ユートピア (岩波文庫 赤202-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003220214

作品紹介・あらすじ

表題の「ユートピア」とは「どこにも無い」という意味のトマス・モア(1478‐1535)の造語である。モアが描き出したこの理想国は自由と規律をかねそなえた共和国で、国民は人間の自然な姿を愛し「戦争でえられた名誉ほど不名誉なものはない」と考えている。社会思想史の第一級の古典であるだけでなく、読みものとしても十分に面白い。

感想・レビュー・書評

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  • ◯これがなぜユートピアと思えるのか
     →あくまで当時の時代を考えなければなんとも言えない。1500年代は暗黒時代?大航海時代に近い。富を蓄えようとしている時代。イギリスではディスクロージャー政策が横行していた頃。
     →トマスモアはまさに富の蓄積について疑義を呈している。貨幣の否定、労働者への敬意など。
     →また、国家全体を利するように制度を求めるところは、個人主義によって富を蓄積していく不平等が広がっていると分析したか。
     →しかし、現代においてこれは社会主義、共産主義国家に思えて嫌悪感すら抱く。共産主義者はこのユートピアをこそ目指しているのでは?国家による婚姻、出産、事物の共有化、まさに共産主義。異なるのは宗教の自由を認めているところか。
     →これらに感じる嫌悪感の正体は、権利意識が全く無いからと考えられる。当時、そもそも個人の権利という発想がないということもあるため、フェアな議論ではないが、共産主義的発想も個人の権利意識によって変わるのではないか。奴隷がまさに最たる例。ユートピアに奴隷がいるのは甚だショックでは?
     →ユートピアの着想はもしや古代ギリシャの都市国家をイメージか。

  • 「ユートピア」という語は、その語が示す世界が非常にあいまいにもかかわらず、広く一般に用いられている。あいまいだからこそ常用されるのか?ひとつだけたしかなのは、人がこの語を持ち出すとき、社会に対してなにがしかの不満や逃避願望が見え隠れするということだ。

    16世紀、「ユートピア」なる語を生み出した男は、明らかに社会に不満を抱いていた。彼は架空国家を活字で創造し、それを現実社会と比較することで、それの異常さを告発しようとした。彼は登場人物の口を借りてこう言う。

    「・・・正義の行われている国とは一切のものがことごとく悪人の手中に帰している国のことであり、繁栄している国とは一切のものが少数派の独占に委ねられており・・・、他の残りの者は悲惨な、乞食のような生活をしている国のことである・・・」

    言いえて妙である。権力によって捻じ曲げられた「正常」を隠れ蓑にして「異常」が行われていることを暴くのに、これほど的をえた文句もない。

    「ユートピア」と聞いて、同書が理想郷を称揚する作品だと思うのは勘違いだ。断言できる。これはディストピア作品である、と。彼が批判対象としたのは、権力者のみにとっての「ユートピア」であった同時代なのである。

    同書は16世紀に書かれたわけであるが、16世紀という時代がいかなる様子であったのかを想像するのにも役立つであろうし、まだ現代にも同じ文句が通用することから言って、過去の遺物でもないだろう。そしてなにより、「社会思想史上の第1級の古典」ではあっても、読みものとして単純におもしろい。

    著者によって開かれた批判の目は、彼の肉体が処刑台に消えたとしても、「ユートピア」が現出しないかぎり閉じることはないだろう。

  • モア五十七歳のころ 断頭台へ ヘンリー8世がスペインの王の妹と離婚して アンブリアンという待女と再婚するのを邪魔したため 宗教上のもめごと 
    作品は 三十五、六の頃 ある船員がモアに話した理想国家の話 それを基にしたという ユートピアは実際には存在しないという意味をもっている

  • トマス・モアといえば映画「わが命つきるとも」を思い出すのですが、ヘンリー8世の離婚に宗教的な信念から最後まで反対し、最後は斬首されてしまいます。そんなモアが1516年(つまり今からおよそ500年前)、38歳の時に執筆したのが本書になります。ユートピアは「どこにも無い」という意味のモアの造語です。

