リア王 (岩波文庫 赤 205-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (350ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003220511

作品紹介・あらすじ

三人の娘の愛情を試そうとした老王リアは、末娘コーディーリアの真心を信じず、不実な長女と次女の甘言を軽信して裏切られる。狂乱の姿で世を呪い、嵐の荒野をさまようリア-そして、疲れはてた父と娘の美しい再会と悲惨な結末。古代ブリテン史のひとこまに材をとった、シェークスピアの作品中もっとも壮大にして残酷な悲劇。

感想・レビュー・書評

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  • 「風よ、吹け、お前の頬ははちきれろ、荒れろ、吹け。("Blow, winds, and crack your cheeks! rage! blow!")」(第三幕第二場)
    シェイクスピアの四大悲劇の1つ。
    その悲劇の内、最も悲壮、最も大規模と言われる。

    ブリテン王リアは年老い、領地を3人の娘らに分配しようとする。
    上の2人の娘ゴネリルとリーガンはここぞとばかりにおべっかを使う。末娘で最もかわいがられていたコーディーリアは、深い孝心を持つにも関わらず、姉らのようにふるまうことをよしとせず、そっけない受け答えをする。これに激怒したリアは、姉2人に領地を与えたうえ、末娘を勘当する。彼女の心立てに感銘を受けたフランス王は妃として娶ることにする。
    一方、リアはまもなく、姉娘らからひどい仕打ちを受けるようになり、供のものを減らされた上、追放同然に放り出される。
    荒野で、リアは暴風雨と闘う。それが冒頭の引用部分。
    苦悩に沈むリアは発狂する。
    リアの窮状を知ったコーディーリアは、父を救おうとフランス軍を率いてブリテンに向かう。父娘の絆は再び結ばれたが、しかし、武運つたなくフランス軍は敗れ、リアとコーディーリアは捕虜となる。挙句、コーディーリアは絞殺され、リアは息絶えた娘を胸に抱いて絶命する。

    何とも救いのない話である。
    娘たちも腹黒いのだが、陰に暗躍するものがもう1人いる。
    リアの元側近グロスター伯の庶子であるエドマンド。
    父伯爵に嫡子エドガーが謀反を企てていると吹き込み、追い払わせる。一方で、既婚者のゴネリル・リーガンの両方を誑かす。グロスター伯はエドマンドの奸計が元で、リーガンの夫コーンウォル伯に両眼をえぐり取られる。
    エドマンドは野心家で、どこか『オセロー』のイアーゴも思い出させる。欲得ずくだけではない。彼には明確な悪意がある。単に自身を引き上げるのではない。他を引きずり降ろして自身がその場を占めるのだ。その相手に向けられる、冷ややかな確固とした悪意。

    もう何だかどこまでも悲惨である。
    最終的にはゴネリルもリーガンも死ぬ。エドマンドもコーンウォル公も非業の死を遂げる。
    ゴネリルの夫のオールバニ公だけは心底悪人ではなかったようで、彼がこの後のブリテンを統べていくようである。

    何だろう。リアはどこで間違ったのだろう。
    頑固で癇癪もちの性格が災いした? 姉たちの甘言を信じて王国を手放してしまったのがよくなかった? かわいがっていた末娘の本心を見抜けなかったのが不運だった?
    でもコーディーリアも変に意地を張るのもおかしいし、さらには邪だとわかっている姉たちに老父を委ねるのは軽率じゃないか? 本当の孝行娘なら止めるべきだったのでは?
    つらつら考えているうちに、でも何だかこれは必然だったのかなぁとも思えてくる。必然というか、運命というか。人生、思った通りに進まないことなんかよくあることではないか。

    リアは娘に、グロスター伯は息子に、完膚なきまでに打ちのめされる。
    正しい心の子どももいたのに。取り立てて愚かでも悪人でもないのに。
    子どもの育て方を誤ったといえばそうなのかもしれないが、それにしても手ひどい。

