- Amazon.co.jp ・本 (173ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003220481
感想・レビュー・書評
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宝塚にて十二夜を原作とした舞台が上演されるため、予習のために読んでみた。
内容については正直「ふーん」という感じで、、
ただ舞台で上演している姿はすごい想像できた。
ちくま翻訳とすごい悩んだのだが、決め手は一幕一場でキューリオと公爵の会話の中に、シカを掛けた部分があり、岩波の方はしっかり(ギャグではない)掛かっていたがちくまの方はスルーされていたからだ。
1960年の翻訳なので分からなかったらどうしようと不安に思う気持ちもあったが、古さを感じさせない、だが平易すぎない翻訳で非常に良かった。
注釈も充実していて、翻訳にあたって納得いかない部分も書いてあり面白い。
そして語彙に感動する。
「恋をしている」ことを表すのにそんな表現があるのか〜!!!と面白かった。
オリヴィアがヴァイオラに「あなたのような悪魔なら、あたしの魂は地獄までもついて行ってしまいそうね。」と言ったセリフが素敵すぎて、現実でも使いたい。
そしてこの時代についてまったく前提知識がないので注釈があり本当に助かった。とはいえまだ理解不足だが…
時代背景を知った上で読んだらまた感じ方が変わりそう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「十二夜」って、お月さまのことかと思ってたら、クリスマスから数えて12夜目にお祭りする、そのために書かれた戯曲だから十二夜だった!そんなの知らなかったよ。昔から不思議だったんだけど、女が男のフリをする、ってよくあるお話しだけど、そんなの本当にばれないものだろうか?アルチーナもフィデリオもシーザリオも”とりかえばや”も。声をごまかすのは無理じゃないか?男が女に化けるなら裏声出せばでそんなもんかなという気がするけど。
野田秀樹氏が”ケルビーノが女性というの納得いかない”と言っていたけど、まだこっちのほうが私は納得できるのよね、声変りしてない少年なら女性でもいいじゃないか。でも女が大人の男に化けるのは、どうしても納得いかない。とりかえばやは違うけど、これは男達の幻想なんだろうか、美しい男が実は美女だった、というのは。。謎。 -
さまざまな取り違いをもとにした喜劇。取り違いは喜劇にもつながるし、悲劇にもなる。
「オセロー」では、イアーゴーの策略によりオセローはデズデモーナが浮気をしているのではないかと「取り違える」。その嫉妬の結果、オセローがデズデモーナを殺すという取り返しのつかない事態になった後、取り違いに気づく。
「十二夜」では、(何故だかわからないけど)オリヴィアが自ら男装するこによって「取り違い」が生まれる。オーシーノウがヴァイオラに求婚するなか、ヴァイオラは男装したオリヴィアに恋をし、オリヴィアはオーシーノウに恋をする。男装したオリヴィアに瓜二つのセバスチャン登場し、取り違いは幸せな形で回収される。
そして、道化は案外いいことを言う。
「味方てえものは、あっしの阿呆ぶりが巧いとほめちゃ、あっしを馬鹿にいたします。ところが、敵ははっきりあっしを馬鹿だと言ってくれます。つまり、敵のお陰であっしは自分てえものがよくわかりますし、味方のお陰で自分を見失います。」
自分で自分を「取り違える」。自らの分に不相応な「取り違い」。これほど滑稽なことはない。まわりからみればまさしく喜劇。
実際、執事のマルヴォーリオだけは罠にはめられてヴァイオラが自分のことを好きだと「取り違え」、ひどい目にあう。彼目線でみたら悲劇以外の何物でない。
気を付けないとね。 -
愉快なコントのような
劇映えする -
作中にある「お菓子とビール(人生の愉悦)」の元の言い表し方がたまらなく好き。きらびやかな宝石が欲しいとか、そんな大層な願いを毎月叶える自信はないけれど、「お菓子とビール」ならと少し勇気がわいてくる。シェイクスピア作品群では〝真の愛情には知恵が不可欠の条件〟とされるが、お菓子とビールのあいだにある何かを目の前にパアッと開く、まるで隠し絵を見せるように見せられる人は素敵だ。読後に強く感じたことは、人が喜んでいる姿を想像して、うきうきをわかち合おうとする人がいるから、周りにいる人は胸裡に熱いものを蔵してゆける。
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シェイクスピア 「 十二夜 」
勘違いが笑いを生み、結婚が未来の幸せを感じさせる祝宴的な喜劇。悲劇と喜劇の振り幅の大きさにシェイクスピアの凄さを感じる。
一人芝居と大袈裟なセリフの悲劇と異なり、喜劇は登場人物が多くて 軽妙なセリフ回し。人間の広がりと軽さが人生をハッピーにするというメッセージだろうか
見たことないけど、舞台演劇のドタバタ的な面白さ、後味の良さは、演じる側も共同作業で楽しいだろうし、観客側も幸せにするのだろうと思う
ジェンダーロールやピューリタン嘲笑などのテーマは興味ないので読みとらなかった。
阿呆と蔑まれる道化に何か意味があるのかも。太鼓持ちでも 敵でもない。自己対話や内省に近い存在?
道化の名言「敵のおかげで自分がよくわかり、味方のおかげで自分を見失う」
ヴィオラの名言「ああ時よ、これを解きほぐすのはお前だわ〜こんな難しいもつれは〜わたしには解けない」
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名作。シェイクスピア作品からの引用でよく見るフレーズがたくさん出てきていた。一見ただの喜劇だが、振り返ってみるととても深い意味にもとれる、一言一言に深みがあった。シェイクスピア最高の喜劇と謳われるだけはある。
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訳:小津次郎、原書名:TWELFTH NIGHT(Shakespeare,William)
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恋という記号に反応すれば満たされるの?
西洋では恋は気高さの表れだったんだって。本当なのかな。