嵐が丘 下 (岩波文庫 赤233-2)

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  • 岩波書店 (2004年3月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (300ページ) / ISBN・EAN: 9784003223321

AIがまとめたこの本の要点

プレミアム

みんなの感想まとめ

壮大な復讐劇が織りなす物語は、無駄な一節がなく、読者を一気に引き込む濃密な内容で構成されています。ヒースクリフの複雑な感情と運命は予想を超える展開を見せ、彼の最期は特に印象的です。負の感情を中心に描か...

感想・レビュー・書評

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  • めちゃくちゃ濃い。
    無駄な一節はひとつもない。
    いっきに読めてしまう傑作。
    エミリーブロンテ、夭折しなければ他にどんな傑作が書けたのだろう。

  • 下巻、エドガーやネリーのいうことをぜんぜん聞かなくて(ぐれているわけでもないのにこんなに保護者に従わないなんてことあるんだろうか)めちゃめちゃイライラさせられるキャシーの、豊かな感情、タフさ、人心操作術にあわあわしながら読んだ。世が世なら起業家だろうね。いい番頭が付けば情熱で成功しそう。リントンの増長を許したのはキャシーのイネーブラー的ふるまいだと思うけど、彼女も母親がいない家で自分が頑張らないと!と気を張り続けていたのかもしれない。と思うとなんとなく味方したくなったのだった。

    ヘアトンも情けが篤くていい子だし、アーンショー家の血筋の良い面が花開く終盤にヒースクリフの気が抜けたのはわかる。自分とキャサリンの間以外では、温かい気持ちのやりとりが存在しうるなんて思いもしていなかっただろうに、愛する人と同じ目で幸せそうにしている人たちを見たらね、それはもう突っ張りきれない。

    後半の物語が付け足しみたいで弱いという批判は、第二世代がわりとふつうの人間ばかりだから理解はできる(わたしは嫌いじゃないんだけど)。でも破壊神みたいな先代キャサリンがいないから仕方ない。そしてヒースクリフは普通の人たちの間で18年間女神の不在に苦しめられ、他者を苦しめ、というお気の毒な状態にとらわれていたわけで、いい感じにお迎えが来てよかったです。

  • この小説の素晴らしいところをわたしなりに3つあげてみよう。

    ひとつ、設定が優れてよい。物語の舞台となるのは、ヒースクリフ咲く丘の一件の屋敷。その丘は遮るものがなにもないために、一年中強い強い風が吹く。ゆえに「嵐が丘」とあだ名される。荒涼とした大地と空。それでも秩序よく暮らす領主一族のもとに、ある日ひとりの少年がひきとられることとなる。「ヒースクリフ」と名付けられた少年と領主の娘。彼らは強く惹かれあうが、互いを愛すれば愛するほどに憎しみが増す。憎むことでしか愛を表現できない悲しい恋は、やがてこの一族を破滅へと導く。嵐のような愛。

    またひとつ、作者の語り手の人選がよい。この物語をわたしたちにきかせてくれるのは、もちろん複数人いるわけだが、おもにこの屋敷に使えるばあやが語る。このばあやがなんともよい仕事をしている。ばあやは、基本的に冷静につとめて客観的に事態のいきさつを話すが、ときどきばあやの主観がポロリと漏れることがある。「おいおいばあや、心の中とはいえそんなこといってよいのかい」とツッコミたくなったり、彼女が一枚噛むことによって物語がより重層的になる。筋を追うだけの生真面目な作業を読者にさせないのである。
    くわえて、たとえばばあやでなくて、ヒースクリフなり屋敷の娘キャサリンなり、どちらかの視点、あるいはどちらもの視点でこの物語を紡いだ場合、今日までも版を重ねるほどのスーパーベストセラーにはならなかったのではないかとわたしは考える。というのも、ばあやが語るのは、この史的稀にみる不器用なふたりの愛憎劇だけでなく、その背景となる嵐が丘全体の物語であり、近しい第三者が証言するからこその(作品上の)リアリティーが物語を壮大にさせる。もし主人公たちの視点で書かれていたならば、おそらくはこうはならず、恋愛に関することを超えたメッセージを発することはできなかったのではなかろうか。

