば、彼女にほおを涙で濡らしてみせてやるように心がけてみたまえ。もし涙が出そうにもなかったら――というのは機に臨んでいつでも出てくるとは限らないのだから――手を濡らして目をこすっていることだ。どんな賢者でも、接吻に甘い言葉をまじえない者があろうか? もし彼女が接吻を与えてくれないとしたならば、では、与えてもらわなくとも盗みたまえ。初めはおそらく彼女は抵抗するであろう。また「いやな人」というかもしれない。彼女は、しかし、戦うときには征服されたがるものだ。ただ手荒に接吻を盗んで、柔かい唇をそこなうことのないように、また彼女が万一きみの乱暴をこぼすたねにすることのないよう注意したまえ。接吻を盗んでおきながら、その他のことも盗もうとしない者があるとすれば、与えてもらったことまでをも失うに値する者であろう。

    接吻を得たのちには、きみの念願成就にはもうわずかだ。ああ、悲しいかな。野暮というものだ、そんなのは慎しみではない。腕力に訴えるのもよろしい。女にとってはきみの力は嬉しいものなのだ。女というものは、喜んで与えたいことを与えしぶろうとすることがよくある。どんな女でも、思いがけなくvenus を強奪されると嬉しく思うものである。無法な行為を好意の贈り物のように解釈するものだ。ところが、強制されるかもしれないようなときに、触れられずに別れると、女は、顔にこそ喜びをよそおってはいるものの、じつは悲しいのだ。フォエベ〔レウキッポスの娘フォエベとヒライラとはカストルとポルックスの双子に犯され、その妻となる〕は暴力を受けた。妹もまた暴力をこうむった。そして二人とも乱暴を働いた者が、乱暴をこうむった女に愛されるにいたったではないか。

     私は金持の人たちに愛する術を教えようとするものではない。(贈り物を)与える(金持の)者には私の技術は必要がない。気の向いたときに「これを取っておきたまえ」といえる者は、かれ自身の「才能」を持っているわけだ。かれらにはかなわない。私の発明した手よりは強い魅力を持っているのだから。私は貧しい人々のための詩人だ。私自身が恋をしたころは貧乏であった。私は贈り物をすることができなかったので、うまいことをいってだましたものだった。貧しい者は慎重に恋をせよ。貧乏人はきたない口をきくことは警戒を要する。金持にはとても耐えられないことでも多くを忍ばねばならぬ。私は怒りのあまり、恋人の髪を引っ掻きくずしてやったことを覚えている。この怒りのために、私はいかに多くの日を奪われたことだろう。

    ウェヌスの密儀は箱のなかへ隠されはしていないし〔宗教上の密儀によくとられる方法〕、うつろな鐘が狂的に叩かれて、音を響かすこともなく、ただわれわれのあいだだけで秘めておくことのほうが望ましいというだけのことで、われわれのあいだに現に普通におこなわれていることである。

    きれいに飾った劇場に光り輝く像も、よく見たまえ、いかにも薄い金箔が木材を覆っているだけだ。しかし出来上がるまでは人々に近寄らせない。(それと同様に)お化粧も男を遠ざけないでしてはならない。男の前で髪を櫛けずってはならない。髪をといてあなたの背中に垂れさすことはいましめたまえ。そういうときには、ことに 癇癪 をおこさないように、また(怒って)髪をとくことのないように気をつけたまえ。髪結い奴隷を怪我させてはならない。(女奴隷の)顔を爪で傷つけたり、 針 を取って(女奴隷の)腕につき刺したりする女は私はきらいだ。女奴隷は、女主人の頭に手をかけるときに、呪い、同時にまた憎い髪の上で、血を流しながら泣く。

    ところが、非のうちどころのない美貌というものはまれなものだ。欠点は隠したまえ。できるだけ、あなたのからだの欠点を隠したまえ。背が低かったら、立っていても坐っているのかと思われるといけないから、坐っていたまえ。あなたが小柄であったら、臥床の上に横になりたまえ。こういうときでもまた、横になったままで、 背丈 を計られないように、あなたは足に着物をかけて隠したまえ。あまりに痩せすぎている女は、目のつんだ地の着物を着るがいい。そして肩から着物が垂れるようにするがいい。色艶の悪い女は、からだに紫の縞の着物をまとうがいい。黒みがかった女は、「ファロスの魚」〔ファロスはアレクサンドリア沖の島。「ファロスの」とは、「エジプトの」の意。「ファロスの魚」とはワニのことだろうという。ワニの糞が皮膚に艶を出すために用いられた、と大プリニウスに見える〕の助けを借りたまえ。