    嵐。嵐。嵐が吹き荒れる。
    その中にリアは立つ。
    負けるとわかっていても。勝てぬとわかっていても。
    止める道化の言葉も聞かず。
    それが死すべき身の人間に宿るわずかな尊厳だとでもいうように。
    痩せた身体が、荒野にそびえ立つ。


    *1948年初版、斎藤勇訳版

  • リア王は立派な王だと思って読んでみたが、少しも立派ではなかった。いわゆる一人の父親であり、遺産を娘たちに分与する資産家に過ぎなかった。

    リア王以外に立派な人がいたかは難しい。遺産を拒んだコーディーリアか、王に苦言申し上げたケント伯だろうか。でも、結局、いなかったのかもしれない。立派さに力点をおく作品ではないから。強いて言えば、あの嵐が立派だったのかもしれない。

    序盤は話がぶつぶつして煮え切らないのが、グロスター伯の目が潰れた辺りから、急速にまとまっていく展開だった。最後は悲劇ということらしいのだが、そして、誰も居なくなったわけでもないので、喜劇になりそうな気もする。まぁ、リア王にとっては悲劇だとしても。

  • 塵、糞、粕、粗末な喜劇。前回、ギリシア神話の悲劇「オイディプス王」に最大の賛辞を送っただけに、青ざめるほどのつまらなさを感じた。そもそも悲劇とは何か。例えば、東日本震災を悲劇と見るとき、平穏に暮らしている人々の上に突如として不幸が襲ったために、悲劇として見る見方が成立する。対し、囚人を閉じ込めた監獄の天井がある日突如として落下し全員くたばったところで、これは喜劇である。これに当てはめれば、リア王は喜劇でしかない。また、例えば、男が自分の真上に高くボールを投げあげて、そうしてから男は自分が老体であることに気付いた。男は落下してくるボールを受けきれずに広い額に当たって動転、尻もちをついた。これはやはり喜劇である。そのまま死んでしまえば喜劇でないにしろ、絶句である。その絶句は、呆れでしかない。リア王はこの、呆れでしかない。で。悲劇でないから、作品が糞であるとかそういうことでは当然ないから、ひとつひとつ指弾していかなければならない。そのゴミ具合を。たくさんあって書くのも面倒臭いが、例えば何故コーディリアは王を愛したのか。作品からは、純朴の者が単に純朴さ故に父を愛した、という程度にしか把握できない。その設定だけでは昨今のライトノベルと同等である。3姉妹において対比される光であるにしろ奥行がない。宇宙から来た美少女が、とにもかくにも醜悪なじぶんを愛してくれる、それだけしかない。同様に、リア王にしても愛される背景が描かれていない。親と娘の信愛が無条件で成立している、とする作品は砂粒の数ほど存在するが、あくまでもそれは俗悪なもので、大衆に愛されるのかも知れないが、世界文学であってはならない。リア王がそれであるなら、ではちゃんと書け、としかわたしには出てこない。この話が、仮に世界の縮図であるなら(少なくともオイディプス王はそうだった)、せいぜい日本のバブル期の巨人の星がアニメ史上最高視聴率を獲得した時代にしか通用しないだろう。まだある。リア王は自ら狂人であるというし、読者もまたリア王は狂っているとためらいなく書くが(amazonなどを見る限りでは)、そんなに狂っているだろうか。会話の筋は通っている。単に幼稚なだけではなかろうか。狂人というより愚者である。終始王には道化が付きまとう。道化は狂人かも知れないが、わたしのなかでは彼の役割は預言者である。王も道化も狂人というならば、単純にキャストが被っている。ではわたしの読みに従って、愚者に預言者が付き添う、としたらどうだろう。オイディプス王では、懸命な王に預言者が助言をするが王は許せず突き返した、そして悲劇に繋がるわけである。そこを愚者に置き換える。愚者に預言者が預言を与えても愚者は何も解さない。道化は道化のままである。道化の役割も今一つとしか思えない。誰ひとり劇のなかで輝かない。喜劇にすらなっていない退屈なものだった。