    さいごにひとつ、物語の構成が妙である。長編小説は、長いがゆえに中だるみが生じたり(正直こんなに紙を使う必要があるのかと疑問が湧く作品も多数)、おわりに向かって作者都合になったり、そもそもはじまりがどんなものだったのか忘れてしまうぐらい読者を疲弊させる場合がある。わたし個人は、正直なところ長編小説は苦手であり、上下巻などあるものは相当におもしろくないかぎり読みきれる自信がないくらいだ。『嵐が丘』の場合、先に述べた懸念は不要である。はじまりはたしかに謎が多過ぎて、読み進めようかいったん積読にまわそうか迷った。しかし、はじまりが霧に満ちているからこそ先に進みたくなる。おわりを読まずにはいられない。『嵐が丘』は、他の優れた作品と同じように、物語が循環する。はじまりからおわりまでの直線ではなく、はじまりがおわりであり、おわりがはじまりなのである。興醒めな作品の場合、起点から広がる小宇宙がおわりにむかってしぼんでしまう。おわらせようとする作者の意識が邪魔だてをするのである。しかし、『嵐が丘』は違う。小宇宙はしぼまず、着地点に到達したつぎの瞬間に言葉のひとつひとつがつながりひとつの有機体をつくる。そして起点にもどるのである。はじまりの時点でおわりを書いている。作者の手から離れて、ヒースクリフとキャサリンが駆けた風荒ぶ丘は、読者の頭のなかにたしかな重みをもってあらわれるのである。

    以上がわたしの考える『嵐が丘』の素晴らしいところである。あとにもさきにも、これほど先を急いで読んだ小説はない。古典ではなく、わたしには生きた物語である。

  • 「復讐劇」という一言では言い表せないほど、壮大な物語だった、、、

  • ヒースクリフの最期は全く想像していなかった
    負の感情だけでここまで面白くなる小説は稀有 バッドエンドかと言われると全然そんなことはないから後味も良い 何もかも面白かった

  • この作品の主題を、わたしは純粋さの正義とみた。

    天真爛漫でいつでも子供の頃の心を持っているキャサリン。彼女に恋をして、自らの道を復讐の一筋へと決めたヒースクリフ。

    語り手であるネリーは、純粋さをいい意味で持たない立場からこの物語に干渉した。ある種の成熟だ。例えば主人であるアートンショーやヒンドリーに都合が悪いからと言って隠し事をする。それでいて彼らのためを思って行動したり、まるで現代の欺瞞に溢れた大人のようだと感じる。ただ、彼女が決定的な悪ではないのは、あくまで彼女の行動指標が自分を含めた周りにいる好意的な人物、つまり主人たちの幸せが一番なのだ。ここがヒースクリフや後述するリントンとの違いだと感じる。

    ただ目の前の人間を見つめ、自分の想いにひたむきに向き合って行動をした娘キャサリン。エドガーの温厚さが幾分か影響してか、母キャサリンより聡明で、それでいて彼女のように強い意思を持っている。わたしは彼女の強かさ溢れる姿が作中の人物で最も好きだ。

    娘キャサリンとヘアトンが最後、恋に落ちて結ばれたのは、きっと必然だったのだろうと思った。はじめヘアトンは、野蛮人と化したヒースクリフにまるで動物かのように育てられた、獣要素の強い無骨な人間であった。だがしかし、それと同時に人間味というのも作中でとても強い人だとも感じる。例えば、美しい娘キャサリンに対し一目惚れをする。安直に。彼女の気を引くために、小さな知識をひけらかしてみせる。だけどもその行為には打算というものはなく、ただ子供が美しいものに興味を持つように、母の気を引くかのように、そういう純粋な気持ちから生まれたものだとわたしは思う。
    そのようなヘアトンとは対照的なのが、リントンだ。彼はヘアトンとは違って病弱だし、泣き虫だし、知識も豊富だし、守られる側の存在だ。別にこんなことはどうだっていいと思う。だけど、彼の奸悪さは当然許しがたいものである。弱さを理由に、他人の慈悲を強制させる。自分の保身を理由に、一度愛した娘キャサリンを地獄の嵐が丘へと誘う。そういう、いわゆる自分第一主義をモットーに行動してしまうから、彼の属性の全ては悪へと帰する。彼には純粋さなんてものはないのだ。

    しかし、この悲劇を招いてしまったのが、些細な偶然というのが、いかにも恐ろしい。神様のいたずらだろうか。それにしても、たとえスラッシュクロスの存在がこの物語になかったとしても、キャサリンとヒースクリフは元々結ばれない運命だったのではないかと思う。現実的な問題は抜きにしても、だ。彼らは似ているようで、ひどく異なっている。キャサリンにはあるものが、ヒースクリフにはない。それは純粋さだ。まあしかし、ヒンドリーにこっぴどくいじめられた中で、温室育ちのキャサリンのような純粋さを育めというのは無理があるのは重々承知である。生きるためなら狡賢くならなければならない。だから、無理なのだ。彼らは生きた場所が、食べたものが、考え方が、あまりにも違いすぎるのだ。似たような二人でも、根本では全く違う人間だというのは当たり前のようでなかなか見えない。彼らは強く惹かれると同時に、磁石の同じ極みたいに、近づこうとすればするほど無理がかかる、そういう運命なのだ。生まれた環境という点で言うと、キャサリンとエドガーはやっぱり同じである。彼らが結ばれたのはキャサリンの気まぐれだとか偶然かもしれないが、彼らの根っこは同じなのだ。