     横腹を巧みにくねらして、 下着 をなびかし、風を受け堂々と足を伸ばして歩く女もあれば、ウンブリア人〔北部イタリアに住む人種。粗朴と勇敢とで有名であった〕の亭主を持ったあから顔の女房然と歩き廻り、がに股で大股に歩く女もある。多くの点と同様に、この点にもまた「 程」がなければならない。後者の動作は田舎っぽいし、前者は大目に見のがせないほど気取りすぎている。あなたの肩の下の部分、腕の上の部分は裸にしておいて、左手のほうから見えるようにしておきたまえ。これはことに、色白の方よ、あなたに似合う。私はこれを見ると、どこで目についても、肩に接吻がしたくなる。

    海の妖精でセイレネス〔女の顔をした鳥〕というのがあって、 妙 なる声でいかに早い船でもとめてしまった。この声を聞いて、シシュポスの子〔ウリクセス(オデュッセウス)のこと。シシュポスが奸智にたけたる者というところから、のちにはウリクセスをシシュポスの子と見なすにいたった。ウリクセスは自分の身を帆柱へ縛りつけさせ、部下の耳には蝋を詰めて、セイレネスの誘惑を逃れた〕はあやうくからだをとろけさすところだった。すなわち仲間(の耳)には蝋をつめてやった。良い声も魅力のあるものである。女は歌い方を学ばなければならない。多くの女にとっては、顔の代りに美声が男をひきつけるものだ。時には大理石造りの劇場で聞きかじったものを歌うがよかろうし、また時には(舞台で)演ぜられて歌われた エジプト式 な調子の歌を歌うのもいい。私の教えを受けたほどの女が、右手に琴爪をとり、左手に琴を持って弾くことくらい知らないではこまる。

    美人は自分を見てもらうために人なかに出なければならない。心を奪われる男が大勢のなかにはたぶん一人はいるだろう。悩殺してやろうと切に思う女は、あらゆる場所へ張り込まねばならない。そして全注意をかたむけて、美しさに気をくばるがいい。機会はどこにおいても力強いものである。つねに釣針を垂らしたまえ。波紋が少しも立たないと思うところに魚はいるであろう。往々にして、猟犬が森深き山を駆け廻っても無駄なことがあるが、だれも追い立てないのに鹿が網にかかることもある。しばられたるアンドロメダ〔アンドロメダは海の怪物に捧げられるために 巌 に縛りつけられていたところへ、ペルセウスが来て怪物を退治する〕には、彼女の涙で人の気をひくよりほかには望めることはなかったではないか。よくあることであるが、夫の葬儀につぎの夫が物色されることがある。(こういうときには)髪を乱して、悲しみを抑えないほうがふさわしい。

    おしゃれと美貌とを鼻にかけている男、また髪をきちんと揃えているような男はさけたまえ。こういう男があなたにいう言葉は、すでに千人もの女にいったことなのだ。かれらの愛はうつり気で、ひとつところにとどまってはいない。男のほうが女よりも女らしかったら、女のほうはいったいどうすればいいのか? おそらく、こういう男は、女よりも多くの男をこしらえることができようではないか? 私のいうことはとても信じられないかもしれない。が、信じてくれたまえ。もしプリアモスの教えを守っていたとしたならば、トロイアは残っていたかもしれない〔プリアモスとトロイアの長老アンテノルはヘレナをメネラオスに返せと主張した〕。

    私は――通人のいうことを信じたまえ――度はずれた高慢を嫌う者だ。往々無口な顔も嫌われるたねとなる。自分を見てくれる者を見てやりたまえ。笑いかけてくれる者には笑ってやれ。うなずいてくれたら、あなたのほうでもまたわかったという合図を返したまえ。こういう序の幕を演じてしまうと、かの少年(アモル)は木剣を捨てて〔「面白半分の恋が、やがて真剣になってくる」〕、自分の 箙 から鋭い矢を引き出す。私は陰気な女は嫌いだ。アイアスはテクメッサ〔プリュギアの王テレウタスの娘。とりことなって、アイアスに愛さる。とりこの身だから陰気であったろう〕を愛するがいい。われわれ陽気な者には、快活な女が心を惹く。私は、アンドロマケ〔アンドロマケは悲痛な運命にもてあそばれているためか、よく陰気な美人の典型にされている〕よ、おん身に、またテクメッサよ、おん身に、二人のうちのどちらも私の恋人になってくれとは願わないだろう。

    子が生まれたから、これでも信じないかといわれても、おん身たちが夫と寝たことがあったとは私にはとても信じられない。まったく、こんな陰気きわまる女が、いったいアイアスにむかって、「私のいい人」とか普通男を嬉しがらせる言葉をつかったことがあるのだろうか?

