- Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003222621
感想・レビュー・書評
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ハラムを好いていたのが妹だったのかテニスンだったのか悩んでしまった。
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『病気はなぜ、あるのか』(ランドルフ・M・ネシー ジョージ・C・ウィリアムズ 新曜社 2001)
「第十四章 精神障害は病気か?」の冒頭に第五編が引用されている。 -
親友アーサー・ハラムを失ったテニスンが、17年に及ぶ魂の彷徨の末につづりあげた哀歌(エレジー)。
19世紀を生き抜いたひとりの詩人の、魂に触れるような詩の数々…。深い悲しみや喪失感の中から、どうか友よ、私のそばにいてほしいと呼び掛けるテニスンの姿に、時代を超えてひきつけられる詩集。 -
英国ヴィクトリア朝の詩人テニスン(1809-1892)が、急死した友を悼んで綴った長詩。冗長で甘ったるく感傷的な詩文の中にも、今日の自分の内面を映す鏡の言葉が見つけられる。
「けれども幾年のその前(さき)に、捨てたものを償ふだけの
獲得があると、豫想はつくまい。
腕を伸ばせば、遠い未來に、
よいものを、淚で買へると 誰が知らう」
「亡友を みんな知らない故(せゐ)でもあらうか、
あゝ 人人はつまらぬことを言ふものだ。
うたはずにはゐられない歌なのだ。」
「行く手の路が どこへ傾いてゆかうとも、
亡友の實在は 私の實在の中に働き、
その生涯の足並は 私の歩調の中に動くと、
孤獨に殘された私ながら 今も昔も信じてゐる。」
「ひとつびとつを 忘却の中に見棄て去る私の身には、
亡友が も一度死ぬのかと思へさへする。」