    続く悲劇の中で、娘キャサリンとヘアトンが幸せの希望を見つけたのは、お互いがその心に美しい部分を持っていたからだと、強く思う。作中の記述でもあったが、娘キャサリンはヘアトンに尊敬してもらいたいと願い、ヘアトンは尊敬したいと願う。そしてそこには互いを愛する気持ちまである!まさに理想じゃないか。

    作中一人ひとりの人間がここまで魅力的な作品に出会えたことは本当に幸福なことであろう。ただわたしは、キャサリンとヘアトンの小さな幸福がいつまでも続くことを祈るばかりである。

  • これから私は、草にそよ吹くかすかな風に耳をすます時を思うだろう、静かな大地に休む者達よ安らかであれ…と

  • 下巻に来て読むペースが早まった。

    ヒースクリフとキャサリンにしても、
    キャサリンとリントン、ヘアトンにしても、
    語り部であるディーンが時折キャサリンに説くような
    模範的で理性的で温情的な理由があってこそ芽生える愛情、とは別の
    それこそ嵐のようであったり、美しい瞳と金色の髪に魅入られてしまうような
    理由なく芽生えてしまうような好意・情欲。
    そしてそれ故に生じてしまう憎悪。
    そのどうしようもなさは、まさに嵐なのであるなぁ、
    と。
    人間の内面の因果みたいなものも含め、
    なるほど、メロドラマだけではない名作と言われる所以なのだなぁ
    と構成の巧みさも含め感じたのだけど、
    まぁそれにしたってキャサリンの母娘して激しいこと激しいこと!
    イギリス女流作家の小説に登場する女性は
    一筋縄ではいかない、善良さ以外で人生を進む人が多くて面白いなw

    嵐が丘は特に一癖も二癖もある登場人物ばかりで、
    読む側のコンディションとタイミング次第、という面が大きいかも。

    それにしても、粗野なヘアトンの変化は嬉しいものだったな。

  • 図書館で借りたその日に、上下巻を読了。これほど早く、時間を忘れて一気読みしたの久しぶり。次の頁をめくらざるを得ない、おもしろい!
    ブロンテ姉妹の作品でいうと、個人的には『ジェイン・エア』の上巻が大好きだが、下巻は失速感をおぼえる。しかし『嵐が丘』は、読者の心を最後まで掴んで離さない。
    偉大な物語は、読者に現実以上の体験を与えてくれるのかもしれない。

  • いまさら何を言うべきかという名作。「想い死に」というものの実在を予感させるような、一方でその不可能性を立証するような小説。再読を自らに課したい。

  • ブロンテ姉妹の二番目エミリー(1818-1848)の唯一の長編小説、1847年。原題は"Wuthering Heights"で、直訳すれば「風吹きすさぶ丘」といったところか。これを「嵐が丘」と初めて訳したのは英文学者の斎藤勇で、中野好夫らの師にあたる。この訳語には、日本語読者の内にめいめいに或る荒涼とした風景を思い描かせるだけの力がある。それが読者にとって読書時間を過ごすことになるこの小説世界の舞台となるのだ。いつまでも継がれていくであろう名訳である。

    近代英文学に、これほどスケールの大きな悲劇を描き切った、「悪」を造形し切った、小説があったことを初めて知り、読後しばし呆然とする。本作品には、個性的という以上に、各々がそれぞれの形で常軌を逸した激した性格を持つ者たちばかりが登場する。人間性が否応もなく歪められてしまった、狂気の持ち主たち。そんな彼ら・彼女らの愛憎劇である以上、それはどこか【運命】的な趣きさえ帯びた悲劇ではないか。

    「やけっぱちの男にとっちゃ、こいつ[銃身に飛び出しナイフのついたピストル]はすごい誘惑さ、そうだろう? ・・・。そんなことはやめろ、と直前までは山ほどの理由を並べて自分をおさえようとこころみるが、どうしても行ってしまう」(ヒンドリー)

    「あわれみなんか持たんぞ、俺は。これっぽちもな。虫けらがもがけばもがくほど、踏みにじってはらわたを出してやりたくなる性分なんだ」(ヒースクリフ)