    狡猾 な旦那の目を、また見張り〔女の貞操の見張りには去勢奴隷が用いられた〕の目を、いかにごまかすかという点については、私は省略することにしよう。人妻は夫を恐れなければならない。人妻の監視は厳重なるを要する。これは当然のことで、法も権利も面目も命じているところだ。「自由の杖」〔奴隷が自由の身に解放されるときには、 法務官 の職杖で叩いてもらう。ここは「最近自由の身にしてもらったばかりの 新自由女」をさす〕で最近自由者になったばかりの女もまた、監視されるとしたらだれだって黙ってはいられない。だまそうと思うならば私の儀式へ来たれ。よしんばアルゴス〔百の目を有する怪物。ユピテルはイノを牝牛に変じて囲っておいたので、ユピテルの妃ヘラはアルゴスをこの牝牛の監視につけておいた〕の持っていた目ほどの多くの目が監視していようとも、やろうという意志さえ 鞏固 ならば、だますことはできるであろう。

    女は各自、自分を知らねばならない。方法はからだに応じて確かな方法をとりたまえ。一つの型がすべてに向くわけではない。顔のすぐれた女は、あおむけに寝たまえ。背に魅力のある女は、背後から見てもらいたまえ。ミラニオンはアタランテの脚を肩で担いでいた〔第一巻参照〕。脚が美しかったら、このように脚をとらねばならない。小柄な女は馬乗りになるがいい。テーバイ生まれの妻〔アンドロマケ〕は非常に背が高かったから、けっしてヘクトルの上に馬乗りにはならなかった。横腹が長く、そこに見るべき魅力のある女は、首をやや後方にそらして、膝で寝台を踏みつけるがいい。腿が若々しく、胸に欠点のない女は、男を立たせ、女自身は床を斜めに横たわるがいい。ピュルス人の母〔ラオダメイアをさすと思われる〕のように、髪を解くことを、また髪をくずして首をそることを、恥と思ってはならない。あなたがルキナ〔光の女神。光をもたらす女神であるところから出産をつかさどる。ここでは「産」の意〕のために腹にしわが寄っていたら、(逃げ)足早いパルティア人のように、あとじさりする馬を利用したまえ。venus の法は千もある。もっとも疲れない簡単なのは、右側を下に半ばあおむきに横たわることである。しかしポイボスの神託〔デルポイのアポロンの神託をさす〕も、角を生やしたアンモン〔エジプトの神。神託を授けるというので有名であった〕も、私の 詩 より真実をみなさんに語りはしないであろう。

  • 風紀の乱れを助長するとしてオウィディウスが追放される原因になったというこの本がどんな感じか興味が出て読んでみたんだけど、確かにこれは姦通を推奨していると取られてもしょうがないかもしれない(笑)。(古代ローマでの)いい女を見つけてナンパする方法、そして愛を長続きさせる方法、女性向けに男性を夢中にさせる方法が書いてあるのだが、旦那がいる女を落とすには旦那とも仲良くなれとか、不倫は暴き立てると燃え上がるから放置しろとか普通に書いてあって目当ての女性に他のお相手がいるのは当たり前のような書きぶりなのである。
    目当ての女性についている奴隷を丸め込めなどと書いてあるのは微笑ましいが、その奴隷ともやりたかったら主人の方を落としてからにしろとか、キスした後は力づくで手籠めにしてOK,女性も無理やりやられるのが好きなのであるとまで書いてあるのはさすがにおいおいとなる。貞淑な女性は読まない様にという前書きがあるから、遊び人向けの本であることは確かだ。
    男性向けには暗くて酔っぱらっている状態の夜の宴会で相手を見定めることがないように書いてあるが、女性向けには夜の宴会で(欠点をごまかして)男を捕まえるように書いてあったりと男女で逆のことが書いてあったりするのも面白い。ローマの奔放な恋愛模様をのぞき見できるようで楽しかった。

  • これは、題名こそ『恋愛指南』(原題に近づけるとすると「恋愛の技術」とか?)とあるものの、内実はストーカー・レイプ指南本と言った方が近いかもしれない。

    3巻本の形式を採り、最初の2巻が男性読者、3巻目のみが女性読者に宛てて書いてある。で、この1・2巻が実に胸糞悪い。「女は力ずくでものにされることを欲している」だとか、「闘技場でたまたま隣に座った婦人の体に触る方法」だとか…。しかし訳者の沓掛氏は1・2巻に徹頭徹尾表れるマッチョイズムについては何も仰られない。男性には別に不快なことではないからなのか、あえて書くことでもないと判断されたからなのか。