    • corpusさん
      私もこの悲劇が文学史に残る名作かというと、ちょっと違うだろうとは思いました。解説を読んで、やっと理解する程度です。
      私もこの悲劇が文学史に残る名作かというと、ちょっと違うだろうとは思いました。解説を読んで、やっと理解する程度です。
      2022/12/31
  • 2作目に呼んだシェイクスピア作品。
    戯曲の形式が非常に読みやすく、なおかつ科白回しが格好いいので、読んでいて楽しい。ハムレットよりも内容のスピードが早く、心動かされるシーンが沢山あった。リア王が最初に愛を語らせる場面はどうにも好きになれず、臣下への横暴とそれでも付き従う臣下には違和感を覚えた。最後まで作中でリア王への忠義の理由は分からなかったが、当時の階級社会の自然なあり方、もとい、家族の長たる者への尊敬が根幹にあるのではないだろうか。そういう考え方ならば、納得出来なくとも理解はしようがある。
    物語はリア王と娘のゴネリル、リーガン、コーディーリアと、グロスター、エドガー、エドマンドの家族を軸にして組み立てられており、それぞれが絡み合って物語が進んでいくのは対比として良かった。リア王の狂気と、グロスターの現実性が対照的で、家族の構成も男の跡継ぎとしての問題、女性の愛(性欲な)までも見事に相反することなく、綺麗に進んでいた。エドガーが気違いの振り、ケントが乞食の降りをしており、この二人からはハムレットが頭に浮かぶのだが、最後にはオルバニー公から国を任される事となるのは、悲劇の中の希望に感じる。

    【あらすじ】
    リア王は娘のゴネリル、リーガン、コーディーリアに自身への愛情を語らせるが、言葉に出来ないと語る末娘を信用できず、ゴネリルとリーガンに自分の財産と権力の大半を与えてしまう。
    コーディーリアには何も与えず、フランス王が彼女を引き取るが、彼は愛情故に彼女を引き取っている。
    やがて、裏切られ狂気の沙汰に陥ってしまう。一方で、グロスターの嫡子エドガーと庶子のエドマンドらはリーガンの夫、コンバーニ公の下で、エドマンドの策略により腹違いの兄、エドガーを陥れる。それだけで飽きたらず、グロスターをも陥れて、両面を潰す悪行を働き、ゴネリルとリーガンとの関係も持つ。リアは娘らに裏切られ、嵐のなか荒野をさ迷い、自分が放逐した臣下のケント、気違いの振りをしたエドガーらと合流するが、狂気が彼を蝕んでいく。やがて、両目を失ったグロスターとも出会い、フランス王の妃となったコーディーリアがフランス軍を率い、ゴネリルと夫のオルバニー公、リーガンの夫のコーンウォール公はグロスターの召し使いに受けた傷で死に、代わってエドマンドが率いるブリテン軍が衝突し、リアとコーディーリアは捕らえられ、エドマンドによって暗殺を命じられる。
    オルバニー公はリア王への忠誠心を失ってはいなかったが、妻のゴネリルとエドマンドの繋がりと裏切りをエドガーから知らされており、エドガーとエドマンドの決闘を執り行い、見事にエドガーが勝利する。しかし、コーディーリアの暗殺は達成されてしまい、正気の中での失意と、狂気の中での喜びの中、かつての臣下の前で、リア王自身も遂に事切れてしまう。オルバニー公は自身が王にふさわしく無いことを承知しており、ケントとエドガーに統治の実権を譲るが、彼らはリア王への尊敬を忘れることなく、物語の幕が閉じる。