    「おれの血を引く者がやつらの土地屋敷の持ち主に堂々とおさまるのを見て、勝利を味わいたい。おれの子がやつらの子供たちを雇い、賃金をもらって先祖の土地を耕す身分に落としてやる」(ヒースクリフ)

    「なにしろ、あいつ[ヘアトン]、自分の野蛮さを自慢に思っているくらいだ。動物レベルを越えるようなことはいっさい、軟弱でつまらんと軽蔑するように、おれが教え込んだ」(ヒースクリフ)

    「自分[リントン・ヒースクリフ]の苦しみには同情でき、お嬢さん[キャサリン・リントン]にも同情してもらいながら、お嬢さんの苦しみには同情しようともしないのね」(ネリー)

    「そんなことはわかっているさ。しかし、あいつ[リントン・ヒースクリフ]の命には一文の価値もない。そんなやつに一文だってかけるつもりはないね」(ヒースクリフ)

    卑しい出自として虐げられた怨念とキャサリン・アーンショーに対する愛憎が、ヒースクリフをして憑かれたようにアーンショー家とリントン家に対する復讐劇へ駆り立てる。虐待に対する反発として、ヒースクリフは自らが虐待者となって帰ってくる。一方、彼の虐待によって自尊心を挫かれてしまった者には、虐待者に対して自発的に隷属してしまう奴隷根性が根を下ろす。或る人間の内に悪が植えつけられて悪魔的な所業を為し、それによって別の人間が人間的でなくなっていく描写は、実に濃密で息も詰まらんばかりだ。

    「おれの宮殿をこわして、かわりに建てたあばら屋をあてがいながら、さも立派な慈善事業でもしたような顔をされても困るのさ」(ヒースクリフ→キャサリン・アーンショー)

    「この世はすべて、かつてキャサリンが生きていたことと、おれがあいつを失ったことの記したメモの、膨大な集積だ!」(ヒースクリフ)

    人間として【運命】的な内なる悪と、それが生み出す悲劇の普遍性を描いた作品であると云える。現代まで続く無数の通俗的物語の雛型となっているのも、その普遍性ゆえだろう。

    河島弘美訳は、物語の激しさを損なうことなく、かつ実に読み易い。

  • 3.4

  • リンバスカンパニー:ヒースクリフから購読。

    嵐ヶ丘は、単なる復讐劇ではない。
    ヒースクリフは運命に翻弄され、欲望のまま全てを手にする悪人に見える。
    最後のシーンで、自己の理想をヘアトンに投影するシーンがある。
    本当に望んだのは、キャサリンとただ一緒にいたかった事。
    復讐ではなく自分の想いを認めて死ぬ所が、たまらなく好きだ。

  • キャサリンとヒースクリフの純愛

    ヒースクリフがキャサリンの面影を感じたり、
    ヘアトンに自分を重ねるところは切なくなったが、
    人の道を踏み外して行ってきた悪魔のような行いの
    数々を忘れられなかった
    (希望の埋葬方法もエドガーが不憫だった)

    キャサリンとヘアトンが幸せでありますように

  • 【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

  • こんなにも誰一人として登場人物に共感できない話があるか?と思って面白かった。これはきっと再読したら物語の構成のうまさとかが見えてくる作品なんだろうなあ。

  • 復讐が遂げられたかに思えたところから、一転、幸福の歯車が回り始める。
    キャサリン2世がアーンショーを肯定するところが肝か。それも文字の学習で肯定する。
    教育によって格付けされた社会が、教育によって相手を認めるようになる。一方は背伸びし、一方は膝を曲げる。

    出自も分からないヒースクリフを認めてくれたのは、始めは旦那様。次にキャサリン1世。そのキャサリンを育んだのは、旦那様とヒンドリー。切れ目のない肯定の輪がある。そこに借家人と召使いも組み込まれている。

    生きている間だけではなく、死んでからともに埋葬されるというのは一種の天国だ。それもキャサリンと最終的に結ばれてしまった、その夫を排除することなく。
    これは社会のあり方だ。

  • 最後の場面がシェークスピア劇のようであった。このために人気が出た小説になったのかもしれない。

  • キャサリン(母)が死んでしまってから小説はあとまだ半分も残っているが、これからどういうスタンスで読めばいいのか、読者としてやや戸惑う・笑

    作者は何を思ってこの小説を描いたのかも気になる。

  • 陰気くさいメロドラマとしか言いようがない。
    訳者にこだわったので、読みやすかったのが幸い。名作だとは思う。

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