    モアの描くユートピアは、当時の絶対王政下の欧州社会のアンチテーゼ的な意味合いとして書かれていますが、完全なユートピアというよりは「限定的な」ユートピアといった方が正しいかもしれません。たとえば市民には自由と平等がありますが、ユートピアにも奴隷がいて、奴隷は動物のと殺などを担当します。また戦争もします。しかし市民はみな十分に生活していけるだけの衣食住を賄っていて、潤沢にモノが存在しているため貨幣交換が存在しません。なぜ潤沢に衣食住が揃っているかと言えば、皆が生産的な活動に従事しているからで、モアによれば宮廷に巣くうおしゃべりだけの人間だけでなく、弁護士すらも不必要な非生産的人間として扱われ、その結果ユートピアにはそれらの非生産的人間は存在していないのです。またモアは貨幣こそが悪徳と害毒の原因であると断罪しています。外国との交易においては金銀が使われますが、ユートピア国にとって金銀は、戦争資金以外の意味を持ちません。同盟国はありませんが自国の人材を首長として受け入れている国は友邦国であり、自国もしくは友邦国が攻め込まれたときなどには金銀をフルに活用して戦争を行います。金銀を用いて敵国内で内紛を起こすのです。

    モア自身が非常に信仰心の強いカトリック教徒だったこともあって、モアの描くユートピアでは理性だけが社会を支配しているのではなく、宗教にも寛容です。しかもキリスト教だけでなくあらゆる宗教が「限定的」ではありますが、ユートピア国では認められる。巻末の解説にも書いてありましたが、理性と信仰の両方を融和させようとした点にこそ、実はモアのユートピアの真髄があるのではないかと感じました。その意味では、宗教を排斥した共産主義よりも、よっぽど「ユートピア」であって、文中の奴隷を機械に置き換えれば、十分21世紀の社会に当てはめることが出来るのではないかと感じました。

  • 表題の「ユートピア」とは「どこにも無い」という意味のトマス・モア(1478‐1535)の造語である。モアが描き出したこの理想国は自由と規律をかねそなえた共和国で、国民は人間の自然な姿を愛し「戦争でえられた名誉ほど不名誉なものはない」と考えている。社会思想史の第一級の古典であるだけでなく、読みものとしても十分に面白い。

  • イングランドのトマス・モアによる1516年の著作。本書は,エラスムスの『痴愚神礼讃』やアメリゴ・ヴェスプッチの旅行記『新世界』に触発され書かれたものとされる。「utopia」の後世への影響は計り知れないものだ。

    「ガリヴァー旅行記」から知った本で,「ユートピア」は文学と哲学の橋渡しに良い本だと思う。

    p175「思うにこの国は,単に世界中で最善の国家であるばかりでなく,真に共和国(コモン・ウェルス)もしくは共栄国(パブリック・ウイール)の名に値する唯一の国家であろう。〜何ものも私有でないこの国では,公共の利益が熱心に追求されるのである。」

    例えば「何ものも私有でない」という表現に,ユートピアの理想性と不可能性が出ているように思う。私有権を濫用した社会に対するカウンターとしては十分なのだが。

    学問のジャンルとしては公共哲学が近いか。主にプラトン「国家」からのインスパイアを受けたリバイバル的な感じがする。

    海の向こう側でのルター始めとした宗教改革(福音主義など)により血みどろの争いが予感される時代で,それはモアの望むようなものではなかっただろう。

    なお,著者はヘンリー8世に斬首刑に処されることとなる。この処刑は「法の名のもとに行われたイギリス史上最も暗黒な犯罪」と言われている。

  • とても興味深い内容でした。
    このユートピアという、どこかにあってどこにもない国家を通して、モア自身が生きた時代背景や人生が垣間見え、また所々ピカレスク的な要素が感じられ面白かったです。