    その不快感も3巻目を読むと少し和らぐ。オヴィディウスはここで不実が過ぎる男から身を守る方法を女たちに説いているのだけど、「そのせいで私がこんなことを忠告せざるを得なかった男はくたばるがいい」なんて言っている。それも結局はこんな忠告をすると余計に女性が意のままにならなくなるから、だろうけど。「自分の美貌に自惚れている男は信用がならない」は、名言ですね。

    忘れちゃならないのはこの本はどちらかというとパロディー本の類であり、真面目な愛じゃなく浮気の方法を唆しているということである。ということで、1・2巻に頻出する女性蔑視的な表現は大真面目に受け止めるべきではないのかもしれない。それでもこの時代のローマに女性として生まれなくてよかったと思う。そんな本です。

  • これが後のイタリア人か…

  • 当書で軽やかに愛の技術を説くオウィディウスが晩年には都雅から無限に遠いとさえ思われる生活を強いられたことについて残念に感じる。そう感じさせられるのは、当書の内容・言葉運びを成す洒脱さ、そして野暮さの無い洗練された様、それらが一級ものだからだろう。

  • あんまり読み込めた自信はないんだけど、恋愛ってきっと楽しいところもあるんだろうし、そういう楽しさを追求してるスタイルの本だとすれば、そういったセンス好きだなぁ・・・!でもこれが漠然とでも響くのは古典だからかも!

  • [ 内容 ]
    航海術や馬術のごとく恋愛にも技術がある。
    愛の名著か背徳の書か、詩人に名声と流刑をもたらした書は男女に濃やかな知恵を授ける。
    遊びの恋、戯れの愛、洒脱と雅とを離れず、知的にことをはこぶには…“黄金のローマ”時代の社会や風俗を鏡のごとく映し出す奇書。

    [ 目次 ]


    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 二千年前に書かれたというのがまず驚きの本。今も昔も基本変わらないんだなあと、時間も場所も超えて人の心理を垣間見られる点では百人一首より面白いかも。隔たりが大きいので。成る程納得のアドバイスもあり、ギリシア神話の多様な引用もあり、ローマの気風を伝えるところあり。こんだけ読んでて楽しいと、そりゃみんな読むよね。

  • 『恋愛指南』・・・
    このタイトルはなかなか書店で買う時には変に意識してしまう・・・
    恋愛HowTo本じゃないし!岩波文庫だし!古代ローマだし!と、色々考えながらもとりあえず購入!

    読み終わっての感想は、ローマの風紀結構乱れてたんだろうな~と(笑)
    女を捕まえたければ闘技場行け! とか、 ゴミついてなくてもついてるフリして落としてあげて、親切具合をみせつけ~の、スキンシップ!
    などと恋に関するテクニックが書かれています。
    1、2章は男性向けですが、3章は女性向けに書かれています。まあ、貞淑な女性には無縁のものらしいですが・・・

  • 今のモテ本のタイトルにでもありそうですが…これ、紀元前に書かれたもの。
     
     3部で構成されており、平たく言えば「女性へのアプローチ法」「交際を持続する方法」「女性の男の操り方」で構成。第1、2部は男性へのメッセージ、3部は男女両方へのメッセージに解せました。現在でも十分通用することが書いてあり、紀元前に書かれた内容とは思えないのが本音。とりわけ随所に記されたファッション、エチケット論は興味深かったです。
     
     「髪も髭も確かな腕の持ち主に切ってもらうこと」
     「鼻毛一本たりともたててはならない」
     「女性は化粧をした後、化粧品を机の上に出しっぱなしのところを男性に見られてはならない」
     
     身だしなみは大事ですが、今でも紀元前でも押さえるべきことは共通している部分が多いようです(笑)
     また、本書は随所で神話を引き合いにして論を展開しており、これが読みづらくしている一方で、同書の味を出しているともいえる気がします。
     岩波文庫で出版されているので、比較的容易に入手が可能…今度の月曜会も恋愛系の課題本ですので、あわせて読むと面白いかも??

