- Amazon.co.jp ・本 (378ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003223321
感想・レビュー・書評
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めちゃくちゃ濃い。
無駄な一節はひとつもない。
いっきに読めてしまう傑作。
エミリーブロンテ、夭折しなければ他にどんな傑作が書けたのだろう。 -
「復讐劇」という一言では言い表せないほど、壮大な物語だった、、、
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ヒースクリフの最期は全く想像していなかった
負の感情だけでここまで面白くなる小説は稀有 バッドエンドかと言われると全然そんなことはないから後味も良い 何もかも面白かった -
これから私は、草にそよ吹くかすかな風に耳をすます時を思うだろう、静かな大地に休む者達よ安らかであれ…と
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下巻に来て読むペースが早まった。
ヒースクリフとキャサリンにしても、
キャサリンとリントン、ヘアトンにしても、
語り部であるディーンが時折キャサリンに説くような
模範的で理性的で温情的な理由があってこそ芽生える愛情、とは別の
それこそ嵐のようであったり、美しい瞳と金色の髪に魅入られてしまうような
理由なく芽生えてしまうような好意・情欲。
そしてそれ故に生じてしまう憎悪。
そのどうしようもなさは、まさに嵐なのであるなぁ、
と。
人間の内面の因果みたいなものも含め、
なるほど、メロドラマだけではない名作と言われる所以なのだなぁ
と構成の巧みさも含め感じたのだけど、
まぁそれにしたってキャサリンの母娘して激しいこと激しいこと!
イギリス女流作家の小説に登場する女性は
一筋縄ではいかない、善良さ以外で人生を進む人が多くて面白いなw
嵐が丘は特に一癖も二癖もある登場人物ばかりで、
読む側のコンディションとタイミング次第、という面が大きいかも。
それにしても、粗野なヘアトンの変化は嬉しいものだったな。 -
図書館で借りたその日に、上下巻を読了。これほど早く、時間を忘れて一気読みしたの久しぶり。次の頁をめくらざるを得ない、おもしろい!
ブロンテ姉妹の作品でいうと、個人的には『ジェイン・エア』の上巻が大好きだが、下巻は失速感をおぼえる。しかし『嵐が丘』は、読者の心を最後まで掴んで離さない。
偉大な物語は、読者に現実以上の体験を与えてくれるのかもしれない。 -
いまさら何を言うべきかという名作。「想い死に」というものの実在を予感させるような、一方でその不可能性を立証するような小説。再読を自らに課したい。
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ブロンテ姉妹の二番目エミリー(1818-1848)の唯一の長編小説、1847年。原題は"Wuthering Heights"で、直訳すれば「風吹きすさぶ丘」といったところか。これを「嵐が丘」と初めて訳したのは英文学者の斎藤勇で、中野好夫らの師にあたる。この訳語には、日本語読者の内にめいめいに或る荒涼とした風景を思い描かせるだけの力がある。それが読者にとって読書時間を過ごすことになるこの小説世界の舞台となるのだ。いつまでも継がれていくであろう名訳である。
近代英文学に、これほどスケールの大きな悲劇を描き切った、「悪」を造形し切った、小説があったことを初めて知り、読後しばし呆然とする。本作品には、個性的という以上に、各々がそれぞれの形で常軌を逸した激した性格を持つ者たちばかりが登場する。人間性が否応もなく歪められてしまった、狂気の持ち主たち。そんな彼ら・彼女らの愛憎劇である以上、それはどこか【運命】的な趣きさえ帯びた悲劇ではないか。
「やけっぱちの男にとっちゃ、こいつ[銃身に飛び出しナイフのついたピストル]はすごい誘惑さ、そうだろう? ・・・。そんなことはやめろ、と直前までは山ほどの理由を並べて自分をおさえようとこころみるが、どうしても行ってしまう」(ヒンドリー)
「あわれみなんか持たんぞ、俺は。これっぽちもな。虫けらがもがけばもがくほど、踏みにじってはらわたを出してやりたくなる性分なんだ」(ヒースクリフ)
「おれの血を引く者がやつらの土地屋敷の持ち主に堂々とおさまるのを見て、勝利を味わいたい。おれの子がやつらの子供たちを雇い、賃金をもらって先祖の土地を耕す身分に落としてやる」(ヒースクリフ)
「なにしろ、あいつ[ヘアトン]、自分の野蛮さを自慢に思っているくらいだ。動物レベルを越えるようなことはいっさい、軟弱でつまらんと軽蔑するように、おれが教え込んだ」(ヒースクリフ)
「自分[リントン・ヒースクリフ]の苦しみには同情でき、お嬢さん[キャサリン・リントン]にも同情してもらいながら、お嬢さんの苦しみには同情しようともしないのね」(ネリー)
「そんなことはわかっているさ。しかし、あいつ[リントン・ヒースクリフ]の命には一文の価値もない。そんなやつに一文だってかけるつもりはないね」(ヒースクリフ)
卑しい出自として虐げられた怨念とキャサリン・アーンショーに対する愛憎が、ヒースクリフをして憑かれたようにアーンショー家とリントン家に対する復讐劇へ駆り立てる。虐待に対する反発として、ヒースクリフは自らが虐待者となって帰ってくる。一方、彼の虐待によって自尊心を挫かれてしまった者には、虐待者に対して自発的に隷属してしまう奴隷根性が根を下ろす。或る人間の内に悪が植えつけられて悪魔的な所業を為し、それによって別の人間が人間的でなくなっていく描写は、実に濃密で息も詰まらんばかりだ。
「おれの宮殿をこわして、かわりに建てたあばら屋をあてがいながら、さも立派な慈善事業でもしたような顔をされても困るのさ」(ヒースクリフ→キャサリン・アーンショー)
「この世はすべて、かつてキャサリンが生きていたことと、おれがあいつを失ったことの記したメモの、膨大な集積だ!」(ヒースクリフ)
人間として【運命】的な内なる悪と、それが生み出す悲劇の普遍性を描いた作品であると云える。現代まで続く無数の通俗的物語の雛型となっているのも、その普遍性ゆえだろう。
河島弘美訳は、物語の激しさを損なうことなく、かつ実に読み易い。