    読了して感じたのは、著者であるトマス・モアの生きた時代背景、或いはその人生を知っているか否かが、この作品を読むにあたり重要なポイントではないかということです。
    現在では多くの人々に認識されている「ユートピア」という言葉が、このモアの著書が発祥であることは周知の事実ではありますが、その一方で現代の私たちがその言葉から連想する、ある種の一般的な理想郷である世界をこの作品の中に求めるならば、そこには大きな隔たりを感じざるをえないからです。

    普段私たちが口にする、或いは耳にするその魅惑的な言葉の裏には、極端に言ってしまえば、モアが書いたこのユートピア共和国の根源とは真逆のものがあるように思えてなりません。即ち人間の欲望が根底にあることが前提であるかのような。それは「ユートピア」が社会全体の理想というよりも、各個人の理想とするものとして想像されるからかもしれません。

    ユートピア共和国の多くの人々のように、人間本来の欲求というものをあくまで理性的に、その気高さでもって抑えた生活を送ることが、必ずしも幸福たり得るものであるのか。人間である以上、欲求を満たしたいと考える事は当然かと思われます。誰もが平等で自由、理性的であり不平不満の全くない世界。理想とされるそれが実現したとして、果たしてそこで生きたいかと言われれば、正直躊躇う自分がいます。
    結局のところ、どんな世界であっても己の生き方を決定付けるのは己でしかないという理想を捨てきれないからかもしれません。

    しかしこのユートピアが書かれたのが今から500年も前のことであるという事実がもはや感動的でもあります。
    時代背景や宗教等を理由にしてしまえばそれまでですが、理想とされながらも矛盾のあるユートピア共和国の在り方を通して、モアの実現したかった本当のユートピアがどんな国であったのか、自分にとってのユートピアとはどんな国であるのか、読書の延長としてそんな事を考えるのもまた楽しみのひとつではないでしょうか。


    それにしても、自由に恋愛も結婚もできない世界だなんて!例え他がどんなに素晴らしくても、それだけで私にとっては到底ユートピアだなんて思えないのでした。(しかしそれもその背景を考えるとまた面白いなぁと思うのですが)

  • (1973.05.07読了)(1973.01.27購入)
    (「BOOK」データベースより)
    表題の「ユートピア」とは「どこにも無い」という意味のトマス・モア(1478‐1535)の造語である。モアが描き出したこの理想国は自由と規律をかねそなえた共和国で、国民は人間の自然な姿を愛し「戦争でえられた名誉ほど不名誉なものはない」と考えている。社会思想史の第一級の古典であるだけでなく、読みものとしても十分に面白い。

    • fujinokoichiさん
      レヴューとても参考になりました。
      早速読んでみたいと思います
      レヴューとても参考になりました。
      早速読んでみたいと思います
      2013/03/26
  • 今作を精読するだけでも、ルネサンス、宗教改革期の荒れ狂う時代を、一個人がどう思い、何を理想に掲げ生き抜いたのかという細やかな内実に踏み込むことができる。
    モアの思想の底流には、カトリックの教えとそこから溢れ出るヒューマニズムが顕在してる。
    ユートピア文学というジャンルにおける古典中の名古典。実際の体験談を元にした体という語りのスタイルも簡単明瞭かつフィクションと現実のバランスがよく取れていて勉強になる。

  • ユートピアは、文字通りどこにも存在しない場所だと思う。
    そこで認められた市民は何の不足もなく、真面目に暮らしてさえいれば満たされるけれども、その影には市民とされないもの(奴隷など)の搾取がある。すなわち奴隷の存在を無視した上での『理想郷』。
    そしてその社会に認められている良き人たちというのは、ある意味長いものに巻かれている人たちでもある。個性がないというか、管理された社会の住民。
    なんだか昨今の、なんてもかんでも枠に嵌めては賛否を分けたがるキャンセルカルチャーの一端を見た気がした。

    役者解説にもあるがトマス・モアはこれを当時のヨーロッパの宗教改革や王権への風刺として書いたのだろう。それでもモア自身も語っている通りユートピアが人間社会の最高峰(理想形)にはなり得ない。

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