  • 自らを愛神(アモル)の師匠、経験豊かな詩人とするオウディウスの書です。紀元前後の時代に神様の恋愛模様を皮肉り、古代~当時の名著をパロディ化する。なんてセンスでしょう。そりゃあ法律に引っ掛かるようなこと書いてませんよ~って予防線も張りたくなりますわなぁ。(解説によると結局この作品のせいでローマを追い出されたそうですが。)恋愛とは戦争であり狩りである。獲物を得るにはどうしたらよいか。手にした獲物を逃がさないためにはどんな技術が必要か。女性には、男性に気に入られるにはどうしたらよいか。そんなことをローマ人の気骨溢れる口調で説かれるんだからもう笑っちゃいますよ。しかも内容が結構情けない。目当ての女性の服に付いたチリは払い落とせ、付いてなくても払い落とすふりをしろ、小間使いは釣るか口説き落とすかして丸め込め、居留守を使われたら見なかったふりをして耐え忍べ、女に悪口を言われたり打たれたりするのを恥と思うな等々。女性に対してもすごいです。男は騙すこともあるけどそれでどんな損をするんだ、一心に自分を磨いてこそ美しくもなるのだ、女が遊びごとをしらないなんてみっともない…。可笑しくて可笑しくて、できるなら全文紹介したいくらいです。
    註もしっかりついてるけど、神話の神様とエピソードをある程度知ってれば毎回参照しなくても十分読めます。ので、本当に色んな人にお勧めしたい。局地的でもいいからブームになってほしいです。

  • 2000年前の恋愛指南書。「意中の女性には値の張る贈り物をせよ、などと私は言いはしない。ちょっとしたものでいいのだが、ちょっとした品で、これぞぴたりというものを抜かりなく選んで贈るがいい。」だそうです。←それができれば苦労しないって

  • 塩野七生さんのローマ人の物語を読んでいて、人間の本質を語った名著として紹介されていたので購入した一冊。
    引用、例示されているのが、ギリシア神話などで、註を見なければ中々ニュアンスや意味が分からないのは難点だが、2000年後の現代でもそこかしこで繰り広げられている男と女のやりとり、また、そのテクニック的なものが展開されており、本書がローマの人々にとってベストセラーだったということは分かる気がした。ローマ時代のan-anとでも言おうか。。。
    どのような態度は人に、特に異性に良い印象を与えるのか、または悪い印象を与えるのか。どのような点に気を配るべきなのか、ある行動・言質の背後にある思い、狙いはどのようなものなのか。
    読み継がれている古典は、結局時間が経っても変わらないものを含む、すなわち、人間そのものが今も昔も変わらない部分を捉えている、ということだと改めて思った。
    望むらくは、高校生、大学生、結婚前、結婚後と、人生の色々なステージで読んでみると、より面白いのではないかと思う。

  • ローマの温泉マンガ「テルマエ・ロマエ」のおかげでローマ時代の本に手をでしてみて、はまった一冊。作者のオウィディウスはローマ文学を知る人は誰でも知っている大変な大詩人だそうだが、恋愛詩の大詩人による「ハウツー恋愛」の本。かなりきわどいテクニックまで網羅されている。
    2000年前も今も男と女の物語は何にも変わらないことを改めて痛感!!たとえ話の舞台を「ローマの円形競技場→どこかのサッカースタジアムかスポーツバー」と言う風に書き直すだけで、全く現代でも通用する内容。
    ところでWikipediaによると作者は高名な詩人であったが、ベストセラーになった本書が風紀紊乱と咎められ、流刑地で生涯を終えることになったそうな(真相は皇帝の娘にに手を出したらからとも言われるが)。そんなことも知って読むとまた一興!

  • 恋愛に関する駆け引きは紀元が始まる頃からも共通であることが文面からよくわかります。


    不倫は暴いてはならぬとか、周りの堀を如何に埋めるとか、周りの同僚の身に現在進行形で起こっている事も書いてあり、思わず笑ってしまいました。


    喧嘩した時の仲直りの方法も豪快かつ直接的で昔の人の考えっぽい。小難しい字体でエロいことかかれると当惑してしまいます。


    第三巻は女性の身だしなみが中心だったので読み飛ばしました。


    誰もが共通して興味が持てる話題の古典ですので、古典ジャンルの中ではかなり取っ付きやすいと思います。イメージとしては読書好きな女子高生に読んで欲しい。(妄想)

  • 「恋愛の師匠」オウディウスが軽妙洒脱に恋の駆け引きを歌う。今にも通じるところがあってふつうに面白い。当時はパロディだったのに中世ヨーロッパではバイブルとなって真面目に読まれていたというのがまた面白い。中世ヨーロッパ文学を読む際のキーブックかも。
    「薔薇物語」後編で引用されまくりなので読んでみた。
    解説によると「アベラールとエロイーズの往復書簡」にも引用があるらしい。

全23件中 1 - 20件を表示

オウィディウスの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×