    あらすじがめっちゃ長いのはいつものことか。
    【感想】
    リア王自身に、元来の気性の荒さと、老いによる年寄り特有の求められようとする粘着性の願望が煩わしく、娘二人の言い分も分かる。
    しかし、彼女らが悪であることには間違いがない。尤も、愛情の奪い合いにかける気持ちは正直であるのだが、全ての存在が欲望に正直に生きる事は出来ない。我慢や忍耐といった理性の力無くして、人の世は回らず、それを形にしたものが法なんだろうなと、今更ながらに気がついた。
    エドマンドの生い立ちに対する呪う気持ちも分かる。悪どい狡猾な策略であったが、その相手がエドガーという、傑物だったのが彼の運の悪さだろう。
    ケントやグロスター、コーディーリアといった良心、善の存在から尊敬を受けるのは、リア王の人徳故だろうと、彼らからリア王の偉大さを遠回しに教えられる。
    この作品のは結末に向けて足を早める事なく、同じスピードで物語が進んでいき、主役も二人いて、あらゆる事が対照的に進んでいくので、人の感情や出来事を考える際にも、並行して考えさせられるので、思考の方向もいくらか多角的に向かう気がする。
    名言はリア王がグロスターに語るこれらしい。
    「人間はこの世に生まれ落ちるやいなや、阿呆ばかりの大きな舞台に突き出されたのが悲しくて、誰もが大声をあげて泣き叫ぶ。」

    そうそう、解説にあった、nothing がこの物語を言い表す大事なキーワードであり、所々で無いが出てくる。

  • 今まで読んだシェイクスピアの戯曲の中では、ダイナミックで波瀾万丈。深い。でも戯曲は読みにくい。人物一覧を繰り返し参照しながら読み進む。

  • 道化はどこに行った⁈

  • シェークスピアは、部分的にしか読んでませんでした。あらためて、悲劇作品を通じてシェークスピアの天才を垣間見た感じです。

  • シェイクスピアの四大悲劇の一つ。読むと現代にも通じる愛憎劇あり。ブリテン王リアや道化、エドガー扮する乞食の狂気ぶりも描かれ、読むのに苦労した。

    この狂気ぶりがシェイクスピアの「リア王」では非常に特徴的であるらしく、伝統的な秩序を重視するエドガーら善玉と新しいやり口で秩序を破壊していく悪玉のエドマンドらとの間で起こるギャップを道化の”狂気”を通して描いている。

    実際読んでみて「リア王」は単純に善玉・悪玉では区別できないものがる。元々、ブリテン王リアやグロスター伯爵は近代的な感覚で見るとかなり問題がある訳であるし、リアの娘であるリーガン・ゴネリル、グロスターの庶子であるエドマンドが親世代の秩序を破壊していく。一見すると「悪玉」的な行動は中世的な旧弊を打破してやろう、という気概さえ感じられる。


    結果的にリアとグロスターの浅ましい行動から、リア一家はリアとコーディーリアら三人の娘全員が、グロスター家でもグロスター伯爵とエドマンドが死ぬ。主要人物の大半が落命するという悲劇的な結末とともに、エドガーとオルバニーが新たな時代を築くことを決意し終わりを迎える。
    人間の浅ましさがもたらした究極の悲劇と言っていいかもしれない。


    「リア王」の悲劇は読み手によって受け取り方はいくらでもある。それだけの含みを持たせた作品だからこそ、長きに渡って読み継がれてきたのである。

    本書は訳者の野島氏が脚注を本文の下段に付しており、逐一本文の含みとなる意味を確認しながら読み進めることができるので、大変読み手にやさしいように感じた。

  • 初めて手にしたシェイクスピアでした。10代のはじめに読んだのかな。
    正しい人が、したたかな人に陥れられる、厳しい現実を感じながら読んだのを覚えています。

  • リア王は自分を裏切った娘を罵倒するシーンがあってその言葉が「ここまで言うか」って思うほどひどいんです。だけど、リア王の台詞や現代の小説にはない表現がされていて思わず読んでしまいました。小説ではないので読みにくいかもしれませんが、慣れると面白いです。

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